- ナノ -

違えた『約束』を貴方に

page.16 『現の夢』

兄は中学で部活動に勤しんでいた。野球部で、トップクラスの実力を持っているのは知っていた。4歳児だったが、なぜかそういった事情はよく理解していた。
その日は日曜日で、我が家には両親が揃っていて、夕飯は家族揃って外食なんてどうか。と話していた。

そんな時だった。ズシン、と地響きが轟いて何事かと両親が慌てた。
ソファの上で座ってテレビを見ていた私に、父親が焦った形相で手を伸ばした。

こっちへ来なさい。

その言葉にうん、ぱぱと私も手を伸ばした。
テレビでは、怪人が出たときの警戒音と共に私たちの住んでいる市に巨大な怪人が現れた、避難してくださいとニュースキャスターが切羽詰まった表情で叫んでいた。

『ぱぱ――』

ズシン、と地鳴りがしたと思った瞬間、目の前の光景が砂埃に消えた。
暴風に、思わず目を閉じて両手で顔を覆う。浮き上がった体はゴロゴロと転がって壁に激突した。

『がはっ、げほっ、ぱ、ぱ?』

頭がぐわんぐわんとして、地面が揺れた。
何が起こっているか理解できずに、父を見た。

そこには、ぱぱだった腕だけが残されて、私たちの家が削り取られたかのようになくなっていた。
そして代わりに、薄緑色のぼこぼことした物体がそこにあった。

ポタポタと頭から何かが垂れてきて、なんだろうと手を当ててみてみれば手が真っ赤に染まっていた。



赤い掌に、カシャリと光景が切り替わる。

『――って! 死なないで――!!』

死んでいるよ。それは。
冷静な部分が私に囁く。

二人で夜道を歩いていた。社会人になって付き合い始めた彼は、不器用だったけど優しくていい人だった。
夏祭りの帰りで二人で手をつないで歩いていた。私と彼の左手の薬指には指輪がはまっていて、夏祭りで人手のいないところに連れ出されてプロポーズされたのだった。
けれど、彼は浴衣を着ていたので一度指輪が入った箱を落としていたので実は気づいていたのだけど。

街灯が照らす、祭りの帰り客もいて少しにぎやかな帰り道。
暴走した車が私たちの方へ突っ込んできた。道路側にいた私はその車を視界に収めたが、驚愕に何もできずにいた。そんな私を彼が引っ張って――。

『死なないで、嫌だよ、嘘――』

首と腕が本来あるべきでない方向を向いていて、喉がひきつった。
頭から流れた血があとからあとから出てきて、手を当てて塞いだけれど、手の隙間からだらだらと流れてくる。

嘘だ。嘘だ。嘘嘘嘘嘘。

こんなの有り得ていいわけない。こんなの現実なわけない。
どうして彼が、どうして私たちが。

真っ赤に染まった掌が、重なる、重なる。

傷だらけの小さな掌と、大きな指輪のついた掌と。


その瞬間に、私は全てを放り捨てた。



「お兄ちゃん」

息苦しい、胸が苦しい。見たくない、今一番見たくない夢を見た。
いや、きっと生涯で一番見たくない夢で在り続けるであろう。
自分が死んだときよりも、もっと酷い夢だった。
縄で首が閉まる夢なんて、そんなのよく見る。けれど、この夢は。

「おにい、ちゃん」

すーすーと寝息を立てながら眠りこける兄の年相応の寝顔を見て息が詰まる。
その首には赤い首輪がついている。

「おねがい、どこにもいかないで……」

涙が零れて、喉がひきつった。
身勝手だ、最低だ。兄はただの高校生なのだ。まだ子供だ。守らなきゃいけない対象だ。
なのに、私はなんてことをしているんだろう。
ごめんね、ごめんね。酷い妹だね。

兄の胸に寄り添って縮こまる。
そっと、後ろから頭が何かに包まれて思わず体が震えた。しかしそれが兄の手であると理解して体が弛緩する。起きてたのか。そりゃあ、S級ヒーローだもんね。これだけうるさくしたら起きるか。
兄の手で髪をすり抜けていく、優しく撫でられて、心地よさに胸の痛みが和らぐ。彼は人を撫でるのがうまい。

「どこにもいかねぇ。約束だ」

そうして力強い言葉で『約束』をしてくれた。
ああ『彼』もプロポーズの時に誓ってくれた。ずっとそばにいると。




嘘吐き。