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違えた『約束』を貴方に

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日が落ちた後に目が覚めた。嫌に一日が早い。
喉が渇いて、水に手を伸ばそうとして――体が動かないことに気づいた。
はっとした。これは、やばいのではないだろうか。
手足がピクリとも動かない。勿論金縛りなんてものではない。きっと熱によって体の体力が全て持っていかれてしまったのだろう。しかし、こうなると本当に脱水を起こしかねなくなってきた。
喉がカラカラで仕方がない。寝起きだということもあるだろうが、汗をかいたこともあるだろう。しかし、身体が動かないとなると、もうすでに脱水症状になっているかもしれない。
ああ、やばいなぁ。なんて他人事のように茫然と考える。
頭がぼぅっとして、考えがまとまらないのだ。
もう、このまま寝てしまって、起きれなくなっても、いいかもしれない。
だって、置いていかれるわけじゃないんだし。

「善子……?」

暗闇で、唯一の家族の声が響く。
そう、この人に。
この人にさえ置いていかれなければ、私はいいのだ。
答えようとして、声が出なかった。カラカラになった喉は声も発せられない。
ひゅう、というか細い息が出て、それに兄が反応した。

「おい、どうした? 善子……」

近づいてきて顔を覗き込んでくる顔は、薄暗くてよく見えなかったが、その黒い瞳がこちらを向いているのはわかった。
なので、私も唯一動かせる目線でおぼんを見る。詳しくはその上に載っている水の入ったコップだ。
しばらく理解できなかったらしいが、アッと声を上げたかと思うとコップを手に取ったあたり気づいたのだろう。それからコップをこちらによこすが、私が手を伸ばしたりしないからかどう渡していいものかと思い悩んでいる。
そういえば片手を解放したままにしてしまっている。監禁しているのに、私も自覚が足りない。

「なぁ、どうすりゃいいんだ?」

尋ねてくる兄は、本当にただの子供だ。
抱き起こして口元にコップを傾けるとか、何かあるだろう。
けれど、困惑した顔に仕方なく口をわずかに動かす。なんでもいいから水をくれればいい。こうして横になっている私にそのまま水をぶっかけてくれてもいい。
兄は私を見つめて、それから分かったぞ、善子。と声を上げた。本当かよ。
兄はおもむろにコップを自分の口に運び、自分で水を飲んでしまった。わかってないじゃん。とある意味笑いがこみあげてきそうになった時に、その兄の顔が近づいてきて驚いた。

「っ」

あぁ、なるほどね。
口づけられたところから、水があふれだして口移しかと察した。
冷たかったはずの水が、兄の口の中に入ったせいで少し生ぬるくなって、口の中に入ってくる。
自分のタイミングではないそれに、口の端から沢山こぼしながらどうにか飲み込んでいく。

「っ、は、ぁ」
「どうだっ? 善子、飲めたか?」
「ぅん」

喉が潤ったおかげで声が出せるようになった。
枕はびちょびちょになったが、不器用ながら頑張った方ではないだろうか。
しかし、なぜ口移しなのか。昨日はキスだけであんなにも赤面してたのに。
肯定すれば安堵したように柔く笑うのだから、いつもの不敵な笑みはどこに行ったのかと思う。
私と同じく口元の濡れている兄は、そうだ。とお盆の上に置いてあったバナナをとった。

「バナナも食うか? いや、ちげーな。食った方がいい」
「……別に、いい」
「だめだ。前に善子が言ってたんだろーが。風邪の時ほど、何か食べたほうがいいってよ」

……言っていた、気がする。
確か――まだ、兄が中学生だったころ。まだ幼かった私が、冬の時期に鼻水垂らして帰ってきた兄に対して言った言葉だ。けど、別に兄は風邪をひいてなかったし、いつもどおり大量に食べて次の日にはぴんぴんしていた。
よく、覚えてるな。そんな昔の事。

でも、正直食べる気力がない。かみ砕くのも顎の筋肉が軋んで辛いし、水だけで十分だ。これがいけないんだけど。

「……わかった。兄ちゃんが食わせてやる」
「へ」

何言ってるんだろう。この人。
ポカーンとして見ていれば、バナナを持って口で皮を割いていく。片手しか自由じゃないからしょうがないけど、何をするつもりだろうか。そのまま口に突っ込まれても食べたくないんだけどなぁ。
眺めていれば、剥いたバナナの中身を一口食べていて、もしかしてと冷や汗が流れた。

「ほは」

ほら、と顔を近づかれて言われて、どうしようかと迷ったの同時に理解した。
この兄は、私がしたのと同じことをしている。しているだけだった。
なんの邪心も悪意もなく、私が兄に対していったこと、したことを実践していた。
先ほどの何か食べなきゃ、のこともそうだし、この口移しだって私が昨日やったからだ。でなければ、こんなこと素面でできる人じゃない。キスだけでも赤面していた人なのに、これは全くもって下心のないものだと理解しているから平然とこんなことをしている。世間一般からすれば、いくら家族でも血の繋がった妹でもおかしなことぐらいわかるのに。

「……」

迷って、そっと口を開いた。
ちょっと嬉しそうな顔をした兄が憎たらしい。
唇が当たって、ぬと、と兄の舌が口を割り開いてくる。バナナの匂いが漂ってきて酔いそうだ。
咀嚼されてねばねばしたバナナを舌で口内に押し込まれる。ぬとぬととしていて暖かくておいしくない。
兄の唾液が混ざっているから余計にだ。飲み込むのが辛い、喉がひきつる。
反射的に動かないと思っていた腕が動き、近くの兄の腕をぎゅうと掴めば、耳元に手が添えられて、そろりと撫でられた。暖かな掌になんとなく力をもらえたような気がして、気力で喉へ押し込む。

「っはぁ」
「ちゃんと食べられたか?」
「……」

食べられたけどさ。
でも、これ普通に食べるより体力というか、気力を使う。
だってこれ、ただのディープキスだよ。彼は私の時と違って勝手に喉から吐しゃ物が流れ出てくるわけではなくて、口内にため込んでいるから、それを流すために舌を使ってくるし。犯罪だよ。うわー犯罪だぁー。
小学生の妹が高校生の兄にいけないことを教えているーー。誰だこんな歪んだ家庭内にしたのはーー。
私か。

疲れてはぁ、と息をついていれば、また一口バナナを食べようとしている兄がいて、この拷問はもしやバナナが終わるまで続くのかと兄を見つめた。
私の目線に気づいた兄が、気づかわしげに言う。

「あと三口だ。頑張ンだぞ」

そりゃあアンタからしたら三口でしょうけど私の口の大きさは違うんですよねーーー!!





「っぅ」
「っ! 善子?」
「もう、いい。食べた」
「そうなのか? けどよ、もうちっと食べなきゃ」
「いらない」

舌で押し込んできていた兄の舌を、同じく舌で押し返せば、ビクリと肩が揺れた後に口が離された。
力を振り絞って断言すれば、渋々と兄が引き下がる。

ぐちゃぐちゃぬとぬとと決して兄妹でやることではない口移しの食事を終え、私は息も絶え絶えだった。
もう絶対これやらない。絶対。死ぬ。
結局バナナは半分が過ぎたあたりで遠慮させてもらった。
吐きそうだったし、風邪のせいかお腹もいっぱいのような気がした。
飲んだ水の量が意外と多かったのかもしれない。兄の口は大きいから、コップに入っていた水のほとんどを含んでいたし。

腹が膨れたせいか、眠気が襲ってきてぼぅっとする。いや、これは酸欠だろうか。
それでも意識が飛びそうになっているのは間違いなかった。
動くようになった腕で兄の髪を掴んで引っ張る。

「いでっ、善子? どうした?」
「いっしょ、ねる」
「あっ、おう」

口から零れた水でいまだにびしょ濡れな枕も気にせずに兄をベッドに入れて目を閉じる。
目が覚めたら、直ぐにでもお風呂に入ろう。