四日目。
私は、兄を風呂に入れることにした。
でも、これは賭けだった。
もしかすると、兄はこれを好機とみて逃げ出してしまうかもしれない。
だって、部屋の外に連れ出すだけでなく風呂に入るために手錠を一時期だけではあるが外さなくてはならないのだ。
ゾッとした。両手を解放された兄なんて、翼の生えた鳥だ。どこへでも行ってしまう。
私は恐ろしくて風呂に入らせることをやめようかと思った。
けれど、三日目の夜。
兄が同じ部屋にいるのだからと昔に私から断った添い寝をしてもらおうとした。
のだが、臭いがベッドにつくのが嫌だったので先送りにしたのだ。
兄がすぐそばにいるはずのなのに、どうしてそんな簡単なこともできないのだろうか。
だから、私は三日目の夜。兄に三つ目のお願いをしたのだった。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「なんだ? 寝れねぇのか?」
「……ううん。私の、お願い聞いて」
この状況下でお願いとは、随分な神経である。
けれど、私は兄にそう乞うた。
兄は基本的には私のお願いを断らない。むしろ断らなさすぎる。確約できない約束をいつもして、そして私に何時も怒られている。と言っても、私も精神年齢は幼くない、拗ねたふりをして兄からもうしない、という言質を取って許してあげていた。次もそうなるとわかっているとしても、兄もまだ高校生だ。駄々をこねるのも大人げないだろう。
兄はきょとんと眼を丸くして――三白眼だが、そうしてみると可愛げがある――それからニカッと笑った。
「当たりめぇだろ。お前のいう事なら、なんでも聞いてやる」
だから頭がおかしいというのだ。
私はいつも、子供らしくお伺いを立てない。
おおよそ大丈夫であろうお願いしかしないし、前述したようにそれが破られてもべつにいいと思っているからだ。
けれど、今この状況だから珍しく伺いを立てた。
立てない方がおかしい。理性を持って兄と接していた私が犯したミス――いや、現在進行形の失態だ。顔色を窺わない方がおかしい。
だが、目の前のこの人はそんなことは知らぬ存ぜぬで当たり前のように“なんでも聞く”などとのたまった。
私はすでに二つの『お願い』をしていた。
『絶対に外に出ないで』
『私がいいっていうまで動かないで』
どれもこれも兄の自由を束縛するものだった。
理由は全て恐怖だ。
そしてやはり私はまた恐怖によって彼を縛る。
ベッドに潜りながら、兄を眺める。何をお願いされるのかとこちらを見つめるその瞳は一つも濁っておらず私の胸をもやもやとしてものが覆う。
どうしてそうやって、妹を見る目で見られるのか。
「……私の」
「おう」
「私の、いう事にだけ従って。……そしたら、お風呂入らせてあげる」
「! ほんとか! あぁ、勿論だ」
嬉し気な顔をして頷く彼は私からするとまだまだ子供だ。
そりゃあ、高校生だ。まだ子供だろう。成人だってしていないし、酒もタバコも経験していない。
彼はヤンキーみたいな見た目をしているが、律儀すぎるほど律儀な人なので飲酒も喫煙もしていないのだろう。むしろそういう輩を率先して金属バットでぶちかましに行っていそうだ。
……約束もできない約束をするところも子供。
いつもみたいに、約束をしていてもヒーロー協会から要請が入ればそちらへ行ってしまうんだろう。
そうしてすっぽかされた約束は幾つあったか。
今まではそれでもよかった。仕方がないね、頑張ってね。で済ませられた。
けれど、今回ばかりはダメだ。だから通信機器を全てダメにした。
ダメだ。行っちゃダメ。離れちゃダメ。見えない場所に行かないで。
「……約束だからね」
勝手に何処かにいなくならないで、お願いだから。