- ナノ -
「生江!!」
「いい!」

咄嗟に銃を向けた二瓶に、鋭い声が刺さる。
それは少女の制止の声であり、瞳の白目の幅が小さくなり、巨大な黒目で二瓶を射抜いていた。

「ごめんね、旦那さん、殺そうとして、私から、言っておくから、許して?」
「グルルルル」

二瓶を襲おうとし、庇った少女に噛みついた狼が一つ唸り――そしてゆっくりと身を引いた。
その光景に木につるされている少女は唖然とする。

「言う事を、聞いた?」

生江に噛みついていた狼は素早くかけると、白い狼の隣へと移動した。
二瓶はその光景に、つがいだと悟る。
姿を見せなかった犬が駆けだし、二瓶たちと狼の間に割って入り唸り声を上げた。

「っ、は」

そして――首から大量に血を流した生江は、首筋を抑えながらその場に倒れ込んだ。
雪に頭が落ちる前に、二瓶が駆け寄り身体を起こす。
その姿は、大よそ――人間には見えないものだった。

少女の姿はしているものの、目はまるで人間のものではない。黒目が膨張し、白目を追いやっている。
手はみるまでもない、毛に覆われ、爪は黒く鋭い。
衣服が半分、黒毛に変貌しており、一部は体にめり込み体毛と化している。

「やはり、お前は……」
「に、へい、さん」

二瓶も変貌し、人とは見えない少女の首を押さえつける。
それでも血液は溢れ出し、少女の命を削っていく。見れば、腹からも出血していた。
弱弱しく、だが確かな光をもって二瓶を見上げた生江は、涙を浮かべていた。

「ごめん、なさい」
「何を謝ってる」
「邪魔、して」

邪魔をしないと少女は二瓶に誓った。
それを気にしていたらしい生江に、二瓶は言い返す。

「さっきも言っていただろう。“たぶん”だからな。しっかり約束をさせなかった俺が悪い」
「そ、っか」

嬉しそうに少女は笑う。痛みに脂汗を浮かべながら、心底嬉しそうに。

「にへいに、うたれて」
「ああ。やはりお前はあの熊だったか」
「よか、った」
「……」
「わるい、こに、ならなか、った。にへい、おかげ」

今まで言わなかった事を口にする生江の姿に、二瓶は思った。
これは、遺言なのだろう。
真実を白状する生江に、二瓶は首を抑える力を強めた。

「谷垣が悲しむぞ。あいつはお前を気に入ってたからな」
「ちゃん、と、おわか、れ、いって、きた」
「用意がいいな」

二瓶がそういえば、生江の口が音もなく動く。
笑みに彩られたそれは、ほめて、と言っていた。
二瓶は何も言わずに、生江の頭を撫でる。

「おおかみ、もぅ、あきらめ、て」
「……」
「やくそく」
「……」
「ぃきて、なが、いき、して」

徐々に瞼を閉じていく、声がだんだんと小さくなっていく。

「あぁ」
「ほ、んと?」
「俺は誓いを破らん。やはり、女は恐ろしい。死に際に命を助けられた女にそう言われて、断れる男がどこにいる」
「……へへ」

やはり、笑う。幸せそうに。

「キムンカムイ……」

木から仲間の男によって下されたアイヌの少女がそう口にする。
キムンカムイ。熊を神とするアイヌの、熊を指した神の名前だった。
その声に気付いて、少女が黒い目をそちらへ向ける。
そこにはアイヌの少女と、軍服を来た男と、坊主の男が生江を見つめていた。

「ころ、さない、で」
「……」
「ほん、と、は、ここで、しぬ。け、ど」

生きてほしかったから。そう予言を告げる生江を、ただ三人は見つめてた。
生江はにこりと朗らかに笑う。これから死ぬとは思えぬ顔で。

「たぃ、へん、けど、がん、ば、って」

何もかもを見透かしたようにそう言って、二瓶に目線を戻す。
生江はぼやける視線の中、やはり笑っていた。

「て、つぞ」
「……」
「くま、なる、か、ら」
「なぜだ?」
「たべ、て、わたし、わすれ、なぃで」
「おつむが足らんのか、そんなことせずとも忘れられるか」
「ぁはっ……ご、めん、ね」
「……逝くのか」
「ぅん、行く、ね」

動物の皮と肉をもって、神は遊びに来ている。
そして死ねば、神は還っていく。

「でも、」

笑っていたはずの生江の目元に、滴が浮かぶ。
そして目を細めたことで、それは頬を伝い、首筋を抑える二瓶の手へ伝った。

「も…い、っしょ…ぃた、か……ぁ」

幸せそうに少女はそういった。
そして、もう決して動くことはなかった。

キムンカムイ



木の棒を杖にしながら、痛みに耐えやってきた谷垣が見たのは人間とは思えぬ――まるで半分熊の様な姿をして横たわる、血まみれの生江の姿だった。
谷垣は息をしない体の横へ座った。

「コレヨリノチノ ヨニウマレテ ヨイオトキケ」

無邪気に二人に懐いていた少女は、安らかな顔で、死んでいた。