- ナノ -
ガロに告げたことは、嘘じゃない。
寂しくはなかった。両親はいい人じゃなかったし、ガロは元気に育っている。クレイさんは優しいし、明日のご飯の心配もしなくていい。
けど、未来の心配はしなくてはならない。いや――未来というより、クレイさんの心配か。

夕飯をちゃっちゃと食べ終えて、クレイさん用のつまみを彼の部屋まで持っていく。
ガロも私もお腹が空いていたので先に食べてしまったので、少し申し訳なさを覚えつつ部屋の扉を叩いた。

「クレイ、持ってきたよー」

そう告げると、少ししてから扉が開いた。
そこにはシャツ姿のクレイがいて、ありがとう。と礼を言う。

「どうぞ」
「おじゃましまーす」

トレイをもってスタスタ中に入っていく。
中は書類と本が散らばっていて、まぁお世辞にも綺麗とはいいがたい。
掃除しなくちゃでしょーと小言をいいつつ、机の上にトレイを置いた。

「そうなんだけどねー」
「まぁ、クレイ頑張ってるからね。仕方ない」
「そうかい?」
「そうそう」

腕を組んでうんうんと頷けば、ぷはっと笑われた。それに私も笑う。

「ポテトとコーヒー。ケチャップお皿に入れておいたから、使ってね」
「いつもすまないね」
「クレイ。研究大変そうだし。調子はどう?」
「悪くない、あと少しで実用化もできそうだ」

疲れた顔で、嬉しそうに言うクレイに、研究しているのはバーニッシュ対策の分野だったな。と思いいたる。
以前に聞いたことがあるのだ。同時にひどく複雑な気持ちになったのを覚えている。自分がバーニッシュなのにそんな研究をするのはどんな気分なのだろうか。

「でも、あんまり無理はしないでね。ガロも心配してるし」
「そうだなぁ。でも、この研究で不幸になる人が減るなら、頑張らないとね」

そう言って机に用意したのに、執務用のデスクに足を運ぼうとするクレイの左腕の裾を咄嗟に握った。
あっ、やっちまった。と思ったのはクレイの足が止まった後。振り返って、どうしたんだい。と問いかけてきたクレイに、何と言っていいか悩んだ後に仕方ないと口を開いた。

「それはそうだけど、クレイも大事だから、自分のこと大切にしなくちゃだめ」
「……エマ」
「これ、わがままじゃないからね! じゃあ、私お皿洗いあるから!」

クレイの言葉を聞く前に慌てて扉から逃げ去る。
くそー、言うんじゃなかった!


ガロとお皿洗いをして、一緒にお風呂に入って寝る準備をする。
ガロはこの生活を気に入っていて、私も気に入っている。私とガロとクレイの三人生活。たぶんそう遠くないうちに孤児院に入ることになるだろうけど、この生活が続けばいいなぁなんて思っていたりもする。
クレイが買ってくれたベッドに二人で潜り込んで、身を寄せ合いながら何でもない話をする。

「姉ちゃん、最近耳塞がなくなったよな」
「ん? んー、そうだね。必要なくなったし」
「そうなのか?」
「前はちょっとうるさかったけど、ここはそんなことないからね」

以前は話もしたけど、それよりも両親が言い争う声が扉を閉めても聞こえてきて、それをガロに聞かせたくなくて耳を塞いでいた。早く寝るためだと言い聞かせていたけど、今はそれも必要ない。

「へへ、姉ちゃんと話せるの、嬉しい」
「うん。私も嬉しい」
「そうだ、今日さ――」

ガロの口から零れ出てくる話は、学校でこんなことがあったとか、私も知っていることだとか、テレビアニメの話とか、クレイの話だ。それを喜ばしい気持ちでずっと耳を傾ける。
そうしていると、ガロはだんだん舌足らずになっていって、瞼は落ちて、そのまま寝入ってしまう。
それに声を潜めて笑って、寝息を立てるガロの幼い顔を見る。

私は、今の生活が楽しい。ガロも大好きだし、いつまでも守っててあげたい。クレイも好きだ。優しいし、可愛がってくれている。でも、このままいけば映画のようになるのだろう。だって家燃えちゃったし。
なんだかなぁ、と思う。私もガロも被害者だ。でも、クレイも被害者といえば被害者だ。現時点では。
でも、だからといって私に出来ることはない。夕飯を食べない時に軽く摘まめるものを持って行ったり、体調の心配をするぐらいしかないのだ。
それでも、もっと何かできないかと思ってしまう。
あと少しでこの共同生活もおわってしまうだろう。それまでに何か、どうにか――。

ぐるぐるとそのまま思考の海に潜ってしまい、はっとしてみればガロが寝てから数時間も経過していた。
それに一人ため息をついて、喉の渇きを自覚する。水でも飲んで冷静になって、寝よう。答えの出ない問答をしていても、仕方がない。

そう、仕方がないのだ。
ガロを起こさないように握っていた手を放させて、ベッドから降りる。途中、ガロの声が聞こえてびっくりしたが確認してみると寝言だったようで安堵の息を零した。
そのままリビングへ行って、コップに水を入れる。
料理を作るとき、お皿を洗う時、コップに水を入れるとき。小さな階段を上って背の高いキッチンを使う。この踏み台を買ってくれたのもクレイだった。

「無力だなぁ、私」

コップの水面を眺めながら、一人零す。
知っていても、分かっていても、何もできない。いや、する気がないのかもしれない。
だってあのまま、本編通りいけばハッピーエンドなわけであるし。ただバーニッシュに被害が出て、博士がクレイに殺されて、プロメポリスに被害が出るだけで。

……いいのかそれで。

「あ〜〜〜もうっ、わっかんないよ!」

ガロには幸せになってほしいし、クレイにも幸せになってほしい!
バーニッシュたちも苦しんでほしくないし、博士にも死んでほしくない。でも私は子供だし、変なことをして地球が消火されなかったら滅亡しかないじゃん。どうすりゃいいってんだ!

コップを握りしめていれば、ピシリと僅かに甲高い音が耳に入って目を見開く。その音はコップから聞こえていて、なんだとみてみれば思わず絶句した。
コップにひびが入っていた。そして次の瞬間そのコップが砕け散る。

「ッ!?」

水とコップの欠片が手にかかる。鋭利な欠片に少しだけ指が切れたが、その場所から赤い何かが噴き出した。
瞬間、手についていた水滴が音を立てて蒸発する。

「こ、れ……!?」

ヤバい、やばいやばいやばいやばい!
心臓が飛び跳ねるような感覚に、動悸が訪れ息が苦しくなる。自覚したのと同時に口元から黄色い湯気のようなものが飛び出たのを視認して更に混乱した。
プロメアだ、バーニッシュだ!
ありえない、嘘でしょ!? 自分だけは、自分はならないと思っていた。勝手にプロメアと共感しないと考えていた。でも、私もこの世界の住人だったのだ。そうだ、共感能力さえ高ければ誰にだってバーニッシュになる可能性はあった。あったのに!

「静まって、お願いだからぁ……!」

気付けば右腕は手のひらから腕にかけて燃え盛っていた。口を開けば言葉と共に炎が噴出して、キッチン焦げさせていく。
くっそ、嘘だろ嘘だろ勘弁してくれ!
燃える腕を押さえつければ、炎が広がるように燃えていない箇所にも火がついていく。振り払うように炎をはたいても、生き物のようにぶわりと燃え盛る。私の意思なんて関係ない。

あ、これ。もうダメかも。
そう思った時だった。最悪のタイミング、しかし当然の至りでもあった――彼がそこにやってきたのは。

「く、れい」

瞠目して、真っ赤な目でこちらを見つめていた。
キッチンの周囲は轟々と燃え盛っていて、今すぐにでも対処しないと家に燃え広がってしまいそうだ。そりゃあ、彼も気付くだろう。
いや、彼の足元にお盆と私が持ってきた皿が割れて転がっているから、もしかして片付けにきたのかもしれない。あ、全部食べてくれたんだ。

終わった。
私の人生これで終わりだぁ。
よりにもよってクレイに見つかるとかなぁ。なぁんで見つかっちゃうかなぁ。いや、ガロでもよくないんだけどさ。なんというか、穴があったら入りたい。というか入る。もう穴掘る。私今日からディグダになります。あ、でも炎タイプじゃないか、あっはっは……。

一秒にも満たない間。冷静になって、そして頭が沸騰した。

……くそーーーー! なんだってんだよ私が何かしましたか神様ぁーーーー!
もう嫌だ、踏んだり蹴ったりだ! 生まれた家の両親はDVだし、家が燃えるし、家焼いた人は悪い人じゃないし、ガロもクレイも好きだし、でもどうにもできないし、悩むし、自分はバーニッシュになっちゃうし!!
もう何も考えたくない! 消えてしまいたい!

自暴自棄だ。自分でもわかった。でも炎は消えないしクレイは絶句しているしで、それ以外にやれることがなかったのだ。けど、それがよくなかったらしい。感情が爆発した瞬間に、更に火柱が噴き出し全身を覆った。
あ、やばい。と思ったのも束の間、炎に飲まれた身体がほろほろと崩れていくのが分かった。気付いた刹那、一気に身体が解けていく。まるで火の粉が舞うように、火柱が小さくなるのと一緒に体が崩れて行った。

「エマ」

囁かれた名前に、咄嗟にそちらを見る。
そこには走って私の元へやってこようとしているクレイがいた。
伸ばされた手に、反射で手を伸ばす。けれどその手は火の粉を散らして空気に溶けた。

大きな手には触れられないまま、私は崩れ去った。