- ナノ -
そう、それ以上の物はないんだけれど。
ガロの仕事場の人たちからどういうことだとか、再び説明をしたりしていたら、あっという間に時間が過ぎ去る。朝日で美しかった空模様も太陽が昇ってきて明るくなっていく。
そんな時だった、クレイが立ち上がったのは。

「おい、どこにくんだよクレイ」
「船の形態を解除する。そうでもしなければ身動きが取れないだろう。次期に他のレスキューや警察も動き出す」

あっ!

「あっ! 待って!」
「うわ、おい姉ちゃん! 危ねぇって!」

そのまま歩き出そうとするクレイに、待ったをかける。
飛び出して駆け寄ろうとしたがガロに抱きしめられているので空振りに終わる。クレイは少しだけ歩を緩めたが、すぐに足を進めだしてしまった。

「あっちょ、ガロ離して! それかクレイに投げて!」
「投げ、何を?」
「私!」
「いやできねぇよ!」

じゃあ離してくれ!
じたばた暴れれば、抱きしめていられなくなったのかガロの腕の拘束が緩む。その瞬間に飛び降りて、他の人たちの足の間をすり抜けてクレイの元へ走る。
どんどん走っていって、止める時間も勿体ないとそのまま屈強な足に体当たりした。

「っ」
「クレイ! 待って、話したいことがあって、あのね、私がバーニッシュになったとき」
「今でなくていいだろう」
「えっ、あっちょ、待ってってばぁ〜〜〜!」

今、今話したいんだってば!
体当たりしたときは止まっていたのに、思い出したように前へ進もうとする足をどうにか引きずって抑える。しかし大人と子供。屈強な体格と小柄な身体。どちらが勝つのかは明白だ。ちょっとは加減してくれ〜〜〜!
どうにもこのままでは話を聞いてくれなさそうだと察する。
くそ、ならば仕方がない。というかこんなに必死に止めてるんだからちょっとは止まってくれたっていいでしょ! なんでそんな頑ななの!?
足に巻き付いていた手を動かして、ズボンをがっしりと掴む。それにクレイがぎょっとこちらを見た。ふふん、今更止まったとて遅いからな!
そのまま木登りの応用で足を上っていく。思い切りクレイの制止の声が聞こえるが聞こえません。これでもガロと一緒に外を駆けまわっていたのた。身体能力を舐めてもらっちゃ困る!
最終的には滑り落ちそうになり、クレイに支えてもらいつつ首元まで上ることができた。達成感! というか途中で助け船だすぐらいだったら最初から持ち上げてくれ。

「クレイ!」
「……なんだい」

やっと目の前にある顔は、私たちを引き取ってくれた学生のころと変わりないように思えた。
いや、変わっている。何もかも。でも、その細い目とか、太い眉とか、立派な鷲鼻とかは変わらない。目を開けた時に見るのは、あの時の赤色だろうか。

「私がバーニッシュになったとき、覚えてる?」
「……忘れるはずもない」
「うん。あのね、クレイ」

この世界はハッピーエンドだ。全て映画通りに進んだ世界。プロメアは完全燃焼して、自分の星へと帰っていった。バーニッシュはもう存在せず、クレイの野望も燃え尽きた。
いつか、悩んでいたことを思い出す。私は、何かできないだろうか、何もしないことを選択しているのではないだろうか。ガロもクレイも大好きで、なんとかしたいと思ったあの日。
あの時の、学生だった貴方に、私は何もできなかった。

「伸ばしてくれたのに、手を掴めなくてごめんね……」

確かにあの時、クレイは私に手を伸ばしてくれたのに。

「バーニッシュになっちゃって、ごめんねぇ……」

暫く食事をしなかったのを覚えている。あれ、食欲がなかったのもあるけど、食べても吐いちゃうから食べなかったんだよね。でも、ガロの食事は用意してくれてた。あんなに穏やかな食卓だったのに、静まり返ってて見ていて辛かった。
唇を噛んで、解けそうな涙腺を引き締める。泣くのは後だ、今、今言いたいのだ。

「『生きてる』って、伝えられなくてごめんね」

そう告げた時、クレイの瞼が押しあがる。奥に見えた瞳の青に、ああ、本当はそんな色をしていたのかと思った。綺麗な色だ。私とガロの、髪の色とちょっと似ている。
そのまま太い首元へ抱き着けば、クレイは何も言わずに私を支えて続けてくれた。
クレイとはずっと一緒にいたはずなのに、随分と長い間遠くにいたような気がする。深い溝があって、話もできない。生きていることさえ伝えられない。
でも、

「いきて、いるんだな。本当に」

聞こえた声に、少し笑って受け答えした。

「うん、生きてるよぉ」

押し付けるように顔に頬を擦りつけたら、少しだけ笑ったような気配がした。