- ナノ -



「あまり夜更かしはしないようにな」

監督の言葉に揃って返事をする。監督が出ていき、閉まった扉にようやくほっと息をついた。
マジで、心臓が凍るかと思った。
他校の生徒と仲良く部屋にいるのを監督に見られたのも若干気まずかったが、それよりなにより花道の言動である。
絶対あれ、おっさんって言おうとしたよな堂本監督のこと。
待ってくれ、監督はバスケ監督の中でもめちゃくちゃ若い方だぞ。そりゃあ髭は生えているが寧ろ生えてないとたぶんめちゃくちゃ見た目も若い。というかそもそも、他校の監督に対して「おっさん」は失礼すぎる。
湘北だったらいいのだろう。安西先生も――今は――優しいし。けれどうちの監督は優しくは無い。時と場合によっては優しいが、基本的には鬼教官だし、山王バスケ部は礼儀にめちゃくちゃ厳しい。
花道がその場で雷を落とされることは流石にないだろうが、湘北へのイメージが悪くなる。いや、別に今もいいわけじゃないかもしれないが。
あと後にくる俺たちへの雷も怖い。

「いきなり元に戻ったね」
「元に? 監督のことか?」
「いや、松本のことでしょ」
「桜木も驚いでだべ」

うんうんと頷く深津たちに眉間に皺が寄る。元にとは一体どういうことなのだろうか。
しかし花道が驚いていたというのは何についてだろうか。

「驚いてたってなんのことだ?」
「タメ口注意したときピニョン」
「なんでそれで驚くんだ? 流石に敬語は使わないとあれだろ?」
「自覚なしピニョン」
「上下関係ガチ勢自覚なしか〜」

ため息をつかれ、しかし釈然としないまま困惑する。
どうしてタメ口を注意しただけで驚かれて、上下関係ガチ勢ということになるのか。
というかガチ勢とは一体どういうことなのか。
別に、驚かれるような注意の仕方ではなかったはず。ちゃんと伝わるように目を見ながら、怖がらせないように笑みを作りながら口にした。

「懐かしいな、沢北もあれビビってたよね」
「んだな」

野辺と河田のやりとりに目を見張る。ビビってたってどういうことだ?
いや、確かに沢北と距離を縮めるのは苦労した。みんなにも手伝ってもらうこともあった。確かに「真面目すぎる」という理由で後輩たちから距離を取られてはいたが、沢北に関してはそれ以外にもスタメン変更などのことがあり、周囲が気を遣っていて、雰囲気が大変だったからだと記憶しているが……。

「ま、待ってくれ。俺って、もしかして、怖いのか?」
「松本が自覚したピニョン」
「確信犯かと思ってた」
「おっかねでいうが、真面目すぎで遊びがねがったな」
「松本が注意したら、みんなヤバいってなるよな」
「普段あんまり強い言葉使わない分余計かもね」

いやさっきも強い言葉は使ってないが!?
反論したいがぐっと堪える。待て、皆がこんなに言っているんだから、たぶん皆の認識は正しいはずだ。つまり間違っているのは俺だ。
自身が理由だと思っていたこと以外にも、皆が口にしているような強力な理由があるはずだ。
ちゃんと記憶を思い出せ、今なら分かるはずだ。過去の自分のやばさについて――。

『挨拶はきちんとしような』
『敬語の使い方が分からないなら、俺が教えるぞ。何時間でも付き合う』
『俺の言い方じゃ伝わらなかったか? なんて言ったら伝わるんだろうな』
『俺が言っても伝わらないみたいだから、もう言わないよ。深津たちに教わった方がいい』

部活の風景が流れる、沢北や後輩、同級にかけた言葉、そして――

『特に問題ありません。ただ――』

「……エグ」
「えぐ?」
「いや……うん……」

ここ最近は全く見なくなったから過去とともに忘れ去っていたらしい――注意をする度に青ざめていた後輩や顔をひきつらせていた同級。息を詰めていた沢北の顔。
言い訳をするならば、追い詰めたり、詰ったりする意図はなかった。ただ規則として礼儀正しさが重視されていた山王の伝統に従って、監督や先輩への態度について良くないと思ったら注意をしていただけ。
敬語の使い方が分からないから分かるまで教える、伝えても理解できないなら他にバトンタッチする。それだけだった。
ではそこに、情はあっただろうか。注意を促し、伝わらなければ諦める。優しさからではない、臆病からでもない。
ただ果たすべき役割を果たすために関わった。
それが顔や言動、声色に出ていたのだ。怖がられないように笑みを浮かべてはいたが、必要だから貼り付けただけのそれは、目は笑ってなかっただろう。相手を思っての事ではなく、ただルールを厳守するための言葉だった。怒るでもなく、叱るでもなく、諭すでもなく、ただの注意の声色は違和感を与えたはずだ。
それが相手には次はないと思われるような緊張感だったり、酷く怒っていると思われるような勘違いをさせていたのもしれない。
今はそんなことは無い。注意をするにしても、そこには相手のためという気持ちや、自分の保身のためという考えがある。
けれど、染み付いたそれが抜けていないならば。

「……はぁ」
「ため息じゃん、珍しい」
「ちょっと、外走ってくる」
「今から?」
「十一時には帰ってくるピニョン」
「わかった」
「桜木はどうするんだ?」
「……探しながら外に出るよ」

それなりに時間が経ってしまったから、もう部屋へ戻ってしまっているだろう。それでも諦めがつかなくて、ランニングよりもそのために部屋を出ようという気持ちが大きかった。
嫌われたかもな、どうだろう。謝れば許してくれるだろうか。それとも気にしていない? 驚いていたと言っていたから、予想外ではあったんだろう。
体を冷やさないように上着を羽織る。
その服の裾を引っ張るやつがいた。

「深津?」
「……一年の時、有難かったけど、ショックだったピニョン」

突然話題に出された一年生の頃の話。どうして、と思う前に、先程思い出した中に思い当たる出来事があって、脳裏でそれらが再生された。
一年の中で唯一深津がスタメンに選ばれていた。だからなのか、先輩たちの無意識なのか、深津にだけ少々当たりが強かった時期があった。雑務が一人だけ多かったり、練習での当たりが強かったり。
俺はそれを知って、深津に声をかけるようになった。雑務が多ければ手伝ったし、練習では彼とよく組むようになった。そして、先輩に自分から声をかけて仕事を割り振ってもらった。彼が行うことになるであろう仕事を先に片付けておこうと思った。
そして徐々に比重が変わっていった。深津への当たりの強さがこちらへ移っていく。
そんな時に彼が心配をしてくれた、大丈夫かと。それになんと答えただろうか。

「……あの時は悪かった、ごめん」

それだけで済むようなものではないが、俺に言えるのはこれしかなかった。
深津は少し黙った後に「ベシ」と一つ口にして手を離した。
何となくその場に居づらかったので、逃げるように部屋の外へと向かった。
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