- ナノ -



「まーくん!」
「まーくん!!」
「見つけたぞ、まーくん!!!」

「お、おー……」

まだ大会が始まっていないとはいえ、別に俺たちは暇じゃない。
試合に向けた調整もあって宿から出ていくし、戻ってきても昼食やら、相手のビデオを見て部員同士での意見交換などやることがある。
一日目よりは確かに余裕があるが、それは明日が試合だからこそであるし、時たま入る休憩時間はそこまで多くない。
のだが、どこからか聞きつけたのか――それとも匂いを嗅ぎつけたのか?――花道はやってきては絡んできた。
正直、にやけないのが大変である。今回、花道は相手選手として参加してはいないがウィンターカップではおそらく湘北選手として復活してくるだろう。そう考えると、あまり交流を持ちすぎるのもどうかと思うのだが――山王にはあまり他校と仲良くしない暗黙のルールがある。山王の恐ろしさを軽減させないためらしいが、ルールとしては残っていないし監督も口にしない――どうにも、こんなにも懐かれると構いたくなる。

「こんなに頻繁にきて、そっちのキャプテンに怒られたりしないのか?」
「リョーちんか? 迷惑かけないようにしろとは言われたぞ」
「そうか、代替わりしたのか。ほら、三年の赤木。よく怒られてたろ?」
「ぬ。あれはゴリが怒りっぽいんだ! どっちも他の奴らと話すので忙しそうだし……」
「あはは、暇なのか?」
「ふぬ! 違うぞ!」

もしかして仲間に構ってもらえないのが寂しくてこちらに来てしまっているのだろうか。体のいい預かり所のように感じられているのかもしれない。
しかし、そんな可愛らしい理由じゃあ邪険にもできない。先輩たちに構ってもらえなくてこっちにきたなんて、構ってやらなきゃ可哀想だ。
まぁ、花道に見つかった時に沢北がいると眉が吊り上がってしまうのでなんとも言えないが。
インターハイでは自分達を破った相手だ。そんな選手と仲良くしているのは面白くないだろう。そう思い至って、朝以降は花道が来たらあまり人が来ないスペースを見つけてそこで話をしている。
花道は二人きりの時でもしっかりと約束を守って、昔の話は一切しなかった。過去の話が出たのはあの夜だけで、それ以降は普通の友人のように話をしている。とてもありがたかった。
明日の試合に向けて準備をし、その間に花道の相手をして。夕飯も食べ終わったらもうとっくに夜だ。
すでに試合相手への分析は終わっており、夜はそれぞれ自由時間となっていた。
体力が余っていたので何か自主練でもするかと思案する。外出は止められていないから外を走るのもいいかもしれない。部屋で筋トレをしてもいいが、大部屋だし皆それぞれ思い思いのことをしているから邪魔になってもな、まぁ気にする奴らじゃないとは思うが。
ツラツラ考えていれば部屋の扉が開かれる。浴衣を着た河田が首にタオルをかけていた。昨日の俺と同じ考えで、二度目の風呂に足を運んでいたのだ。と言っても、明日は試合なので夕飯前に行って、夕飯後の今行ってきたようだが。
そんな河田が、部屋を見回した後に俺を見つけて、顎でしゃくった。

「来てるべ」
「え」

立ち上がり、早足で河田の横を潜って廊下に出る。
すると花道がすぐ近くに立っていて、俺を見た途端笑みを浮かべた。

「また来たのか」
「おうよ! 明日から試合だろ。話せなくなるって言われたからな」
「あー、それは確かにそうかもな」
「だろう。だから来てやったのだ」
「そうか、いつから来てたんだ?」
「ぬ……十分ぐらい前か?」

もしかして、俺が出てくるまで待っているつもりだったのだろうか。なんというか、健気というか、意外と躾が行き届いているというか。
けれど、どちらにしろ散歩中に犬を置いて行ってしまったような切なさが胸に去来して苦しくなる。兎角、彼を構ってやらんと我慢ならない。

「また来てるピニョン」
「ピョン吉! ん? ぴにょん?」
「もう入っちまえ。今日はやるごどもねぇしな」
「え? だけど……」
「座った方が楽なんじゃない? 知らないけど」
「荷物端に避けといたよー」

扉から顔を出した深津と一之倉に、わざわざこちらまで来てくれた河田。中からは野辺の声が聞こえた。
ここまでしてもらったら中に入らない方が申し訳ない。迷惑をかけてしまっただろうか、けれどそう思ったら口にしてくる相手だ。ここは素直に甘えておこう。

「部屋入るか?」
「いいのか?」
「ああ。みんなが良いって」

花道を引き連れて部屋の中へ足を踏み入れる。
部屋の中にいる花道に、周囲に山王のメンバー。なんだか目新しくて面白い光景だった。

「とりあえず座るか」

その光景を眺めているだけでも楽しいが、話をしに来たのだから俺だけが楽しんでいたらダメだ。
座布団を持ってきて渡したら、彼はなぜかそれを俺の目の前に置いた。なぜ。

「座っていいぞ」
「?」

なにか面白いことをされている。
なんとなく、言われるがままに座ってみる。すると花道も習うように斜め後ろに腰を下ろしたかと思うと、そのままガバリと抱きついてきた。またか!
肩から手を回され、密着されてズシリと重みを感じる。というかかなり重い。そうか、これが幸せの重みか……。

「また引っ付いてる」
「重くないのかそれ」
「まぁ、重いが……別に嫌じゃないしな」

なんというか花道は距離が近いから慣れた。抱きつかない場合でもパーソナルスペースがかなり狭いし。それになりより、SLAMDUNK好きで主人公から抱きつかれて嬉しくないやつが居るだろうか。少なくとも俺は嬉しい。

「天変地異が起きるピニョン……」
「まぁ槍は降りそうだよね」
「雪の天気予報出てたっけ」
「雪も槍も降らねぇし天変地異も起きねぇよ!」

相変わらず散々な言われようである。

「だが、おめも懐きすぎじゃねぇか?」
「これはまーくんと仲良くなるための地道な努力なのだ」
「地道な努力?」
「うむ。距離を縮めるためには物理的な距離を縮めるべし! 本にもそう書いてあった」
「本? ならその呼び方もか?」
「まーくんはまーくんがそう呼んで欲しいとだな」
「は? まじピニョン?」
「おー……まじまじ」
「その微妙な雑さは変わらないね」

雑だったろうか。いや、雑だな。
しかし松本さん呼びを回避したかったから間違ってはいない。別にまーくんと呼んで欲しかった訳じゃないが。
だが変わらないとはどういうことだろうか。前もこんな態度を取ったことがあったか……あったな。ノリについていけない時は大体「そうだな」「うんうん」「いいんじゃないか?」と心の籠らぬ全肯定野郎だったな確か。

「にしてもその距離感は近すぎだろ。それも桜木だけの特別か?」
「特別?」
「別に、仲良ければ気にしねぇけど」
「確かめてみるピニョン」

野辺に指摘されたが、流石にそういう訳では無い。そりゃあ見ず知らずの人に距離を詰められるのは嫌だが、友人ならそこまで気にならない。と思う。
そういえば山王ではそういったノリはあんまり無かったな。他のメンツ同士では男子高生のノリでそれなりに近い距離感だった気がするが、俺はそんなことはなかった。え、もしかして俺避けられてた?

「頬触るピニョン」
「いいけど」
「いいのか……」
「松本が避けないぞ……」
「笑って誤魔化したりもしてない……」

またコソコソ話してる。聞こえるけども。
しかしどういうことだ? 避けたり誤魔化したり?

「おお……」
「なんだよその反応」
「松本に部活中以外で初めて触ったピニョン」
「俺も触っとこ」
「せっかくだし擽っとくか」
「ちょ、一之倉腹つつくなって。河田はこっち来んな」
「ホントに触れてるじゃん。じゃあ今度バリカンやってやろうか」
「バリカン? いいな、助かる」
「え、マジ?」

深津はペタペタ顔を触ってくるし、一之倉は人差し指で様子を見るようにつついてくる。こそばゆいから触るなら普通に触って欲しいんだが。あと擽りは普通に嫌だ。
バリカンをやってくれると提案してきた野辺だが、頼んだらなぜか驚かれた。そういえば誰かにバリカンを頼んだ覚えは今まで無かったな。
慣れれば自分で出来るし、人に頼まないといけないものでも無かったので自分でやっていたが人にしてもらった方が早いし楽だ。
なので頼んだのだが、なぜ驚くのか。
さっきから皆の反応が何がおかしい。先程は避けられてたかと思いもしたが、そういう訳では無さそうだ。
なら原因はやはり、俺か。

「ふぬ! まーくんで遊ぶんじゃねぇ!」
「うおっ」

好きにさせていれば、花道が気に入らなかったらしく思い切り後ろへ引っ張られる。仰け反ってそのまま花道にもたれかかってしまった。力強いって花道……。

「うし、そのままにしてろ」
「あッ、河田来んな! ちょ、」

ガシリと足を拘束され、そのまま足裏に手が伸ばされる。もう触れた瞬間からダメだった。
近所迷惑になるんじゃないかと思うぐらい――ホテルなので近所部屋迷惑か?――笑い転げて腹筋が死にそうになる。

「あは、ははははっ、ひぃ、も、やめ、あっははははは!」
「おお……笑ってる……」

花道そんな興味深そうにしてないで離してくれないか!? 結構ガチで!! 笑っちまって喋れもしねぇけど!!

そんなにする必要あったか? と本気で思うほど擽られまくり、ようやくやめて貰えた頃には俺は這う這うの体だった。下手に動かすと顔と腹がつりそうで花道に寄りかかりながら息をすることしか出来ない。というか花道結局最後まで離してくれなかったな……。

「大丈夫か、まーくん」
「こんなに爆笑してらのは初めでだな」
「途中で死ぬんじゃないか心配になったピニョン」
「いやー凄かった」
「ね」
「止めろよ……」

なんだ、俺何かしたか? 普段感じない部類の疲労がのしかかって体が重い。
どうにかのそのそと起き上がろうとすると、ようやく花道は腕を離してくれた。遅いな……。

「こじゃいだが?」
「こじゃ?」
「怒ってないけど……疲れた……」
「普段笑わないからピニョン」
「まぁ最近は笑ってるような気もするけど」
「もしかしから筋肉痛になるかもな。顔と腹」
「嫌すぎる……」

河田の秋田弁に花道が首を傾げるのを眺めつつ、はぁ、とため息を着く。
楽しげな雰囲気の深津達は、いたわってくれそうもない。完全に玩具にされた。疲れて頭も回らず、擽られる前の話題さえ思い出せない。どうしてこんなことになったんだ。
別に怒っちゃいないが、俺だけ玩具にされるのも不公平な気がする。どうにか河田をくすぐれないか、とタイミングを伺っていれば、トントンと扉を叩く音。

扉に近かった深津が立ち上がり、扉を開く。その先にいた人を見て部屋の空気が少し変わった。

「急にすまないな、明日のことで変更点が――」

開いた先でボードを持って話し始めた男性――堂本監督だ。彼は俺たちを見た後に、当然部屋にいる花道を見つけた。

「……君は」
「ぬ、なんだこのおっ」
「花道」

咄嗟に名前を呼んだ。なんだ? と向いた視線を見つめて続きを話す。

「俺たち山王バスケ部の監督、堂本監督だ。それから、敬語、話せるな?」
「……ッス」

花道は頷いた後に「湘北バスケ部の、桜木花道……デス」と口にした。それに付け加える形で「今回は応援で来たそうです。縁があり話が弾んだので少し部屋に入ってもらってました」と続ける。

「……そうか。すまないが試合のことを話したいから少し部屋の外にいてもらってもいいかな」
「……ッス」

花道はのそりと立ち上がって扉へ歩いていく。監督の隣を通り過ぎたあと、外に出る直前にこちらをチラリと見た気がするが、そのまま黙って廊下へ去っていった。
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