- ナノ -



「なぁ、名前なんていうんだ?」
「松本だよ。インターハイで戦ったろ?」
「番号は覚えてる! 名前は覚えとらん」
「はは、そうか。忘れてくれても構わないよ」
「何言ってんだ! 忘れねぇ。松本、さん?」
「え、なんでさん付けなんだ? 確か、自分の学校の先輩にも敬称付けてなかったよな」
「なんでって、そりゃ恩人だからな」
「あー、けど、いいよ、普通で」
「ぬ?」
「俺だけさん付けだと、なんか変だろ」
「ふぬ……じゃあだな」

ふわぁ、と眠気に誘われ大きなあくびが口から漏れる。結局、あの後桜木と長話をしてしまい、部屋に帰ったのは十二時を回った後だった。寝不足とまでは行かないが、いつもの睡眠時間と比べると短い。

「なんか眠そうだね」
「ああ……ちょっとな」
「珍しいじゃん、松本が寝不足なんて」
「寝不足ってほどじゃないんだが」

朝食は大広間でのバイキングで、そのために部屋の部員揃って移動していた。
隣で欠伸を見ていたらしい一之倉に指摘されて、確かに寝不足なんて今までろくに無かったと思い返す。山王に入ってからは、人間味が必要な場所以外は機械のように動いていたから、寝不足になることもなかった。
いいのか悪いのか。判断しかねるところだが、健康に気を使っていたということにしておこう。違うけども。
階段を使って下まで降りて、大広間へと入っていく。他の客も既にいて、皆が座れそうな長机を探す。

「お、あそこにしようよ」
「いいな」

野辺が指し示した先に、皆で向かおうと足を向けた時だった。

「まーくん!」
「うおっ!?」

がば、と背後が何かで覆われる。暖かくて固くてでかい何か。直ぐに頭の中で解答が導き出され、腰に回った腕をタップしながら振り向いた。

「ちょ、桜木、離してくれ」
「オハヨーゴザイマス!」
「あ、ああ。おはよう」
「ふぬ! よく眠れたかね!」
「ああ。ぐっすりだよ」
「そうか! よしっ、特別にまーくんの席を俺の隣に用意してやろう!」
「え!? いや、待てって桜木!」
「ぬぬ、さっきから桜木桜木と。違うだろまーくん」
「あ? あー、花道。俺はこっちで食べるから……」

後ろから抱きついてきたのは案の定桜木花道だった。昨日なんだかんだで長く話したので、すぐにわかった。
いい挨拶に思わず返してしまったが、隣の席ってつまり朝食を一緒にってことだろうか。めちゃくちゃありがたい、というか正直嬉しい気持ちはあるのだが一人で別行動はあまりしたくない。というかそもそも、これかなり目立ってるよなぁ。
チラ、と横目で一緒にいた深津たちを見てみると、見事に皆驚いた顔――というか怪訝そうな表情をしている。うん、まぁ、そうだよな。

「おい、桜木! 他校に迷惑をかけるんじゃ――」
「何やってんだ!」

野太い声が花道の背後から聞こえ、彼の相手も終わりを告げるかと思ったら別方向からまた声が。
ハリのある声に、視線を向けてみれば予想通りの後輩がいて、慌てて身支度をしてやってきたのかジャージが少しよれている沢北がいた。沢北は別の部屋での寝泊まりであったので、朝の用意を済ませてきたところみたいだが――。

「お前、人のところの先輩に何抱きついてんだよ」
「ん? なんだ小坊主。お前には用はねーぞ」
「俺だってねぇよ! 早く松本さん離せって」
「ダメだ。まーくんは俺たちと一緒に飯を食う」
「まーくん!!??」

ちょ、耳元で叫ばないでくれ鼓膜が破れる。
確かにまーくんはなかなかない呼び方ではある。俺も初めてそんな呼ばれ方をしている。
けれどさん付け以外で、となったときになぜかこうなってしまったんだ。さん付けじゃないだけいいと思う。そして俺は代わりに言わんばかりに名前呼びを約束させられた。他校の後輩を名前呼びなどどうかとは思ったのだが、今関わりのある中で名前呼びをしている相手がいなかったので、親しげなそれをしてみたいという欲求に逆らえなかった。だって仲良さそうだから、名前呼び……。記憶取り戻してからの密かな憧れだったから……。
そう寝起きの頭が半ば意識を飛ばしていたら、なぜかむんずと掴まれる足。足?

「変なあだ名で人の先輩呼ぶな! あといい加減離せよ!」
「ほぅ、俺と力比べとは。いいぞ、引っこ抜いた方が勝ちだ!」
「は!? ちょ、沢北ズボン引っ張るな!!」
「なんすか! 松本さんはそいつと一緒の方がいいんすか!!」
「そういう話じゃねぇ!!」

俺で綱引きすんなズボンが脱げる破れる!!
仲良くできない青年らの犠牲になった俺は、そのまま真っ二つにちぎれるか社会的信用を失うところだったが、指導をしにやってきた赤木と見かねた河田により双方沈静化することとなった。俺の体と信用は守られたのであった。

「なんすかあいつ!」
「あー、ズボンが伸びた……」
「どんまい。でも何? めちゃくちゃ懐いてたじゃんあの一年」
「それに『まーくん』ピニョン」
「おめも珍しく下の名前で呼んで、何かあったべ」
「ちょっと昨日風呂で鉢合わせて……意気投合というか、馬があってな」
「馬? あの桜木と?」

野辺が珍しくあからさまに疑うような視線を送ってきて、頬を掻きながら茶を一口飲む。
野辺の表情の意味もわかる。どこの馬が合うというのだ、という話だろう。趣味も合わなそうだし、考え方だってソリが合わなそう。見た目の種類からしてグループも違うし、一年と三年だし、そもそも他校で他県であるし。もうバスケぐらいしか共通点がない。
ごもっとも過ぎるが、当然過去のことなど言えないし、言うつもりもない。なので――。

「なんかさ。弟みたいで」
「お、弟!?」
「弟ォ?」
「そんなわけある?」
「兄弟ぃ?」
「……」
「おい、なんだよその反応」

誤魔化すための言葉ではあるが、嘘はないはずなのになぜか皆の反応が冷たい。野辺も先ほどより輪をかけて怪訝そうだし。なぜ。
思わず目を向けると、今度はヒソヒソと話をし出して印象が悪い。

「弟ってガラじゃないよねぇ」
「後輩は後輩、先輩は先輩って感じっすよね」
「上下関係徹底ぶりの頑固さがどっかいってるピニョン」
「一人っ子ガチ勢みたいなのに」
「正直おめが人を弟扱いってのが信じられんわ」
「そ、そこまで言うか……?」

顔を寄せ合って話していたが、内容は全て聞こえているし――聞こえるように言ってくれてるんだろうが――最後の河田などは真正面からド直球だった。
皆んなの言いたいことは分かった。釈然としないものの、理解せざるを得ない。つまり、以前の俺だったら絶対にあり得ないであろう表現ってわけだ。後輩を「弟」とは。――うん、そうだな。あり得ないな、少し前の俺だど。
後輩からの評価は概ね「ちょっと真面目すぎるけど優しい先輩」で間違っていないと思う。だがそれは山王バスケ部の上下関係あってのことだ。バスケの相談ならなんでも乗るし、困ったことがあれば率先して助ける。軽い世間話だってするし、話を振ることだってある。だが、それはその関係性があったからだ。
別に部員じゃない後輩を無視するわけではないが、関わりは必要最低限で済ませるし、会話をする必要性も感じてこなかった。手助けはするが、礼などはむしろありがた迷惑で、それでちょっと面倒ごとになったこともいくつか……。
一定の範囲内では人のふりをするが、それ以外では必要最低限の機能しかないロボットのような男、それが俺だった。
まぁ……二年以上一緒にいれば分かるかぁ……。しかし当の自分は言われて今気づいた。これだから記憶容量が激低の荒野記憶は……。

「真面目が人の皮を被ったようなやつが弟なんてあり得ないピニョン」
「真面目すぎて女子生徒からの告白気付いてませんでしたしね」
「真面目すぎてラブレターの返事を手紙でしていたようなやつが……」
「しかもバスケに専念したいからってお断りの手紙だったし」
「文面を俺に相談してぎたようなやつが……」
「もうそれ関係なくなってるだろ!」

ツラツラと流れ出してきた過去の出来事に思わず耳が熱くなる。
いや、うん、そうだけど!! 困ってた女の子を手助けしたらラブレターもらったけど! マジでラブレターだと最初気づかなくて沢北に言われて気付いてたけど! 手紙できたから手紙で返すっていうどうしてそうなったみたいな思考回路してたけど! 野辺に内容相談して文面を河田に相談したけどぉおお!! もうなんだこれバスケ部自体も黒歴史かこれは!!
思わず顔を覆ってその場に項垂れる。もうやめてくれ俺のライフはもうゼロだよ! とっくにな!!

「照れてる。珍しい」

一之倉がからかってくるが、もう反応してやらん。
けど、つまりこれは皆んなは俺をロボットじゃなくて生真面目人間って思ってくれていたってことでいいんだろうか。それなら、まだ救われるかもしれない。ロボット人間だと思われていたらガチで泣いてたかもしれない。

「それで、なんで桜木と仲良くなったピニョン?」

遠回しに何かあるだろ、という深津の問いに少し顔を上げる。
頬杖をつきながら、はぁ、とため息をついた。

「いいだろ別に。花道は特別なんだよ」

これ以上変に言い訳する方が勘ぐられる。ならば彼だからと言ってしまった方が簡潔だ。それに、理由なんて、あの子を見ていれば分かるだろう。人懐っこくて元気で本当に弟みたいで、屈託なく懐いてくれる。過去のことがきっかけかもしれないが、彼は人を惹きつける力を持っている。
皆の視線を避けるために逸らした視線の先で、大きな口を開けてスパゲッティをほうばっていた花道と目があった。元気に大手を振ってくれるので、小さく手を振り返す。ほら、可愛いじゃんか。
見たか? と視線を皆へ戻せば、苦虫を潰したような顔をみんなしてしていて、ハズレの料理にでも当たったかと疑問がよぎる。

「な」
「え?」
「なんすかそれ!!」

あのよ。だから耳元で叫ぶなって。
その後はなぜかキャンキャン沢北に吠えられながら、朝食を食べる羽目になった。
よく意味がわからなかったので適当に慰めて放置したが、他の皆は収めるのを手伝ってくれなくて大変だった。
というか、なんだか皆んなの機嫌が悪い気がするのは俺だけだろうか。やっぱ不味い料理にでもあたったのだろうか……。
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