- ナノ -



恥の多い生涯を送ってきました。
というのは名著の言葉であるが、正直そんな名言が頭をよぎるぐらい、恥の多い人生だったと思う。
前世の記憶を持って生まれてきた俺は、その記憶に囚われて色々と屈折してしまった。そもそも前世で死んだのが他殺で遺恨やら後悔やらが山のようにあり、それに加え、産んでもらった時に母が大量出血で亡くなってしまった。
父は優しく心の広い人で、俺を愛してくれたのだが人間不信と自分が母を犠牲に――と言ってしまうと語弊があると今ではわかるが――生まれてきてしまったことへの罪悪感で、死んだ方がマシだと思う心理状態が長く続いた。
幸い、人間不信ではあっても赤子の頃から愛してくれた父のことは「自分が母を失わせた分幸せであってほしい」と願うことができ――これもこれで捻くれているが――愛する子が死んだら不幸だろう、と父のために生きることは放棄していなかった。しかし、小学生の頃にいじめを受けたのがキッカケで暴力という手段を選んでしまい、そこからは不良一直線になってしまった。
神奈川に住んでいた中学三年の初頭までは手当たり次第に暴力を振り翳していたと思う。相手は選んでいたが、その理性があっただけ本当に良かった。だが喧嘩を売ってきた相手を血まみれにしたのは数知れず、傷だらけで家に戻って回数も数え切れないほど。あの頃の傷は大きなものや手の甲以外は消えたが、二の腕をナイフで切られた跡はしっかりと残ってしまっている。
そんな凄惨な生活を送り、父親をとことん心配させてきた俺だが、中三の最初の方で一応不良は引退した。その理由も別に大層なものではなく、高校からは真人間になって会社に就職し、父親に仕送りをし続ける生活を送るため――。というものだった。
つまり、父の幸福を金で買おうとしていた。自分が父のために何か働きかけをするわけではなく、ただ金を送ればいいと。なんという親不孝。だが、あの頃はこれが最善策だと疑わなかった。
母を殺した自分がそばにいるよりも、ずっと彼のためになると本気で信じていた。正直、その感覚は今もあるが――父の愛を疑うべきじゃないと、今は思える。ときどき虫の良い自分に全身にムカデが這うような気分になるが。
しかし、高校ではなく中学三年生の時に不良を引退のは、父の仕事の都合で引っ越しをしたからだ。もしかしたら、父は俺のためを思って転勤という理由をわざわざ作って環境を変えようとしてくれたのかもしれない。とても申し訳なく、ありがたい事だ。そのおかげで、俺はバスケに出会えたのだから。
俺は中学三年生でバスケ部に入った。理由は二つ。一つ目は打算で、何かスポーツ系の部活に入っていた方が内申が良くなると思ったから。もう一つ目は――神奈川にいたときに、なぜかバスケに関わることがあり、基礎とルールだけは知っていたから。
不良に絡まれていた子供を助けたり、迷子っぽい子供に声をかけられたり、そういう縁から子供の趣味らしいバスケを教わることになったり……。
荒れてはいたが、子供にはそれなりの対応をするぐらいの理性はあったらしい俺は、時折出会う子供とバスケをしていた。
そんな理由から始めたバスケだったのだが、基礎ができていたのが良かったのか、子供のバスケの教え方がうまかったのか、それともバスケに依存して熱中しすぎていたのか、いつの間にか部活で一番うまいやつと言われるようになっていた。
その中で耳にしたのが山王工業高校の話。バスケでインターハイ優勝を何度も勝ち取っていて、バスケと言ったら、という強豪校。腕に覚えがある学生は皆山王の門を叩くそうだ。
その話を聞いて、丁度いいと思った。工業高校ならば仕事へ繋がる技術を覚えることができるし、何より秋田県にある高校なので――父から離れられる。薄情な理由だが、あの時は父と共にいるのが辛かった。
母を奪ったのは自分だと思っていたから、父の愛がどうしても受け入れ難かったから、時折見せられる母の映ったビデオがどうしてお前が生きていると言われているようで、母の笑顔が恐ろしかったから。
だから、父から離れようとした。遠くにある学校で、公立であるが寮暮らしが可能だった。結局金もかかる。それなのに、俺は父から離れることを優先した。
父は遠くに俺を行かせることに戸惑っていたようだったが、「したいことを言ってくれて嬉しい」と送り出してくれた。罪悪感で吐きそうだったのを覚えている。

そうして俺は山王工業高校、もとい山王バスケ部に入ることになった。
それから、もうバスケ尽くしだ。
人生の多くを不良として過ごしてきたので、周囲に馴染むのが大変だったが、バスケを真面目に取り組んでいれば自然と輪の中に入ることができた。
高校では「真面目すぎる」性格として受け入れられ、俺もそれを受け入れ、周囲の反応を見て少しずつ対応を変えていった。
例えば顔が怖いと言われたらできるだけ笑うようにして、受け答えが冷たいと言われたら柔らかな言葉を口にするようにして、ノリが悪いと言われたら、できるだけノリというのを理解するように努めた。
その中でも、一番人との関わり合いを学べたのは後輩とのやりとりだろう。いくら笑みを作ろうとも、冗談や振る舞いに遊びがない先輩というのは近寄り難かったらしく、距離を空けられてしまった。上が下の面倒を見るのが山王バスケ部だったので、彼らと関わり合いながらどうにか年相応の男子学生としての振る舞いを覚え、「ちょっと真面目すぎるけど優しい先輩」というイメージを持たれるぐらいに取り繕えるようになった。
そして何より、沢北栄治という存在。一つ後輩だが、そのずば抜けたバスケスキルでスタメンの座を射抜いていった少年。元々、ありがたいことに俺がエースなどと呼ばれていたため、その座を奪っていったとも言える少年だ。彼との関係はとても面倒で、大変だった。試合に出られるのは実力のあるもの、それは当然のことで特に不満もなかったが、周囲の雰囲気が影響したようで、彼とも最初は上手くいかなかった。
沢北にも距離を取られたものの、ギクシャクしていたらもし同じ試合に出た時に連携ミスがあるかもしれない。その時期、自身はスタメンではなくともレギュラーではあったのだ。同級の深津や河田、一之倉や野辺に協力してもらい、どうにか距離を縮めた時は初めてバスケ以外で大きなタスクをやり遂げた気分になったものだった。

そんな彼は「不良」という生き物が好きではないようだった。というより、暴力だろうか。
河田からの愛の鞭というプロレス技は良いようだが、有無を言わさぬ暴力で人をねじ伏せたり、言うことを効かせようとするのが気に食わないのだと、どこかの日常で話を聞いた限りでは思った。昔の自分のことだな、と思ったが口に出すわけもなく、「そうだよな」と流した気がする。
その時はそれぐらいどうでもいい話題だった。俺はその時は不良でなかったし、そもそも高校を卒業したら彼には――彼らにはもう会わないつもりだったから。
俺にとって、山王バスケ部は――青春だった。
友人がいて、笑い合って、頼もしい後輩がいて。
輝いていて、星空のようで――俺がずっといてはいけない空間だった。
だから、高校で全て置いていこうと思った。自分のために、彼らのために駆け抜けて、そして全て捨てていこうと。
そうして駆けて駆けて駆け抜けて――三年の、インターハイ。
沢北は二年の夏にアメリカへ留学することが決まっていたから、これが沢北と共にコートに立てる最後の大会だった。
俺もスタメンを勝ち取っていて、深津、河田、野辺、一之倉と言った同級たちとコートに立てる貴重な機会だった。
勝ちたいと思った。

「負けるのって、悔しいんだな」

そう、思わず呟いてしまったのを覚えている。
これまで、試合に負けても悔しくはなかった。ただ実力が足りなかっただけ、さらに訓練をすればいい。改善点を洗い出してそれを行う。それだけだった。けれど、最後という枕詞がつくだけでこんな気持ちになるなんて、知らなかった。
いや、今ならわかる。
あの時自分は、彼らと共にもっとコートに立ちたかったんだ。

バスケは三年のインターハイまでと決めていた。
それ以降は就職に力を入れるためにバスケは引退しようと。
生まれて初めてバスケで悔しさを抱えつつ、その意味を深く考えようともしないまま、皆とともに沢北を見送ってバスケ部をひっそりと引退した。流石に同級生たちには言ったが、後輩たちには特に告げなかった。同じタイミングで引退する同級たちはチラホラいたし、祝われるのも、惜しまれるのも嫌だったから。
バスケを引退した次の日――九月に入って少し経った頃、夏の暑さも遠のいていって、窓から流れる風にも涼しさを感じられるようになってきた。そんな時に、あの授業はあった。国語の授業で、日本絵画について先生が語っていた。絵が好きな女性の先生で、あまり興味のある生徒たちはいないようだったが楽しげに話している印象だった。
その中で語られたものが、ひどく記憶を揺さぶった。
桜楓文(おうふうもん)――春の桜、秋の楓を組み合わせた文様で、春と秋2つの季節の風情ある美しいものを合わせたら、より美しいものになるのではという人々の嗜好から生まれた文様――そう先生は説明してくれていた。
その言葉と意味合いに、不思議とインターハイで戦った湘北の選手二人の顔と名前が浮かんだ。何故か酷く聞き覚えがあるような奇妙な感覚。それにふと手を伸ばして――

――嘘のように前世の記憶が駆け巡った。
俺の前世の記憶は全てが全て覚えているわけじゃなかった。印象的な――それこそ死んだ瞬間などを色濃く覚えいていた。だから、それらは忘れてしまっていた記憶。
桜木花道、流川楓――その二人が終生のライバルと呼ばれ、青春を駆け抜けていくバスケ漫画。
それは前世で好きだったフィクションだった。そして、この世界と強く結びつく漫画だった。
漫画の最後で書かれたインターハイ、主人公たち湘北高校とぶつかったのは最強と称えられる「山王工業」。そう、俺たちだった。
俺たちはそのフィクション――SLAMDUNKの世界にいた。

目が覚めたような気分だった。実際そうだったのかもしれない。
半覚醒のような世界が、一気に彩られた。俺はずっと無味乾燥な世界で過ごすのがお似合いだと自身で色をかき消していた。父のこと以外で、生きている意味などないと考えていた。
でも、そうじゃない。そうじゃなかった。この世界は大好きなSLAMDUNKの世界だったし、俺は松本稔という青年だったし、バスケは楽しいし、同級にも後輩にも恵まれていて。
ただ、一つの記憶を思い出しただけ。些細な、しかし大きな変化だった。
そうだ、俺はこの世界が好きだった。生きていて楽しくて嬉しかった。胸が潰れるような日々だったけれど、それを上回るぐらい充実していて。だから恐ろしくなって、ひっそりといなくなろうとした。
でも、なんて勿体無いんだ! せっかくこの世界に生まれたならば――生きていきたい。バスケと共に。
どれほど針で全身を刺されるような痛みがあろうとも、どれほどこの命と引き換えにあの人を戻して欲しいと願ってしまっても、世界の彩りに目が焼かれるようであっても。

それからは早かった。膨大な記憶と駆け巡る情感に呆然としていたところを同じクラスだった河田に起こされ、慌てて監督へ引退を撤回しにいった。それからその足で――当然無断早退、サボりになったわけだが――父親の元へ向かった。
生きる希望を見つけたと同時に、今までの自分の所業がいかに親不孝であるかがどうしようもなく理解できて、直接顔を見て謝罪をしなければと突っ走った。今考えれば暴走しているな、と思う。しかしバスケ部からの逃亡かと疑う周辺地域の人々を躱し――山王バスケ部は厳しさのあまり、逃亡する生徒も多数いて、それを市民の皆様も協力して捕縛してくれたりしているのだ――電車を四時間以上乗り継いで実家にたどり着いた。
そして仕事から帰ってきたばかりだった父親に土下座をし――突然遠い秋田の地にいるはずの息子が現れて土下座をしてきた父親の心境を考えると今でも申し訳ない――今までのことを謝罪し、感謝し、話していたら涙腺が壊れ号泣していた。正直ここら辺の記憶は曖昧である。謝罪と感謝をしていたというぼんやりとした記憶だ。
そして翌日の早朝、様子のおかしい息子に対応して疲労し切って寝ていた父を起こすのも忍びなく、映画に習って――というわけではないが――手紙を置いて早朝に家を出た。
早朝と言うよりほぼ夜だったが、そうでもしないと学校に間に合わない。監督に父にあってくると言ってはいたが、告げてはいても無断早退の上、翌日も無断欠勤となれば礼儀が重んじられている山王バスケ部だ、もしかしたら戻らせてくれない可能性もある。それは嫌だった。高校生の間はできる限りバスケに触れたい。そして出来れば、高校卒業後も大学でバスケをしたかった。
寮に戻るにあたり、色々と紆余曲折を経たが、どうにかたどり着いた。何とか監督に納得してもらえる説明をして、どうにか謹慎などにもならず、部活は続けさせてもらえることとなった。

それからは心機一転、父にもしっかりと相談をして進路を就職から大学進学に変え、スポーツ推薦を貰うためにウィンターカップまで山王でバスケを続けることとなった。
なんだか湘北のシューターと同じ境遇になっているのがむず痒いが、それはそれこれはこれ。
そうして練習の日々が過ぎ、高校バスケットボールにおいての三大大会の一つ、国体が迫っていた。
既にアメリカに留学していた沢北だったが、彼から電話が来た時に国体の話をしたら、驚いたことに国体の期間だけ戻ってくるという。
電話中に決めたようだが、正直大丈夫か心配だった。しかも深津が言うには俺のせいで戻ってくるという。なんでだ、確かにもう一度同じコートに立ちたくて、「また一緒にバスケがしたい」みたいなしんみりセリフは吐いてしまったがこれぐらい良くないか!? そんなに女々しかっただろうか……。
だが、沢北と共にコートに立てるのは正直本当に嬉しい。悔しさの意味も分からなかったあの時の自分が最後じゃない。それはとても幸せな事だ。
それに、山王バスケ部の面々と卒業後は交流を断つなどと決めていたのは過去の話。今はできるだけ仲良くなって、卒業してそれぞれの道に進んだとしても絶対に仲間で居続けたい。
しかしながら、そう思うと――

「あれは、隠さなきゃだよな……」

あれ――かつて不良だった思い出したくない記憶。荒みすぎていて、正直記憶も曖昧な日々。何度相手の骨をおり自分の骨を折ってきただろうか。正直、今の俺だったらそんな相手と仲良くなりたいとは思わない。もちろん、今はそんなことはしていないし、絶対にするつもりは無いが、やはり過去の行いはその人物を示すものだ。SLAMDUNKには主人公のようなかつて不良だったキャラクターや不良であるキャラクターもいるが、あれは矜恃があったり、根が純粋だからいいものの、俺は違う。吐き出せない恨み辛みを他人へ押し付けていた。酷い行いだと思う。
けれど、それでも更正したのだと言いたい。ちゃんと周りが見えるようになった、感謝ができるようになった。過去の過ちを理解できるようになった。だから――死ぬまで黙っているから、仲間でいさせて欲しい。

「何がっすか? あ、まさかエロ本――」
「ちげぇよ。なんでもない。それより疲れてないのか? 昨日戻ってきたばっかりだろ?」
「飛行機で寝てたんで! にしても、神奈川か〜。俺東京住んでたんですよ。近いしテツも見に来てくれるって」
「親父さんか。良かったな、ホームシックも治りそうで」
「ホームシックじゃないですよ! それに、俺に会いたかったのは松本さんでしょ! あんなこと言って」
「あんなことってなんだよ」
「しらばっくれても無駄ですよ。俺とバスケしたいって言ってたじゃないですか! あの松本さんが!」
「あのってなんだよ……。本当にそう思ってたし、今でも信じられないぐらいだ」
「え、あ、はい」
「……なぁ、無理してないか? なんか、俺のせいで戻ってきたみたいになってたけど、本当に俺のせいだったりするのか?」
「い、いや! お、俺も先輩たちとバスケまだしたかったですし、それに、えと、ホームシックだったんで! ちょうど良かっただけっすよ!」
「そうか。そうだよな。うん、国体がんばろうな」
「は、はい……」

へにゃりと眉を下げて静かになった後輩、沢北栄治。昨日、国体に合わせてアメリカから急遽帰国してきたばかりだ。
こうして話ができるのが本当に嬉しいし、出来ればもっと話していたいと思う。
彼はきっと大物になるだろうから、会える機会も少なくなるだろう。そもそもアメリカへ留学に戻ってしまう。寂しいけれど、縁が繋がっていればまた出会えるだろう。
だが、その縁が切れるかもしれない自分の過去。
暴力が常に隣にいた、あの時代。不良やそもそも暴力が嫌いな沢北には輪をかけてバレてはいけない。
せっかく帰ってきた彼と最後のコートに立てるのだ。最後まで、いや、人生の終わりまで口を閉ざしていなければ――。
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