- ナノ -


弐拾弐


授与式の時間となり、秋田県代表としてキャプテンである深津が優勝旗を受け取る。
その姿を見つめて、国体が終わったのだと目を伏せた。
会場の外まで皆で揃って歩いていく。この後はホテルへ戻り、バスに乗り、その後は新幹線で秋田へと帰る。
広島よりは楽だが、やはり遠い。
記念撮影も終えて、バッグを持って会場の外へ出た時に、飛び込むように二人の青年が現れた。

「まーくん! 頭が酷くなってんぞ! やっぱ傷開いたのか!?」
「何普通に試合でてんすか!? あんた怪我人でしょーが!」
「おお……元気だな」

待っていてくれたのか、現れた二人に思わず笑みが浮かんだ。
お礼も言いたかったし、待っていてくれたのはありがたかった。二人は近づいてきて試合と比べると痛々しさが増した頭をジロジロ観察している。
包帯を巻いたので、ガーゼだけの時より確かに酷く見えるだろう。授与式でも視線を感じたし、少し居心地が悪かった。

「おい、こいつらなんとかしろ。試合の時からうるさくて敵わねぇぜ」
「三井」

花道たちに続くようにやってきたのは三井だった。その後ろに赤木もいて、他の神奈川の選手も残っていたようだった。
地元だから現地解散なのだろうか。そんなことを思いつつ、三井の言う通りだと二人に声を掛ける。

「ガーゼが動かないように固定してもらっただけだ。傷は開いちゃいないよ」
「そうなんすか? けど、昨日めちゃくちゃボコられてましたよね……」
「確かにアザは結構あるけど、動きに影響がないようにちゃんと考えてやられてたから。頭は不意打ち食らったけどなぁ」
「ケーサンしてたんか? ふぬ……やはり強者……」
「花道も宮城も、それから三井も昨日はありがとな。おかげで試合に出れる程度の怪我ですんだよ」
「試合に出れる程度の怪我だったかアレ」

礼を言えば、笑みを浮かべる二人と、今だに納得いっていないらしい三井。あれはほら、ちょっと血がたくさん出ただけだから。

「実際出られたしな。あ、そうだ。三井、鉄男どこにいるか知ってるか? あいつにも礼を言っておきたいんだが」
「鉄男? あー、今はどうしてっか俺もわかんねぇな。けどパチ屋とか、後はバイクで走ってっから――」
「ちょ、松本さん……!」
「まーくん!」
「ん?」
「あ、おいなんだよ」

三井に鉄男の行方を聞いていれば、横から両腕をそれぞれに掴まれて連行される。
抵抗せずについていけば、三井や他の部員の皆から離れた場所で、縮こまってコソコソと耳打ちされる。

「あいつのことそんな堂々と話していいのか!?」
「昔のこと隠してんでしょ。もうちょっと注意しないと」
「ああ! それか、その、実はな――」
「松本さんが不良だってのは知ってるよ」

背後からそう強めに答えた声に、花道と宮城がザッと距離を開ける。
そこにいたのは沢北で、むすっとした顔で俺たちを睨め付けていた。

「松本さん、もういいでしょ! ホテル行きますよ!」
「うわ、沢北ちょっと待てって」

今度は沢北に腕を持たれて引っ張られる。確かにホテルで帰る準備をしなければならないが、急ぎというわけでもない。
俺としてはもう少し花道たちと話したいのだが。
少しばかり抵抗していれば、ガシリと反対側を掴まれる。

「松本さんが待てって言ってんでしょーが」
「大人気ないぞ小坊主」
「お?」

そのまま二人の方向へ引かれて、なるほどこれは綱引きだと理解する。
最初は弱かった力がだんだんと強まっていき、綱の中心部分もこんな感じなのかな、と千切れそうな想像を脳内でしていたら、パッと力が同時になくなった。

「何やっとるんだお前らは」
「沢北! 松本が怪我人だって忘れてんのかおめは!」

それぞれの保護者がそれぞれの首根っこを掴んでいて、微笑ましい光景にほっこりする。
関節が外れそうだった肩を軽く回して労り、河田に続いて近づいてきたみんなに声を掛ける。

「すまん、ちょっと二人と話したいから先にホテル行っててくれないか?」
「ちょっと松本さん!!」
「いやピニョン」
「え」

沢北の非難の声は想定内だったが、深津の拒否は考えていなかった。目を丸くしていれば、深津が二人を見て――花道と宮城が警戒している――話を続けた。

「どんな話をしているか気になるピニョン」
「どんな話って……」
「不良時代の話も気になるピニョン」
「うんうん」

帰る様子のない深津に河田、野辺。深津の言葉に強く頷いている一之倉。
いや、別に過去を明かしたからって昔の話を聞かせたいわけじゃないんだが。むしろ全然聞いてほしくない。
元から知っている二人にならいいが、後から知らない人が聞いて楽しい話じゃないぞあれは。
しかし「彼」はそうは思わなかったらしい。
赤木の手から抜け出した花道が、胸をそらして声を張る。

「やっぱり気になるか!『血濡れのブラッドウルフ』が!」
「血濡れの……」
「ブラッドウルフ?」
「うわ!! やめろ花道!!」

そのあだ名やめてくれ!! 花道はそうだ凄かろう、と鼻息荒くしているが、俺からしたら黒歴史で恥だらけだ。というかそのあだ名こう聞くと本当に恥ずかしいやめてくれ子供の頃に描いてた『最強の俺』の落書きを音読されるぐらい恥ずかしいから!! そんなん書く子供らしさなかったからんなもん持ってねぇけどさ!!
熱くなってきた顔のまま花道を止めようと試みていれば、彼の後ろにいた赤木が何かを呟いた。

「ブラッドウルフ……どこかで聞いたことがあるな」
「あれ。旦那も知ってます?」
「俺も聞いたことあるぜ。昔有名だった不良だろ? どこからともなく現れて不良をボコボコにするっていう」
「うわ、マツさんそんな有名だったんだ。旦那も噂を聞いたことがあったんすか?」
「いや、噂というよりも……以前に会ったことがあるな」
「え!?」

赤木と!? そんなの身に覚えが全くないが!?
赤木は腕を組んで、昔を思い出すように口を開いた。

「昔に妹が不良に絡まれていたことがあってな。俺が外している時で、異変に気づいて行った時には周囲で不良が倒れていたことがあった」
「え、え、あー……」

そんなことあったっけなぁ……! 必死で記憶を掘り返していれば、ふ、と赤木が笑う。

「だが俺はてっきり助けた不良が妹に絡んでいると思ってな。殴りかかってしまった」
「え!?」
「しかし避けられてそのまま行ってしまった。後から妹に事情を聞いて驚いたな」
「へ、へぇ……」

彼は続けて「まさか山王に入学していて、しかもお前だったとは」と笑みを消し、眉を顰めて言う。
詳しく話してくれたものの、本当に記憶にない。それ多分違う不良なんじゃないだろうか。
というか普通、赤木と出会ってそのこと忘れるか? 昔だったとはいえ覚えていそうなものだが。あ、でも俺花道のことも忘れてたんだよな……。
頭を抱えていれば、赤木は俺を見て何かもの言いたげな顔をした後に「まぁ、忘れているようだしな……」と言って口を閉じた。
え、なに!? なんだよ!! そこまで言ったなら最後まで言ってくれよ! 俺何かしたか!?

「ザクザク話が出てくるピニョン」
「女の子を助けるとはやるでねぇか」
「正義の不良って感じだなぁ」
「そんなんじゃねぇって……!」

女の子に絡んでいる不良なんてぶっ飛ばしていいわかりやすい目印だ。多分それに惹かれただけに違いない。
だからそんなイメージを持たないでほしい。本当にあれは反省すべき過去であり誇るべき武勇伝ではない。
どうしよう、花道たちと話したかったけどこれ以上話を続けてほしくない気持ちが優ってきた。深津たちを引きずってホテルに帰ろうか。
天秤が揺れていると、いつの間にか一之倉が花道に接近していた。

「それで、どうやって松本と会ったわけ?」
「おうっ。俺は多勢に無勢で苦戦したていたところにまーくんが現れたわけだ! すごかったぞ、ナイフを持っていた相手に無双してな――」
「無双してねぇから!」
「――ふぬ。そう、まーくんはナイフで傷をつけらてしまってな。だがそれで俺はまーくんだと確信したわけだ」
「え、切り傷? もしかして二の腕にあるやつ?」
「それだ!」
「マジか。松本、後で見せて」
「なんでだよ!」

あ、もうこれダメですね。俺のメンタルが持たなそう。
ひとまず一之倉を回収しようと手を伸ばしたところで、逆方向へ引っ張られた。

「わ、宮城?」
「あの、電話番号ありがとうございました。あと、約束も」
「あ、ああ。いや……むしろ最初は誤魔化そうとしてごめん」
「倍返しにしてもらったんで良いっすよ。あの、これ俺の電話番号なんでとっておいてください」
「え? いいのか?」
「いいっすよ。あと、神奈川くる予定とかってあります? これきりとか嫌なんで、予定決めときたいんすけど」
「……それなら近々、親と神奈川に行く予定があるから、そこで――」
「そこまで!」

宮城からの提案に、驚き半分嬉しさ半分でつい話が続きそうになったところで、会話を中断させる声が。
間に割り込んできたのは沢北で、宮城から隠すように間に立つ。

「あ? 邪魔なんだけど」
「俺たちはこれから帰るんだよ。しゃべってる暇はねぇの」
「そっちの主将はいいつってたけど? キャプテンの言うことぐらいちゃんと聞いとけよ」
「はァ!?」
「沢北、乗せられるなって。宮城も程々にしてくれよ」
「うーっす」
「ぐ、この……!」

拳を震わせている沢北に、口論では宮城の方が格上だなと苦い笑いが浮かんだ。そもそも沢北には向いてないからなぁ。コート上での煽りはできるんだが。
しかしこれはちょうどいい。宮城との予定も、電話番号をもらったしこちらから連絡ができる。ここは沢北と一緒に皆を引きずってホテルへ……。
沢北の肩を叩こうと思った時に、また別方向から「マツモトさん?」と名前を呼ばれた。こ、今度は誰だ。

「ちょっと聞こえてきたんですけど、不良だった人っすよね?」
「へ」
「やっぱり。試合中もなんか似てんなーって思ってたんですよね」
「えっと……仙道だよな」
「そうですよ。覚えてないですか?」

こ、怖い……覚えてないですかって何を……なんのことだ……。
上に聳え立つ特徴的な髪型をした青年を殴りつけたことはなかったはずだ。と言うかそもそも不良やチンピラ以外に手をあげたことはない。はず。
戦々恐々としていると、特徴的な髪型の青年――仙道がクルリと背を向けて神奈川の選手の方へ手を振った。

「牧さーん。中学の頃に海でチンピラ殴ってたのこの人ですよ」
「海でチンピラを殴る!?」
「あれ、覚えてないっすか? 」

覚えてない覚えてない! それは他人の空似とかじゃないか!?
と言うかそもそも神奈川にいた頃に海に行った記憶は――一度だけしかない。しかもあれは喧嘩とかではなかった。
父が俺を怒鳴りつけた翌日に行ったきり。昔は髪が長かったから潮風は嫌いだった。だからそれしか記憶はない。
しかし仙道に呼ばれた牧がやってきて、俺の顔をじっと見る。

「いや、違うだろ」

ほら違う!!
なぜかガッツポーズをしたくなる衝動を押さえて仙道を見れば、ええ? と眉を上げていた。

「だってほら、この眉の感じとか頬の凹みとか、そっくりじゃないですか」
「……確かにそこは同じだが。もっと殺し屋みたいな顔してただろ? っとすまないな。お前のことじゃないんだが。そんな奴に海辺で手を貸してもらったことがあってな」
「あ、ああ。いや……」
「えーこの人ですって」

殺し屋みたいな顔、で話を聞いていた宮城が「そうかもな……」と顔で語っていたのを見て、何度も言えない気分になる。
父が撮ってくれた数枚の過去の写真があるが、正直確認したら殺し屋みたいな顔とやらをしている自信がある。もしかしたら、海で出会ったやつは俺かもしれない。でも本当に記憶がないんだ。頭を捻りまくれば思い出すだろうか……。
顎をさすった仙道は、じゃあと俺に尋ねてきた。

「俺と海で会った時のこと覚えてます?」
「いや……そもそも会ったことあるのか?」
「ありますって。俺びっくりしてよく覚えてるんで」
「びっくり?」
「そうそう。ほら、海に入っていってたじゃないですか」
「海に?」

俺が海に入る? 海水浴など行ったことはないはずだ。やはり他人と見間違えているのでは。
首を捻れば、仙道が話を続ける。

「ほら、中学の制服のままで」
「制服のまま……?」
「結構深くまで行くんで俺驚いて止めに――」

――思わず手が出てしまった。
仙道の口元を手のひらで塞ぎながら、思い至った記憶が鮮明に脳裏に映し出される。
曇り気味の空、少し波の高かった海――父からの言葉に膨れていた何かが弾けて全て捨てようとした朝のこと。
一度だけ父に怒鳴られたことがあった。きっと父も溜まりに溜まっていたのだと思う。母が残した大事な一人息子が喧嘩に明け暮れて怪我ばかりして帰ってくる。父に何も相談しようとも、語ろうともしない。暖かく包んできてくれていたが、彼も人間で、俺に色々なことをぶちまけたことがあった。
それが当時の俺にはあまりにも純粋で綺麗で重く苦しく頭が狂うほどの立派で正常な愛情で、この愛情を受けて生きていく地獄が続いていくことを理解した。手足から針を細かく突き刺されるような、心臓が凍りついていくような、首を徐々に絞められるような、一人で抱えきれない感情に視界が白く霞んで消えてしまいそうだった。
だから、誰もいない朝の海に、嫌いだった塩水に入っていって――。なのに助かった。
それは偶然でもなんでもなく、止めてくれた子供がいたからだった。

「ふぉふぉいはひまひた?」
「……思い出した。本当にありがとう感謝してる。忘れててすまん」
「ひひっふほ」

ニコリと笑みを浮かべて許してくれる仙道はいいやつだと思うが、そんな堂々と話すことじゃなかった気がするんだが。俺だけだろうか。思い出さなかった俺が悪いのだろうか。
冷や汗なのか脂汗なのかわからない汗が浮かんで、なんと誤魔化そうかとチラリと視線を向ければ、怪訝そうな表情をした沢北がいた。

「制服で海って……」
「どういうことっすか?」

視線の間に割り込み、ずい、と距離を詰めてきたのは宮城だった。だが、血管の浮き出る面持ちは、どう見てもブチギレている。

「み、宮城?」
「なんすかそれ、海に何しにいってたんすか?」
「いや、ご、誤解だ。落ち着け宮城」
「どういうこと? ちゃんと説明して」

肩まで掴んで迫ってくる宮城に、地雷を踏んだと心底理解した。けれど違うんだ、本当に違くて、いや違くないんだけれども、でも過去の話であって、今は本当なんであんな馬鹿なことしたんだろうって話であって。
背後では沢北が慌てた様子で宮城を引き剥がそうとしているし、仙道は笑っているし、牧は首を傾げているし、花道は一之倉たちと話が盛り上がっているし、河田たちは赤木たちと話しているようだったが、うっすらと「地元で有名だった不良の松本という男は――」と聞こえてくるし。
なんだこれ黒歴史暴露大会か? ああ、もうやめてくれ。俺が全部悪かったから、ホテルへ――秋田へ、帰らせてくれ……。

動揺して、混乱して、ひたすら謝って――焦って困って冷や汗をかいて。けれど、腹の底が冷えるような、ただ一人荒野に置き去りにされたような、かつてよく覚えていたそれらは襲ってこなかった。
酷い記憶で、これもまた恥ずべき過去になるんだろうと思うけれど――それは目も当てられない過去とは違って、きっと笑い話になるだろうと思うから。
やはり生きていてよかったなと、胸に陽の光が差したようだった。
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