- ナノ -


弐拾


バスケの試合はあっという間だ。それが楽しい試合なら尚更だ。
ずっと続いてほしいと願っても、すぐに終わりはやってくる。多分、人生もそんな風なんだろう。

「よくやったな。残りは授与式だ。皆少し休憩しなさい」

ロッカールームで監督の話を聞く。それぞれが返事をした後に、監督が何か袋を取り出した。

「それから松本」
「はい」
「……病院から湿布とガーゼと包帯だ。汗で取れかけてるものと頭のガーゼを貼り直しなさい」
「は、はい」

そんな、いつの間に……。しかし深く聞くと雷が落ちそうなので直ぐに受け取る。
大量に入っている医療品を俺が手にすると、監督は一足先にロッカールームを後にした。

試合は後半戦の最後、さらに覚醒した沢北がコートを蹂躙し、百点ゲームで終決した。もちろん、俺たちの勝利だ。
世界に飛び出す沢北栄治という選手の日本最後の試合にふさわしいゲームだったと思う。俺もそのコートにたてて良かったし、本当に嬉しい。
なぜか沢北からは「なんですかあの顔、なんですか」と終わった後に悪態をつかれた。ちょっと自覚はあったが、いいじゃないか。最高の試合ができたのだから。
それぞれのロッカーでユニホームを着替えていく。バッグを持ってきてもらっていて本当に助かった。ユニホームを用意しにホテルへ戻らなくて済んだし、試合後は綺麗なジャージを着ることができる。
試合の余韻を引きずりながら、気分良くユニホームを脱いで黒のインナーを脱いでいく。汗で張り付いてしょうがないそれをどうにか脱げば、引っ張られて湿布が何枚か落ちていた。

「ビョン!?」
「ビョ?」

新接尾語が聞こえ、思わず顔を向けると、隣にいた深津が珍しく眉間にものすごいシワを寄せていた。
いや、あまりにも珍しい。その表情をしばらく眺めて、背中の惨状を思い出した。

「うおッ!」
「なッ……」
「やっば……」

近くにいた数名が反応し、咄嗟に半回転して背中をロッカー側へと向ける。
一様に顔色の悪い面々と、その背後で「ほら見ろ」と言わんばかりの沢北がいて、上がっていた気分が現実に引き戻された。


「ほらね、俺言いましたよね」

ほぼ俺が目線から受け取った通りの言葉を口にして、唇を突き出す沢北に、特に言い返す言葉がないため沈黙する。
背中を見られた後、結局俺は目撃した深津たちが壁になってくれ、湿布を貼り直してもらっていた。

「もう見てるだけで痛そうなんだけど……」
「肩甲骨あたりに貼るぞ……。これ貼るのでもかなり痛そうだな。大丈夫なのか?」
「腕や脚よりよっぽどひでぇじゃねぇか」
「ピニョン……夢に出るピニョン……」

深津って意外とグロい系苦手なんだな。――とつい感想を浮かべていたら、半目で当の本人に睨まれた。

「俺がダメなのはリアルだけだピニョン」
「ああー……。スプラッタ系とか好きそうだもんな」
「話聞いてたピニョン?」

いや、リアルがダメってことはフィクションだったらいいのかと……。
なんだか何を言っても墓穴を掘りそうなので、大人しく口を閉じることにしよう。
アザが絵面的に辛いのか、テーピングの時と違ってゆっくりと進むそれを冷たさで感じる。

「なぁ、痛くねぇの? 湿布貼るの怖いんだけど……」
「え? ああ、痛くないよ。全然」
「絶対に嘘だろ。タンスに小指ぶつけてこの色になったことあるけど、マジで数日もげてるかと思ったよ」
「もげ……」

それはそれで病院行った方がいいんじゃないか一之倉……。というのはどうにか喉元で抑える。今そのアザがあるのは俺だったので。
しかし痛みはない。まぁ、何度も言われて思ったが、確かにちょっと普通じゃないかもしれない。

「胸の辺りはちょっと痛い」
「やっぱり!」
「相手選手とぶつかったところだけ」
「……」

大きな声を上げた沢北が黙り込む。あの時フリースロー決めて沢北にアイコンタクトをしていたのを思い出したのかもしれない。

「にしても、どれだけやられたらここまでなんだ」
「そこまで時間はかかってないと思うんだよな……。直ぐに鉄男たちが来てくれたし……」
「鉄男? 誰だそら」
「えっと、昔の……知り合い……かな」
「随分と曖昧だべ」

今考えても不思議だ。あそこで鉄男が来てくれたことが。
昔の仲だったらわかる。互いに不良として過ごしていて、互いの喧嘩に干渉し合う。そういう流れができていた。
けれど今はそうじゃない。俺はただのバスケ部の学生で、彼との関わりはもう何もないはずだった。

「……あの人、駅で湘北の奴らに話してたら、いきなり来たんすよ」
「いきなり来た?」
「バイクで近く走ってたのか知らないっすけど。俺、結構でかい声で話しちゃってたみたいで。バイク止めて、松本さんがどこいるか聞いてきて」
「……そうか」

経緯を聞いてもどうして来てくれたのかは分からない。けれど、礼はしっかりと言っておかないといけないらしい。

「本当、怖かったんすよ。松本さんが気絶しちゃった後に、残ってた不良たちボコボコにしてたんすよ!」
「お、おお……」
「二度と顔見せんな、って……俺ちょっと、救急車もう何台か呼んだ方が良かったんじゃないかって今になって思います」
「おお……」

なんというか……まぁ、でも俺が鉄男の立場でも同じことをしていた気がする。
多数に武器持ち、面倒なタイプの集団だった。計画的で粘着型。再起不能になるまでボコボコにしないと後でつけがくる。昨日の俺みたいに。

「そんな物騒なのと知り合いなのかピニョン?」
「そうっすよ。俺そこらへんは聞いてないっす」
「俺たちは何も聞いてないから最初から教えてほしいよね」
「だな。神奈川に着いでから妙なことばっかりだったからな。そろそろ説明してもえんじゃねぇか?」
「ほい。背中終わり。今度は前貼るから、その間に話しとけよ」
「……あー……」

野辺に急かされて仕方なく姿勢を変えると、案の定日本一走れるバスケ部の屈強な男たちが俺を見下ろしていた。
不良たちに囲まれた時は特に何も感じなかったのに、なんでこいつらはこんなに恐ろしいのだろうか。
当然囲まれて逃げるなどという選択肢はなく――湿布も貼ってもらっているし――何から語ろうかと悩む。
しかし、何をどう言っても事実は変わらないし、ここまで来たら、もう彼らには正直でありたかった。
墓場まで持って行こうと思っていた決意は確かに堅かったはずなのに、自分の失態でボロボロと崩れ去って、今は紙よりも薄い。
それでも本当の姿を見せた先、彼らがどんな目で俺を見るかが怖かった。
大事な友人だから、怖い。失いたくないと思う。
けど、沢北のように――暴力が嫌いだった彼が受け入れてくれた。きっとそれだけで僥倖なのだ。

「中学三年で引っ越すまで、ずっと神奈川に住んでたんだ。それで、引っ越すまで、不良をしていて……。鉄男はその時の知り合いというか、喧嘩仲間みたいな感じだ。それから、昔に花道や宮城とは会ってたみたいで、今回偶然思い出して仲良くしてもらってたんだ。今回襲ってきたのも多分……昔に潰した奴らなんだと思う。俺のこと探してたから。だから、全部自業自得でさ……。本当に迷惑かけて、ごめん」

深々と頭を下げる。湿布を貼る手はいつの間にか止まっていた。
沈黙が重くて、痛い。みんながどんな顔をしているのか。気になって、けれど恐ろしくて頭が上げられなかった。
ポツリ、水面に石を投げるように沢北の声が聞こえた。

「松本さんって……不良だったんすか……?」
「……え?」

いや、お前は花道たちから聞いてたんじゃないのか。なんで初耳みたいな感想を言ってんだ?
何も考えずに上がった視線の先、沢北が口を手で覆って驚愕していた。いや、だからなぜ。

「え、聞いてただろ? 花道たちから」
「俺が聞いたの、昔松本さんが喧嘩して倒した奴が仕返しに来たってところっす」
「……あ、あ〜〜〜〜……」

ゆっくりと下がっていく声色と共に、脳裏で花道と宮城の姿が浮かんだ。
そうだよな。俺秘密にしてくれって言ってたもんな。そっか、ちゃんとぼかして伝えてくれたんだな。そして沢北はそれを信じてくれてたんだな。花道たちは本当にいい子だなぁ。俺って本当ばか。
いやもうほんと、していた心の準備とは違う方面からの衝撃にちょっと言葉が出ない。そっか知らなかったのか不良って、じゃあこれ俺から墓まで持って行こうと思っていた秘密を暴露したのか。しかも勘違いで。
もう消えてしまいたい。こういう時に限ってタオルはない。うずくまるように腕で頭を覆う。しかし、その手を引っ張る奴がいた。

「話は終わってないピニョン」
「深津……」
「今はもう違うって思ってるピニョン。だろ?」

端的に問われたそれに、顔を上げる。いつも通りの顔をした深津が、早く答えろと急かしてくる。

「……違う。あんなのじゃない」
「ならええべ。昔のことをゴタゴタ言うのは男らしくね」

頭の怪我をしていない箇所を厚い手で軽く叩かれる。あの、とかなり近くから沢北の声がして、恐る恐る目を向けた。

「あんなの見た後じゃ逆に納得っすよ」
「……そうか?」
「っす」
「なら……いいか」

いいわけがない。ないけれど、彼が怖がっていないから、多分いい。
顔を上げると、湿布を持った野辺が胸を反るように言ってくる。

「けど元々神奈川生まれだったのか。だから桜木たちとあんなになぁ」
「おう……。なんか、交流があった。まさかあの二人だとは思ってなかったよ」

試合で肩がぶつかった部分に貼られ、少しだけ冷たさが染みた。
それに気づいたのか、野辺が不安げな表情をしたので大丈夫だと伝える。不良って言っても平気な顔してたのに、痛んでいるかどうかでそんな顔をしてくれる。

「でも松本が不良って、全然想像がつかないな。強かったの?」
「えっと……どうだったかな。なんか、強いとは思われてたみたいだな、一応」
「へぇ、松本も鉄パイプ使ったりしたの?」
「う……昔は使ってない。素手で喧嘩してたな……」
「あっ、もしかして手の甲の細かい傷ってそれっすか!?」
「え、ああ、そうかもしれないな……」

ぶら下がっていた手を一之倉に取られて、手の甲をしげしげと観察される。なんだかくすぐったくて変な気分だった。
隠そうと思っていたことを知られて、さらにそう関心深くされると、なんというか、やはり変な気分だ。

「本当だ。ちょっと凹んでたりしてる」
「うわーダメっすよ。バスケ部なんだから手は大事にしないと」
「今は喧嘩してねぇよ……」
「なんで素手で喧嘩してたの?」

喧嘩をしていたのはバスケ部に入る前の話だ。今考えると、あんな後先考えない喧嘩の仕方は絶対にしたくない。そもそも喧嘩もしたくないが。
しかし、どうしてと言われると――一番鬱憤が晴れるから。
いや、ダメだろうこれは。じゃあ――相手が死なない程度に攻撃できるから。いや、これも……ッ。ちょっと、良くない気がする……!
モゴモゴとしていると、一之倉の興味深そうな視線が突き刺さる。どうしてそんなに興味津々なんだ一之倉。不良漫画とか好きだったっけ。

「えっと」
「うん」
「素手の方が……殴った感触が、伝わるから……」

人をぶちのめした感覚があるからこそ、鬱憤が晴れた。暴力を振るった感触を直に感じられて、素手以外は考えられなかった。相手の限界も理解しやすいし、やりすぎないためにも丁度良かった。つまり、そう言うことなわけだが……。なんかこれもやばくないか?

「不良だ……」
「不良じゃないっすか……」
「不良だったピニョン……」
「不良だな……」
「筋金入ってるべ」
「なんだよ! 教えろって言われたから答えただけだぞ!」

なんだよコソコソすんなよ! 俺を泣かせたいのかお前ら!!
確かに不良だったし、その事実は絶対に変わらないが、そんなに不良だと連呼されると傷つく。
やはり黒歴史は黒歴史として封印しておくのが一番心の安定に繋がるのだろう。けれど、もう暴露してしまった。時は戻せない。いいことなのか、悪いことなのか。
そんなことを遠い目で考えていたら、野辺がポン。と太ももを叩く。

「はい終わり」
「ありがとう」

病院では貼られていなかった腕や脚も張ってもらい、全身が再び湿布臭くなった。
礼を言ってジャージを着ていくと、なぜか再び座らされる。

「はい、次は頭ね〜」
「……はい」

穏やかだが有無を言わせぬ強引さを感じ、素直に従う。
――彼らは過去のことを知っても、ただ興味を示すだけでその視線は変わらなかった。
あの過去は自身の中で消えない汚点として死ぬまで背負い続けることになるだろう。だが、彼らの変わらない態度に肺に刺さった棘が消えていくようだった。息がしやすくなって、目の前が鮮明になる。彼らが、仲間であり、友人であってよかったと思う。

――しかし、こうして治療してもらってみると、なんか傷多いな……。
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