- ナノ -


拾漆


しっかりと頭が覚醒し、ようやく上半身を起き上がらせる。
沢北が慌てていたが、頭の傷が少々痛むだけで他は気にならない程度だった。
頭に包帯、コンクリートに転がったときについた頬の傷が痛々しいだけで、実際のところそこまで怪我は酷くない。腹部と背中全体に大小さまざまなあざがあるが、これも見た目だけで痛みはほぼない。毒々しい色も二週間程度あれば消えるだろう。
そしてやはり駅で起こったことは夢なんかではなく、全て実際に起こったことだった。
鉄パイプを投げられてコケるという渾身のミスを犯し、リンチにされていた俺を鉄男と花道、宮城と三井が助けにやってきた。なぜ鉄男、なぜ湘北の三人。というか三井は本当になぜ。お前喧嘩しないんじゃないのか。
まぁ、実際に人をのしていたのは花道と宮城、鉄男だけらしい。三井は俺を回収しにきてくれたそうだ。
だがそこに、偶然駅にいた彼らに助けを求めたらしい沢北もやってきて、つい注意が逸れた。渾身のミス二度目。頭に鉄パイプでの殴打。直前に危険な場所へ当たることは避けられたものの、脳震盪を起こして倒れ込んだ。
その後は――正直、あまり記憶がハッキリしない。自分のしたことは分かっている。
俺を殴ったことでへしゃげ、捨てられた鉄パイプを手にして、一人の男を――多分、動かないようにしようとしていた。
殺そうと、していたのかと言われると答えづらい。そうとも言えるのかもしれない。ただ、自分と同じように全てを失わせようとしていた。随分と抽象的だが、頭は回っていなかった。
そんな頭の狂ったやつを止めてくれたのは、三井と宮城だった。思い返してみると、三井が止めてくれたのは驚きだった。回収しにきたはずのボロ雑巾男が、いきなり鉄パイプで相手を殴ろうとしていたのだ。動揺して咄嗟に動けなくなってもいい事態だと思う。
それでも三井はいの一番に止めてくれて、そこに宮城が加わって、俺を止めてくれた。
それから……、それから、沢北に名前を呼ばれて、それだけは聞こえたからそちらを見た。それで……ここからはもう記憶が穴だらけだった。
ただ、倒れた俺を受け止めてくれたのが花道だった。それだけは覚えている。

「……花道たちは?」
「あの後急いで救急車呼んで、俺に救急車一緒に乗れって言ってくれて、そこで別れたっす」
「そうか。……監督とかは?」
「病院ついて、松本さんが命に別状ないって分かって、保護者に連絡してくれって言われた時に電話して……すげぇ剣幕でした」
「……まぁ、そうだよな」
「それで、夜のうちに監督が来て。病院の人と色々話して、そんで今日は帰ろうっていうので……。俺、帰りたくなかったんすけど、明日も試合だろって言われて」
「そりゃあ、そうだな」

非常事態ではあるものの、試合と天秤にかければ考える必要もない。
命に別状もなく、見た目はともかく軽傷なのだ。部員一人に、全員が引きずられては堪らない。
もちろん、俺自身としては残念だった。自分のミスで気絶をして、目覚めた時には最後の試合は終わっていたなんて。俺もコートに立ちたかった。沢北やみんなと決勝戦を戦いたかった。悔しい、悔しいけれど……沢北は、少しだけだが花道から俺の過去について聞いたと口にした。あんなもんを見せられて、殴られて、縁を切られても仕方がないと思っていた彼と話せているのだから、それだけで十分だ。

「けど、やっぱり心配になって、試合前には戻るんでって言って、一人で来ました」
「……ん?」

「けど、来てよかったっす。松本さんが起きるのちゃんと見れたから」。そう言ってはにかむ沢北に疑問が過ぎる。
俺はてっきり、もう試合は終わっていて、だから沢北は病院に来ているのかと思っていた。
だって普通は試合前の、しかも部活のエースが病院に来ているなんておかしいだろ。
けれど、沢北は試合前には戻ると言っていた。言っていた、が――今は何時だ。
最終戦の時間は確か、朝の十時からだぞ。

「今何時だ!?」
「え、く、九時二十分です」
「九時!? ここから車で会場まで何分だ!」
「えっと、確か二十分……」
「なんでお前まだここにいるんだ!」
「だ、だって三十分前に出れば間に合――」
「ガバ計算か! さっさと準備しろ!」

二十分って言ったって朝なんだし道が渋滞しているかもしれないだろ! それにユニホームに着替えたり監督からの指示を確認したりウォームアップしたりやることなんざいくらでもある! ああなんで監督は沢北だけで病院まで寄越したんだまだ十七歳だぞ子供だぞ遅刻したらごめんなさいじゃないんだぞ決勝戦だぞ!? いや前日にボコられて病院送りの俺が言えることじゃないなうん!!――うん?
「まだ話し足りないのに!」と言いながらバタバタと準備を始めた沢北を横目に考える。
もしかして――
俺も、間に合う?

「……よし、準備しよう」
「へ? 松本さんは準備することなんて」
「よいしょ」
「え!?」

本当に申し訳ないと思うが、腕につけられた点滴を外す。
残量はわずかだったので、許してほしい。そういう問題ではないと思うが。
針が刺さっていた場所を押さえつつ、針を刺していた方の手で頭の包帯を取っていく。

「は、は!? 松本さん!?」
「やっぱり血は止まってるな。包帯だと仰々しいからな」
「いやなに笑ってんすかなんで包帯取るの!?」
「服も着替えないとな、俺のジャージどこにあるか分かるか?」
「じゃ、ジャージならそこに……って松本さん!?」

指さされた先にあった紙袋を見てみると、確かにジャージがあった。
地面に転がったせいかかなり汚れているが、砂などは多少落としてくれたらしい。着れないことはない。
患者服の紐を引っ張って裾を広げる。腹や胸は何枚もの湿布に包まれていて鼻にきた。
俺の様子を見て、なぜか沢北がザッと顔を青くする。

「あ、アザで真っ赤だし真っ青じゃないっすか! 何やってんすか!?」
「ん? ああ、見た目は酷いがそんなに痛くないぞ。ほら」
「ギャァア! やめて!!」

確かに湿布と湿布の隙間の肌の色はエイリアンのようだが、外見が少しグロいだけだ。
バシンッ、とアザの色が酷い腹あたりを叩いてみれば、沢北に悲鳴を上げられながら腕を掴まれた。
ちょうど針の止血場所を掴まれたので、これ幸いとそのままにしてもう片方の腕で上を脱いでいく。

「わ、わ、うわぁ、痛いぃ……」
「痛くねぇって。あ、腕ありがとな」
「何がですか!?」

慄いたように手を離されて、それに少し悲しくなりながら袋から取り出した衣服を着ていく。
体の調子を確かめながらベッドから降りて、下もジャージに履き替える。

「準備完了だ」
「いや、完了じゃないですからね!?」
「ほら、沢北も早く準備終わらせろ」
「だ、だからぁ……!」

言い募ろうとする沢北を無理やり急かす。
そりゃあ沢北の言いたいこともわかる。見た目はただの怪我人だし、頭に包帯は無くなったとしてもガーゼは張り付いているし、顔には傷を隠すように仰々しくテープが貼られている。アザもグロデスクだし、腹や背以外にもアザや擦り傷はいくらでもある。
監督に止められるかもしれない。出さないという選択を取る可能性は正直大きいだろう。
けれど、俺は出場したい。会場に行くことに意味がある、と言えるかもしれない。同じコートに立てなくとも、仲間たちの活躍を同じ空間で見る。それは俺にとってとても大事なことだった。
ただ怪我を理由に病院で寝ているより、よっぽど。

「もちろん監督にダメと言われたら出ないよ」
「それでも……だってあんなに……!」

悲痛な面持ちの沢北の目に映っているのは、今の俺ではなく昨晩の自分だと察する。
袋に入っていた着衣。フードの上着だけは着なかった。フードはもう懲り懲りだというのもあったが、そもそも付着した赤黒い血が着る選択をそもそも消させた。べったりとついたそれは、見る側にとっては恐怖だったろうと思う。思うけれど。

「俺って意外と頑丈なんだよ」
「なんすかそれ……!」
「沢北、頼む。俺にチャンスをくれ」

コートに立つチャンスを。ここで寝ていたら、そのチャンスに近づけやしない。
見つめていれば、沢北はぐっと堪えた表情をして、それから整った顔をシワシワにして言った。

「……監督が止めたら、でちゃダメですよ」
「分かった。ありがとう」

沢北の言葉に笑顔で頷く。そうと決まれば準備だ。
そもそもタクシーが病院で待っているかもわからない。それも確認しないといけないだろう。
いや、それよりも看護師に見つかれば退院手続き等で時間を取られるかもしれない。散々騒いでおいてなんだが、見つからないようにしたほうがいいだろう。一人部屋でよかった。
慌てて用意を終えた沢北に、行こう。と声をかけてこれまた汚れたシューズを履いて病室を出る。
看護師に見つからないように、隠れつつ階段を使って下まで降りる。
受付を素通りして、外へと脱出した。

「ドキドキしたぁ」
「だな」

深々と息をつく沢北を横目に、タクシーを探す。
病院の正面は車寄せスペースになっており、そこに通常車なども止まっている。
その中で、ちょうど空車になっているタクシーを見つけて駆け出した。後ろから沢北の動揺した声が聞こえるが、説明は後!

「すみません、二人お願いしてもいいですか?」
「ん? ああ、大丈夫だよ。乗ってください」

手帳で仕事の確認をしていたのか、休憩中だったのかはわからないが手の空いていたらしい運転手は二つ返事で了承してくれた。
走って追いついてきた沢北を車に乗り込ませて、国体の開催会場を説明する。
どうやら国体を開催しているのを知っていたようで、俺たちの直前に出場する選手の保護者を乗せていたらしい。ついた時には、頑張れよとエールをもらってしまった。代金は沢北が監督から預かっていたお金を使用して、二人で施設の中へと入っていった。

しかし、たどり着いた時間は九時三十五分。九時二十分から準備をして、二十五分ぐらいにタクシーに乗り込んだので実際十分しかかかっていない。道が混んでいなかったとはいえあまりにも早い到着に、もしかすると監督はあえて十分プラスした時間を沢北に教えたのではないかと思った。
さすが監督、よく分かっている。
走ってたどり着いた先。山王のロッカールームの扉の前。試合のこの時間、普通ならウォームアップのためにコートに出ているだろう。だが中からは人の気配がした。おそらく沢北が来るのをウォームアップ後にロッカー室で待っていたのだろう。
ふぅと、息を整えて沢北にアイコンタクトをして扉を開く。
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