- ナノ -


拾伍


――どうしようもなかった。
ただ、生まれた時から蓄積され続ける鬱憤を晴らしたかっただけ。
暴力を振るって、相手を黙らせ、骨を折って、血を流せば、少しだけ息をつくことができた気がした。
何に向けていいか分からなかった鬱屈を、潰しても壊してもいい相手にぶつけられる。それは俺にとって、とても安堵できる行いだった。
相手を殴って骨が皮膚を削っても、相手に殴られ骨が折れても、ナイフを向けられて血が流れても、それは俺にとってある意味心地のいいことだった。
彼は俺を罰しない、彼女は俺を罰せない。俺は彼のために、生きなければならない。
この生き地獄で、逃げ道はそれだけだった。それだけが俺を赦してくれた。そこにいていいと居場所をくれた。

けれど、なんだか不思議だった。
あの日々とはどこか違う感覚。鬱屈していて、火に炙られているようで、今すぐにでも解放されたい気分は同じなのに――あの人間だけは道連れにしなければならないという意志があった。

どうしてか転がっているひしゃげた鉄パイプを手に取って、震えが収まった体を持ち上げる。
重い体を引きずって、地面を踏んでいく。その人間が振り返り、何かを口にするが何も聞こえなかった。静まり返った道の中で、聞こえない言葉を喚いている人間の脚を砕いた。
力加減と場所さえ間違わなければ、どんな人間の脚でも脆い。押し込むように蹴り抜いた右足を元の場所に戻して、倒れ込んだ人間の顔を蹴る。
ころりと転がったそれを、上から動かないように踏んで固定した。
ひしゃげた鉄パイプを持ち直して、ちょうど曲がっている部分が当たるように調整した。

振り上げたそれを振り落とそうとした時に、なぜか急に鉄パイプが動かなくなる。
横目で見れば、そこには黒髪の青年がいて何かを叫んでいる。彼がパイプを掴んで動きを止めているようだった。
仕方なく彼を引き剥がそうとすれば、今度は誰かが腹あたりに突っ込んできた。パーマをかけた小柄な青年も、何かを叫んでいる。
邪魔だ。そこにいられるとパイプが標的に当たらない。
邪魔だ、邪魔だ、邪魔。どうして殴りかかってこないのだろう、そうすればその顔面を壊して終わりなのに。
地面に沈む人間が見窄らしい横顔でこちらを見ている。その顔が気に入らなくて、踏み締める足に力を込めた。
いいんだ。こいつだけ、こいつだけ道連れにできればもうあとはいいから。

「――まつ、もとさん」

か細い声が鼓膜を揺らして、驚きに目を開く。
赤らんだ視界に、地面に座り込む誰かが映る。
痛々しく頬を赤く腫れさせた坊主頭の青年が、こちらを見つめて目に涙を浮かべている。
恐ろしいを見るように、信じられないものを見るように、理解できない何かを探るように。

どうして?
どうしてそんな目で俺を見るんだ。
こうさせたのはお前だろ。
こうやってしか生きられないようにしたのはあんただろ。
良い子でいようとしたさ。笑っていようと思っていた。お前の嬉しそうな顔が見れるなら、俺はなんだって出来ると信じてたんだ。
それなのにあんたが幸せそうに微笑むから、彼が彼女との思い出を悲しそうに語るから、お前があの人も分も生きろと言うから。
だから、だから俺はこんなことになったんだろ?

ついに目尻から溢れでた透明なそれが、頬を伝った。
無垢なそれに、全てが無駄であることをようやく悟る。
そう、これは俺の身勝手な妄想で、自分を守るための妄言にすぎない。
あの人はただ俺を愛してくれていただけで、この後輩はただ俺を心配してくれていただけだったから。

体から力が抜けて、パイプから手が滑る。
ぐらりと体が揺れて、地面に落ちていく。ただ、その感覚が途中で終わって、何かに包まれていた。
後ろから覗き込むように赤い頭を隠した青年の顔が見え、何かを言っている。
ああ、聞こえるけれど、それを理解するほどの脳がなかった。

あーあ、何をやっているんだろう。俺は。
全部全部、自分のせいで、結局のところ全て自業自得だった。
こんな目に遭うことになったのも、彼を傷つけたのも。

頭を下げて、手のひらを床につけて、額を床に擦り付けよう。
土下座もする、泣いて謝る。

だから、
どうか、俺を許して。
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