これは議論ではない。
2015/03/24 21:06

就活を気に、以前にも増していろいろなニュースや情報に意識的に手を伸ばすようになりました。

そんな中、最近良く目につくのが「現代の就活スタイル」に対する批判。「就活生皆が同じ格好をして、貼り付けたような笑顔で人事に媚びて、テンプレートの自己PRを述べる。こんな日本社会は可笑しい。お前は就活の奴隷になるな。」こんな主張や議論が、Facebook等のSNSをちょっと覗くと大量に溢れています。
現在まさに就活生である私からすると、この没個性的なやり方はやっぱり好きではありません。同じ髪型にして真っ黒いスーツ着てたら、人事さんからしたら皆同じ顔に見えるのではないかしら。そんな私は、ストライプに一つボタンのスーツ・基本パンツスタイル(+シュシュ)で現在就活をしています。かと言って特に反逆児を気取っているわけでもなく、単に入学式しか着なかったスーツが勿体無いが故に、就活でも活用しているだけです。深い意味はありません。しかも最近真っ黒なスーツ注文しちゃった。

話がずれましたが、ネット上でどんな議論を繰り広げようが基本的に個人の自由だと私は思います。しかし最近の議論は、その人の「意見」に対して「反論」するに止まらず、その人の「人間性」を暴言によって「否定」している人が多い気がします。
就活論争についてもそう。「あなたのこの意見については賛成できない。私はこう思う、何故なら...」とまでに止めておけば良いものの、「こいつら何言ってるんだ。こういう馬鹿どもこそが、就活の奴隷だ!」...何故こうなってしまうのでしょうか。(しかも『奴隷』って。その人にとって納得する就活が出来ればいい話で、そのやり方が正しいだの間違ってるだの、他人に言われる筋合いは無いのではないかと思うのですが。)
議論は本来、ベストな方法や決断を見つけるために、様々な視点を持った人々が意見を主張し合うものではないでしょうか。「現状に問題意識を持っている。今ある状況をより良くするために、提言する」こういった根本的な目的は本来同じはずだと思います。議論は、議論をすることが目的でやるものではないはずです。しかも最近は、議論が最終的に相手の人格否定になってしまう。こんなSNSの投稿を多く見るたびに、残念に思います。

tsugi modoru mae

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