「―――。」
背中を向けて、君は歩き出した。その一方的な言葉と背中は、私と言葉を交わすのを拒んでいるように見えた。
『行かないで、行かないで、ねぇ…。』
揺れる心の声は、口に出せないまま。答えた言葉は…。
『―――。』
背中を向けて、俺は歩き出した。溢れかけた想いと涙が、彼女に気付かれてしまう前に行かなければ。
「幸せ過ぎるのは嫌いだ。」
偽った本当の思いは、何処にも行くことはない。だから返事はしない。
強がって手放した理想の未来…。
―君と私が一緒に過ごす未来。
―俺が彼女と一緒に過ごす未来。
取り戻せぬ願い…。
―隣にいたいという願い。
―隣にいて欲しいという願い。
…もう、叶わない。
少し広く感じる、この狭い、君のいないワンルーム。心の隙間を広げるようだ。
『行ってきなよ。蓮二にはこんな狭い世界は似合わない。』
取り戻せない言葉。自分で言ったはずなのに。
少し長く感じる、ほんの一分、一秒。君と過ごせたら、と。
願うことさえ許されない世界、なのかな。
『―――。』
たったひとつの嘘。行かないで、何て言えなかった。もし言えたら、君の涙を生まずに済んだのかな。
数えきれない程の罪を重ねてきた。
『好きだよ。』
その手に触れたこと。蓮二の隣でそっと、生きようとしたこと。
「海外、ですか。」
今を一つ拾う度に、過去を一つ捨てるような、
『行ってきなよ。』
有限の記憶と時間の中。
ほんの少しの間だけ、そこに居座った俺の存在など。…きっと名前の記憶から消えてしまうのだろうな。
「もう二度と日本には…?」
「それは向こう次第だろう。」
ここは…新しい未来の始まりなのだろうか。今までの過去の終わりなのだろうか。
広いベッドで眠る夜は、まだ明けない。
「―――。」
また一人で夢を見る。君との記憶を辿る夢。あの言葉は間違いだっただろうか。彼女を置いてきてしまった俺にその資格はあったのだろうか。
数えきれない程の罪を重ねてきた。
「好きだ。」
その手に触れたこと。名前の隣でそっと、生きようとしたこと。
彼女は俺にすがらなかった。むしろ、快く送り出してくれた。その程度の存在だった、と言うわけではない。彼女の中で、自分の未来と俺の未来を比べたとき、俺の方が勝ってしまったのだろう。
犯した罪は、この異国の地での孤独で償うとしよう。彼女へ連絡は取らない。次に帰るまでは。
その間に新しい男を見つけるかも知れないし、結婚してしまうかも知れない。それでもかまわない。だが、…出来ることなら、その記憶の中に少しでもいられたら。
『変わらない気持ちで、また出会えたら良いね。』
「そしてまた、手を繋ごう。」
その時まで、
『またね。』「またな。」
from Y to Y
(私から君へ、俺から君へ。)