『英二、一緒に帰ろう』
名前はそう言って俺の手を引っ張って歩き出した。
「ど、どうしたの?不二は?いいの?」
『知らない、あんな奴』
卒業を間近に控えた高校3年の3月。部活に出ることが前より随分と減った。引退してすぐはそれでも週3日は出てたけど、今じゃ週1日出ればいい方。名前はいつも不二と一緒に帰っていたから、俺を連れ出すなんて珍しかった。
「不二と喧嘩でもしたの?」
『……』
名前は何も言わないまま、俺の隣を歩いている。
不二と名前が付き合いだしたのは、確か去年の今頃だった。3人とも高校に入った時からずっと同じクラスで、男女は違えど部活も一緒で、よく3一緒にいた。でも、俺は2人が両想いだったなんて知らなくて、きっとずっと悪いことしてたんだと思う。
「僕ね、名前と付き合ってるんだ」
「え!?嘘、知らなかった、え、いつから!?」
「一か月前」
不二にそういわれた時は、本当にびっくりした。不二はそれしか教えてくれなくて、名前も自分からは何も言わなかった。でも、そんなこと言われたから、さすがの俺だって、3人でいるのが気まずくなった。
いつの間にか、俺は1人になっていて、部活以外で不二と一緒にいることが減った。不二の隣にはいつも名前がいたから。クラスでは他の奴と一緒にいるようになった。誰も、不二と名前が付き合ってることなんて知らなかった。1年の時からずっと一緒にいることが当たり前だったから、誰もそんな風に思ってなかった。だから、俺が2人と喧嘩でもして離れたのか、と、周りはそういう扱いをしていた。
部活があった間はよかった。それでもまだ不二とも、名前とも、一緒にいられる時間はそれぞれあったから。不二とはもちろん部活が一緒だったし、名前は帰り道が一緒だった。でも、部活がなくなった途端、俺は完全に一人ぼっちになった気がした。不二は名前を家まで送ってから帰る。…方向違うのに。2人が帰ろうとしているところに、一緒に帰ろうなんて言えなかった。後ろから、少し距離をとって一人で歩いた。べつに一人でも帰れるけど、寂しい気持ちになったのは名前が一緒じゃなくなったから。
『英二、英二、』
「え?あ、なに?」
『さっきからため息ばっかり』
「え?うそ、…なんでもないから」
俺の前に名前が立ちはだかった。前から夕日が射していて、名前は黒い影にしか映らない。お前のせいだよ、なんて言えない。嫌いだ、名前なんて…。また小さくため息を吐く。
『それじゃ、また明日』
「もしかして、明日も一緒に帰るの?」
『もしかしなくてもそう』
「はいはい、わかったよー。また明日ね」
『うん。バイバイ』
前みたいに名前を家まで送ってから帰る。名前の家から俺の家までは10分くらいの距離。最初はこんな近くに住んでるなんて知らなくて。そう、それで、一緒に帰るようになって仲良くなったんだ。名前は高校から青学に入ってきた。内部進学がほとんどのクラスで友達も簡単に作れなくて、それで声をかけて、一緒にいるようになって…。ちゃんと女の子の友達ができてからも、2人のおかげだからって…、あれ、でも俺が名前と一緒にいたのは、帰りの時だけ、かもしれない…。
別れたばっかりの名前からメールが来た。“周助とは別れた、から。”それだけのメール。報告、というより決意みたいだな、と思った。そんな、月曜日の夕方。「英二、名前に何か聞いた?」
「うんにゃ。何にも言わなかったよー、俺のが困っちゃったー」
夜、不二から電話がかかってきて、帰りのことを聞かれた。
「そうか、ならいいんだ。こんな時間にごめんね?」
「何言ってんのー!俺と不二の仲でしょー、気にすんなってー!!」
でも、聞いただけで何も教えてくれなかった。何かあった?とも聞けなかった。話してくれないなら、俺が聞くべきことじゃないんだ。1年前のあの報告から、そう思うようにしていた。
大事なことは、何も聞かせてくれない。名前も、不二も。
次の日も、名前は俺を呼んですぐ教室から出て行った。それだけじゃない、1日中、不二とまったく一緒にいようとしなかったらしい。不二は…、ちょっと困っているみたいだったけど、何も言ってこなかったし、俺にしてあげられることはなかった。黙って名前の隣を歩いて帰る。次の日も、そのまた次の日も。
俺が2人といなくなったのときと違って、名前と不二が一緒にいなくなったのをみて、付き合ってたことも知らないのに、別れたって言い始めるやつが出てきた。どうしてそうなるんだろう。男子と女子が一緒にいるってのは、いつもそういう風にみられるのかな。じゃあ、毎日無言で一緒に帰る俺と名前は、何も知らない人から見たら、付き合ってるように見えるの?
「名前」
『何?』
「不二のこと、嫌いになったの?」
『……』
だってまだまだ不二が、たぶん君の中で生きていて。それをわかっているのに、どうして俺はこうして名前と一緒にいるんだろう。どうして、一緒にいるだけで苦しくなるんだろう。
「名前」
『…また、ね』
それでも、俺は、なんだろう…、少し嬉しい気もしていた。今だけでも、名前と一緒にいられたら、って。
不二には絶対に勝てないんだろうけど、今は俺を必要としてくれてる。それがすごく嬉しくて。今だけでも、と思いながら、このまま不二のところになんか帰らなければいいって。そんな、金曜日の夕方。
『えーじ、えーじ、いまひま?』
「うん、どうかした?」
『なんでもない』
こうやって、助けを求めてきてくれるのも、今は俺。不二の代わり、なんだろうけど。時々、こうやって電話がかかってきたら、俺は名前に会いに行く。
「寂しくなった?」
『…ちがうよ』
「ねえ、会いに行ってもいい?」
『…うん』
素直じゃない君の考えてることなんか、すぐわかる。寂しくなっても会いたいなんて言えないんだろ?何も知らない顔して俺ははるかに会いに行く。そんな、日曜日の夕方。いつもと同じように夕焼けが街を染めていた。
「どうしたの、名前」
『…なんでもないよ』
「じゃあ泣くなよー」
『…ないてなんか、ない、し』
「そかそかー」
玄関の前に座り込んだはるかの横に座る。名前は顔をあげない。
『なんでさ、えーじは、いつもなんにもきかないの?』
「聞いても、教えてくれないじゃんー」
『…そうかも。でも、きいてくれなきゃ、なにもいえない』
「名前が自分でいう気になるまで、俺は聞かないことにしてる」
『…えーじ、わたしとつきあわない?』
「え…!?」
何も言えなくなった。さっきまで、不二のところになんか帰らなければいいのにって、そう思ってたのに。いざ名前自身にそんなこと言われたら、最初に考えたことは不二になんて思われるだろって。顔をあげた名前の真っ赤になった目は、俺のことを、俺の目を見ている。本当に、俺を?もし、本当にそう思ってくれてたら、抱きしめたかった。でも、触れたら壊れてなくなりそうだった。俺を通して不二を見てるんじゃないのかな…。
「名前。何があったかは知らないけど、俺は、不二の代わりじゃないよ」
言えるわけないじゃん、君が好きだよ、なんて。今しか、きっとなかった。もうきっと二度と言えない。でも、言えなかった、こんな状態の名前に。
「ごめん、帰るね。また明日」
今はうまくいってなくたって、きっとまた元の2人に戻るはずだから。やっぱり、期待させられるのは勘弁。
『英二、明日も一緒に帰ろう?』
「…うん、いいよー」
背を向けた俺にそれでも声をかける名前。結局、離れられない。もう少しだけ、もう少しだけ名前といてもいいかな。
「ダメだよ、英二に、名前は渡さない」
聞こえた声に驚いて振り向きそうになった。でも、振り向かないで歩き出す。
『周助!?』
「名前、君の言葉を、ちゃんと聞かせて」
もういいかい、わかってたよ。いつかこんな日が来ることなんて。
もういいよ、さよならしよう。思いも全ていま返すから。…君に返そう。
行動に出た不二と行動に出なかった俺。名前がどっちに揺らぐかなんて、考えなくても簡単にわかること。そう、すぐ、簡単に。結局俺は、2人のことが好き。だから、明日からはまた独り。
夕焼けに染まる街が未来も願いも連れ去ってよ。
橙ゲノム
(俺の2度目の、恋の終わり)