blindfold 前編
「……ごめん」
突然前方から聴こえて来た聞き慣れた声。その緊迫した雰囲気に思わず隠れてしまった茂みの陰から、イギリスは白昼堂々と行われている告白現場をそっと覗き視た。
(べっ、別に見たくて見てるんじゃないぞ! 俺はただ……)
手の中の鉢を抱く手にぎゅ、と力を込めて、二人の様子を伺う。
自分が良く知る声の主──アメリカは此方に背を向けていて、どんな表情をしているかが見えない。
対する相手は此処からでは姿は見えないものの、声から女の子だろうと推測出来た。
アメリカは割かしモテているようなのだが、誰かと付き合っているといった噂は聞かない。
恐らく、最初の場面から……アメリカが断る前から見ていても、断るんだろうなと予測はしただろうけど。
実際に断っている姿を見ると、ほっと安堵する反面うっかり自分に置き換えて考えてしまってキリリと胸が痛む。
今やすっかり自分を超える程大きくなってしまったこの元弟に恋心を抱き始めたのは、一体いつの頃からだったろうか。
否、今はそんな事より早く何処かへ行ってくれ。俺には気付かずに。イギリスはそう胸の内で願いながら、けれど目の前の大きな背中から視線を逸らせずにいた。
茂みから少し身を乗り出す。イギリスの願いとは裏腹に、まだ話は終わらないようだ。
女の子の震える声が、何故かと問うのが聴こえる。理由を聞くまで納得は出来ないと。
(……理由……)
言われてみれば、何故アメリカは誰の告白も受けないのだろうか。
いやいやそもそも俺達は国だ、生きる時間の尺度が違う。
身も蓋も無い、けれど自分を納得させられる理由を見付ける事が出来て、心拍数が上がり掛けていたイギリスの心が少し落ち着いた。
確かに気になる、けどこれ以上の盗み聞きはまずい、早く立ち去らなければ。
そっと後ろ足を引いて、音も無くこの場を後にしようと思ったのに、既に遅かったらしい。
「好きな人がいるんだ」
アメリカの口からその理由とやらが語られた。
予想だにしなかった言葉で足が止まる。
いやいやいや、そんなの常套句だろう。イギリスは足早にその場を後にしようとして……けれど出来なかった。
「叶わない想いだけどね、ずっと前から……好きだったんだ」
(──え……ずっと前から……?)
本当、なのか?相手は誰だ。
そんな話は聞いた事がない。
頭の中が真っ白になる。
二人が去った後も、イギリスは暫くその場から動けずにいた。
そうしてどれくらい時間が経っただろうか。
ふらふらと覚束無い足取りで生徒会室に戻ると、呆れたようなフランスの声がイギリスを出迎えた。
「ちょっと……坊ちゃん、何やってんの」
何と云われても歩いているだけだ。たった今戻って来た所。
ん?何をしに生徒会室を出て行ったんだっけ。
イギリスは半ば放心したままフランスに視線を送った。
フランスの呆れが濃くなる。
「アーサーの水を換えに行ったんじゃなかったのかよ」
「あ……」
思い出したように手の中の金魚鉢へと視線を落とした。
そうだ、自分はこの生徒会室で飼っている金魚の鉢の水を換えに出て行ったんだった。
水の張った鉢で泳ぐアーサーに普段と何処も変わった様子は何もないが、ずっと胸に抱えていた所為で水が温くなってしまったかも知れない。
そんな事を思いながら、それでも未だ鉢を抱えていると、フランスに奪われた。
「アーサーが可哀想だろったく! おーよしよし……っぶ!」
どうするのだろうかと目で追っていると、取り合えずは定位置に戻すらしい。
そんな鉢を持って移動するフランスが不意に声を上げた。
察するに、どうやらアーサーが水面で跳ねて水を掛けたようだ。
「っかわいくねーの!」
フランスの声を矢張り何処か遠くで聴きながら、イギリスは生徒会長席に移動し、座り慣れた柔らかな椅子に腰を降ろした。
机の上に視線を落とす。書類の山が幾つか出来ているのが視界に映る。
ああそうだ、今日はこれをやるんだった。
イギリスは視線でペンを探した。
「……で? どうしたんだ? つか、何してんの」
「……あ?」
「『あ?』じゃないでしょ! 仕事もしないでぼーっとしてたかと思えば、いきなり生徒ファイルなんか漁ってさぁ」
突然のフランスの声に答えようと、どこか朧気だったイギリスの思考が漸く働き始めて来た。
確かに指摘通り、イギリスの手には全校生徒のデータがぎっしりと詰まったファイルがあり、男としてはもう少しゴツさが欲しい細い指先がページを捲っていた。
「……べっ、別に……何でもねぇよ!」
慌てて手を止め、見るなと云うように視線でキッと射る。
しかしフランスは呆れたように片手を腰に当てて肩を竦めるだけで。
「……お前がそんなんなるの、原因なんて一人だけでしょうが。ほら、お兄さんに話してみ?」
「な、なんだよそれ……」
「アメリカがどうしたよ今度は。ん?」
すっかり見透かされている事を悔しく思い、むくむくと反駁心が沸き起こる。
けれど、いっそ誰かに聞いて貰った方が楽になるかも知れない。
「……アメリカが……」
観念して話し始めると、フランスは黙ってイギリスの言葉に耳を傾けてくれているようだった。
「アメリカが、告白されてる所に出くわしたんだ。それであいつ、好きな奴がいるって……」
「……で?」
「だから……」
「探そうってか? おいおい、坊ちゃんはそいつを見付けてどうするつもりよ」
フランスの呆れ声が一層酷くなる。普段ならどんな屁理屈だろうと並べ立てて透かさず反論をする所だが、今は自分でもその行動に理由を付ける事が出来なかった。
「……分かんねぇ、ただ、ずっと好きだったっつーから……俺そんな話聞いたことねぇし、気になって……」
気になって……それで見付けて、どうするってんだ。
イギリスはページを捲る手を完全に止めて俯いた。
* * *
翌日の放課後。今日も昨日に引き続き、誰も居なくなった生徒会室にイギリスとフランスの二人が残っていた。
フランスがイギリスの手にした書類を覗き込んでいる。
「……何これ?」
「うちの諜報に調べさせた、あいつが好きになりそうな奴リストだ」
うへぇ、と漏らしたフランスが名前の羅列を指でなぞる。
「リトアニアに日本、カナダもか…ってスペイン!? そりゃねぇだろ! ……あ? おいこのリスト、大事な奴が抜けてね?」
フランスがによ、と口許を緩めるのに反してイギリスの眉が顰められる。
「ん? 誰だよ」
「いや誰ってそりゃ……」
分かるだろとでも言いたげな深い蒼が、じっとイギリスを見た。
暫し逡巡した後思い至った答えに、イギリスの眉がぴく、と震える。
「あぁ? まさかテメェ……アメリカの好きな奴が自分とか言い出すんじゃねぇだろうな」
念を押すように睨めば、フランスからは自棄糞気味な悲鳴が上がった。
「違う! っでも何でスペインの名前があってお兄さんの名前がないの!」
「バカか、俺とお前の名前なんざ最初っから省いてるに決まってるだろが」
「なんで!?」
「そりゃ相手がテメェなんて俺が絶対に認めねぇからだ」
「いや違くて! 何でお前、自分……」
僅かにフランスの声のトーンが下がる。
言わんとしている事が分かったイギリスは徐に視線を逸らした。
手の中の書類がクシャリと皺を作る。
「……んな事、いちいち聞くなよ……分かり切ってるだろ? アメリカは俺の事、嫌っ──」
いつも心で思っていたとしても、いざ言葉にするとなると声が震えてしまう。
それでも喉から搾り出そうとイギリスが一旦言葉を切るのと同時、突如として生徒会室の扉が勢い良く開け放たれた。
フランスと二人、タイミングを図ったかのように振り返る。
「なんだい君たち、まだ残ってたのかい?」
其処にいたのは、噂をすれば何とやら、アメリカだった。
もう放課後も遅い時間。誰も来ない筈の時間帯で油断していた事も驚いた理由の一つだったが、其れよりも相手がアメリカである事に驚いたイギリスは咄嗟に書類を握り潰し、傍のゴミ箱へと放った。
「なっ、アメリカ……!? バッバカ急に入って来るんじゃねぇよ!」
普段通りを装って声を張り上げれば、アメリカはイギリスなど意に介す様子も無く室内をキョロキョロと窺っていて。
それに苛立たない訳ではなかったが、挙動不審な理由を問い質されなかった事にほっと胸を撫で下ろす。
何を探していたのか、狭くはないがそう広くもない生徒会室内をぐるりと見渡したアメリカが、今度はイギリスとフランスの立つ窓際へと歩いて来た。
「やあフランス、こんな薄暗い部屋で陰気なイギリスと二人で何してたんだい?」
「誰が陰気だ! あと無視すんじゃねぇ! だいたい何しに来たんだお前は……何か用か?」
イギリスが一歩前へ進み出て訊ねると、アメリカはわざとらしい溜め息と共に此方へ向かっていた足を方向転換させる。
「君に用なんてある筈ないじゃないか、俺はこのフカフカのソファでゲームをしに来たんだぞっ!」
「てめっ……帰れ!」
何故アメリカは自分を苛立たせるような事ばかりするのか。
ぼふんっ、と音を立てて革張りの長椅子に跳ねるように座るアメリカに、イギリスは目くじらを立てて駆け寄った。
そんな二人の様子を見て、フランスはこっそりと溜め息を吐く。そして二人の諍いに巻き込まれないようにと距離を取った。
このまま気付いてくれるなよ、そんな気持ちでいつでも逃げられるようにと扉の前まで移動すれば、不意に廊下から足音が響いて。溜め息を漏らすフランスの視界が、遅れてやって来たもう一人を映す。
「はぁ……あ、日本? 日本もまだ残ってたのか」
「はい。窓の外から、イギリスさんとフランスさんが肩を寄せ合って一つの書類を覗いている姿が見えまして……」
言葉尻を濁し、代わりに日本がちらとアメリカへ視線を送った。
其れを見て何となく察したフランスが、片手をひらひらと振って続きは不要と伝える。
「あー……なるほどね。──なぁんで分かんないかねぇ、あの二人」
「好かれている自覚、あるいは自信が無いからではないでしょうか」
「自覚……ねえ、」
未だ口論を続ける二人を、フランスと日本の二人はぼんやりと見守り続けた。
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