米英さんちの家庭事情?
「ただいまー、帰ったんだぞー」
玄関から聴こえて来た声にイギリスは顔を上げる。
ああ、愛しの旦那が帰って来た。
ソファから立ち上がると、何故だか身体がフラつく。
気にせずにフリルの付いたエプロンの裾を摘まんで引っ張り身なりを整えると、イギリスは玄関へ向かって駆けて行った。
自然と緩む頬は、不自然なまでに赤い。
* * *
「おかえりアメリカ。なぁ、飯にする? 風呂にする? それとも俺にするか?」
ドスっ
重い音を立ててアメリカが手に持っていた鞄が落ちるのを介する意識は、今のイギリスにはない。
(ま、俺に決まってるよな)
既に自分は食事も風呂も済ませて後はアメリカを待つだけだったイギリスは、アメリカの事しか考えられなくて。
あと僅かという距離を躊躇いなく縮めると、正面から身体を凭れさせながら逞しい首に腕を回した。
踵を上げて伸びをする。
「──じゃあ風呂をお願いするよ」
あと少しで唇が触れ合う距離まで近付いた所で、しかしアメリカに顔を逸らされてしまう。
イギリスは負けじと首に回した腕でしがみ付いた。
互いの胸が合わさり、肌寒い身体に心地良い熱を伝える。
「なんでだよばかぁ、こんな時は俺だろ!?」
「うっ……君、酒くさッ! 俺があんなに酒は一人で呑むなって言ったのに、呑んだのかい!?」
「臭くねぇよっ、ちゃんと風呂入ったぞ!!」
──お前の為に、なんて。
そんな言葉は流石に口には出来ず、イギリスは腕を回した侭もじもじと身体を揺らした。
「まったく……そうじゃないだろう? はぁ、この酔っ払い」
やれやれと言いたげな溜め息と共に、背中に腕が回される。
しかし次の瞬間、何故かアメリカが悲鳴を上げた。
「君! なんて格好してるのさ!!」
アメリカの大きな掌が、イギリスの剥き出しの背中や尻を這い回る。
背筋をゾクゾクとした何かが込み上げるのを感じながら、イギリスはしがみ付いていた腕を緩めた。
そうして少し身体を離すとアメリカの顔が間近に見えて、イギリスはその端正な顔立ちをじっと見遣る。
「裸エプロンだろばかぁ」
わざわざ言わせるなんてアメリカは意地悪だ。だがそんな所もイイ。
(ああ、アメリカが俺を見てる……)
大きく目を見開いて口をパクパクと開閉させているアメリカの首に、イギリスは改めて腕を巻き直した。
(今度こそ、お帰りのキスを……)
そっと瞼を伏せて踵を上げる。互いの吐息が触れ合った。
なのに、またもやアメリカによって阻まれてしまう。
今度は肩を押されてベリッと音でもしそうな勢いで引き剥がされた。
「馬鹿は君だよ!」
アメリカは「ああもう」とか「君って人は本当に…」と言いながらイギリスから視線を逸らしてしまう。
イギリスは悲しくなった。
ずっとアメリカの帰りを待っていたのに。
夕食の支度を終えた頃に、今日は会議が長引いてしまい残業になると連絡を貰って。
寂しさに負けつい禁止令を出されていた酒は呑んでしまったけれど。
(んなに怒る事ねぇじゃねーか……)
アメリカに喜んで貰おうと、裸エプロンまでして出迎えたというのに。
(全然嬉しそうじゃねえし……)
いつもは輝いて見える筈の、アメリカの左手の薬指に嵌るシルバーリングがくすんで見えた。
イギリスの中で『今夜の俺の奥さんは一段とセクシーだね!』と言ってキラリと前歯を輝かせていたアメリカ像が、音を立ててガラガラと崩壊する。
(……きっと俺のこと嫌いになったんだ……)
そう思ったら我慢出来なくなって、涙が一筋溢れた。
「……イ、イギリス……?」
否、何故我慢する必要がある?悲しくて泣いているのに、気付いて貰わなければ意味が無いではないか。
「うわぁぁぁぁ……」
イギリスは思いのままに声を出して泣いた。アメリカが困っているのが伝わって来たが、もっと困ればいいと思った。
困って困って、他の事など目に入らなくなるくらいに。
ふわり、と浮遊感に襲われる。
(絶対泣き止んでなんかやんねぇ)
イギリスは子供のように泣き続けながら、アメリカの胸板を力の入らない両手で交互に叩いた。
「アメリカのバカバカばかばか……」
不意に、自分の其れより太く節張った指先に目許を拭われて、そろりと目を開ける。
其処には困ったように微笑うアメリカがいて。
場所はいつの間にか、居間に置かれたソファの上へ移動していた。
そう言えば途中で浮遊感を覚えた気がしたけれど、今はアメリカさえ居れば他はどうでも良かったので気が付かなかった。
イギリスは今、ソファに腰を降ろしたアメリカの膝の上に横抱きに乗せられている。
もっとくっ付きたくて、イギリスは背を丸めて広い胸に寄り添った。暖かい。
「で、君はどうして泣いていたんだい?」
アメリカの指がイギリスの濡れた頬を撫でる。
涙はすっかり止まっていた。
「……まだお帰りのキスしてねぇ……」
「はいはい」
ちゅ、と小さなリップ音と共に唇が重ねられる。
「あとは?」
「……さみぃ……」
「そんな格好してるからだぞ」
アメリカは言いながら自分が着ていたボアの付いたジャケットを脱いで、前面だけがフリルのエプロンで覆われたイギリスの剥き出しの背中を包む。
暖かいアメリカの温もりに包まれ、イギリスはほうと細い息を吐いた。
「他には何か?」
「……飯も風呂もダメだ」
「食事もかい?」
不満というよりも驚いているようだった。
(そりゃ、いつもはアメリカに喰って貰いてぇけど……)
今日はダメだ。
喩え自分が張り切って作った夕食にだって、今はアメリカを譲れない。
「……お前、今日は遅かったんだからな。家に帰ってからの時間は全部俺んだばかぁ!」
「はいはい……全く。大英帝国サマともあろう君が寂しかったのかい?」
イギリスの背中をぽふぽふと撫で叩きながら、アメリカが揶揄するように微笑う。
見上げれば、柔和に相好を崩すアメリカの綺麗な青と視線が絡んだ。
イギリスはムッとする。
「今は大英帝国様じゃねえ!」
興味深げに片眉を上げて首を傾げて見せるアメリカの鼻先へ、人差し指を突き付けながら、イギリスは声高らかに宣言した。
「俺はお前の、奥様だ!!」
「へぇ……じゃあ俺は、君の旦那様になるのかな」
アメリカの問いに「当たり前だろばかぁ」と答える代わりに、イギリスは再びその胸に顔を埋めて額を擦り付けながら頷いた。
「──その奥様は、俺から食事も風呂も取り上げて一体何をしてくれるんだい……?」
既に答えは分かっている、そんな艶を含ませた声音で耳朶を食まれたイギリスは、「ン…」と小さく啼いてから身体を起こした。
そして掠め取るようにアメリカの唇を奪うと、確信的な笑みを浮かべるアメリカさえも面喰らうような台詞で宣言する。
「子作り!!」
「……オーケイ。明日になってから『覚えてない』は聞かないからね」
「当たり前だ。……しっかり孕ませろよ?」
「……その後も君は『もっと奥まで出せよばかぁ』とかそれはそれは凄い台詞を──」
「うそ……だろ……?」
イギリスは少し動くだけでも痛む全身……特に下半身の痛みを堪えて一糸纏わぬ躯を丸め、頭からシーツを被ってワナワナと震えていた。
対するアメリカは、一晩経って更に固く、不味くなった夕食をブランチにしながら目の前で「死にたい、死にたい…」と繰り返すシーツお化けに追い討ちを掛けるべく口を開く。
「……ところで、君の中で俺達って夫婦だったんだね?」
実に愉しげな声が耳に届いたイギリスは、瞬間湯沸かし器のように身体が熱くなるのを感じた。
アメリカの左手の薬指で輝いているシルバーとお揃いの指輪は、いつもならばチェーンを通して首から下げて服の中だが、昨夜寝ている隙に付け替えられて、今はイギリスもアメリカと同じ左手の薬指。
キラキラと、輝いて見えた。
「ッッ!! う、うるせえ! 酔っ払いの戯言だバカ!!」
昨日は折角二人でオフを合わせてイギリスがやって来たというのに、アメリカに急な仕事が入ってしまって。
そしてイギリスがせめて食事だけでも楽しくと張り切って準備をすれば、全てセッティングし終えた後に残業報告。
腹が立って酒を呑んで。
ぼんやりと見ていたテレビが、日本の「11/22、いい夫婦」という語呂合わせに因んだイベントにあやかった特集をやっていた。
俺とアメリカは付き合ってはいるけれど男同士だし結婚は出来ないよな、てか国だし!などと思いながら次々と酒瓶を空にして。
そして何かのインタビューに答えていた男が『夫婦円満の秘訣は子供だ』女が『子供が産まれてから帰りを待っているのが寂しくない』と言っていたのを聴いた辺りから記憶がない。
「ふ……ふん。お前なんか、どうせ……か、家庭よりも仕事が大事なんだろ」
俺よりも≠ネんてこっぱずかしくて言えず、「君の方が大事」なんて言われても其れはそれで反応に困るので、イギリスは夫婦ごっこにでも興ずるように茶化しながら昨夜の事を詰った。
ギシ、とベッドのスプリングが重たげに軋む。
イギリスの動きがピタリと止まった。
どうやらアメリカは食事を摂り終えたらしい。
「……上司にね、残業してでも昨日中に終わらせたら休みを伸ばしてくれるって言われてさ。君は明日から仕事だから帰るだろ? 一緒に付いて行くよ。今度は俺が奥さんをしてあげる」
ふに、とこめかみの辺りへシーツの上から唇を押し当てられる感触に、イギリスは直接熱を感じたくて被っていたシーツを剥いだ。
「俺は亭主関白だからな」
「君が? 冗談だろ。俺にデレデレの甘々のクセに……」
ゆっくりと、今度は直接触れ合う唇に、イギリスはアメリカの首へ腕を回し、アメリカはその躯をそっと押し倒した。
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