君がいる明日 - main
モソハソ@


「もうやれる事もやり尽くしたんだぞ……」
 Booと唇を尖らせた不満に返る言葉はない。
 アルフレッドは手にしていた携帯ゲーム機を枕に投げた。
 ベッドの上に仰向けになり、天井を見上げながら大きく一呼吸。ごろごろと転がって腹這いに体勢を変え、見やった先の小さな画面の中には、キャラクターメイクから全身を纏う装備まで手塩にかけて育てたアルフレッドの分身がいる。
 やり尽くした、と言うには少し語弊があった。
 アルフレッドがこのゲームを始めたのは、同じ大学に通う友人の菊に誘われたつい最近の事だ。うっかりはまって睡眠時間を削りに削り、設定上一番強いとされるモンスターも既に討伐済みだが、やれる事はそれで終わりではない。
 例えば菊は今、ゲーム内の様々な功績によって手に入る勲章集めに夢中になっている。
「あと残りひとつなんですよ」
 と目の下に隈を作って嬉しそうに笑いながら言った彼の、それが最後に見た顔だった。
 残りひとつの勲章というのが、ひとりでプレイする時にしか連れていけない猫型オトモのレベルを十匹分最大まで上げると入手出来るものだからだ。ひとりプレイの時に連れて行けるオトモ、つまりアルフレッドとプレイしていては手に入らない勲章。よって、それまでどんな困難も強いモンスターも共に戦い駆逐してきた戦友兼師匠に、アルフレッドは現在放置されていた。
 対してアルフレッドは、勲章にそれほど固執していない。ないよりあった方がいいとは思うが、その為にひとりでやるより、誰かと遊んでいた方が楽しかった。
 最後に菊と共に狩りへ行った日を思い出す。出現モンスターの最大サイズと最小サイズの出現をコンプリートするのに付き合わされた日々。同じモンスターと連続五十回目の戦闘を終えて尚ミッションコンプリート出来ず弱音を吐いたアルフレッドに、自称どこにでもいるしがないゲーマーの友人は言った。
「最低百匹は倒す気でいてください! あなた本当にハンターですか!?」
 放置されている不満を伝えるには、さながら鬼神の如き迫力で熱弁を奮う友人を説得しなければいけない。
 どうやって。
 瞬きひとつで諦めたアルフレッドの目は、とても遠くを見ていた。
 ──チリン。
 枕の上にある携帯ゲーム機から、ベルの音が鳴る。
 ちらりと画面に視線を戻せば、誰かがアルフレッドの作ったネットワークルーム……集会所に入って来たところだった。
 ただ誰かと遊べたらいいという目的だけならば、オンラインに行けば幾らでも手軽に果たせる。
 顔も名前も見えない、知らない、偽れる相手。広い広い無法地帯には色々な人がいる、当然問題が起こる場合もある訳で。
 例えば、入室と同時に挨拶もなしにアイテムを強請られたり。
『てつだってくれないか』
 ……こんな風に、助力を乞われたり。
 ずれた眼鏡を直して、携帯ゲーム機を両手に持ち直した。
 画面は、四人がけの大きな丸いテーブルや狩りに行くクエストを受注するた為のカウンター、受注したクエストが張り出される掲示板、アイテム販売所など集会所の代わり映えしない景色の中に、新しくひとりの男性キャラクターの姿を映していた。下の画面に表示される簡易的なプロフィールを見る。
 ハンターランク1、武器は最初からしている初期の弓、名前はアーサー。
 オンラインで相手を募集する時は、四人まで入れる部屋に目標のターゲットを設定する事が出来る。そうすれば同じモンスターを狩りたい同士、あるいはアイテムを集めたい同士がスムーズに出逢えるという訳だ。
 アルフレッドはこの部屋にターゲットを設定しなかった。それは、交流を楽しみたい気持ちあってのものだったのだが……。
 時計を見る。時刻は夜の十一時。寝るにはまだ早く、明確な目的もないアルフレッドは自分から進んで部屋を探そうという気持ちは起きなかった。
 断ったところで、他に何をする訳でもない。
 アーサーは入室した時のまま、部屋の入り口で立ち止まっていた。
 アルフレッドが遭遇した中で一番印象深く……悪い意味で記憶に残っているのは、同じように入室と同時に手伝って欲しいと言った後、すぐにクエストを受注して「これ受けて」と言った相手だ。アルフレッドは目を細めて微笑み、そしてゲーム機の蓋を優しく撫でるようにそっと閉じた。これを師匠直伝の「そっ閉じ」という。蓋を閉じる事でオンラインとの通信が断絶され、次に開けた時にはまるで全てが夢であったかのように誰もいなくなり、まっさらな状態になる。
 師匠こと菊が初めてこのそっ閉じをしたのは、ファーストフード店のオンラインスポットで一緒にプレイしていた時の事だ。友人の行為に、アルフレッドは眉をひそめた。困っている人がいれば助けてあげるのが上級者の努めであり、オンラインの楽しみ方のひとつであると思っていたからだ。何より、極度のゲーマーであるが温厚な菊がまさかそんな側面を持っていたなんて。いくら素性が隠せるオンラインだからって、なにもそんなヒールの仮面を被る事はないじゃないかと。当時は信じられなかった。過去形である。
 アルフレッドからの返事を待っているのか、黙って突っ立ったままでいるアーサー。
 挨拶もなく要求だけするのはマナー違反にあたるが、アルフレッドは元々マナーに煩い方ではない。
 楽しければそれでいい。
『だめならいい』
 アーサーが言った。
 遠慮なのか、せっかちなのか、白黒付けなきゃ気が済まないのか。何も知らない初々しい初心者の可能性もある。こんな短い言葉で相手のことが分かる筈もない。
 アルフレッドはタッチペンを手に取ると、小さなゲーム画面に表示されるチャットの文字列を軽やかにつついた。
『いいぞ!』
 もし一緒にやっていて楽しくない相手だったら、一度の狩りで終わればいい。ギルドカードを送ると、ややして相手からも送られてきた。
 ギルドカードは、このゲームの中で何をしたのかおおよそのことが書いてある名刺代わりかつやり込み度合いの記録帳みたいなものだ。
 好きなクエストを貼ってくれたら手伝うよと告げれば、何をすればいいのかよく分からないと言うアーサーに、彼のギルドカードを開く。集会所のクエストクリア数、ゼロ。アルフレッドは相手の代わりにカウンターまで走った。
『キークエでいいよね』
『まかせる』
 キークエストは、次のランクに上がる為こなさなければいけない必須クエストの事だ。誰かが受けたクエストは掲示板に貼り出されて同じ部屋にいるメンバーが受けられるようになる。どこかたどたどしい動きでアーサーが準備を終えるのを待って、クエストへ出発した。
『さあ、一狩り行こうか!』



 指定されたモンスターを討伐し、村に戻るまであと一分と表示された後の時間は絶対に死なない自由時間だ。
 アルフレッドはアーサーの傍まで駆け寄ると、倒した大型モンスター死体と重なるようにしゃがんで隠れながら、素材を剥いでる足下まで近づいた。
 タイミングを見計らい、足下に小樽爆弾を設置してから素早く離れる。丁度モンスターの大きな胴体に隠れる位置に設置したその小型アイテム──設置と同時に導火線に火が付いて、一定時間経つと勝手に爆発する爆弾に、たぶんアーサーは気づいてない。
 爆破のタイミングは絶妙だった。剥ぎ取りを終えたアーサーのキャラクターが、悲鳴を上げて吹っ飛ぶ。
 普段は敵味方問わずダメージを与える爆弾も、今は決して死ぬ事はない。つまりこれは、ただのお遊びだ。
 落下地点と思しき傍で待機していたアルフレッドは、目算で当たりをつけた位置まで走り込むと大剣を構えて切り上げ準備、そしてすかさずホームランをした。
 地面に転がり伏したアーサーの身体が、再び空高く舞い上がる。
 その時、画面下のチャットに表示されたのは、今まさに宙を舞っているアーサーの文字色だった。
『グッジョブ』
 え。何この人おもしろい。アルフレッドの中でアーサーに対する好感度がぐっと上がる。
 吹っ飛ばされて嬉しいの? ご褒美なの?
 聞きたいのに今は聞けないのがもどかしい。
 アルフレッドは再びアーサーの傍へ駆け寄ると、彼を取り囲むように沢山のタルを置いた。



『てめえ!!!!』
 短い一分が終わって集会所に戻るなり、アーサーが言った。
『なにしやがる!!!!』
 目を滑る口汚いスラングの羅列。その殆どが規制に引っかかって記号に置き換わり、言葉になっていない。どうやらかなり怒り心頭のご様子らしい。
 オンラインで知らない相手とやるのに不都合を覚える事、その最たる理由は意志疎通のしにくさだ。
 タッチパネルに羅列する文字をひとつひとつ触れて言葉をなぞる。
『グッジョブって言ってたじゃないか』
『選択ミスだ!!!!!!』
 思わず漏れた不満には、すかさず訂正が入った。
 クエストの最中は、チャットで好きな言葉を発言することが出来ず、あらかじめ用意してある十二個の定型文の中から選ぶことしか出来ない。初期設定にある十二個では、怒りを現せるようなものはなかった。腹立ち紛れに指を滑らせたのがよりにもよって『グッジョブ』とは。
 楽しい気持ちが面倒臭さに負けて、ごめんと謝った。
 話題を変えようと、今持っている素材で装備を作る事を勧めた。足りなかったら、必要な素材を狩りに行こうと。
『わかった』
 素直にそう告げるアーサーが、集会所を出て行く。加工屋に向かったんだろう。
 待っている間に、さっき交換したアーサーのギルドカードを見た。ページをめくり、全ての情報にざっと目を通す。
 クエストのクリア回数は少ないけれどプレイ時間は妙に長い。色々と手探り状態なんだろうか。フレンド登録した相手と狩りに行くと溜まる友好度はゼロ、どうやら友人と一緒にやっている訳ではないらしい。
 各種武器の使用回数を見る。アーサーの使用頻度で一番多いのは弓だった。他の武器は、綺麗に一ずつで並んでいる。
 もしかして、と不意に過ぎるのは、武器の練習用として用意されたクエストの存在。一番レベルの低いランクに位置する、クリアしなくてもいいクエスト。それを生真面目にもひとつひとつこなしてしている姿を思うと、なんとなく好感が持てた。
「──よしっ」
 アルフレッドはベッドに横たわっていた身体を起こすと、ゲーム機を持ってパソコンデスクへ移動しインターネットを立ち上げた。攻略サイトを開いて、弓使いのオススメ装備を調べる。カチカチと何度かマウスのクリック音を響かせて、幾つものウインドウを開いたままゲーム機をたぐり寄せた。
『アーサー』
 なかなか戻って来ない彼に向かって、チャットで呼びかける。
『もし分からなかったら、オススメがあるけど』
『たすかる』
『じゃあまず――』



 今度は遊ばず、先輩ハンターとしてかっこいいところを見せてやろう。そう思ったアルフレッドは戦闘終わりの残り一分、今度は周囲の雑魚を切る事に専念した。モンスターの素材を剥いだり、辺りで採取するだろうアーサーの邪魔をさせないように。
 けれどそのアーサーがモンスターの素材も剥がさずに一目散に駆けてきた。なんだ? 疑問が確信に変わる前にアルフレッドの前でぴたりと止まると、小さく片足の爪先を突き出して。キック。一応敵へのダメージ判定はあるがごく僅かで、主に気絶状態になった仲間を起こしたり、こうして戯れに意味なく繰り出したりも出来るそのアクションには、味方をよろけさせる効果がある。通常は。
 アルフレッドのキャラクターは、よろける動作を軽く通り越して宙に舞い上がった。
 ふわりと身体が浮かび、ごろごろとボールのように地面を転がっていく。
 蹴脚術、だ。食事に付加出来るスキル。キックの威力が上がる、それ以外に何もない、通常であれば全く使わないそれは、明らかにこの為だけに選んだんだろう。
『ざまあ!!!!!!!』
 チャットに表示されるアーサーの文字色。さっきは初期設定の定型文しか喋らなかった人がどうしたの。もしかして定型文を作って来たの? 長い間戻って来ないと思ったら。
 やっぱり、この人おもしろい。
 アルフレッドはおもむろに定型文の一覧を開くと、迷わずひとつの言葉を選択した。
『グッジョブ!』



『くそ!!!!!』
 戦闘画面が終了し、集会所に戻るとアーサーがえらく憤慨した様子でチャットに罵詈雑言を書き連ねた。
 相変わらず規制だらけで『***』ばかりが並んでいる事は彼も気がついているだろうに。
 自分の操作キャラクターが地に落ちても、アルフレッドの口元はずっと笑みが浮かんでいた。
 完全に先のアルフレッドへの仕返しをするつもりだったんだろう。すぐに走り寄って来たアーサーは、ふんっと気張る掛け声と共に大きな樽型の爆弾を設置して。けれどアーサーが次の行動よ移るより早く起き上がったアルフレッドは、自身の蹴りで起爆して。
 アーサーごと吹っ飛ばした。
 再び地面に転がる自分のキャラクター。自爆だ。
 楽しい。アルフレッドはアイテム欄を開いて素早くスクロールする。何か遊べる物は持っていなかったか、早くしないと一分が終わってしまう。
 負けじと再び駆けてくるアーサーに向かい、大型モンスターを捕獲する為の玉を選択して何度も投げた。
 アーサーは狩りから戻った立ち位置のまま暫く規制もものともせずに喚いていたが、アイテムボックスの前に立って消費した分を補充しているアルフレッドに向かって駆けてきた。
『次は勝つからな!!!!!』
 ねえ君は一体なにと戦ってるの?
 笑いながら訊ねたかった問いは、その文字列を打ち込むもどかしさに急いて胸の内に閉じ込めた。
 そんな、当たり前にまた一緒に狩りへ行くつもりでいるところが、何でか嬉しく思う。



 それから六時間くらいだろうか、時々チャットで会話を挟みつつ、装備を作り終えてからもクエストをこなしていると、徐々にアーサーの動きが鈍くなって来た。
 鈍くというか、可笑しくというか。
 具体例を挙げると、さっきのクエストでは後半ひたすら岩に向かって突き進んでいた。障害物をすり抜けたりは出来ないから、その場で顔を岩にめりこませながら足踏みをしていた状態になる。
『眠い? ここまでにしようか』
 集会所に戻って開口一番、アルフレッドは言った。
 横目で見た窓の外は遠くの方が薄明るく、時計の針はすっかり人並みの就寝時刻を回ってしまっている。
 暫しの後、アーサーから返って来たのは『わかった』の一言。その間の沈黙は、眠いからなのかこの時間を惜しんでいるからなのか。
「…………」
 アルフレッドは人差し指の背を顎に当てて小さな画面を見詰めながら考えると、少し緊張する手でタッチペンを持ち直した。
『明日は暇?』
 答えを待たずに、続けて文字を打つ。
『続きやる?』
『やる』
 アーサーからの返事はすぐだった。今日の会話の中で一番早い。
『いいのか』
 続けて聞かれる、遠慮がちな質問。
 暇だからね、それとも、困ってる人を助けるのは当然さ、どう返そうか思案して、結局それには答えなかった。
『何時にする?』
『十時には、たぶん』
『りょーかい』
『少し遅れるかもしれない。ちゃんと来るから』
『待ってるよ。パスは0704ね』
『わかった』
 簡潔な会話は、打ちにくい文字のもどかしさと、アーサーの眠気に配慮してのことだった。たとえば隣にいたら、通話していたら、こんなもどかしさはないのに。
『おやすみ』
『おやすみ』
 アーサーが退室するのを見送って、アルフレッドもオンラインを切った。



 聞けばアーサーは、人に勧められてこのゲームを始めたらしい。最初はひとりでやっていたが先に進めなくなり、勧められた人に相談したところ友人とやればいいと言われたが友人は誰もやってなくて……オンラインに乗り込んで初めての部屋が、アルフレッドの部屋だったらしい。
 ターゲットも何も指定していない部屋はあれからも何人か入って来たりはしたけれど、すぐに出て行っての繰り返しでずっと二人で狩っていた。
 翌日は大学を終えてから急いで家に帰り、オンラインの部屋を作ってアーサーを待つ間、菊から弓の事をいろいろ聞いた。今日は他にも、回復アイテムに広域の効果をつけてアーサーの体力も同時に回復出来るスキルが発動する装備を作ったり、アルフレッドは忙しなく充実した一日を過ごした。
 昨日やる事が尽きたと思っていたのが嘘みたいだ。
 やっぱり、目標のある狩りは楽しい。誰かと一緒にゲームをするのは楽しい。
 時計の針が十時を回って、十時半。十時四十五分。
 もしかして……来ないんじゃ、なんて。良くない考えが過ぎり始めた所で、チリンとベルの音と共にアーサーが入って来た。
『わるい、おくれた』
 アルフレッドの心がふわりと浮き足立つ。
 遅いよ、待ちくたびれたんだぞ。そんな軽口を叩こうとして、半分ほど打った所で全部消した。
『大丈夫、今きたとこだよ』
 なにせ相手は顔が見えない。冗談が通じる性格かも分からなくて、だから。
 誰に向けた訳でもない言い訳を脳裏に並べ立てていると、アーサーからの返事が来た。
『ありがとう』
 ふんわりと、一層気持ちが暖かくなる。 
 たまにはこういうのも、悪くないかもしれない。
『じゃあ行こうか。今夜もよろしく!』
『覚悟しろよ!』



 ひとつ、ふたつと順調にクエストをこなして、アルフレッドは今日も朝まで、アーサーが眠くなるまでやるつもりだった。その為の仮眠はばっちり取ってきたし、今夜の目標はキーとなるクエストをこなして、アーサーを下位から上位に上げる事。時間があればその後、新しい装備も作ろう。何がいいかは事前に調べてある。あとはアーサーの好みを聞いてスキルをすり合わせて……そう思っていた。
 けれど肝心のアーサーが、五回ほど狩りに出たところで、今日はそろそろと言い出して。
「えっ……」
 思わずリアルの方で出た声は、隠しようもない名残惜しさが滲んでいた。時刻は深夜十二時を少し回ったところ。昨日に比べたらまだ全然早い時間だ。ああけれど、昨日遅くまで起きていたから、仮眠を取ってきた自分と違って眠いのかもしれない。
 それとも、さっきの狩りでアーサーが三回死んでクエストが失敗になって戻って来た事を気にしてるんだろうか。だとしたら、そんな事は気にしなくていいからまだ遊びたい。
『眠い?』
 言葉選びに迷いながら、無難な質問を投げかける。
 返事は、ややしてから否定が返った。
『眠気は大丈夫だ』
『三落ちなら気にすることないぞ、次は勝てるさ!』
『いや・・・その』
『ん?』
『はちみつが・・・』
『なくなったの?』
『ん・・・』
 はちみつは、体力が回復する薬を調合でグレードアップする為に必要な素材だ。これがまた結構な量を消費してしまう。オンラインでプレイする集会所の他にある、ひとり用のクエストを進めていくとそのうち簡単に集められるようになるけれど。アーサーの段階じゃあまだ、狩りに行く度にひとつひとつ採取して持って帰って来るしかない。
 アーサーのギルドカードを見る。昨日アルフレッドと別れてから、今夜再び狩りに出るまでどこへも行ってないようだった。続けざまの狩りに、持っていた分を全部使ってしまったんだろう。思い返してみれば、さっきの狩りでのアーサーは、大ダメージを負っても回復量の少ない薬で少しずつ回復していたような気がする。アルフレッドも広域効果で回復を手伝っていたから気づかなかった。
 もしかしたら、さっきから既に無かったのかもしれない。それで余計に三回死んでしまって気に病んだのか。
 組み立てた予想は、恐らくそう遠く外れたものではないだろう。
『せっかく来てくれたのに、わるい』
 アーサーが続ける。アルフレッドはタッチペンを手に取り、チャット画面を開いた。
『あげるよ』
『・・・いいのか?』
『たくさんあるから、気にしないで』
 我ながら背中がむず痒くなる言葉だと思わないでもない。
『借りは返す、ありがとう』
『一緒に遊んでくれたらそれでいいよ』
 これでアーサーがもし女の子だったら、出会い厨と認定されても可笑しくないだろう。
 ゲームの中で女の子と知り合って仲良くなって、リアルの世界でもお付き合いをと妄想の実現に日々励む層。アルフレッドは、アーサーが女の子のキャラクターを使っていなくて良かったと思った。
 出会い厨なんかじゃない。ただ本当に、アーサーともっと遊びたいと思っただけで。
 結局その日も朝方まで狩りをして、アーサーの動きがふらふらになってから次の日の約束をして別れた。指定された時間は十一時。遅刻したこと気にしてる? 文字を打ち終わる前に『おやすみ』と言ってオフラインになってしまったアーサーに、聞くことは出来なかった。
 待つのは苦じゃない、部屋を作って待ってるから、来れる時間になったらいつでも来ていいよと、告げる事は叶わなかったもどかしさを胸にその日は寝た。



「それはそれは。ずいぶんと気に入ってるんですね」
「……まあね」
 翌日、学校帰りに菊とハンバーガーが美味しいファーストフード店に寄ってアーサーの話をしながら弓のレクチャーを受けていた。
 菊のゲーム画面を覗き込みながら、操作のコツや上手い狩りの仕方を聞く。必要な時、アーサーにアドバイス出来るようにと思っての事だった。
「アルフレッドさんが誰かの面倒を見たがるなんて、珍しいですね」
「俺もそう思うんだけどさ、何も知らない人にいろいろ教えるのが楽しいのかも」
「その方、アーサーさんだから、ではなく?」
「もう! 変な言い方するのはやめてくれよ!」
「失礼しました、では自分色に染め上げるのがイイという事で」
「面白がってるだろ、君」
「恐れ入りますすみません」
 抱えた頭をぐしゃぐしゃに掻き回すと、菊がくすくす笑った。
 分かってるさ、自分でも柄じゃない事ぐらい。
 普段ならば、何も知らない、レベル差も知識も開きすぎた相手と一緒にゲームをする事は自分のやりたい事が出来ないから避けている。菊が懇切丁寧に説明するのを横で見ながら、物好きなものだと関心半分、早くゲームしたい半分の気持ちでいた。
 アーサーと一緒にいて何が楽しいかと言えば、たぶん、丁度やる事がなくなって一緒に遊んでくれる菊は引き籠もって、ひとりきりで手が空いていて。タイミングが良かったんだと思う。オンラインで知らない誰かと適当にやろうとしても、アルフレッドと気の合う相手と巡り会える可能性は経験上かなり低い。そんな中を楽しめるメンバーを探して渡り歩くより、アーサーと一緒にやった方が楽しかった。
 それに、アーサーは下手くそだけど生真面目で、真剣に取り組むところがあって、すぐに興奮して乱暴な言葉を吐く割にアルフレッドがアドバイスすれば素直に受け取るところに不思議な好感を持っていた。
 一緒に遊びたい理由なんて、それだけあれば充分だろう。
 その夜、結局十時から待っていたアルフレッドの部屋に、アーサーは十一時きっかりに訪れた。そうして挨拶の前にアルフレッドに走り寄ると、そっと手を差し出して。光を放つ握り拳とピコンピコンと鳴る音は、アイテムを差し出している合図。
 何かと思って受け取れば、はちみつだった。
『はちみつ?』
『返す、昨日の』
 アーサーのギルドカードを見ると、採取クエストに出かけた履歴があった。もしかして、十一時になるまではちみつを取りに行っていたのかもしれない。
 はちみつなんていくらでも渡すから早く遊びたかった気持ちと、この他人に甘えきらない真面目さが妙にくすぐったい気持ちが拮抗して、胸の中がむず痒い。
 どうせまた足りなくなるのにと胸の内でだけ呟いて、『ありがとう』を返したアルフレッドに、アーサーはなんだか得意げな様子だった。



 アーサーとゲームで待ち合わせられるのはいつも夜の十時や十一時からで、曜日は関係ないみたいだった。
 チャットで雑談していた時、『仕事が』とぼやいていた所を見るに、社会人なんだろう。休みはないんだろうか、一日出来る日があるなら、予定を空けるのに。
 歳は上だろうか、下だろうか。オンラインでの言葉だから、仕事というのも嘘かもしれないけど。
 これまで一期一会で知り合った誰の言葉も話半分で聞き流して来たアルフレッドだが、アーサーが自分に言った言葉には嘘がなければいいと、そんな仲でありたいと、そう思った。
 菊から受ける弓のレクチャーもそのうち見ているだけでは飽き足りず、もう一人新しいキャラクターを作ってしまった。名前はマシュー。
 なんで新規キャラを用意したかと言うと、アルフレッドの弓の使用回数は現在ゼロ回で、アーサーに弓の練習をしている事を知られたくなかったからだ。アーサーがアルフレッドのギルドカードを見ているかは分からないが、アルフレッドは見ているのだから、アーサーが見ていないとも限らない。弓を使えるようになりたい訳じゃない。ただ自分で使えば相手にどう動いて欲しいか分かってくるようになるし、お互いもっと息の合ったプレイが出来るようになると思った。
 時々はマシューを使ってオンラインにも出かけて、やる事の尽きない日々。
 そうして少しずつアーサーとも打ち解けて、お互い軽口も冗談も言い合えるようになってきたある日の夜のことだ。
 約束していた十時きっかりに部屋に入ってきたアーサー。その装備が、アルフレッドの見た事がないものだった。
 普通なら、これがアーサー以外の、例えば菊が相手なら何とも思わなかった。けれど今までアーサーが自分で装備を作った事なんてなくて、彼の装備はアルフレッドが調べた情報を元に二人で素材を集めて作っていた。勿論、そうしなければいけない約束をしていた訳ではない。
 アーサーもネットで自分で調べるようになったのかもしれない。そう言えばこの前、『君は本当に何も知らないな』なんて言ってしまった記憶がある。あれはアーサーを責めた訳じゃなくて、教えている自分に胸を張ったと言った方が正しい。けれどその後のアーサーは、少し気にしている風だった。
 失言を上手くフォロー出来たら良かったけれど、タイミングを逃してしまった後は言いにくくて。今まで気を張っていたが、アルフレッドは従来あまり素直ではない。
 何よりアルフレッドの口を固くさせたのは、アーサーが身につけている装備を作るのに必要な素材を持っているモンスターは、昨夜初めて挑んでアーサーが三落ちしたから倒せなかったモンスターだった。
 流れる動作で既に手癖になっているアーサーのギルドカードを見る。そこには、アルフレッド以外のプレイヤーと狩りをした記録が残されていた。
『防御力あげてきた』
 何も言わないアルフレッドに、アーサーが言う。『これで死ななくなった』なんて。
『アル?いないのか?』
 ガシャンガシャン、ゲーム機から聞こえるのは昨日までとは違うアーサーの足音。直立したまま動かないアルフレッドの傍までやってくると、くつろぐアクションで隣に座り込んだ。



「──昼間から出来るって言ってくれたら俺だって早く帰って来たのに、ひどいんだぞ!」
 机に叩きつけるように置いたシェイクの紙カップが、かこんと音を立てる。
「仕方ありません、その方はCPUでも、画面を開けば会えるあなただけの恋人ではありませんから」
 菊が目を細めて笑みを浮かべるので、アルフレッドは気まずさに視線を逸らしながら背中を丸めて机に載せたままのシェイクを啜った。甘い甘いバニラ味も、今は幸福な気持ちに導いてはくれない。
「その後は? まさかそのまま寝た振りを?」
「まさか! そんな子供じゃないぞ」
 アーサーに二度目の名前を呼ばれた時、アルフレッドは返事をした。飲み物を取りに席を外していたと謝罪して、『装備、これで良かったか?』と聞くアーサーに『そうだね』と返した。
 聞けばアーサーが所持しているランダム性能の装飾品と上手い具合に組み合わせられていて、守りに特化したスキルは死なない事に重点を置かれているようだった。
 良い人もそうじゃない人も押しては引く波のように数多いるネット世界で、一体どんな偶然を引き当ててそのような面倒見の良すぎる相手と出会ったのかと思えば。
「……アーサー、リアル集会所に行ったんだってさ」
「おや」
 空になったカップを再び手に取って、ずずず、とストローで中身を吸い上げる。ほとんど空気しか出て来なくて、手持ちぶさたにストローの先を噛んだ。
 リアル集会所は、インターネットで遠くの人と繋がるオンライン集会所と違い、その名の通りリアルで出会う事が出来るカフェの通り名だ。
 アーサーの少ない言葉からでも、場所はアルフレッドの家から電車で三十分、ここからなら二十分もかからないだろう大型店舗だと特定できてしまった。さり気なく自分もリアル集会所に行った事があると言ってみたが、随分と歯切れの悪いアーサーにスルーされてしまって終了。
 近くにいる筈なのに、毎日遊んでいるのに。アルフレッドとは夜しか遊べないらしい。その後、アーサーがリアル集会所の話題に言葉を返してくれる事はなかった。
「リアルで会えるなら……せめて通話出来るなら、絶対俺の方がもっといい装備を組み合わせられたぞ!」
 アーサーの事は、動作のクセから好んで行う戦闘スタイルまで誰よりアルフレッドが知っているのに。
 アルフレッドがもどかしく思いながら毎晩のように逢瀬を重ねて少しずつ距離を縮めていた中、一足跳びに段階をすっ飛ばした奴がいる。こちらは通話でさえ、無料のネット通話ツールを提案した時に隣の部屋に兄弟がいるからと断られたと言うのに。
 そう思うとどうしても我慢がならなくて、ストレートに聞いてみた。『待ち合わせて一緒に遊んでみる?』望ましい答えが得られていたら、今頃こんなところでシェイクのカップを握り潰してなんかいない。
「アーサーって実は女の子じゃないのかな。相手に下心があったんじゃないの」
「それはゲームと妄想のしすぎです」
「だってさ、そこまでするなんてあり得ないよ」
「私は相手によってはしますが……、アルフレッドさんも初対面の時から世話を焼いていたのでしょう? 相手にそうさせる魅力のある方なのでは?」
「まさか! あの人すごい短気だし拗ねるし弱いのに負けず嫌いだし口が悪いし、そりゃあアドバイスすると一生懸命実践しようとしたり、普段とのギャップでたまに素直だと可愛いと思う時もあるけど、初対面で気が合うとか気に入るとかは絶対にない! 断言するぞ!」
「……などと言って初対面から毎日遊んでいるアルフレッドさんが言っても全く説得力を感じませんが……。では、オンラインだと強気になれても現実世界はシャイで口下手な方ならどうです? それならアルフレッドさんとお会いになろうとしないのもギャップを気にしての事と思えますが」
 首を傾げた菊の話に、アルフレッドは手を打って答えた。
「それだ! よーし! そうと分かれば……」
 アーサーが何を気にしているのか知らないが、三次元で直接遊ぶ事が嫌ではない事は言質が取れている。ネットからリアルに移行する事に抵抗があるなら、先にリアルでも知り合ってしまえばいい。
 勢いよく立ち上がると、背後で椅子が倒れた。
「アルフレッドさん?」
「菊! 俺ちょっと行ってくるよ!」
 そうだ、そうしよう。偶然を装って。幸いにも、アルフレッドにはマシューというそこそこまで育てているサブキャラクターがいた。
 行こう。リアル集会所へ。
 わくわくと脳裏を駆け巡る妄想と共に走る軽やかな歩調。二次元に毒されすぎですリアルはラノベじゃありませんと苦言を呈してくれる友人は置いて来てしまった。



 リアル集会所は、以前何度か臨時バイトで入った事がある。
 凝った内装と料理の数々、珍しいサービスや催し物が自慢の全国最大級の店。そこで多人数参加型の大きなイベントを催す時、店長につてがあった菊の紹介でアルフレッドも入れて貰ったのだ。スタッフとして働く傍ら、来てくれたお客さんのお手伝いで狩りをする。給料は少ないけれど最高のバイトだった。
 そこに、アーサーがいる。
 アルフレッドがアーサーのことを考えている時も、手取り足取り教わっていたのか。面白くない。
 大体にして、アルフレッドは文字でちまちまと会話するなんて好きではなかった。
 絶対に見つけだして、仲良くなってやる。
 このただならぬやる気が一体どこから沸いて来るのか、アルフレッドは知らない振りをした。



 店内に入ると、平日の夕方だからか空いていた。これが休日ともなると、溢れる人でごった返してしまう。
 まずはカウンターで受付の手続きを。登録していた会員カードを持って来ていない事もあって、新しく作り直した。いや、持っていても使わなかっただろう。登録名前は「マシュー」新規登録料が勿体ない? 知らないよ。
 暫く待って渡されたのは、ポイント制の真新しい会員カードと赤銅色の名札。会員カードは財布に入れて、クリップ付きの名札を胸につける。
 名札には名前と主に使用する武器のイラストが記されていて、ハンターランクのグレードが名札の色で分けられている。「アルフレッド」なら最上級のグレードを貰えただろうけど、「マシュー」はまだまだ、紙、木、銅と下から三つ目グレードだった。プライドを擽られる気持ちが沸く反面、弓の練習用に作ったキャラクターだから、不慣れな武器でグレードだけ高いというのも格好が付かなく丁度いい。
 店内を見渡しながら、アーサーの名前を探し歩く。
 ゲーム内の集会所を意識した濃い茶の木を使った内装は視覚的にも楽しい。BGMはゲーム内で使用されている局をアレンジしたもので、通路に飾られているモンスターの人形の前を通過するとそのモンスターの鳴き声が鳴った。丸太のような椅子は、けれど磨き上げられてしっかりとした座り心地である事を知っている。壁に飾られている武器を模した作品は、アルフレッドが以前働いていた時より種類が増えているようだった。
 二階、三階、ぐるりと店内を一周してもアーサーが見つからない。
 今日は来ていないんだろうか。諦めて、どこかの狩りに混ざって遊んで帰ろうと思いかけた時、「アーサー」その名前が聞こえて足を止めた。
 たった今通過したばかりの背後を、緊張しながら振り返る。名札は全部見た筈だ、確かにアーサーの名前はなかった。ゆっくりとテーブルの間を歩いて、さり気なく画面を覗く。アーサー、ただ一つその名前を探して。
 ――いない、いない。
「ハチミツ集めててもいいですか?」
 最後にたどり着いたのは、小さな子供たちが集まっているテーブルだった。 
 この店は、保護者がいれば小学生以下は無料で入店出来る。傍にはこの場に似つかわしくない上等なスーツ姿でゲーム機を持たない金髪の男性がいた。テーブルの奥の壁際に、小さな椅子を惹いて座ってスマートフォンをいじっている。
 煩い心臓を持て余しながら足音を忍ばせて、気づかれないようそうっと近づいた。
「夜までに集めて置かないと煩いのですよ。すっかりハチミツ廃人なのです」
 そう言って笑う子供の手元に、アーサーはいた。
 小さな画面の中を、昨日も見たばかりのと同じ姿形で動いている。
 この子供が、アーサー? ――嘘だろ。
 動揺のあまり引き攣ったように立ち止まった。
 昨日と同じ装備。彼が誰かに教わって作ったという新しいそれ、いつも担いでいる弓。
 指先まで走り抜けた動揺はすぐに収まった。アーサーが子供だろうと大人だろうと男だろうと女だろうと、それがアーサーである事に変わりはない。それよりも。
 ハチミツ廃人って、何。
 まさかアルフレッドの事だろうか。違う、全力で否定してやりたい気持ちを抑える。アルフレッドは集めて置いてなんて口にした事は一度もない。
 会う前にハチミツを集めていたと聞けば、その時間も一緒に遊びたいからと言って喜んで渡したし、なるべくアイテムを使わせないように広域のスキルをつけてサポートにだって回った。
 全部、全部、アルフレッドの勝手な話だけれど。
 子供たちのひとりが、アーサーが。アルフレッドに気づいて顔を上げた。ぱちりと瞬くブルーの瞳と特徴的な眉。胸元に燦然と輝く金の名札には「ピーター」の名前。
「もしかして僕たちと一緒に遊びたいですか?」
「え、あ。う、うん。そうなんだ」
「どうぞですよ!」
 明るい声につられるように、保護者らしき男性が顔を上げた。揺れる髪は肩まで長く、顎髭を綺麗に整えた相貌は子供たちの父というには若すぎる気がする。男はアルフレッドと目が合うと、茶目っ気たっぷりに片目を伏せて見せた。慌てて軽く会釈を返す。
 そうこうしている間に今行っていた狩りが終わったらしく、子供のひとりが塾の時間だと立ち上がった。同時に、じっとアルフレッドを見ていた男も席を立つ。
「フランシスさん? もう行っちゃうんですか?」
「うん。この子の見送りついでに、ちょっと野暮用が。セーちゃんも一緒に帰る?」
「えー! やだ! 私もっと遊びたいです!」
「うんうん。──だから、はい」
 子供の声に頷いて頭を撫でた男――フランシスが、アルフレッドの傍まで寄ると財布の中から一枚の名刺を差し出した。
「えっ?」
「暗くならないうちに帰してやってよ。何かあったら迎えを寄越すからさ。これ、連絡先な」
「ちょ、ちょっと……!」
「いやあ助かったわ、急に呼び出されちゃってね。可愛い女の子の誘いは断れないじゃない? 今日はここまでって言ってもこの子ら帰してくれなさそうだし」
「フランシスさんのケチ! 約束が違います!」
「もっと遊びたいですよー!」
「だからほら、このお兄さんがいるだろ?」
 期待に満ちた三対の小さな瞳に見上げられ、アルフレッドは浮かせかけた腰を再び下ろした。
「す、少しで良ければ……」
 アルフレッドとて、何の成果も得られないまま帰るには口惜しい。
 わいわいと次の狩り場を相談し始めた声を聞きながら全く整理のしきらない頭で携帯ゲーム機を開く。教えられたパスワードを入力して集会所へ入り、メンバーの中から恐る恐るアーサーのギルドカードを見る。
 ――やっぱり、それはアルフレッドの知っているアーサーだった。
 毎日見ているんだから見間違える訳がない。昨夜アルフレッド≠ニ遊んだ履歴もまだ残っていた。
「キャラ変えてくるです」
「え?」
 甲高い子供たちの声の中、一人だけ聞き分けられるアーサーが、そう言ってオンラインの接続を切る。少しして入れ違いに入って来たのは、名札と同じ、ピーターというキャラクターだった。
「あれ、えっと。さっきのキャラはもういいのかい?」
「アーサーは弱いから使えないのです」
 子供は残酷だ。その笑みを責める事さえ出来ない。
「僕の本当の実力を見せてあげるですよ!」



 ──結局、自分はアルフレッドだと打ち明ける事も出来ず、あれから二狩りほどして解散となった。
 翌日の約束を取り付けてしまったのは何故だろう。
 今度こそ、アルフレッドだと打ち明けて、それで全てを終わらせたかったのかもしれない。
 少なくとも昨日帰途についてから今日再び同じ席に座るまでの間、アルフレッドはそればかりを考えていた。
 身に着けている名札は、昨日作ったマシュー名義のものを何となく悔しかったので昨夜寝ずにひとりで金まで上げた。慣れない弓に拘る理由はもうないから楽勝だった。
 けれどゲーム画面を開き、キャラクターの選択画面で選んだのは、迷った末に結局アルフレッドにした。だったらなんで昨夜頑張って金にしたんだと思ったら余計に落ち込んでしまったけど、きっともうマシューを使う事はない。
 溜息を吐いたアルフレッドの頭上に、陰がかかる。
「お前がマシューか?」
「――え?」
「見た目は普通だな」
 トレイに乗せたこんがり肉のランチセットを持ったスーツ姿の男が、アルフレッドの傍に立っている。じろりと不躾な視線を胸元の名札に送られたかと思ったら、断りもなく正面の席に座られた。
「ちょっと」
「悪いが仕事の休憩時間に抜けて来てる。手短に終わらせるぞ」
「は?」
 相対する男の胸元には、名札がない。別にゲーム目的でなくたって食事をしに来る事も出来るけど。目の前の男がただこんがり肉のランチセットを食べに来たとはとても思えなかった。
「まず年齢差を考えろ。大のおとな……じゃねえが、見知らぬ野郎がガキ誘って、しかも二人きりだ? 保護者が警戒しないって方がおかしいだろ」
 男は睨みを利かせながらそう言うと、まだ理解の追いつかないアルフレッドに向かってピーターの兄だ、と名乗った。
 ピーター? 誰だっけ。ああ、アーサーのメインキャラクターの名前だ。
「だいたい平日の昼間っからゲームなんていいご身分だなあおい」
 腹立たしげに告げる男の文句は止まらない。
「今日はたまたま大学の講義が……」
「そうかそうか、そりゃあ羨ましいこった。くだらねえゲームに励む暇があるなら勉強でもしてろよ学生が。くそったれ」
 まるで唾棄するように吐き捨てられた言葉。緑の視線が落とされる。一体何だ。ゲームに親兄弟でも殺されたのか、それとも惚れた相手がネカマで騙されたのか。
 言葉を失っていると、不意にアルフレッドのものではない着信音が鳴った。どこか暗い表情を俯かせていた男が、鞄の中から携帯電話を取り出す。そうして画面を見ると、次の瞬間ギラリと目を輝かせて舌打ちしながら通話に出た。
「なんの用だ。――あ? 喧嘩なんか売ってねーよ! 元はといえばテメーが……あア? うるせえ! 次会ったらその髭むしるぞ! せいぜい別れを惜しんでよおく顎を洗って震えながら眠れ! 出来れば永遠にな!」
 白目を剥きながら通話を終えた随分と口の悪いその男が、腕時計でちらりと時刻を確認して盛大に舌を打つ。
「ああくそ! 飯を食う時間もありゃしねえ!」
 そう言って苛立たしげに席を立つと、持ってきていた手のつけていない食事を、トレイごとアルフレッドに寄越してきた。
「ここまで来た駄賃代わりだ。いらなけりゃ捨てろ。じゃあな」
「──……は?」
 男は立ち上がると、くるりと向けた筈の背を、もう一度戻してアルフレッドを見下ろす。
 アルフレッドはた、だ呆然と男を見上げていた。
 なんだこの人は、とてもまともな神経をしているとは思えない。
「ああそうだ、ショタコン趣味は感心しないぜ、坊や。次はもっとおっきなお友達でも誘うこったな」
 口角を片方上げてニヤリと悪い笑み。まさかジョークのつもりだろうか。理不尽だ、なんでここまで言われなきゃいけない。初対面の男に保護者役を押しつけて、名刺一枚寄越して早々に帰ったのはそっちじゃないか。
 誰がショタコンだって? 全くもって的外れだ。アルフレッドはただアーサーに会いたくて、けれど会ったら全然惹かれなかった。
 アルフレッドは普通に女の子……よりもゲームが好きだけど、好みを問われるなら胸もお尻も大きくて、チアガールが似合うような子がいい。間違ってもこんな罵詈雑言を吐く男でも、その血を受け継ぐ弟でもない。
 アルフレッドは菊の言う通り、画面の中で出会ったグラフィックに、夢や希望を抱いていたのだろうか。涙が出そうだった。
 昨日は飲み込んだ言葉が喉を刺し、感情がせめぎ合って先を争うように腹の底から沸く。騙されたんだ、そう叫びたかった。
 ゲームに不慣れで口が悪いけど時々は素直で夜にしか遊べないと言ったアーサーは嘘っぱちで、本当は金のグレードを持つそれなりの実力者でメインキャラは他にいて、ちょっと生意気そうなお子さまで。昼間は友人と仲良く遊んでいた。
 それの何が悪いと言われたらそこまでだ。
 アルフレッドだって正にサブキャラを持っているのだから、悪し様に言える訳がない。
 そうだ、これは八つ当たりだ。
 年齢差を引き合いに出すくらいなら、子供にネットなんかさせないでくれ。あるいは年上らしい目の前のこの男は、年齢差を鑑みてアルフレッドの八つ当たりを大人ってやつの広い懐で受け止めてくれるんだろうね。
「……アーサーが悪いんだ……」
「あ? んだお前、俺に用があるなら……」
「初恋だったのに! 俺をこんな気持ちにさせてひどいんだぞ!」
 もうやけだ、やけくそだ。
 ああもういい、もういいさ。
 菊の言う通りでも妄想乙でも何だって構いやしない。
 勝手に動く口から出てくる言葉がどこから生まれてどこへ向かっているのかも分からないし知るもんか。もう二度と会う事もないんだから。
「俺は毎日アーサーのこと考えてたのに、うそついたんだ……っ!」
 ネットで知り合った相手に勝手に夢を抱いて砕け散った可哀想な奴だと、いっそそう思ってすぐに忘れて欲しい。そうすれば昨日の子供にも、適当に二度と会えない訳を話して聞かせてくれるだろう。馬鹿な男だと、馬鹿だったと、早く自分も忘れたい。
「……お前、まさか……」
 目の前の男が小さな声で呟いた。
 煩い黙れ、言いたい事があるならもっと大きな声ではっきり言ったらどうだい。イヤだやっぱり言わないで。
 耳を塞ぎたくなって手を挙げたところで、男の細い指先が伸びてきてテーブルに置きっぱなしだったアルフレッドのゲーム機をくるりと自分の方へ向け直した。勝手に触らないでよ。
「……あるふれっど? か?」
 ぱちりと見開かれた緑の双眸。目の下には、さっきまで気付かなかった濃い隈。その視線がゲーム機とアルフレッドを見比べて。目が合う。
 そうだけど、だから何。見ての通りアルフレッドって名前のキャラクターを使ってるけど。ついでに俺の本名もアルフレッドだけど。
 なんで、君がその名前で驚くの。
 ちり、と沸いた新たな黙殺を瞬殺した。まさか嘘だと全身が否定したと言ってもいい。これ以上振り回されたくなんかない。帰って寝て忘れたい。けれど寝不足がたたって働きの鈍い頭は、昨日の記憶を必死に手繰り寄せながら勝手に言葉を紡いでいた。
「っ……ハ、ハチミツ廃人?」
「はあ!? な、なんだそれ!」
 なんだそれ。アルフレッドにもよく分からない。「夜までにハチミツを集めて置かなければ煩い奴」へのその呼称は、てっきりアルフレッドに宛てられたものだと思って。思っていて。
「さてはピーターだな……」
 男が忌々しげに呟く。ピーター? 誰だっけ。そうだ昨日の子供の名札に書かれていた名前だ。それで、それじゃあ、その子供の兄だっていう、この人、は?
「アーサー」
 どこかで聞いた高い声が、胸の内でぐるぐると回る名前を呼ぶ。
「お話は終わったですか? 早く僕のゲーム返すですよ、アーサーに貸してあげるのは僕が寝てからだけなのですよー!」
 小走りに駆けてきた昨日の子供が、スーツの裾をぐいぐいと引いている。
「っあ……で、出て来るなって言っただろ」
 たしなめる声に、さっきまでの覇気はない。なるほどよく似た眉毛の更に太い男は、二人並ぶと兄弟というだけあってよく似ていた。ちょっと待てと言って子供を宥めた男が、再びアルフレッドを見た。まだ濃い驚きを残した顔で、緑の双眸がアルフレッドを映している。
 どれほどの時間、なんてきっと測れないほど短い間だった。見つめ合っていた二人の視線を、子供の動きが逸らす。
「あっ!」
 男の手を逃れた子供が、テーブルをぐるりと回り込むようにアルフレッドの傍に寄る。服の裾を引かれ、体勢を下げとろ言われているような仕草に顔を近付けた。
「マシュー。アーサーは昨日ネットの友達にすっぽかされて機嫌が悪いのですよ。いつもこんな感じですが、もうちょっとだけ紳士なのです。許してやって欲しいのですよ」
「うわっ! ば、ばかっ!」
 アルフレッドの耳にこしょこしょと声を吹き込んだ子供を、男の腕が慌てて首根っこを掴んで引き戻した。こう見えて寂しがり屋なのです、と耳から離れた唇が、アルフレッドまで聞こえるよう小声ではない声を紡ぐ。
 ええと、つまり。つまり?
 あれ? 俺さっき、なんて言ったっけ。
 何かとんでもない事を言ってしまった気がする。
 てっきり、もう、会う事はないと思って。
 さっきまではそう思って。た、けど――
 みたび目が合った緑の双眸からは、さっきまでの怒りがすっかり消え失せていた。代わりにわなわなと震える肩から見てとれるのは動揺。まるで泣いた後のように少し赤い目。
 この人を知っている、そう確信する思いが、すとんと胸に落ちてきた。




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