君がいる明日 - main
とある秘書達の場合 前編


 ...米国人秘書の場合。



「お前、誰だよ」
「……は?」

 一触即発の固い空気。広くはないが狭くもない執務室の中央には、机を挟んで睨み合う二人の男。
 その内の一人、米国人男性の後方に控えるジェニーは、このまま成り行きを見守るべきか、はたま咳払いの一つでもするべきだろうかと思案した。
 嗚呼、会議はあと僅かで終わる筈だったのに。

 片や個別で対面する時はスマートな振る舞いで女性の扱いにも長けた英国紳士、片やいつも快活で少しお馬鹿な所も魅力の一つな我が国が誇る偉大な好青年。
 それが何故、二人で顔を合わせるとこうなってしまうのか。祖国の背中に向けてひっそりと溜め息を漏らしたジェニーは、手の中の書類を抱え直した。

「ちょっと、ふざけないでくれよ」
「ふざけてねえ。お前なんか、知らない」

 会議の本題は滞りなく終了し、二人で話す事があるからと言われて一旦部屋を後にしたのがつい先刻の事。別室で待機していたところに連絡を受けて書類を持って来た時は、既に事は始まっていたのである。
 よく声が通り、些細な表情の変化まで見て取れる広さの室内に、三人。
 最初は淡々とした皮肉と嫌味と憎まれ口だった応酬は、徐々に声を荒げた怒鳴り合いへと発展し、今はまた先ほどまでとは違った不穏な空気を醸し出している。最早お互いしか見えていない状態だ。
 こうしてジェニーが同席している事を覚えているのかも怪しい。

「なに、その冗談。笑えないんだけど」
「別に笑わせようとなんかしてねぇし」

 元兄弟の間柄とは聞き及んでいるが、彼等は他国間の要人同士。秘書として就任したての頃は、このような状況を目の当たりにする度にSPが飛んで来やしないかと内心冷や汗をかいたものだ。今では多少慣れたもので、これが普段通りならばいつもの事と匙を投げて静かに退室するのも選択肢の一つなのだが――

「……君、いい加減にしなよ」
「だから、知らねえって言ってるだろ!」

 一連の台詞、その遣り取りの始まりはこうだ。
 眦を吊り上げた英国紳士が「お前なんか可愛かった子供時代に戻してやる!」と懐から先端に星の付いたステッキを取り出し、「そんなに俺が嫌なら、いっそ全部忘れてくれよ!」と我が祖国がステッキを取り上げた勢いで振り下ろし、星の部分が見事、彼の人の頭に命中。そうして暫し頭を抑えて蹲っていた彼、イギリスことアーサー・カークランド郷が立ち上がって放った台詞が冒頭である。
 それまでは心配そうに――しかし声は掛けられず――見ていた祖国も目を丸くして再び怒りを露わにし、以下は推して知るべしの事態に急転した。
「知らない」「嘘だ」と問答を繰り返す二人。どうしたものかと逡巡する最中も一向に進展する気配のない光景に、とうとうジェニーは意を決して祖国の背に歩みを寄せた。

「ねぇフレッド、この後は食事に行く約束でしょう? 終わったのなら早く行きましょうよ」
「えっ!?」
「……っ!?」

 驚いてジェニーを見下ろすフレッドことアルフレッド・F・ジョーンズ――祖国たるアメリカ合衆国は、同じように、否それ以上に目を見開いて驚きを露わにするもう一人の存在に気が付かない。

「……、そうかよ。なら俺もう帰るな、お前の事なんか、知らねーし……」
「ちょっと待ってくれよ! イギリス! っアーサー!!」

 ジェニーを一瞥しただけで直ぐに彼へと戻された青い視線も、張り上げる声も、全てを拒むように閉ざされた扉。
 立ち尽くすアルフレッドは、果たしてアーサーと呼んだ青年の瞳が先程までの怒気をすっかり消沈し、握った拳が震えていた事に気付いただろうか。

「ジェニー、君なんであんな……っ!」
「あら。自分から誘っておいて忘れるなんて、女の子にモテないわよ? それともお邪魔だったかしら」

 ジェニーがアルフレッドから食事に誘われていたのは本当だ。但し、「もし、何も予定が入らなかったら……」の前置き付きであるが。
 ジェニー自身、話を持ち掛けられた段階から実際に食事をする事になるとは思っていなかったし、アルフレッド本人もこの調子では忘れていたのだろう。
 会議の後、わざわざ秘書を誘って国外で食事をするくらいなら、少しでも早い飛行機でアメリカへと帰りたがるのが彼のデフォルトだ。
 つまり、ここ英国で会議が行われる時に限ってジェニーに声が掛かる『もしも』の誘いは、決して食事が真の目的ではない。この国に一分一秒でも長く留まり、機会を窺う事が目的なのだ。
 何の機会かは、訊いて確かめる迄もないと、ジェニーは常々思っていた。
 ……思っていたが、こうもあっさり忘れ去られていたとなると、一応、念の為、常々予定を空けておくようにしていたジェニーとしては女のプライドが、もとい多少の意地悪は言いたくもなる訳で。

「追いかけないの? 仕事を押してまで今日と明日のスケジュールを開けさせたのは、カークランド郷と喧嘩する為だったのかしら」
「何言ってるんだい、彼は何の関係もないさ。あんな……」

 身体は今すぐにでも追い掛けて行きたそうにジリジリと強張っているのに、意地が邪魔をしているのだろうか、一向に動こうとしないアルフレッド。
 ジェニーは上着のポケットから手帳を取り出すと、紙擦れの音を立てて頁を捲った。

「何も予定がないのでしたら、今から向かえば丁度この後フランスで行われる会議に間に合……」
「っ、その件はマークに一任した筈だぞ! あーっと、俺は用事を思い出したから行かなくちゃ!」

 遂に駆け出した広い背中を目で追う。少しばかり頼りなく映る余裕のない色に、思わず声を掛けた。

「フレッド!……言葉にしなくても伝わって欲しい事は多いけど、言葉にしなければ伝わらない事はもっと多いのよ」

 首だけ回して僅かに振り返った祖国の赤く染まった顔を見て、ジェニーは軽く肩を竦めた。
 こんなにも分かりやすいのに。
目は口ほどにものを云う≠ニいう喩えがあるらしい。それだって、目を見ようとしなければ何も分からないのだ。

 片や自分の何倍も生き、今や世界の頂点にまで上り詰めた超大国。片や更にその何倍も生き、一度は七つの海の覇権を手にした老大国。
 どちらも自分たち人間と比べてしまえば数え切れない程の経験を積み、多くの事を知っているのだろう。
 けれどこんな時、どうしても子供のように見えてしまうのだ。微笑ましいと、一言で言ってしまえば正にそれである。
 勿論、そんな一言では収まりきらないほど困難で、歴史を重ねた分だけな色々とあるのだろう道程も、どことなく感じているが。
 一人残されたジェニーは床に残されたままのステッキを拾い上げた。先端の星を一瞥する。

「……――」

 不器用な二人が上手く行くようにと、ささやかな祈りを込めて扉の向こうに一振りかざした。
 用を終えた其れを机の上に置いて。一歩扉の外へと出れば廊下に響いていた声も、徐々に遠ざかり静かになる。

「ふふ、私もまた恋をしてみようかしら」

 今日1日の空いた予定を頭の中で立てながら、ジェニーはうんと伸びをした。


 ずっと貴方を見ていたから、視線の先に誰がいるかも解ってしまうの。








戻る
 
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -