君がいる明日 - main
本日快晴、デート日和


 俺には可愛い恋人がいて、休日にはデートもする仲だ。


 キラキラと輝く太陽が、まるで俺の背中を力強く押してくれてるみたいだった。

 此処は合衆国のとある公園。
 道行く人々の楽しげな声。晴れ渡った青空、ぽかぽかと暖かい陽気。
 背後で飛沫を上げる大きな噴水には、薄く透けた虹が架かっている。

 うん。実に最高の待ち合わせスポットで、絶好のデート日和じゃないか。
 流石、雑誌に載っていただけの事はある。

 ――そう、思っていたんだけどな。
 どうやら事件はヒーローを休ませてくれないらしい。

 俺は視界の先で不穏な空気を醸す数人の男達に近付いた。


「やめなよ、嫌がってるじゃないか」

 言いながら、此方に背を向けている男の肩を掴む。
 不機嫌も露わに振り返るのは、一人の女性を囲んでいた三者三様の男達。絵に描いたようないかにも遊んでますといったガラの悪い風情も、現役が何人束になった所で敵わない元ヤンを一人知ってる俺には、全く以て役不足だ。
 俯いている女性との間に割って、やんわりと掴んだ手を外させる。
 長いブロンドを揺らして身を捩っていた女性が、さっと男達との距離を於いた。
 所謂ナンパ。成り行きを黙って見ていられたのは、僅かの間だった。しつこい男は嫌われるって、知らないのかい?だとすれば、我が国民ながら実に情けない。
 本来なら、ここでヒーローの心構えでも伝授したい所だけど……困ったな。
 苛立ちを隠そうともしない三人組と、自分の今日の格好を見比べる。
 人助けをするのはヒーローとして当然だ。でもそれとは別に、今日はなるべく争い事は避けたかった。
 折角のスーツが台無しになってしまうじゃないか。恋人に「似合ってるぞ」って少し照れ臭そうに褒められた、飛びっきりのスーツを着て来たんだ。
 彼が服装に煩い相手だから仕方なく……、なんてのは只の建前で、今日は俺だってそれなりにキメて来たつもりだし、それなりに緊張してる。
 緊張している理由はまあ、今日はいつもとは少し違うデートだから。
 けどこの女の人、なんか放って於けないっていうか……。

「君、此処はもう良いから早く逃げ――」

 明らかに嫌がっているのにしつこくナンパされていた女性を助けて、さて、これからどうしようかと言う時。
 俺が女性の一歩前に進み出て、男達と正面きって対峙した僅かコンマ数秒後。
 突然、三人組の内の一人が吹っ飛んだ。
 思わず反射的に視線で追い掛けると、太っている訳ではないもののガッシリとした男の身体が、弧を描くように宙へ舞い上がって何度か地面をバウンドしながら転がった後、徐々に失速してその動きを止めた。

「……え……?」

 驚きに口を開けたまま彼方を見遣っていた視線を戻せば、さっきまで男がいた場所にはスラリと伸びた長い脚。
 呆気に取られている間に其の顔の高さまで上げられた脚がフワリと半円を描いて、腰の捻りも加えられた強烈な回し蹴りが繰り出された。
 持ち前の反射神経で手離した男の手首が、俺の眼前を横切って視界の外にまでぶっ飛ぶ。否、実際は勿論手首だけじゃなく身体ごと吹っ飛んだんだけど。
 そんな事を思いながら固まっていると、俺が助け……もとい俺の助けなんか必要としていなかった女性が俺の手を掴んだ。

「え、ちょっと、待っ……」

 慌てて掴まれていない方の手を挙げてホールドアップの体勢を取る。
 けれど俄かに覚悟していた蹴りは繰り出される事なく、女性は俺に背を向けて走り出した。

「ま、待ってよ! ねえ!」

 俺の手首を掴んだまま。

 揺れるブロンドのツインテールに呼び掛けながら、俺は訳も判らず腕を引かれて駆け出した。
 首を回して振り返った先、たった一人取り残されて呆気に取られたままの可哀想な男の更に後ろ、待ち合わせ場所である噴水広場の時計の針は、丁度約束の時間を指していた。


  * * *


「っ……ちょ、っと……君……ッ!」

 女性に力で訴える事なんて出来る筈もなくて。掴まれた手を振り払えないまま、俺達はメインストリートを外れて枝分かれの裏路地をくねくねと進んでいた。二人分の慌ただしい靴音が狭い路地に響く。
 此処を曲がれば、さっきまでいた公園に面した通りとは別のショッピングモールへ出る所まで来て、漸く足が止まった。ガヤガヤと、少しだけ人の気配がする。

 誰かに手を引かれて前を走られるのは思いのほか気を遣うもので、普段同じ距離を走った時より疲れた身体を持て余しながら、肩を上下させて息を吐いた。

「…はぁ、はぁ……俺は、人と、待ち合わせをしてて……」

 俺の声に振り返った女性が、眦をキツく吊り上げて唇を一文字に引き結ぶ。
 かち合う視線。不機嫌そうなエメラルドグリーンの双眸を、まじまじと見詰めた。

「……あ、れ……?」

 この、俺が一番好きな色は、紛れもなく――。


「…………俺だ、ばか」

「……え、えっ…!? イギ…っ」

 イギリス、名前を呼ぼうと開いた唇に、薄桃色のマニキュアが塗られた指先を当てられて。

「外では“アーサー”だ」

 ふに、と人差し指の腹で凹まされた。
 俺は何も言い返さずに、否、言い返せずに。尚も黙って目を見開いたまま観察を続ける。

「……いやまあ、こんな格好で、今はそれもちょっとアレだが……」

 徐々に小さくなる声で言葉を濁して俺の視線から顔を逸らした、彼。目の前の金髪緑眼の人物をまじまじと見る。
 赤いタータンチェックのスカートから伸びた脚、腿まである長い靴下から覗く素肌はそう、確か日本曰わく絶対領域。
 よく見れば、真っ直ぐに伸ばされた長めの前髪の下には、持ち主曰わく紳士的な何かであるらしい特徴的な眉が上手く隠されている。

「おい、アル……。アルフレッド?」

 俺の手を引いて走っていたのは、今日の俺の待ち合わせ相手で恋人の、イギリスことアーサー・カークランドその人だった。

「……きみ…、そのかっこ……」

 思わず漏れた言葉に、瞬間湯沸かし器の如く頭に熱を上げた彼がいきり立つ。

「な、なんだよ! お前が着て来いっつったんだろ!?」

 カッと威嚇の形相で身を乗り出して来る彼の頬には、先ほどナンパ男を伸した威勢は鳴りを潜め、薄化粧に色付くチーク以外の朱を刷いている。
 拳を振り上げて怒りを露わにする仕草に、俺も慌てて言葉の訂正を取り繕う。

「そっ、そうだけどっ、その……なんて言うか、吃驚したって言うか……」

 俺の言葉を受けてきゅ、と引き結ばれる唇。じっとり見上げる相貌が翳した掌に隠された。

「だから止めとけっつったんだ、可笑しいのは分かってるから、あんま見るな」

 ふん、と鼻を鳴らして悪かったなと不貞腐れた声。指の合間から覗く綺麗な緑の縁が微かに揺らいで瞳に艶を帯びる。
 泣く寸前みたいに濡れた翡翠に、条件反射で胸が騒いだ。

「ええっと、だから……吃驚したんだよ……その、」

 そう、俺は吃驚したんだ。
 あんなに渋っていたイギリスが本当に女性の格好をして来てくれるなんて、とか。一瞬本気で誰か分からなかった、とか。
 ――何も可笑しい所なんかないと思ってしまった俺自身に、とか。
 可愛い、とか。

 僅かに停止していた思考が動くと同時、今度は自分は何を言おうとしたんだと頭を抱えたくなって身体が固まる。
 何を力説しようとしてるんだ、俺は。

 デートの約束を半ば無理やり取り付けたのは俺だけど、まさか本当に女装してきてくれるとは思わなかった。
 事の発端は二週間前、デートの最中に彼が俺の手を振り払った所にある。
 思いの外パシンと大きく響いた乾いた音。叩かれた俺よりアーサーの方が痛そうな顔をした事も、決してワザとじゃない事も分かっていた。
 分かっていたけど。もう一度聞いて欲しい、俺達はデート中だったんだ。お互い忙しくて予定が合わなくて、実に1ヶ月ぶりのデートだった。
 空にはとっくに月が浮かんで、辺りは人の気配もなかった。
 どうしても納得出来なかった俺は言ったんだ。

『そんなに体面が気になるなら、女性の格好でもして来たらどうだい。あるいは……もう外でデートなんかしない方がいいのかもね……』

 その日は結局物別れに終わって、今日。珍しい彼からの誘いに一も二もなく頷いた俺は、仲直りするつもりで来た。デートスポットが紹介されてる雑誌なんか買っちゃって彼が好きそうなロマンチックなデートコースを予定していたんだ。

 反応のない俺に痺れを切らしたのか、走っていた時からずっと繋いだままになっていた指先をスルリと解かれた。捕らえていなかった手は容易く離れて行ってしまう。

「イギ……っ」

「か、帰る! いや、きっ着替えて来る……!」

 向けられる後ろ姿のシルエットに腕を伸ばして捕まえた。違うんだ、ただ吃驚して、あまりにも。

「可愛いなって!」

 キュート!と叫んだ俺の言葉を最後に落ちる静寂。
 彼の身体が熱いのか、それとも俺が熱いのか。小さく離せと言われて、少しだけ腕の力を緩めた。

「……するのか、デート。このまま」

「するぞ、行く場所だってもう決めてあるんだ」

「男だってバレたらどうするつもりだよ」

「ナンパされたぐらいなんだ、平気さ」

「……くそ、知ってるヤツに会ったら俺はしぬ」

「物騒なこと言わないでくれ! 大丈夫、今日行くのは何処もとっておきの場所だからね」

 内緒話をするみたいに声を潜めて片目を瞑り、漸く彼の身体を開放する。向かい合うと改めて俺の格好に気付いたように目を見張ったイギリスは、次の瞬間には目を撓ませて。走ってる途中に曲がっていたらしいネクタイを直された。最初はちゃんとしてたんだぞ、とは俺の心の声。
 いつもはチェーンを通して首から下げられている指輪も、今は彼の左手の薬指で誇らしげに光っている。その手をぎゅっと掴んだ。

「行こう、今日はまだまだこれからだ」


 二人で薄暗い路地裏を抜けると、再び青空が広がった。

 本日快晴、デート日和。
 いつもは人目を憚る俺達が、公道で堂々と手を繋ぎ、並んで肩を寄せ合って、おまけにキスだって出来る。
 こんな風にね!

「ばっ、ばか!」

 唇を押さえて後退る彼の手をぎゅっと掴んで引き寄せて。

「アーサー!」

「なんだよ」

「今日は思いっきりイチャイチャするぞ!」

「声がデカい!」



 ――結局、外でいちゃいちゃする事じゃなくて、イギリスといちゃいちゃする事が重要だったと気付いて家に帰ってからの方が盛り上がったのは、また別の話。





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