君がいる明日 - main
扉の向こうの世界


「いらっしゃいませ」

 この落ち着いた少し低い声が好きだった。
 カラン、と涼やかに響くドアベルの音に重なるのは、心地良く耳慣れた短い言葉。

 扉を開ければ甘い香りに満たされた空間が広がる此処は、最近出来たばかりの小さな洋菓子店『ボヌフォワ』
 奥の方からカシャカシャと軽快なリズムで何か生クリームの類を泡立てているような音が聴こえる店内は、狭いながらも細部にまで気配りの行き届いた上品な内装だ。
 こんな、いかにも女の子が好きそうな店に男子学生たるアルフレッドが足繁く通い詰めるのには、勿論それなりの理由がある。

(……アーサー・カークランド……)

 昨日訪れた時は真っ赤な薔薇の花を愛でていた指先の持ち主を、アルフレッドは胸中でそっと呼ぶ。
 左胸に味気なくクリップで留められた名札に記されたその名前を、もう何度心の中で呟いたか分からない。
 真っ白なエプロンに身を包み、癖っ毛なのか所々跳ねた月色の髪に赤いピンを差した姿が男なのに良く似合っているその人は、月曜日と木曜日以外の毎日毎週、大小彩り様々なケーキが並べられたショーケースを挟んだ向こう側に立っていた。
 ピンと背筋を伸ばして澄ました様子はともすれば無愛想にも見えるが、アルフレッドが真っ直ぐに彼の元を目指す足取りは軽い。

「ご注文はお決まりですか?」
「うーん……。よし、決まったぞ! この生クリームがたっぷりのヤツを頼むよ!」

 ショーケースの中を指差し、明るい声と満面に浮かべた笑顔を向ける。
 多少子供っぽく振る舞ってしまうのは、彼が女性と子供を相手にする時だけ表情を柔らかくする事を知ってしまったからだ。

「お召し上がりは……」
「ここで食べて行くぞ!」
「かしこまりました。少々お待ち下さい」

 さっきより穏やかな声、──しょうがないヤツだな、本当に甘いものが好きなんだな。
 そんな風に、少しの呆れを溶かした微笑で和らぐ口元に奪われた視線を慌てて床へ落とす。
 格好良く、クールに、スマートに…そうは思うけれど、同じくらいにこの笑顔が捨て難い時はどうすればいいのか。
 上げられない視線の先には真新しい自分のシューズが映る。例えばこの人気ブランドの新作を指差して格好良いだろうと無邪気に声を掛けてみせたら、彼はどんな反応をするだろう。


 彼と初めて出逢ったあの日。甘い香りに釣られてフラリと立ち寄ったこの店で、最初に目に入ったのは吸い込まれそうな翠の瞳だった。
 明るい人工灯の元に照らされた陽に焼けていない白い肌。小さな唇が薄く開いて紡がれるやや硬質な声に、何故だか心臓が突如不整脈を起こして。
 魅せられたのは、思い切り見詰めてしまった事で目と目が合った、瞬間。
 不揃いな前髪の奥で僅かに潜められた特徴的な眉の下、自分だけに向けられた翡翠の色。
 視線を逸らされ正気付いた時は既に、まるで心全て塗り替えられたと錯覚する程──。
 アルフレッド・F・ジョーンズの中で、彼…アーサー・カークランドと言う存在が忘れられない人となっていた。


「お待たせしました」
「うん、ありがとう!」

 差し出されたトレイを手に向かうのは、店内の一角に小さなテーブル三つ分だけ設けられた軽食スペース。
 その中でも一番カウンターの…彼がクルクルと働いている様子がよく見える席に腰を降ろし、紅茶のカップに口を付けながらそっと窺う。

 彼についてアルフレッドが知っている事は、当たり前だが数少ない。
 例えばこの店で淹れられる紅茶は彼が担当している事。そしてその紅茶は、味の違いが分からないアルフレッドにも今まで他の何処で飲んだものより美味しく感じられる事。
 また実際、惚れた欲目だけでは無く知識も豊富で彼の腕が確かな事。
 窓辺や店の周りを彩る薔薇は、彼が自宅の庭で手ずから育てたものだと言う事。
 店内を細々と装飾する小物は、その殆どが彼の手製である事。
 そんな事々を、他のお客さんと話している会話の内容や、実際に目にする姿から伺い知る事ができた。
 幸せだった。
 こんな日が続いて行くと、この時はまだ、そう思っていた。





「OH……」

 幸せへの扉を閉ざす看板を前に、アルフレッドは立ち尽くす。これで一週間だ。

『本日、完売しました』

 大通りから一本外れた場所に位置する隠れた名店的小さな洋菓子店は、その確かな味と店員二人の容姿から瞬く間に噂が広まり、雑誌で紹介されてからと言うもの、連日見ての通りだった。
 アルフレッドはがっくりと肩を落とす。

 最後に見た、翠の眼を持つ彼の顔は、「これ、君がよくケーキのお土産を買ってくるお店じゃないかい?」と兄弟が差し出した雑誌の中に写る姿だ。
 隣で肩を抱くヒゲ面の男を若干嫌がっているように見えたのは、気の所為じゃないと思いたい。
 写真は得意じゃないのか、浮かべた不器用な笑みを思い出すと余計に切なさが増す。
 自身に向けられたものではない、誌面上の笑顔では全然足りなかった。

 名残惜しさを胸にアルフレッドはひっそりと息を吐く。
 明日こそは、そう日に日に弱まって行く決意を胸に踵を返した、その時。

「キャー! アーサーやめて! 何やってんの!」

 男の悲鳴と共に聞こえて来た名前に足が止まる。逸る気持ちを抑え、足音を忍ばせて窓枠に歩み寄った。

「……」

 僅かに開いた窓から、まだ明かりの灯る店内の様子をそっと窺う。

「お兄さんの店を潰す気!?」

 空っぽのショーケースを挟んで互いに向き合い、揉めている二人組みには覚えがあった。
 長い金髪を振り乱して蒼白な表情で迫るのは、雑誌で見たのと同じ顎髭を蓄えたこの店のパティシエ兼、店主。
 そして後ろ姿だけでも分かる、此方に向けた背をピンと伸ばして肩を怒らせているのは……。

「はぁ? なんでだよっ!」
「なんでって……じゃあその手に持ってるのは何!」
「こっ……これは……、明日から売り出す新商品、の……試作品だ」
「いや、いやいやいや……待って、ちょっと待ってアーサー。……その見るからにヤバそうな塊が、か?」
「スコーンだばかぁ!!」
「真っ黒じゃない!」
「うっ……た、たまたまだ! 試作品っつっただろ! 次は……」
「ダメっ! 絶っっ対ダメ! なぁ頼むって考え直せよ、な? お兄さん今よりうんと頑張るから……っ!」

 しっかりと耳に入って来る会話に視線を移せば、ショーケースの上に小振りの編みカゴを見付ける。其処に山盛りされた何か。
 一つ一つラッピングされた透明のビニールから透けて見える中身は、確かに真っ黒だった。
 手前に置かれた、可愛らしい妖精の絵柄が描かれている『ハンドメイドスコーン』と銘打たれたPOPも、恐らくは彼の手によるものだろう。

 見ただけで、分かるのに。
 真面目な顔でペンを走らせる姿が。何度も角度を調節して陳列を整え満足げに笑う姿も、直ぐさま浮かぶのに。
 乾いた笑みで喉を震わす彼の表情だけは、どうしても分からなかった。

「っ……は、はは……。頑張るのも結構だがな。ンなこと言って、ここんとこずっと閉店前に完売じゃねーか!」
「うっ……」
「嫌なら増員しろ、増員。人手が足りてねぇんだよ! いい加減諦めて腹括れ」

 今アルフレッドの目に映っている光景は、これまで知らなかった彼の一面だ。
 その事に驚きよりも好奇心を覚えた心は、疲れた溜め息を吐いてショーケースへ凭れる姿に視線を釘付けにする。
 知らず胸が躍り、期待に高鳴る。何かが変わる、予感がした。

「だって……だってしょうがないじゃない! エミリーもアリスもみーんな『人手が足りなかったら私を雇ってね』って言うんだもん! 今更一人に絞れる訳ないじゃない!」
「お前が調子いい事ばっか言ってるからだろが! だからお、俺がだな……」
「いや! それだけは頼むやめてお願い!」
「ッ……ンだと……! フランシスてめぇ……言わせて於けば……っ……」

 哀願する剣幕に押されて一歩引いた背中が拳を振り上げる。
 しかし力無く俯いて震える肩を見た瞬間、手に力が入ったのは無意識だった。

「喰らいやがれ! ブリタニアスコー……」


 がたっ。


「「あ、」」

「……あ……」

 思わず手を掛けてしまった窓枠が軋む悲鳴に振り返る二対の瞳と、ぽかんと開けられた口から漏れる声。
 逃げも隠れも出来ないほどバッチリと目が合ったアルフレッドは、相手が二度三度と瞬いた後に腹を括った。
 屈めた腰を伸ばし、よく見える場所まで立ち位置を移す。

「……えっと……話、聞こえてたんだけどさ……」

 何かが変わる予感がした。
 否、変えなければ。
 自分はきっともう、あの優しい笑顔だけでは満足出来ない。出来なくなってしまった。
 ――それなら……。

「……なら、男を雇えばいいんじゃないかな?」



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▼あとがき▼

内容の補足ですが、アルフレッドはお店で食べた後に大量のお土産を買って帰るので、ばっちり顔も覚えられてるお得意様です。
この後の展開は色々妄想して頂ければと思います!

展開@
◆パティシエ兄ちゃん
◆接客アーサー
◆接客+力仕事アルフレッド

…おや…?肝心のパティシエが…増えて、ない!な展開。
相変わらず兄ちゃんが一人あっぷあっぷして米英二人で仲良く接客するもよし。
結局女の子を入れる事になって嫉妬でもだもだしたりもよし。
アーサーよりはまだ希望が残されている米に仏が厨房を手伝わせて、ぼっちになったアーサーがそわそわもだもだネガティブになるもよし。
意外や意外にそれなりのお菓子作り技術があったアルフレッドに二人が感心、更に後でこっそりアーサーがお菓子作りの秘密特訓を手伝って欲しい!と頼み込むもよし。


展開A
客として築いていた子供っぽさの所為で、一緒に働き初めてからも弟に接するようにしかして貰えないアルフレッドが「男として見て貰いたい!」と決意も新たに方向転換を図る。
今度は英視点で、ひたむきなアルフレッドの成長に「ドキ…!」物語とか。


展開B
薔薇を見たいとか何とか言う口実の元、知り合って早々にアーサー宅を訪れたアルフレッド。

Q.そこで起きるドッキリ事件とは!
回答1 突然の停電
回答2 悪天候により帰宅手段を無くしたアルフレッドがお泊り
回答3 ちょっとだけ、と成人済みアーサーが食後にお酒を飲むも案の定、パブる
回答4 朝起きたら二人とも全裸だった
回答5 上記全て


展開C(その他小ネタ)
実は兄ちゃんとアーサーは家賃折半の為にルームシェアしてて(お店の二階が住居でも可)、アルフレッド的にかなり面白くなかったり。
アーサー達がアルフレッドの通う学校のOBである事が判明してあれやこれやとか。(社会人パロを飛び出して只の現代パロになってしまいますが!)
食材を直接届けてくれるアントーニョが空気を読んだのか読んでないのかアルフレッドに「自分ほんまにアーサーの事好きやなぁ」(逆に英に対して「アルフレッドの事好きやなぁ」でも可)と発言して気まずい桃色雰囲気が漂ったり。
って言うか雇って貰えなかったり。
フランシスの台詞に出てきたエミリーとアリスを登場させてみたり。


とまあ、妄想はいくらしても尽きませんな!

此処まで読んで下さいまして、ありがとう御座いました!






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