落としたものは
「お前が落としたのは、この金の斧か? 銀の斧か?」
石に躓いてうっかり湖に斧を落としてしまったと思ったら、突然湖の中から人が現れた。
その人は背中に羽根の飾りを付けていて、どんな仕組みか知らないけど頭の上に金の輪っかが浮いている。
格好は上半身が半分露出した白いヒラヒラとした衣装を身に纏い、銀の斧を小脇に抱え、金の斧の背の部分で肩をトントンと叩いて酷く気だるそうにしていた。
……何だか悪者みたいなんだぞ。
しかし言われた台詞が良く解らない。
何故なら俺が落とした斧は、金でも銀でもなく、何の変哲も無い使い古された鉄製の斧だからだ。
「どっちも違うんだぞ。俺が落としたのは只の鉄の斧さ!」
「………チッ」
何故舌打ち。
俺が二の句を発する前に、相手が俺に向かって二つの斧を振り翳した。
「なっ、何をする気だい!?」
「正直者のお前に、この切れ味がとても良い金の斧と銀の斧の両方をやろうと思ってな」
にやり。
男の顔が愉悦を交えた笑みに歪む。
こ、怖すぎるよ……。
「い、要らないんだぞ! 絶対! だ、だいたいそれは俺の物じゃないし!!」
「……チッ」
だから何故舌打ち!
叫びたくなる俺の気持ちを汲む気など確実に持ち合わせていないと分かる相手が、ちらと視線を湖水に移した。
「さ、先に言って於くけど、俺が落とした斧も拾ってくれなくて良いんだぞ。あれは古くて丁度替えようと思っていた所だし、欲しかったら自分で潜って取りに行くよ」
「んだよ、欲のねぇ野郎だなァおい。……あー…んじゃ代わりの願いを言え。俺が叶えてやる」
金銀二本の斧から男がぱっと手を離すと、大きな水音を立てて斧が湖の中へ沈んで行った。
た、助かった……。
俺は改めて男を見上げた。
男は相変わらず湖面に浮かんだまま、暇そうに耳をほじっている所だった。
(なんでそう、いちいちガラが悪いんだい……!)
「おい、早く願いを言えよ。……それともまさか、無いなんて言うつもりじゃあねーだろうなぁ……」
「い、言うよ! 言うからちょっと待ってくれ!」
無いなんて言った日には、何をされるか分かったものではない。
男が浮かべた笑みは、そんな事を如実に俺に伝えるものだった。
「そ、それより! 君は一体誰なんだい!?」
「あ? チッ、しゃあねぇな。特別サービスで願いとは別件で答えてやるよ」
「!!待っ……」
「俺はこの湖の神様だ」
今の質問が願いで良い寧ろそうして下さいと言う前に、答えは紡がれてしまった。
自称神様は「ほら、早く願い言え」と俺を顎でしゃくる。
(だから怖いんだってば……!)
俺は頭を抱えたくなるのを堪えて自称神様を見遣った。
その翠の目が早く早くと俺を急かしている。
「え、えーと……」
不機嫌さを隠さない顔、きゅっと眉間に寄せられた太い眉は特徴的だけれども何処か愛嬌があった。突付けば柔らかそうな頬と丸みを帯びた輪郭は何処か幼さを秘めていて、微笑えば可愛いだろうなと思わせる。翠の眸は見詰め続けていると吸い込まれてしまいそうな程透き通っていて、ふっくらとした唇は薄桃色で思わず美味しそうだと感じてしまう。見れば露出させた肌で唯一色を違えた小さな胸飾りも薄桃色で──。
「……、……君が欲しい、って言ったら?……っ」
って俺は何を言ってるんだ!
「今のは無っ……」
「いいぜ」
「!!?」
自称神様はあっさり承諾すると、ふわりと浮かんで俺の前に降り立った。柔らかな草の地面が彼の裸足の脚を受け止める。
その顔が間近に迫り、俺はこれ以上ないくらい動揺した。
「えっ? えっ!? あ、あの……!」
「……で?」
「へ?」
「神様手に入れてどうしようってんだ。あん? 世界征服か? それとも酒池肉林か……?」
にやり。
自称神様が悪代官も真っ青な顔で俺を見上げる。
俺の方が背が高くて見下ろしてる筈なのに、両手を腰に当てて低く落とした腰で両脚をどっかりと地に着け、口角を左右に引いて思い切り不敵な笑みを浮かべる様は、まるで俺の方が見下されている気分だった。
見下ろす(みおろす)と、見下す(みくだす)。ちょっと違うだけで意味は大分違うなと、そんな事を考える俺の脳が現実逃避する。
「そっ、そんな訳ないじゃないか!」
この人……いや神様は、なんて恐ろしい事を言うんだ。
「ああもう! 君とこうして出逢ったのが俺で良かったよ!」
間違っても、此処で世界征服などと言い出す輩と彼が出会わなくて良かった。
「ほお……、他の奴に譲れねぇ願いたぁデカイスケールじゃねえか。何かもっと恐ろしい願いを──」
「それも違うっ!!」
「……ちっ、つまんね」
悪いのは俺なんだろうか。自称神様は頭の後ろで腕を組んでそっぽを向いてしまった。
しかしそうすると大きく露出した胸元が強調されて、思春期の青少年の目に大変宜しくない。
「……ほら、行くよ」
いつまでも此処でこうしてはいられない。
俺は自分が羽織っていた上着を脱いで彼の肩に着せ掛けると、手を差し出す。
こんな危険な存在、野放しにはしておけない。俺が責任を持って家まで連れ帰らないと……。
「……あ? なんだ?」
「手を繋ぐんだよ、ほら……こうやって」
「!?」
「? どうしたんだい? 顔が赤いけど……」
「なっ、なんでもねぇ!」
──こうして、とても見目麗しい神様と平凡な人間との、とても非日常的で殺伐とした悪逆非道な毎日が始ま……
「らないよ! 変なナレーション入れないでくれ!!」
「……ちっ」
「ああもう君は! 本当に神様なのかい? ……ん? 所でその頭の瘤は……」
手を繋いで隣を歩くと見下ろせる自称神様の後頭部は、ぽっこりと膨らんで瘤になっていた。
自称神様は、今思い出したというようにハタと目を瞬かせて、けれど口角を左右に引いてニィと、背後に黒いもやでも掛かりそうな顔で俺を見た。
「嗚呼……これはなァ、お・ま・え・が・お・の・を・み・ず・う・み・に──」
「わーッかったよ! 俺が悪かったって! ごめん!」
どうやら最初に俺が落とした斧が、彼の頭に当たってしまっていたらしかった。
(だから機嫌が悪かったのか……)
納得した俺は、その瘤にそろりと掌を宛がって撫でた。
自称神様は、短く息を呑んで俺を見上げる。
「……おまえ、名前なんてんだ?」
「俺かい? 俺はアルフレッドさ!」
「そうか。………おい」
「ん?なんだい?」
前を向いていた視線を隣に落とすと、自称神様は不愉快そうに眉間に皺を寄せて。けれどその頬が桜色に染まっていた。
「……俺の名前も訊けよ」
ふっ、と思わず微笑みが漏れる。
あんな凶悪な台詞を吐いた口で、なんて可愛い事を言うのだろう。
「ははっ、神様にも名前があるんだね」
「っんだと!? いいから早く訊けよっ!!」
振り上げる手を柔らかく受け止めて。
俺達は森に声を響かせながら帰った。
なんだか、上手くやって行けそうな気がする。
Q.落としたものは
(君への恋心!別に、それも返してくれなくて良いけどね!)
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