異な愛、慈な愛、妙な愛 前編
「……あいつさえ居れば……」
喧騒の片隅に佇む一人の男。視線を奪われ呆然と呟き漏らす台詞を、聞き咎める者はいない。
皆の注意が幼い子供から逸れている隙を突いて、男は駆け出した。
「おい…! ちびっ子! お前に頼みがある! 俺様一生のお願いだ! だからっ──」
幼い子供は男を見上げ、そして頷く。
「ヒーローは、こまってる人をほうっておけないんだぞっ」
──話は前日の放課後にまで遡る。
「あの眉毛、ほんまに一泡噴かせたいわ」
「俺のエロ本! 没収されたまま返って来ねぇ!」
「そーねー……」
ぽかぽか陽気の屋上。
立ち入り禁止区域である事なんて何のその。
お約束的に扉の鍵が壊れていて出入りし放題の此処は、三人のお気に入りの場所だった。
「あいつロマーノの事泣かせたんやで!?」
「いや俺もそん時見てたけどさ、あれロマーノがあいつの顔見て勝手に泣いただけだから。あの後あいつも泣いてたぜ? 生徒会室でこっそり」
ふぎぎぎ……と拳を握り締めて怒りを露わにする褐色の肌の青年に、顎髭を蓄えて長い金髪を風に靡かせる彼の声は届かない。
「俺のエロ本……! まだ半分も読んで無かったんだぜ!?」
「プーゥー、お前はよぉ。つーかお兄さんその本横からチラッと見たけど、あれ全っ然エロ本じゃないから。エロ本のエの字にも及ばないから」
ヴェストー!弟の名を叫びながらガッシャガッシャとフェンスの金網を揺らす銀髪頭に小鳥を乗せた青年にも、やっぱり彼の言葉は届かない。
「はぁぁあー……」
溜め息を漏らしながらフェンスの傍を離れて屋上の中央付近へと歩む彼、フランスは言った。
「ま、俺もあいつには最近こき使われてるしねー……」
独り言のように呟き落とされた言葉に興味を引かれて振り返るのは、スペインとプロイセン。
そんな三人が着用しているのは、お揃いのズボン。
三人だけではない、男女の違いと各々の個性はあれど、教師陣を除く全ての者が似たような指定の制服を纏って生活を共にしているのは此処、世界W学園。
フランスは、二人を振り返って片方の口角を上げると得意気ににっと笑った。
「明日、お前らに良いもん見せてやるよ。驚くぜ〜」
──翌日、世界W学園校門前。
普段よりも大分早い、道行く人も疎らな時間に出て来たフランスは、小さな歩幅でのんびりと歩くさなか、門の前で待ち合わせをしていたうちの一人が足りない事に気付く。
「あれ? プーは?」
「『チャンス!』とかゆーて生徒会室に侵入してエロ本取り返そうとして眉毛にしょっぴかれてったわ」
「いや……いくら普段より早いからって、イギリスはもっと早いだろ」
「しゃーないやん。言って聞く奴やあらへんもん。…ところで、フランスが連れとるその子供、どこから攫って来たん?」
「攫ってないから!」フランスのそんな言葉を無視したスペインは、自分の腰ほどもない子供の前に屈んで視線を合わせた。
晴れた空を思わせる蒼い瞳と視線がかち合う。
「おれはアメリカだぞっ」
「あめりか……? ああ! 新大陸の! イギリスんとこの新しい植民地やったか?」
ポンと掌を拳で打って納得を示すスペインに、アメリカは両手を振り上げて憤るように振り回した。
「植民地じゃないぞっ! おれとイギリちゅは兄弟なんだぞっ!」
ぽこっと頭から湯気を出すアメリカを、横にいるフランスが腰を折って覗き込む。
「あっれー? アメリカぁ、お前あいつと兄弟で良いのかー?」
「そっそれはまだ言っちゃダメなんだぞっ! おとなになってから、おれがイギリちゅに言うんだからっ!」
一人置き去りにされたスペインが、フランス、アメリカと話す相手に合わせて順に視線を巡らせていると、フランスは幼い子供に向けて片目を伏せて見せ、悪戯に言い放った。
「よーし、じゃあアメリカ。イギリスに言わない代わりに、俺達の頼みを聞いてくれないか? お前にしか出来ないんだ」
「イギリちゅーっ!」
小さな身体に余程のパワーが詰まっていたのか、背後から脚に突撃されたイギリスが大袈裟に身体を揺らし、何とかバランスを取りながら振り返る。
「……っ誰……ア、アメリカぁ!?」
素っ頓狂な声を出した彼、イギリスの前にいたプロイセンも、目を丸くしてその紅い眸に幼い子供の姿を映した。
その様子をT字に曲がる廊下の壁に隠れて窺う影が2つ。
「ここ欧州の教室前じゃねーか」
「そや、中にはドイツやオーストリア、ハンガリーもおる」
「鬼だな……」
こんな場所で生徒会室侵入、強いてはエロ本について言及していたと言うのだから。
「あいつは悪魔、いや眉毛や。……アメリカは大丈夫なん?『なんで来たー!』言われて煮て食べられてまわないやろか」
「まあ見てろって」
「アメリカ……どうしたんだ?」
「イっ、イギリちゅにあいたいって思ったら、気がついたらここにいたんだぞっ! ほ、ほんとなんだぞっ」
先程フランスに言われた通りに繰り返すアメリカは、しかし何処かぎこちない。
「あーアカン! あれやバレてまうわ……!」
幾ら無断で植民地を連れ出した事が知れたら半殺しのメでは済まないとはいえ、連れて来た責任くらいは自分達が取るべきだった。
しかし「もう見てられへん」と目を覆おうとしたスペインが手を翳す刹那に視界に飛び込んで来た光景は、想像したどれよりも驚くべきもので。
「眉毛が……あの極悪生徒会長が……!」
スペインはわなわなと声を震わせた。
欧州の教室からそっと様子を窺っていた何人かも、驚愕に目を見開いている。
視線を一心に集めるイギリスは、ものともしていない。
「──そうか……いつも寂しい思いさせてごめんな? けど、危ないから俺がいない時は外に出たら駄目だぞ。……もっと一緒に居られたら良いんだが──」
廊下に片膝を着いてアメリカと視線の高さを同じくし、眦を下げて柔和に相好を崩すイギリス。
そしてそのイギリスが頭を撫でる手を、当然のように受け入れて満面の笑みを返すアメリカ。
その光景を至近距離から見てしまったプロイセンは、石のように固まっている。
そんなプロイセンに気付いたアメリカが視線を上げた。
「? ……この人はどうしたんだい?」
「ん? ──ああ、悪い事をしたから叱っていたんだ」
「そっか!」
頷いたアメリカがプロイセンの傍まで歩み寄る。
「悪いことをしたら、ごめんなさいなんだぞっ」
「えっ、あ、ああ……ゴメンナサイ……?」
声を掛けられて石化の解けたプロイセンがアメリカの言葉を復唱すると、アメリカは満足げにイギリスを振り返った。
「イギリちゅっ、『ごめんなさい』って!」
イギリスはアメリカの頭を撫でて満面の笑みを浮かべた後、少し眉間に皺を寄せた相貌をプロイセンへと向ける。
「そうだな、……おいプロイセン。……もう行って良いぞ」
「えっ!? なっ、あ……おう……」
今自分が見たものを信じられないと言うように視線を虚ろわせながらフラフラと歩いて来るプロイセンを、廊下の曲がり角に差し掛かった所でフランスが引っ張り込んだ。
「どうわ!」
「プー、しーっ」
「フランス!? に、スペイン!?ちょっ、お前等一体なんなん……フガッ!」
「良いから黙って見てろって」
フランスの指先がプロイセンの口を覆って言葉を制して。
息を殺して見定める三人の視線の先では、辺りに花でも散らし兼ねないほのぼのとした遣り取りが繰り広げられていた。
「イギリちゅと同じ服をきてる人がいっぱいいたけど、イギリちゅが一番かっこいいんだぞっ」
「はは、嬉しいよアメリカ」
「けど……大きくなったら、おれの方がかっこよくなるんだぞっ! ぜったい、ぜったいなんだぞっ」
「ああ、違いねぇ。いや、お前は今でもかわ……格好良いぞ、アメリカ」
「〜〜〜っ! イギリちゅーーッ!」
「グフッ!首……首が締まっ……」
「そんな……嘘やろ、あのイギリスを跪かせる国がおったなんて……あのガキ絶対いつか大物になるで……」
「ありゃ只のブラコンだろ。……まあ、大物になるっつーのには同意だが」
よろりと後ろに傾くスペインを支えてやるべく手を伸ばした事で、フランスの手がプロイセンから離れる。
「もがも……ブハッ! おい!マジ説明しろ! んで俺様も混ぜやがれ!あ とエロ本取り返すのマジ手伝って下さい!」
「プー、お前ほんっと煩い。つーか何でそんなその本に拘るのよ。お兄さんがもっとすんごいエロ本貸してやるから。な?」
「すんごいエロ本!? っいや……、あれじゃなきゃダメなんだ」
「なんでよ」
「……だ…だってよ、……あいつに似て……」
「! 誰か走って来よったで!」
「マジ!? ……おっ、日本じゃねーか」
亜細亜クラスの生徒がわざわざ欧州クラスまで駆け付けて来た。
きっとこの騒ぎを耳にしたからに違いない。
フランスと、元よりプロイセンの話を聞いていなかったスペインの興味はすっかり日本に移った。
「聞けよ俺の話!」
虚しく木霊する声に、言葉を返す者は誰も居ない。
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