Doubt 4
アルフレッドがおかしい。
俺とアルフレッドとセーシェル。昇降口に向かって人のいない校内を歩く途中、アルフレッドはずっとどこか気忙しい様子だった。何か言いたい事があるなと察するが、口に出さない所を見るとセーシェルの前では言いにくい内容なのかもしれない。そう思った俺は二人きりになってから聞けばいいかと特に触れずにいた。
それに、今はちょっと別の事でも忙しい。歩きながら、鞄の中に突っ込んだ右手を掻き回す。嫌な予感がした。
「うわぁ……外まっくらですよ、雨もスゴいですし」
取り留めのない会話と雨粒が窓を打つ音、昼間に比べて随分と薄暗い廊下。妙に刻が経つのを遅く感じる空間。
セーシェルが窓辺に駆け寄った刹那、僅かに辺りが明るくなった。
「ぎゃーっ! 雷! 今向こうでピカッて光りました!」
「おまえ、そんなんで一人でちゃんと帰れるのか?」
呆れて言っても聞いちゃいない様子のセーシェルに溜息を吐く。
もっと早く帰しておけばよかった。朝の予報に出ていた降水量から予測は出来た筈なのに。生徒会室を出た時よりも強くなった雨足、まるで夜のような見通しの悪さ。完全に俺のミスだ。
「仕方ねえ、送って行くか」
「えええええ! これ以上雨を酷くするつもりですか!?」
「うるせえ! なあ、アルも――」
一緒に来てくれないか? で、傘に入れてくれ。
そんな俺の言葉は、声になる前にアルフレッドに遮られた。
「随分と仲がいいんだね。俺はお邪魔みたいだから先に行くよ」
「は?」
「ええっ!?」
「おいアルっ! 待てって、一人で行くなよ。一緒に……」
一瞬、誰が言ったのかと耳を疑った台詞に出遅れる。思わず伸ばした腕は、後少しの所でアルフレッドに届かない。
すたすたと軽い調子で前へ進み出たアルフレッドは、少し顔を逸らして振り返らずに吐き捨てた。
「一人じゃないぞ。彼女と……そう、エミリーと付き合う事にしたんだ。話してみたら明るくて楽しいし気も合うし、胸も大きいしね!」
「あっ、おい! アル!」
足音を響かせるアルフレッドの背中が廊下の角を曲がり、俺の腕を置き去りにしたまま見えなくなる。
取り残された俺とセーシェルを、どこか遠くに聞こえる雨の音が包んだ。
「…………」
「行っちゃいましたね……」
「……ああ……」
「どうしたんでしょう」
「俺が知るか」
なんだアイツは、本当にどうしたんだ。
アルフレッドの言葉を反芻する。俺とセーシェルの仲がいい……って、いつもと変わらないと思うが。まさか拗ねてるのか? どうして。
もしくは俺がセーシェルに告白された――事がある、という設定を気にしてる? それこそまさかだ。そんな設定、俺なんていつ忘れてボロを出すか思い出す度ひやひやするぐらいだ。
「アーサーさんが変な嘘吐くから、怒ってるんじゃないですか?」
「……んな訳ねえだろ。とにかく追いかけるぞ」
丁度同じ事を考えていただけに、返す言葉は鈍くなる。けどまさか、そんな事で。アルフレッドはそんな奴じゃねえだろ。ならどんな奴かと訊かれたら、答えに困るけど。
でも、もし、少しでも原因があるのなら。
――あんな嘘、吐くんじゃなかった。
昇降口まで駆け足で向かうと、アルフレッドはまだそこにいた。
さっさと帰ってしまうかと思っていた分、案外のんびりとした様子にほっと息を吐く。
「おい、ア――」
「あっ! なんだいアル、やっぱり一緒に帰るんじゃないかっ!」
「……へ?」
明るい声と共に、アルフレッドの後ろから二回りは小柄な女生徒がぴょこんと顔を出した。俺が立ち止まれば向こうから歩み寄って来たのは、青い目に少しクセのある金髪。知ってる。エミリー、だ。
「ええっ!? アルフレッドさん、本当に彼女いたんですか!?」
「初めまして! エミリーだぞ、ですっ」
「あ、私はセーシェルっす! 敬語は苦手だからいらねっすよ!」
「本当かい? よかった、あたしも苦手なんだ」
手を差し出すエミリーにセーシェルが応えている。その次は勿論、すぐに俺の番だ。
「初めまして、あの、エミリーって言います」
「あ、ああ」
アルフレッドの顔を見る事は出来なかった。もし俺に空気を読むスキルが全くなければ、「この子、おまえが振った子か?」なんて訊いていたかもしれない。それくらい、顔には出さないが動揺してる。
俺はアルから何も聞いてない。
「俺はアーサーだ。あー……その、アルフレッドの友達っつーか、保護者というか……」
舌の上を滑るように出たのはそんな台詞だった。
俺の言葉を聞いたエミリーはからからと楽しそうに笑って、思わずちらと視線を向けたアルフレッドはむすっと膨れてしまう。そりゃ可愛い彼女の前で馬鹿にされたようなもんだから当然か。言葉を誤ったかもしれない、そんなつもりはなかった。じゃあどんなつもりだったのかと問われれば、そんなのこっちが聞きてえよ。
聞きたい事は沢山あって、喉仏の裏をずるずるとせり上がって来てる筈なのに、ちっとも言葉にならない。勿論こんな所じゃ何ひとつ聞けやしないけど。
握手を交わしたエミリーは気恥ずかしげにはにかんでいた。かわいらしい笑みだと思った。
話の流れで四人で帰ろうという事になったのは、ひとえにセーシェルとエミリーがすぐに打ち解けたからだ。各々外へと向かう中、三人に遅れて俺が立ち尽くしている事に気付いたのはアルフレッドで。名前を呼ばれた俺は鞄の中を漁っていた手を止めてゆっくりと顔を上げる。
予期せぬ出来事というのは続くものらしく、俺の嫌な予感は的中した。何もこんな日にと思う。
「アーサー? さっきから何やってるんだい? ……まさか君……」
言いながら眉間に皺を寄せるアルフレッドの青い瞳から目を逸らす。決してわざとじゃないから、そんな目をしないで欲しい。
セーシェルとエミリーも振り返って、きょとんと俺を見る。三人分の視線は、普段アルフレッド一人に向けられる呆れた眼差しとは比べ物にならないほど俺を居た堪れない気持ちにさせた。
アルフレッドの「まさか」が何を指しているのかは分からないが、恐らく、たぶん、正解だ。
「あー…………傘、忘れた」
「えええええ!? ちょっ、どうするんですかー!」
「君ねえ! 人には持って行けって言っておいて!」
「う、うるせえっ! ねえもんはねえんだから仕方ないだろっ」
二人に返す声も力ない。
俺に傘を借りるつもりでいたセーシェルは落胆の色を隠そうともしないし、アルフレッドはどう見ても怒っている。
確かにこの鞄の中に入れたと思ったんだ。入れた筈だった。いつどのタイミングで入れたのかは思い出せないけど。
――ああ、そう言えば玄関に置きっ放しの、ような。
「もしかして二人ともないのかい?」
エミリーの言葉に、セーシェルがガックリと項垂れるように頷く。
外を見れば、ホースで水でも撒いてるんじゃないかってぐらい絶え間なく水が降り注いでいて。
せめてセーシェルだけでも送ってやってくれないだろうか、そんな気持ちでアルフレッドを見れば、苛立ちを湛える青と目が合う。アルは溜息と一緒に肩を落とした後、やれやれと言うように竦めてみせ、少し笑った。よかった、これは了承の意に違いない。
安堵に唇が緩んで俺も笑み返そうとした所で、横から差し出された物に意識を奪われて。
「あの、これっ、使って下さい。小さいかもしれないけど……」
「えっ」
差し出された細長いそれを咄嗟に受け取る。
白と赤のストライプに小さな星が散りばめられた折り畳み式の傘は、エミリーから渡された物だった。ぱっと手を離して鞄のファスナーを閉め直している様子を見るに、第二第三の傘が取り出される気配はない。エミリーは俺と目が合うと、何でもない事のように目元を緩ませた。
まさか借りる訳にいかないだろう。そう思って慌てて突き返そうとしたが、どうやら心配は無用だったようで。
「あたしはアルが送るって言ってくれたから。二人で使ってください」
「あー……なら、ありがたく使わせて貰うかな。俺はこいつを送って行く」
照れ臭そうにはにかまれては、断る理由も浮かばない。それはセーシェルも同じだったようで、こいつ、と視線を投げれば一瞬嫌そうに顔を顰めたものの、否やの言葉は出てこなかった。
アルフレッドだけはどこか面白くなさそうな顔をしていたけど、まさか俺がエミリーから傘を借りた事に対する嫉妬とかはやめて欲しい。泣いてしまいそうだ。何でそう思うのか、俺にも理由は分からないけど。
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