君がいる明日 - main
Doubt 2


「――っつー訳だ、頼む」
「ぜってーヤですよ!」

 バン、と手の平で机を打つ音が響くのは、放課後の生徒会室。
 昨日と同じく夕暮れの陽に背中を押されるような、一般の生徒であれば帰りの刻限。今この部屋には俺を含めて三人の人間がいる。
 音を立てた主、低めの長机を挟んで向かい側のソファから立ち上がったのは生徒会の紅一点、書記兼雑用係のセーシェルだ。
 衝撃でカチャリと揺れた紅茶のカップに、危ないだろうがと睨んで見せる。いつもならここで怯む相手に、動じる様子はない。

「安心しろ、アルフレッドは口が堅い」
「そういう問題じゃないです!」

 今度は机を叩く代わりに長い黒髪を振り乱したセーシェルは、大げさなジェスチャーを交え時折ツバまで飛ばしながら如何に俺の頼みが嫌であるかを語り始めた。

「なんで私が眉毛なんかに告白して、しかも振られた事にならなきゃなんねーんですか!」

 ですか! ですか! ですか――! 
 エコーでもかかりそうな大声に、なんでコイツはこんな無駄に元気なんだと、呆れよりも先に疲れを覚える。

「落ち着け、別にピンポイントで眉毛に告白した事にしろとは言ってないだろ」
「意味がちげーです! アーサーさんに告白する理由なんてひとっつもないって事です!」
「なに言ってんだ、あるだろ探せよ。生徒会長の俺に惚れ惚れするようなとこ。それをちょっと拗らせた事にしてだな」
「ないです!」

 失礼だなおい。
 即座の否定に舌を打つと、セーシェルが心なしか目を潤ませて肩を震わせた。それでもキッと睨んで来る視線の強さは衰えない。なんだよ、これじゃまるで俺が虐めてるみたいじゃねえか。この俺が、珍しくこんなに頼み込んでるというのに。

「おまえにしか頼めない事なんだ」
「ヤです!」
「よし分かった、気の迷いだったって事で妥協してやる」
「妥協してくれなくていーです!」
「罰ゲームで渋々はどうだ!」
「自分で言ってて悲しくないんですか!?」
「なら酔った勢いでついうっかり、で妥協しろ!」
「アーサーさんと一緒にしないで下さい!」
「どういう意味だコラ!」
「とにかくお断りします! 眉毛でも生徒会長でもなくて、アーサーさんがイヤなんです!」
「うぐっ、く、くそっ……」

 そこまで言うか、普通。
 頑として譲らないどころか、あまつさえ俺がイヤって何だよ、泣くぞばか。あと俺は酔った勢いで告った事なんかないからな。そこんとこ勘違いすんじゃねーぞ。
 セーシェルは一瞬だけひるんで「言い過ぎた」という顔をしたが、睨み合いはすぐに再開した。
 まずい、もうすぐ部活動を終えたアルフレッドが来る時間だ。早くなんとかしないと……。

「――こうなったら生徒会長命令だ。事情を知ったからには、ぜってー逃がさねえぞ……」
「うわーん横暴です! フランシスさんも何とか言って下さーい!」

 とうとう完全に涙目になってしまったセーシェルが視線を向けた先、フランシスは肩を竦めて交互に俺達を見た。
 高見の見物を決め込むコイツも巻き込んでやれたらよかったんだが、幾ら切羽詰った状況とはいえ俺にも選ぶ権利がある。
 特にコイツは駄目だ。昔「いま俺んちやばいみたいでさ、助けると思って……!」とカレンダー片手に迫られた事があるから洒落にならない。無論あんなのは告白としてノーカウントだ。今ではお互い黒歴史だしな。
 そもそも告白ってのはイヤがってる相手に無理やり了承のサインをさせようとするもんじゃないだろ。それこそどこの罰ゲームだよ。

「俺は面倒な事になる前に、正直に言った方がいいと思うけどねぇ」
「うるせえ! アルフレッドに言ったら承知しねーぞ!」

 俺の声とほぼ同時に、バタンと大きな音が響いた。
 見なくたって分かるような大きな音に視線を向ければ、予感は的中。我が物顔で生徒会室に入って来るのは勿論。

「俺がどうかしたのかい?」

 話題の渦中の男。俺が今もっともここに来て欲しくない人物ナンバーワンに輝く、アルフレッドの登場だ。

「ア、アルフレッド! なんでもねえよっ」

 ガラス越しに一点を見据えるアルフレッドの視線の先は、じいっと音でも立ちそうなほど、あからさまにセーシェルを向いていた。それを受けたセーシェルが思い切り不自然に顔を背けたのを見たところで俺は立ち上がる。
 このままここにいたらまずい。どこからボロが出るか分かったもんじゃない。

「アル! 早く帰ろうぜ。おい髭! 後は頼んだ」

 フランシスの返事は待たずに、制服のポケットから取り出した鍵を放る。宙に放物線を描いた銀色は、飾り気のないキーホルダーとぶつかりカチャリと音を立ててフランシスの手の内に落ちた。
 チャランポランに見えて実際チャランポランなヤツだが、肩書きだけは生徒会副会長。後を任せるぐらい大丈夫だろう。大丈夫じゃなければ明日、いかに自分が愚かな髭であったかをその身に教えてやればいい。
 俺は納得いかない顔をしているアルフレッドの背中を押して、足早に校内を後にした。



「で、何の話をしてたんだい?」
「だから何でもねえって言ってるだろっ」
「……ふぅん、俺に言えないような事なんだ」

 並んで歩く帰り道、俺達の間には微妙な距離が開き、アルフレッドは存外しつこく同じような質問を繰り返していた。なんだよ、いつもあんなもんじゃねえか。
 心に疚しい事がある俺は、そろそろ見逃してくれと願うばかりだ。

「あ、ほらアル、あそこにアイスワゴン車があるぞ」

 言うが早いか隣を歩くアルフレッドに向き直り、「言うまで返さないぞ」なんて引ったくられていた自分の鞄に手を伸ばす。中から財布を取り出しても、アルフレッドは何も言わなかった。まあ、滅茶苦茶恨めしげに見られてたけど。
 ぱちりと目が合えば、溜め息混じりに軽く肩を竦められる。アイスに釣られて見逃してくれたのか?
 俺が必死過ぎて呆れたのだとしても、結果良ければ全てよしだ。とにかく今回の根気勝負は俺の勝ちらしい。

「君が買い食いなんて珍しいね、生徒会長さん?」
「俺は喰わないからいいんだよっ、買ってくるからちょっと待ってろ」

 辺りはすっかり陽も沈み始め、道行く人も疎らだ。
 俺はアルフレッドを置き去りに、ピンクを基調とする派手な色をした車の傍まで走った。
 少し迷った末に、ダブルのアイスを注文する。おびただしい数のフレーバーの中から、バニラとチョコをチョイス。
 いつも三段は重ねたアイスに何味か分かったもんじゃない色のフレーバーを注文しているアルフレッドが文句を言う姿が浮かんだが、誰が毒々しい色彩の得体の知れない菓子など注文するものか。

「おまたせ、アル」

 言いながらアイスを押しつけて二人分の鞄を引ったくる。
 よしよし、取り上げられていた俺の鞄が返ってきたぞ。

「ほら、鞄は俺が持っててやるから。歩きながら喰おうぜ」

 アイスで誤魔化されると思うなよとでも言いたげな、むっつりとひん曲がった唇。俺はそれを見ない振りして、先導するように歩き出した。背中に感じるアルフレッドの声。

「君の分のアイスは?」
「だから俺はいいって」
「…………」
「なんだよ? っと、」

 俺とアルにコンパスの差なんて大してないだろうに、易々と隣に並ばれる。そうして目の前に差し出されたのは、コーンの上に仲良く乗った白と茶色の塊だ。近づけられた唇にはひやりと冷たい冷気、鼻先を甘い匂いが擽った。食べろ、という事だろうか。アイスとアルフレッドの顔を見比べて、そろそろと伸ばした舌で一舐めした。
 口の中にひんやりと広がる甘い味。

「どうだい? 冷たくて美味しいだろう」

 俺が買ってきたアイスなのに、なんでおまえが得意気なんだよ。
 さっきまでは面白くなさそうだったアルフレッドの表情が、思いの外柔らかいそれに変わる。
 こいつの顔は、あんまり近くで見過ぎると心臓に悪い。俺はアイスから顔を上げるのに合わせてアルから一歩下がった。

「いっ、いいから後はおまえが喰えって」
「うーん、でも君の食べかけじゃあなぁ……」
「おまえが喰わせたんだろうが! ばかっ!」

 あはは、と笑いながら結局俺が舐めた所から食べ始めるアルフレッド。どうせ喰うクセに、おまえは一言多いんだよと言ってやりたい。
 ポーズだけで怒ってみせる俺と、しれっと涼しい顔でアイスを頬張るアルフレッド。髪を流す風が甘い匂いを運ぶ。

 俺はアルフレッドに関して、例えば今なにを思ってるだとか、あるいは他人は気づかないような表情の微細な変化とか、そういうのは半分ぐらい分かってるつもりだ。半分っていうのは、全部分かったような気になっても、結局どこかで「なんで今アルが怒ってるのか分からない」とか、「何でこれで喜んでくれないのか分からない」と思う事が多々あるからだ。
 因みにアルに言わせると、俺の方が全然分かり難いらしい。「君は普段分かりやすいクセに、肝心な時に分かりにくい。全くいやになるよ」とはいつだったか聞いたアルの談。ったく、それはこっちの台詞だっつーの。まあ……否定はしねえけど。素直じゃない自覚ぐらいはある。だから無自覚なアルの方が、俺は質が悪いと思ってる。小さい頃は今よりずっと分かりやすかったのに。

 それでも他の奴等に比べたら、アルが俺を、俺がアルを一番理解している事に代わりはないけどな。女心と秋の空とはよく言ったものだが、俺にとってはアルフレッドと夏の空だ。突然台風が起きたりするけど、晴れた日は本当にキラキラ眩しい。
 ――そこまで考えて、ふと、最近アルフレッドの嬉しそうな顔を見てない事に気が付いた。昨日、恥を忍んで言った台詞がアルに通じなかった事を、なんとなく引きずってる気がする。

「――なあ、そうだアル」
「うん? なんだい?」
「おまえ、このあと暇か?」
「え、まあ」
「なら俺んちに来いよ。いいもんやるからさ」

 アルフレッドやフランシスは俺が執念深いだの何だのと言ってくれやがるが、アルフレッドだって大概だ。このままでは明日にでも、セーシェルに真相を確かめに行きかねない。セーシェルの協力が見込めない今、俺はこいつの機嫌を取って置きたい訳で。
 おまえが告白された事あるなら、俺だって告白された事があるんだからな――そんな下らない男の矜持ぐらい、守らせてくれよ。
 そのついでに、あくまでついでに、アルフレッドが喜んでくれるなら一石二鳥ってやつじゃないか。
 思い付いた策に心が沸き立つ。顔がにんまりと笑み崩れているような気さえする。

 俺が告白された否かの過去の有無なんてアルフレッドが気にならなくなるような、ついでにアルフレッドの機嫌とテンションが絶好調まで高まるような、とっておきの秘策にほくそ笑みながら、俺達は足早に家路を急いだ。



「――……で、君の言ういいものって、これの事かい?」
「ああ、俺のとっておきだ。貸してやるから、家帰ってじっくり見ろよ」

 アルが座ると手狭に見えるシングルベッド。深く腰を降ろして寛いでいたアルフレッドは、俺が差し出したポルノ雑誌を手にした途端に深々と溜め息を吐いた。
 狭い男の一人部屋だ。アルは俺のベッドに座り、俺はこの部屋に一つしかない勉強机用の椅子に座って二人で一冊の雑誌をのぞき込んでいる。
 更にベッドの脇、アルフレッドの傍には、普段は手に取りやすい位置に隠してある厳選に厳選を重ねた雑誌達が小山をなしていた。山を築いたのは勿論俺だ。

「君は本っ当にこういうのが好きだね」
「男なら誰だってそうだろ?」
「まあ、そうだけどさ」

 アルフレッドの視線が、机の上をちらと向く。つられて俺も振り返った。
 机の上には学生らしく、参考書や何やらが乗っている。一見アルフレッドの興味を引く物は無さそうだが、俺は背中にチクチクと刺さる視線を感じた。隅にぽつんと置かれた写真立ての中に、グラビアアイドルの写真の切り抜きを入れているからだ。
 これを初めて見られた時の、アルフレッドのひどく驚いた顔と白い眼差しはまだ記憶に新しい。
 いや、でもこれはだな、と俺はいつもと同じように心の中だけで言い訳をする。この写真立ての中には、少し前までは幼い頃にアルフレッドと撮った写真を入れていたんだ。今ではメタボ気味なこいつが、まだ白いワンピースを着ていた頃の。その写真をフランシスに見られた時、「おまえまだこの写真飾ってんの!? いつからよ! 将来犯罪に走らないか心配だわ〜」などと笑いながらのたまわれたので、その場の勢いで傍にあった雑誌を切り抜いて写真立てに突っ込んだのだ。以来、意地で飾り続けている。アルフレッドには呆れられるだろうと分かっていたので、この話はしていない。
 昔のおまえの写真を見て胸がきゅんとするのと、グラビアアイドルの写真を見て胸より下がきゅんとするの、どっちが健全な男子高校生だと思ってるんだ。
 ――とはいえ、今更だが綺麗な思い出を汚しているようで胸が痛む。急にアルフレッドの視界から写真立てを隠したくなった俺は、手の平で覆うように掴み取り引き出しの一番上に突っ込んだ。

「――……アーサーはさ」
「うん?」
「今度誰か……例えばもしエミリーに告白されたとしたら、付き合ったりするのかい?」

 雑誌に視線を落としたアルフレッドが、パラパラと興味もなさそうにめくりながら言う。

「あ? うーん、そうだな……」

 俺は次々と興味が無さそうに捲られては行く豊満な美女達から視線を外し、椅子の背に凭れながら少し考えた。
 長年使っている椅子がギシリと音を立てるが、これくらいじゃどうって事ない事は長く使っているので知っている。
 脳裏に浮かべるのは、水泳部期待のエース、胸がデカい一年生の顔。思えば少しアルフレッドに似ていた気がする。水泳部が使うプールは校舎の裏にあって、そこには丁度俺が世話をしている花壇があるから何度か見かけた事があった。
 プールと校舎裏を区切る背の高いフェンスの向こう、太陽の下でキラキラ輝く青い瞳は確かに魅力的に見えた。あと胸がデカい。

「正直あの胸は……いや、やっぱり断……」

 俺が最後まで言い終わらない内に、突然パンと乾いた音を立てて雑誌を閉じたアルフレッドが立ち上がった。
 訳が分からずぽかんと口を開けて見上げる俺を見たアルフレッドの青い目は、どこか鼻白むような色で俺を映している。

「アル?」
「俺はそろそろ帰るよ」
「もうか? 飯喰ってけよ」

 そのまま部屋を出て行こうとする様子に、慌てて腰を浮かせながら言えば、返って来たのはとんだ憎まれ口。

「ん〜、残念だけど今日は愛用の胃薬を持ってないんだ」
「んだと! 誰がやるかっ、ばーか!」

 こう言いながらしょっちゅう喰いに来るクセに、なんて言い草だ。
 アルフレッドが出た後の玄関の鍵を閉める為に、数歩の距離を開けて後に続く。

「あんまり変な雑誌ばっか読んでると、女の子に嫌われるんだぞ」
「うるせえ」
「アーサー」
「なんだよ」
「明日は朝練がないんだ、一緒に学校行こうよ」
「……おう」
「それじゃ、また明日ね」

 最後はばいばいと手を振って帰って行ったアルフレッド。なんなんだあいつは。ほらな、やっぱり台風だ。
 因みに俺のとっておきは、乱暴な手付きでゴミを回収するみたいにポイポイと鞄に突っ込まれてお持ち帰りされた。なんだよ、結局おまえだって好きなんじゃねーか。
 アルフレッドの部屋にもこの手の雑誌があるのは、前に見たから知っている。趣味はすごく偏っているようだったが。幼馴染ナメんなよ。

 俺は腹が立つやら拍子抜けやらで自分でもよく分からない気持ちを持て余しながら、くるりと玄関に背を向けた。

 

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