君がいる明日 - main
Doubt 1


 突然だが、俺の初恋は男だった。
 近所に住んでたソイツが、白いひらひらのワンピースを着せられて、たっぷり遊んだ別れ際に「あーさーがいないとさみしいんだぞ」なんて泣いていた時代の話。
 そんなアイツも俺も、今では高校生。縦へ横へと無駄に成長した同性を相手に恋情を抱くほど、俺は酔狂じゃあない。
 至ってノーマルに、出逢った時から変わらず一番仲のいい友人……し、親友として共に過ごしている。はずだ。
 今まさに、約束をすっぽかされている訳だけどな。
 それでも、きっと何か急な用事でも出来たんだろうと。こうして放課後の教室で待ち惚けを喰らえるぐらいには。
 俺とアルフレッドは、多くの時間を共有してきた。




 窓の向こうに見える広いグラウンドは人もまばらで、帰る背中ばかりが目立つ。
 本来なら俺も、とっくにあの中の一員だった筈なのに。
 誰もいない放課後の教室。
 俺はさっきから窓際にある自分の席に座り、机に肘なんか着いて。夕暮れ色に染まっていく空をぼんやりと眺めていた。

「ったく、アルのヤツ……」

 ぼやいた声に、返る音はない。
 俺、アーサー・カークランドがこうして待ち惚けを喰らいながらも待っている相手は、アルフレッド・F・ジョーンズ。
 互いのシモの毛が生えた時期からエロ本の隠し場所までよく知る俺達は、いわゆる幼馴染みというやつだ。
 今でこそ、成長するにつれて徐々に趣味も性格も違ってしまい、ちょっと知り合ったぐらいのヤツからはおおよそ仲が良いとは思われない俺達だが、子供の頃は本当に何をするにも一緒だった。否、まあ今でも、何だかんだで同じ高校に進学して、同じクラスで学び、用がない時は学校の行き帰りや休日も共にしているぐらいは仲が良いと言える筈だが。
 今日だって、アイツが一緒に帰ろうと言うから──……。
 俺は生徒会、アルフレッドは部活動と忙しく、最近は一緒に過ごす時間も昔に比べれば随分と減った。
 今も、もしかしたら部活の友人達と楽しく笑い合っているのかもしれない。
 ――ガキの延長みたいに続いた関係も、そろそろ潮時かな。お互い別々の道を歩む時が来たのかもしれない――なんて、そんな風に思った時だ。

「アーサー! お待たせ!」

 タイミングが良いのか悪いのか。勢いよく開けられた扉の開閉音と共に教室に響いたのは、慌てた様子の知った声。
 驚いてびくんと跳ねた肩を落ち着けて。勿体ぶりながら振り返れば、其処にいたのは子供の頃からつぶさに成長を見てきたアルフレッドだ。
 走って来たのか、息が上がっている。

「遅ぇよばか。あと5分で来なかったら先に帰ってたんだからな」

 嘘だけど。
 形だけは叱責の念を込めて眉間を顰める俺を気にする様子もなく、さっきまでの勢いを潜めて教室の中に入ってくるアルフレッド。その足取りが、なんだか少し、重いような。

「……アル?」

 着席したままの俺は、すぐ傍まで来たアルフレッドを見上げる姿勢になる。俺の目を見ようとしない様子に、何かあったのだとピンときた。

「どうかしたのか?」
「うん、ちょっとね……」

 アルフレッドの歯切れが悪いなんて珍しい。KYなぐらい明け透けで、太陽の下で笑う顔がよく似合う、そんなてらいのなさがコイツの長所なのに。原因に心当たりが浮かばない俺は、内心首を傾げながらも促されるまま席を立った。
 聞かれたくない話なのか、それとも聞いて欲しいのだろうか。迷う俺が話の接ぎ穂を探している内に、そわそわと身体を揺らしたアルフレッドが口を開く。

「話したいことがあるから一人で来てくれって……その、今まで校舎裏に……」
「何か言われたのか?」
「ううん、いや……うん。そうなるのかな」

 一瞬、果たし状…決闘、そんな類の呼び出しかと思ったが、コイツはそんな事ぐらいでこんな顔をしたりはしないだろう。こんな、まるで――

「……告白されたんだ」

 ……へ?

「――あ、そ」

 アルフレッドから視線を外して返した気のない相槌。ぴくりと動いた指先をそっと握り込む。
 正直に言おう。もやっとした。
 心配して損した、とか。約束してた俺を放っておいて、とか。まるで俺に対して後ろめたいようなアルの歯切れの悪さとか。
 別にアルは、俺のでも誰のものでもないのに。

「つ、付き合うのか?」

 気づけばそう聞いていた。俺達しかいない静かな教室の中に、妙に上擦った俺の質問が落ちる。
 なんでどもった、落ち着け俺。

「まあいいや、帰ろうぜ」

 今更のように沸く羞恥を誤魔化すべく、俺は扉に向かってさくさくと歩き出した。
 急な動作で上半身から先に捻った所為か、腰から上のどこかがつきんと痛みを訴える。勿論無視だ。
 考えてみればアルは運動も勉強も出来るし? そりゃあ告白の一つや二つ、されて当然だろう。けど勉強は俺が教えてやってる訳で、つまり偉いのは俺な訳で。まあそれを差し引いてもアルはやれば出来るヤツだけど。いや、偉いってなんだよ。
 そんなグルグルと詮無い俺の思考を遮るような、むっとした声に呼び止められる。「アーサー、よくないだろ」なんて。そうだ、コイツは声もよかった。普段は阿呆みたいに明るく馬鹿デカイ声で話すクセに、時々ひどく雄臭い声を出す。昔は女の子みたいだったのに、あの頃の可愛いお前はどこに行っちまったんだ。
 一拍おいてから「なんだよ」と振り返ればかち合う強い視線に、なぜだか負けた気になる。なんの勝負をしてるってんだ。

「今日会ったばかりの子だぞ? 付き合う訳ないじゃないか」

 軽く肩を竦めて腰に手を当てたその顔は、面白くなさそうに顰められているが、嘘を吐いている気配はない。
 なんとなくほっとしているような自分に、さっきとは違う気持ちでもやっとする。
 友人として告白を喜んでやるとか、男として悔しがるとか、色々あるだろ。さっきまでは、ガキの延長みたいな友人関係ももう終わりか、なんて思っていたのに。今は寂しいとか、アルが取られるような気になるとか、俺はバカか。ほっとしたってなんだ、なに安心してんだ。ガキじゃねえか。
 そりゃあ俺達、ずっと二人一緒でやってきたけど。

「アーサー?」
「おまえって、案外真面目っつーか、堅いよな」

 からかい混じりに言ってやれば、打てば響くように返るのはアルフレッドの気分を害した声。

「もう、うるさいぞ!」

 拳を振り上げるジェスチャーに、俺も腕を翳して防御の態勢を取った。追って追われてを繰り返しながら、人気のない校舎の廊下を急ぐ。アルフレッドの顔が、やっと俺を見て笑った。

 いつもと代わり映えしないじゃれ合いに、俺は今度こそ心の底からほっとした。




「――でさ、」
「うん?」

 並んで歩く帰り道。オレンジの明かりも薄闇に取って代わりそうな空の色。そろそろ分かれ道に差し掛かるという時に、アルフレッドがそれまでの声の調子を落としてぽつりと呟いた。
 ともすれば聞き漏らしてしまいそうな声に、自然と距離を寄せる。

「……エミリーって子なんだけど、君、知ってるかい?」
「エミリー?」

 耳慣れない名前を繰り返すと、アルフレッドが頷いた。さっき見たのと同じ顔。何の脈絡もない突飛な質問だったが、恐らく今日アルフレッドに告白したという女生徒の名前だろう。
 エミリー、エミリー……どこかで、聞いたような――

「――ああ! あの胸がデカいって噂の一年生か。水泳部の期待の新人」

 ぽんと手を叩き、思い出した自分を誇るように言ってやる。
 そうだ、確か生徒会室で髭が言っていた。
 髭というのは、生徒会副会長のフランシス・ボヌフォワの事だ。

「君ねえ……」

 間髪置かずに寄越されるのは、さっきよりも呆れを含んだ声と、じっとりとした半眼。

「な、なんだよ!」
「いや、その様子じゃ君も親しい訳じゃないんだろうなと思ってね」

 白い目で見るな、白い目で。
 機嫌を急降下させたアルに俺も声を張り上げる。

「言っておくが俺は話を聞いただけだからな。文句があるならフランシスに言え!」

 そうだ、そんな目で見られるべきは、アイツであって俺じゃない。俺はただ、そう、ちょっと記憶力が良すぎただけで。っつーか質問に答えただけでなんで不機嫌になられなきゃいけないんだ。
 今日のアルフレッドはどこか様子がおかしい。思えば朝から少し変だった。
 まだ面白くなさそうな顔をしていたアルフレッドが、俺を置いて足早に歩き出す。慌てて隣に並ぼうと足を急がせれば、人もまばらな住宅街に響くのはコンクリートを蹴る二人分の足音。

「おい、アル!」

 しっかりと隣、寧ろ一歩先をキープする歩調で合わせ、アルフレッドを窺った。

「なあ、どうしたんだ?」

 こんな時、俺はついアルの機嫌を取りたくなっちまう。まあ俺も、あまり素直な性格はしていないので口論に発展する時も多いが今は断然、前者の気分だった。
 なあアル、どうしたんだ? おまえだって、男なら胸のサイズについ反応する気持ち、分かるだろ? それともおまえは貧乳派なのか? 貧乳はステータスなのか?
 ――そんなフォローとして有効か否かいまいち自信がなかった俺の台詞は、幸か不幸か口から出る事はなくて。

「……アーサーはさ」

 アルフレッドの言葉に遮られる。
 やっと俺を映した青い双眸が、見慣れない色をしている。そんな目で見られる覚えのない俺は、首を傾げるより他なくて。

「なんだ?」
「――誰かに告白されたこと、あるかい?」
「……へ?」

 ぱち、ぱちりと、俺はゆっくりきっかり二回、瞬きをした。

「あっ、当たり前だろ!」

 咄嗟に言ってから考える。
 えーっと……俺達は今、何の話をしてたんだっけ?
 例の胸の大きな一年生の話をしていて、アルフレッドが不機嫌になって、それで――。
 アルフレッドは何も言わない。
 黙ったまま、それでもノロノロと歩く俺達の横を、速度を落としたトラックが通過して行った。その一瞬、視線を逸らして再び見たアルフレッドの相貌は、眉がひくりと上がり、心なしか青い瞳がさっきよりも温度を下げた、ような。いやいや気の所為だよな、うん。とりあえずは、アレだ、フォローだ。

「ま、まあ……、おまえといる方が楽しいから、断ったけどな」

 ――キまった……たぶん。
 照れ臭くて、アルフレッドの目は見れなかった。
 この台詞は元々、中学時代にアルフレッドから言われた言葉だ。フランシスに彼女が出来て羨む俺に向かって、何でもない事のようにからりと言い切ったアルの顔を、今でもまだ覚えてる。

「ふうん」

 ――だと言うのに。アルフレッドから返って来たのは、つれない態度とそっけない声。
 おい、そこまで冷めた態度取る事ねえじゃねーか。
 なんだよ、嬉しくねえよかよ。俺は嬉しかったのに。それともアルは、自分の言葉を覚えてないのだろうか。
 同じ気持ちを共有できなかった、そんな理不尽なむかっ腹が、俺のアルに対する態度を「機嫌を取りたい」から「売られた喧嘩は買う」にシフトしようとする。
 羞恥に沸く頬。感情の波は拳を握ってぐっと堪えた。
 落ち着けアーサー、おまえは生徒会長だろう。
 けれど俺が深呼吸をする前に、への字に曲がったアルの唇がゆっくり開かれて。

「……誰に?」

 頭を擡げかけていたむかっ腹を、見事に吹き飛ばしてくれた。
 それも俺にとって、かなり不利な方向に。

「えっ」
「いつ? どこで?」
「え? あれ?」
「ハハハハ……」

 決して爽やかとは言い難いにも関わらず、爽やかさを取って付けたようなアルフレッドの笑み。
 目が笑ってない。

「初耳なんだぞ、アーサー? 俺は言ったのに!」

 さっきまで不機嫌も露わに下がっていた口角を無理やり上げてにっこりと笑う顔が、ちょっと怖い。

「ええと……そ、それはだな」

 いや、すごく怖い。
 まずい、非常にまずい展開だ。
 ぴたりと足を止めたアルに遅れて俺も数歩先で立ち止まる。気づけば既にいつもの分かれ道まで来ていた。ここを右に曲がって少し行けばアルの家。真っ直ぐ進んで5軒目が俺の家。
 アルフレッドは殊更ゆっくりと、けれども大股一歩で俺達の間にあった距離を簡単に詰めてきた。

「思い出せない? もしかして、その子の胸は小さかったのかな」

 こら、人をまるで胸のサイズで判断するケダモノみたいに言うんじゃない。
 アルフレッドがじりじりと距離を寄せる分だけ、俺も上体を逸らしながら後退する。
 今のアルは何かおかしい。これは戦略的撤退だ。

「言っておくけど『忘れた』は通用しないぞ。全校生徒の顔と名前を全部覚えてるなんて薄ら寒い噂は伊達じゃないだろう? ねえ真面目な生徒会長さん。それとも君の数少ない特技はどこかに落として来てしまったのかな? ――ああ、もしかして、一昨日の夜に君がこの世に生み出してしまった殺人カレーの中に入っていたのかい? それは世にも奇妙な味がするハズだ! 気が付かなくってごめんよ!」

 最後に、ははっと軽快な笑みで締められたアルフレッドの長ったらしい台詞。
 ……こいつ、殴っていいか?
 俺の口元が引き吊っているのに気づいているだろうに、アルフレッドが浮かべる勝者の笑みは崩れない。
 そこまで言われる筋合いはねえだろ。ねえよな?
 そもそもの発端は俺が「告白された事がある」なんて吐いたちゃちな嘘?
 落ち着け生徒会長? ハッ、それがなんだってんだ、んなもん知るか!
 その喧嘩、利息付きで叩き返してやる!

「おい、誰のカレーが殺人級にまずいだって!? っつーか喰いたいっつったのおまえじゃねえか! お・ま・え! そもそもなあ、作ってる途中におまえがちょっかい出してこなけりゃ、あのカレーはすっげえ美味いはずだったんだよ!! だいたい、全校生徒が何人いると思ってんだ! 全員な訳ねえだろが! 一度でも関わった事があるヤツだけだ!!」

 あとは関わりが有ろうと無かろうと、良いなり悪いなり噂の聞こえてくるヤツは役職柄耳には入ってくる。
 鼻息も荒くアルフレッドの言葉を訂正した俺は、そこでようやく自分が墓穴を掘った事に気が付いた。はっ、と、声に出ていたかもしれない。
 ちなみに墓穴は、自分でカレーをまずいっつった事じゃねえぞ。
 思わず片手で口を覆って、そっとアルフレッドを窺う。ギギギと視線を合わせれば、夕日に照らされた閑静な住宅街バックに背負ったアルの無邪気な笑み。

「ああ、そうだった、前言撤回するよ。君が覚えているのは、一度でも関わった事がある人、ね」

 いや、無邪気なんてもんじゃない。邪気にまみれた黒いオーラを纏って、勝ち誇った笑みを浮かべている。
 その目がまんまと罠にかかった俺を見て緩く弧を描く。「引っかかったねアーサー」そんな声なき声が聞こえた気がした。そうだ、俺は墓穴を掘ったんじゃない、あいつが掘った落とし穴にはまったんだ。

「う……」

 視界の先、アルフレッドの顔の横で、俺にしか見えない敗北の二文字がぐらぐらと揺れている。ような気がする。くそっ……。

「逃げないでくれよアーサー。……俺達、親友なんだろう……?」

 いつの間にか足を引いていたのか、俺はアルに腕を捕まれてその場に留められた。
 和平への道も、戦略的撤退への道は既に断たれ、けれども今更「嘘でした」と言える程度の矜持などハナから持ち合わせていない俺は……。

「――……っ」

 はくはくと開閉する口唇を一旦引き締め、遂にその名を口にした。

 

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