君がいる明日 - main
Doubt - 学園祭編 - 5


 放課後、再び集まった俺たちは事件解決を意気込んで聞き込み調査を開始した。意気込んでたのは俺だけなんじゃないかなんて、そんな言葉は聞かないぞ。
 職員室では、先生たちにそれとなく変わった事がないか聞いてみた。例えば、最近生徒会室のカギを持ち出した人がいないかとか。学園祭の準備期間中は、人の出入りで職員室内も慌ただしい。今も俺が注視するたくさんのカギがぶら下がった壁の前に、下級生らしき男子生徒が立っていた。
 隣で先生にお礼を言っているマシューにそっと耳打ちをする。

「マシュー」
「なんだい?」
「例えば粘土みたいな物を持ってきて、あそこでカギの型だけ取れば誰にも知られず同じ物を……アウチ!」
「物騒なこと言わないの。そこまでして食券を盗んでどうするのさ」
「まだ事件は解決してないんだぞ! これから何かあるかもしれないじゃないか!」
「はいはい、だからこうして僕も協力してるだろ?」

 次に向かった食堂では、盗まれた食券のデザインを印刷したビラを配って、もし同じ物を見たらすぐに連絡をくれるよう頼んだ。

「犯人は食いしん坊な誰かって事だよね……」

 エミリーの唸るような声は真剣だった。にこにこと同意を示すマシューを遮ったアリスが呆れながら応えている。

「エミリーじゃあるまいし。それに、ひとりで使うとは限らないでしょ?」
「そうか……分かったぞ! 友達の多い食いしん坊だ! あ、あたしじゃないぞ!?」
「当たり前でしょ!」

 急いていた気持ちが少し穏やかになった気がして、マシューと一緒に笑う。アリスが「恥ずかしい言わないでよ」とエミリーの脇腹を肘でつついていた。
 盗まれた食券の事だけを考えるなら、デザインを変えて再発行して、前のは使えなくすればいい。
 けれど。
 朗らかな喧騒から一線離れたところで、ズボンのポケットを撫でる。入れっぱなしの果たし状。
 犯人の目的が食堂の食券だけだとは、どうしても思えなかった。
 一刻も早く、この手で捕まえなければ安心なんて出来ない。

「アル、今日はここまでにしようよ。あまり暗くならないうちに……ほら」

 大きな成果を得られないまま、当てもなく次に向かう先を探して廊下を歩いていると、マシューが言った。その目がちらりと女子生徒二人を映す。窓の外は、もう日が傾いていた。

「そうだね、そろそろ……」

「失礼しましたー」

 不意に聞こえた扉の開閉音と同時に、退室を告げる知った声。
 視線をマシューたちから進行方向の先に戻すと、向かって右手側の扉。保健室から出て来たのは、セーシェルとフランシスだった。扉の開け閉めはセーシェルに任せ、フランシスは後ろに続いている。

「あれ、君たちどうしたんだい?」
「フランシスさんが階段からおっこちて、怪我したんですよ」
「いやあ、俺ほどの反射神経がなければ事態はもっと大惨事、確実にベッドの上の住人だったね」
「――え」

 よく見れば、セーシェルの肩に置かれていた手は恐らくセクハラではなく借りてるだけで、フランシスは歩きにくそうに右足を引きずっていた。

「だ、大丈夫ですか?」

 慌てて駆け寄るマシューの声。続くエミリーとアリスの後ろ姿も見送って。よくない考えに、胸が騒ぐ。

「見た目にはなんともないんだけど、しばらく安静ってことで」
「アーサーさんも『この忙しい時に』って眉毛つり上げてカンカンでした」
「あ、あたしに出来る事があったら何でも言っていいんだぞ!」
「私も手伝います」
「僕の足が治ったと思ったら、今度はフランシスさんだなんて……折れてなくて良かったです。けどその足では騎馬戦に出られませんね」

 ぴりっと細い電気が走って、ひとつだった点と点が線で結ばれる。たとえるならそんな閃きに似た衝動に突き動かされて、マシューの腕を引いた。

「っ……マシュー」
「アル?」
「君が入院する事になった理由って、確か……」
「足を踏み外して階段から落たんだ」
「それ、誰かに後ろから押されたんじゃないかい?」
「ええっ?」

 驚いたように目をぱちぱちと瞬かせたマシューは、記憶を探るようにうーんとこめかみを押さえた後、のんびりと一拍置いてから口を開いた。

「そんな事ないと思うけど……」
「もっとよく思い出してくれ! 」
「へ? あ、う、うーん。どうだろうな……?」

 汚れた指先でざらりと心臓を撫で上げられるような不快感。
 今まで描いていた犯人像の認識が甘かったとしたら。
 大きな声を出した所為だろう、俺とマシューに注目が集まる。

「アルフレッドさん? どうかしましたか?」
「アルが突然変な事を言い出したんだ」
「変な事ってなんだい。マシューは今まで休んでたから知らないんだ」

 そうだ、生徒会室にボールが飛んできた時の事を、ついさっきのように思い出せる。

「ねえ、アーサーは?」
「あいつなら生徒会室にいる筈だ」

 回れ右して踏み出した一歩。
 急く足を思うままに進めながら、顔だけ振り返った。

「マシューはエミリーたちを家まで送って! 俺は……」

 目が合ったフランシスは、しっしっと俺を追い払うような仕草をして見せた。

「お前に送って貰おうなんて、これっぽっちも考えてないからね」
「そう、じゃあ気を付けてくれよ。人通りの少ない道は歩かないで」
「はいはい。んじゃ、怪我人と介添え人はもう帰ったってうまくあいつに言っておいてねぇー」

 しめしめと言いたげな態度を隠そうともしないフランシスの声。階段から落ちたばかり、誰かに突き落とされた可能性だってあるのに、いい気なもんだ。
 それら全部に背を向けて、今度こそ走り出す。廊下は走るなと、いつも口うるさい人の元まで急いで。
 大袈裟だと、誰かの呆れた声が聞こえたけれど構いやしなかった。


   ◇ ◇ ◇


「ッアーサ……あれ……?」

 辿り着いた生徒会室は、扉にカギがかかっていた。
 もう帰った、のか。ひとりでは仕事にならないと判断したのかもしれない。
 今ならまだ追いつける筈だと、再び踵を返して走る。
 下校する生徒もまばらな夕暮れ時の昇降口。アーサーの靴は既になくて、もどかしく靴を履き替えた。
 凛と伸びた背中を探し、目を凝らしながら走る。
 帰る道は同じだし、アーサーは寄り道を好まない。
 一度足を止めたのは、お互いの家へと向かう分かれ道。自分の家の方向をちらと見てから、真っ直ぐにアーサーの家を目指した。
 立ち止まったのは、暗く静まりかえったアーサーの家の前。

「……っはあ……、どこですれ違ったんだろう」

 顎を伝う汗を拭う。
 見逃した? いや、そんなまさか。今日に限ってどこかへ寄り道? 忙しい時期にそれはないだろう、多分。
 見上げるのはアーサーの部屋の窓。明かりはなくカーテンが閉められているけど、寝る時間にはまだ早すぎる。
 生徒会室の施錠をした後、別の用事を済ませていたのかもしれない。例えばそう、花壇を見に行ったりとか。ありえる。
 膝に手をついて、大きく息を吐いた。
 ここで、待つか。引き返すか。
 自分の家に帰る気持ちは、欠片も湧かなかった。
 フランシスの一件も詳細を聞きたいし、夕食を強請りに来たって不自然じゃない。口実は幾らでもある。
 きゅう、と、胸が痛んだ。夕飯、食事、食物兵器。連想して思い出すのはアーサーの弁当。
 彼が作ったものを残した事なんて、一度もないのに。
 アーサーはあの日、屋上でアリスやエミリーたちと食べたのを最後に、弁当を作って来るのを止めていた。
 原因はひとつしかない。俺が、皆の前でまずいって言ったから。
「…………」
 鉄製の簡素な門を開けて、勝手に中に入る。玄関の扉を背にして、俺はその場に座り込んだ。

 ……十分、二十分。三十分――一時間。
 袖口から覗く腕時計で経過時間を確認して立ち上がると、アーサーの家の前から離れた。遅かったぐらいだ。
 何かあった、なんて考えたくない。
 それでも胸が騒がずにはいられなかった。
 すれ違う生徒もいない道を引き返す。
 彼がどこかで倒れてやしないか、少しだけ周りを注視しながら、全力で地面をけっ飛ばした。
 たどり着いた夜の学校。閉ざされた門に足をかけて上まで登ると飛び降りて、昼とは雰囲気を変えた道を進む。
「くそっ!」
 鍵がかかった昇降口に舌を打った。誰もいない、明かりの消えた校舎。
 ぐるりと校舎の外周を回りながら、鍵の開いた窓を探す。一枚ぐらい、うっかり忘れてくれたっていいじゃないか。願いは届かない。
 いっそ叩き割ってやろうかと思ったところで、まだ校舎裏の花壇を見ていない事を思い出した。けれど向かった先は無人で、見上げる生徒会室の窓は真っ黒だった。
 もう学校の敷地内には、いない、んだろうか。
 走った所為で汗ばむ身体。首の辺りを乱暴に掴んで扇ぎ、シャツの中に空気を入れる。
 学校に、いないなら。近くの公園、あるいは街の賑やかな区画まで探しに行くべきか。
 曲がりなりにも生徒会長が夜遊びをするとも思えないし、俺以外に遊ぶ相手がいるとも思えないけど。何かの事件に巻き込まれた可能性がゼロじゃないなら。
 視線の先を、一番近いブロック塀に合わせた。校門まで戻るよりも塀を登った方が早い。
 駆け出して、学園祭の準備がごちゃごちゃとなされているグラウンドの隅を横切る途中。大きな用具倉庫の前を通った時、ガタン、と突然音がした。
 続けてもう一度、ガタン。
 何かが中で動かされて、壁にぶつかる物音。誰かいる。
 立ち止まった足は自然と用具倉庫に向かって一歩、二歩と進んで。その名前は勝手に口から零れ落ちた。

「……アーサー……?」

 一拍、二拍。
 ガタガタと聞こえていた物音が、静かになる。
 きっと同じタイミングで固唾を呑んだ。

「……その声、アルか?」

 呼んだ名前に違わぬ声が聞こえたのは、用具倉庫の中から。
 すぅと、大きく息を吸い込んだのは無意識だった。

「ちょっと君! 何してるの! 俺がどれほど……ッ」
「心配して探しに来てくれたのか?」
「別に!」

 壁を挟んで、ずいぶんと上の方から聞こえたような気がした声。
 顔を上げると、アーサーが鼻から上を覗かせたのは、高い場所にある光取りの窓だった。
 開いた口が塞がらないとは正にこの事だ。
 窓枠に手をかけて、ぐっと力を込める気配。肩まで窓の外に乗り出させたアーサーに、慌てて壁の傍まで駆け寄った。

「これには訳がだな……待ってろ、すぐそっち行く。そこどけ」
「まさかそこから飛び降りる気?」
「……やっぱまずいか?」
「当たり前だろう! 」

 棒高飛びの棒も、玉入れの竿も、ダンク禁止の簡易バスケットゴールも、名前も知らない道具から一度も使ったことない物まで綺麗に収まる背の高い倉庫に開いた窓は、さっき俺が飛び降りた学校の正門よりももっと高い。
 しかもあの人、頭から出て来ようとしなかったか。足場が悪いのか、不安定そうにぐらぐらと揺れている。「おっと……」じゃないよ。

「危ないだろ、早くそこから降りなよ。言っておくけどこっち側にじゃないぞ!」

 アーサーは決して運動神経が悪い方じゃない。けれど。
 窓の真下の位置で立ち止まり、睨むように見上げる絶対どかない意思表示。
 身を乗り出そうとした彼が少し身体を引っ込めたのを見て、いつのまにか腰の辺りで泳いでいた自分の腕を気づかれないようこっそり下げた。

「倉庫の鍵は?」
「職員室に行けばあるが、校舎が開いてないだろ。……んな睨まなくても今夜はもう大人しくしてるから、おまえも早く帰れ」
「はあ!? 君はどうする気だい!?」
「お前の声聞いたらなんか気が抜けた。明日の朝、鍵を開けに来てくれよ」
「はあ? じゃあ何、君は一晩中そこにいるの?」
「そうなるな……なんだよ、お前が出るなっつったんじゃねえか」

 アーサーの声がちょっと恨みがましく響いた。確かに言ったけど。
 気が抜けた、の言葉通り、心配は何もしていなさそうだった。焦りが消えて、現状を受け入れ開き直った声。
 だからと言って、はいそうですかとここで引き返すぐらいなら、俺はきっと、こんな必死になって探したりしなかった。
 辺りを見回して、設営されているテントに近づく。何も乗っていない横長の薄いテーブルを持ち上げて肩に担いだ。
 反対の腕に折りたたみの椅子の背を引っかけて、大股で倉庫まで戻る。
 アーサーは、足場の高さが足りないんだろう、窓枠に手をかけて小さな窓から鼻より上の僅かな部分を覗かせていた。

「おい……アル? な、何してんだ?」

 倉庫の壁にぴたりと付けるように机を置いて、その上に椅子を乗せれば多少は高さが出来る。再びテントへ戻って脚立を肩に担ぎ、今度はそれを持ったまま俺が机の上に乗った。机の上の椅子の上に、脚立を乗せる。かなりグラグラしてるけど仕方ない。

「ば、ばかっ! 危ないからやめろ! 落ちたら怪我するぞ!」
「そこから飛び降りるつもりだった人に言われたくないぞ!」

 椅子に足をかけると、ぎしっと足下が軋んだ。頭上から降る悲鳴なんて聞いてやらないぞ。そんなところにいる君が悪いんだ!

「やめろやめろやめろ! 頼むから! ぎゃあ!」

 脚立のはしごを上まで登り、足りない距離はジャンプで跳んだ。弾みに足下の脚立は倒れたけど、アーサーがいる窓枠にしがみつく事に成功する。
 一瞬後ろに倒れそうになったアーサーの腕を掴むと、すぐに掴み返されて。今は必死に俺の事を引き上げようとしている。

「し、心臓つぶれるかと思っただろ! ばかっ!」
「大袈裟だなぁ」
「お前までこっち来てどうすんだよ!」
「俺はヒーローだからね、仕方なく来てあげたんだぞ」
「……んだよ、幽霊でも怖くて帰れなくなったのか?」
「ああもう、ほんと君は黙っててくれ」

 君を一人に出来ないって言ってるんだ。秘めた言葉は当然伝わる筈もなく、黙れと言われた通り押し黙ったアーサーは口をもごもごとさせながら視線を逸らした。

「ちょっとどいて。舌噛まないようにね……」

 少し身体を横へずらしたアーサーの手も借りながら、小さな窓に胴をくぐす。アーサーが積み上げた足場も俺より少しマシ程度には不安定で、とてもじゃないがうまく降りられそうにない。けれどその分、後ろには転倒した時用にか重ねたマットが敷いてあって。
 俺と目が合ったアーサーは、首を小さく横に振った。心なしか顔色が青い。
 対する俺は、とてもワクワクしていた。

「いや、まてまてまてまて……」
「跳ぶぞ!」
「べあああああ!」

 アーサーの身体を抱いて、空にダイブ。
 二人抱き合って、積み上がった薄くて固いマットの上に並んで転がる。心臓が、ドキドキした。

「っこの、ばかあ!」
「あははははは!」

 薄暗い倉庫に、俺たちの笑い声は存外楽しそうに響いた。
 二人並んでマットの上に座る。
 同じタイミングで少しだけ身を寄せ合ったのは、気安い関係と、少しの寒さ。
 アーサーがくしゅっと小さなくしゃみをして、制服の上から腕をさすった。

「寒いの?」
「お前が余計な汗かかせるから冷えたんだっつの」

 ずず、と鼻をすすって肩を竦めるように首を埋めて、アーサーがまた少し俺に身を寄せた。「何もしないよ」って、からかうのは簡単だった。ムキになって白目を剥くアーサーは簡単に想像出来る。
 けれど、なんでだろう。
 こんな場所に長い事ひとりでいた彼を思ってか、妙にアーサーが小さく見えたからか、探していてやっと見つける事が出来たからか、からかうよりも、何かしてあげたい気持ちにムズムズして。俺は上着を脱ぐと、彼の肩にかけてあげた。
 アーサーが驚いたように俺を見る。彼の目から見ても意外な行動だったらしい。それを不服に思う気持ちと羞恥が同時にこみ上げて、先にゴールテープを切って口を開かせたのは気恥ずかしさだった。

「っい、今の俺は君のボディーガードだからね」
「なんだ、それまだ有効だったのか」
「あ、当たり前だろ! だから君は事件が解決するまで安心してふんぞり返っていればいいさ」
「なんだよそれ」

 呆れた声で言いながら、アーサーが上着を肩にかけ直して小さく折った膝もしまい込む。顔を埋めて息をつくアーサーは、寒さが和らいだみたいだった。彼も気恥ずかしいのか、顔が少し赤くなった気がする。暗くてよく見えないけど。
 開けっ放しにしてしまった窓から時々吹き込む風が、用具を楽器に音を鳴らす。
 途切れてしまった会話を紡いだのは、訝しむようなアーサーの声だった。

「おまえ、これ洗ってんのか?」
「あ! ちょっと! 匂い嗅がないでくれよ!」
「……ハンバーガーの匂いが染み着いてる」

 返してくれよ、嫌だね、そんな風に上着を掴んで揉みくちゃにしてすっかり気が抜けて。アーサーの肩に肩をぶつける。触れている箇所が暖かい。さっきまで胸を席巻していた緊張はどこかへなくなっていた。

「電気は? つかないの?」
「最初はついてたんだが、途中で切れた」
「ちゃんとチェックしておきなよ、生徒会長」
「電球の寿命管理なんざ俺の仕事じゃねえ!」

 肩の先だけくっつけて、ぎゃあぎゃあ言い合う。
 落ち着いたところで、気になっていた事を聞いた。

「誰かに閉じこめられたのかい?」
「いや、誰っつーか……なんつーか」

 彼の弁によるとこうだ。
 必要な備品を確認する為、用具倉庫のカギを職員室へ借りに行ったらなかった。因みにこの時、生徒会室には彼ひとりしかいなかったから、念の為にカギをかけて、荷物は置いたまま出たらしい。誰かが持ち出してるならカギが開いているかもしれないと用具倉庫に向かい、案の定開いていて、誰もいなかったから備品のチェックを開始した。
 けれどすぐに男女二人組が入って来て……物陰にいたアーサーには気づかず、ダンスの誘いから始まり告白にまで至り、晴れてのカップル成立にすっかり出て行きにくくなって、二人が用具倉庫を後にしてから自分も出ようとした時には、カギがかかっていて今に至る。
 聞く限り、誰かがアーサーを狙った犯行の線は薄そうだ。嘘や秘密の気配もしなかった。
 彼はフランシスとセーシェルに用具倉庫のチェックをする事を言っていたのに何で気づかないんだと憤っていたけれど、それに関しては俺も一枚噛んでしまっているので何も言わないでおく。

「何でもなくてよかったよ」
「……心配しすぎだって」
「心配もするよ、この前ボールで狙われたばかりじゃないか」
「偶然飛んできた野球部のボールだろ、確かに当たったら大事だったが……まあ、あの時はありがとな」

 急に素直になられると困る。アーサーの声には疲れが滲んでいた。
 触れていた肩に体重がかかり、頭が乗せられた。

「君には危機感ってものが足りないよ。……他に、何か変わった事はないのかい?」
「おう、見ての通りだ。今日はボールも飛んで来なかったしな」
「何かあったら必ず俺に言ってくれよ」
「……ん」

 ふと、アーサーがわざと視線を逸らしたような気がしたけれど、気の所為だったかもしれない。
 月がどこかへ隠れてしまったのか、辺りが暗くなる。
 アーサーが身じろいで、何か思い出したように言った。

「……そういや、最近妙に視線を感じるっつーか……」
「え?」
「あー、いや。まあこの忙しい時期だし、気の所為かもな」
「――……アーサー、あのさ」

 後ろ手で、こっそりとズボンのポケットを撫でる。
 彼に宛てられた果たし状。
 言わない方が、いいと思ったんだ。
 しっかり護衛していれば大丈夫、余計な仕事を増やす事なんてない。悪い奴なんてさっさと捕まえて、そうすれば、そうすれば――彼だって俺の事を。
 くあ、と緩く息吐く籠もった音に顔を上げる。
 大きな欠伸をしたアーサーの首が、がくりと揺れた。

「アーサー、寝ないでよ」
「なんだ、お化けでも出そうで怖いのか?」
「っ違うぞ! まだ聞きたい事があるんだ」
「明日でいいだろ、疲れてんだよ。どうせ朝まで誰も来ねえんだ。寝ちまおうぜ」

 まどろんだ声。
 アーサーは俺の肩から頭を上げると抱えた膝の上に額を預けて小さく丸くなった。もぞもぞと身じろいで寝心地のいい位置を探す彼はすっかり就寝モードだ。
 隣でしている俺の雰囲気を察してか、くすりと漏れる小さな笑み。なんだい、俺は真剣なんだぞ。君絶対何か隠してるだろ。フランシスの事だって確認してないし、今のこの状況だって、誰かが仕組んだ可能性はゼロじゃない。もし俺が来なかったら……

「手、繋いでやろうか? 昔、みたいに……」
「だから怖くないってば! さっき危機感なさすぎるって言ったばかり……ああもう! アーサー!」

 こうなってしまったこの人は、揺さぶったって起きやしない。勝手に俺の手を取って、微笑みながら夢の世界へ旅立ってしまった。
 ガタガタ、風の音が立てる音に耳を澄ませる。
 ボールを投げた犯人、果たし状の犯人、見えない敵の目玉が薄い壁の向こうにあるんじゃないかなんて。そんな事を考えながらアーサーの手を握り返し、守るように身を寄せた。

 

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