君がいる明日 - main
Doubt - 学園祭編 - 3



 昔の思い出は、ヘンに美化して憶えている彼より、俺の方がよっぽど正確な自信がある。
 まあ、そりゃあ子供の頃だし。古いアルバムを開いても、目にした一枚の写真から当時の出来事が思い出せなかったり、確かに断片的な部分もあるけれど。
 それでも、アーサーだけは。
 彼に関する事は、よく思い返していたから。
 その度に記憶の引き出しの新しい場所にしまい直されて、今も容易く引き出せる場所にあるんだ。
 アーサーはあの頃の思い出を、キラキラした宝石みたいに加工してキレイにしまったみたいだけど、こっちはそうもいかない。
 だって考えてもみてくれよ。
 向けられていると思っていた好意が単なる勘違いから来たもので、それが解けてあっさり気持ちが切り替わった彼と、俺にとっては今も昔も変わらないアーサー。いきなり態度を変えられて、それが面白くない方向だったらどうする。
 昔のアーサーだったら、例えば一緒にお菓子を食べていて、俺がじっと彼の皿を見ていたら自分の分までくれたんだ。「……やる」なんて、ぶっきらぼうに皿ごと差し出して。
 それが男だと知った途端にどうだい。「おい、まだ自分のが残ってるだろ。あんまり喰うと太るぞ」だって。なんだい。俺はアーサーとおやつを食べる時は、アーサーの分は俺の分だって、ずっとそう考えて来たのに!

 ──なんて思ったのも今は昔の話。そう、昔の話さ。
 小学生……いや、中学生までの話だ。
 今の俺はひと味違う。違うったら違う。
 懐古趣味は彼だけで充分。燻りすぎて黒い煙まで吐き出しそうなこの気持ちと、決別するって俺は決めたんだ。決めたんだからな。
 だから今の俺を、大人になった俺を早く認めてくれよ。アーサー!



「へえー、流石じゃないの」

 頭の上からフランシスの声が降る。顔を上げると、俺が操作しているノートパソコンの画面を覗き込む横顔が目に入った。
 続いて机の上に置かれる皿には、色とりどりの小さなマカロン。
 市販品か、はたまた作ってきたのか、これが今日のおやつらしい。折角だから休憩しようと思い切り伸びをして、赤い色のマカロンをひとつ摘みながらソファの背凭れに体重を預けた。

「当然だろう?」
「てっきりゲームしかしてないのかと」
「失礼だな! とびっきりのを用意するから期待しててくれよ」

 放課後の生徒会室。呼ばれてなくても向かった先には、しっかりと俺の仕事が用意されていた。
 学園祭の種目を告知する案内作り。各種目の説明文は一応テンプレートが用意されていて、あとは俺の手腕に任せるとの事。
 真面目な生徒会長様が作りそうな堅苦しい文字だらけの物を作る気はない。見るからにわくわくするような、学園祭が楽しみになるような物を作るつもりだ。アーサーだって、そういうのを期待してるから俺に頼んだんだろう。

「あんま派手にすんなよ」

 いつもの会長机で書類に向かうアーサーが、紅茶のカップを傾けながらまるで俺の心を読んで否定するみたいに眉間を顰めた。面白くない気持ちと一緒に黄色と緑色のマカロンを二つ纏めて口の中に放り込んだ俺が言い返す言葉を見繕う前に、生徒会室の扉が開く。

「アルフレッドさーん! これ、頼まれてたの集まりました」
「うん、ありがとう」

 セーシェルから受け取った追加の資料を机に広げた俺は、胸を張ってアーサーを見る。目が合うとぐっと怯んだ彼に向かって、大人な俺はぱちんと片目を伏せてウインクを送った。見てろよアーサー。

「君が驚くような物を作ってあげるから、楽しみにしててくれよ」



 各々ペンを走らせたり、キーボードを叩いたりと、珍しく真面目に集中して作業を進めていた時だった。腹の底から響くような、大きな音が鳴ったのは。いや実際、俺のお腹から音が鳴ったんだけど。

「ったく、しょうがねえヤツだな」

 席を立ったアーサーが、机の上にあった皿を持って俺が作業している傍までやってくる。三つほど残ってるマカロンを皿ごと差し出して、彼は「ほら」と俺を急かした。

「……それは君の分じゃないか」
「俺がいいっつってんだよ。つうか、だから昼、足りないんじゃないかって訊いたじゃねーか」
「それは君が!」
「っお、俺がなんだよ」

 翡翠の瞳が、ゆらゆら揺れながらも不機嫌さの上塗りでその心を不器用に隠そうとする。彼は俺の言いたい事を分かっているハズで、俺も彼が言いたい事は分かっていた。
 今日、俺達は久し振りに学食で昼食を食べた。アーサーが弁当を作って来なかったからだ。学食には俺が大好きな、アーサーの手料理よりも美味しいメニューだってあるのに、なんでか食欲が沸かなくて普段の半分も食べられなかった。
 理由は、ちゃんと分かってる。
 昨日、屋上であんな事があったんだ。そりゃあ彼だって、作って来る気にはならないだろう。無言で唇を引き結ぶ彼と視線を合わせた。
 俺が、ちゃんと言わないと。
 本当のヒーローなら。

「……な、なんだよ……」

 訝しむアーサーに向かって口を開きかけたその時。ふと、窓の外に視線を奪われた。小さな違和感は見る間に大きくなって、青い空を背景に流れていた筈の雲が、近づいてくる。

「――……アーサー!」

 小さな丸い雲があっという間に迫り、ガシャンと鼓膜に響く音が鳴ったのと、立ち上がってアーサーに手を伸ばしたのは同時だった。
 思い切り引き寄せながら反対の手で頭を庇うように抱き込んで、勢い余って後ろのソファに倒れ込む。
 割れて飛び散る窓ガラス。セーシェルの悲鳴、フランシスの息を呑むような声。パラパラと飛散した細かい破片が落ちてくる。
 床の上で砕ける音が収まるのを待ってから顔を上げると、少し遅れて視界の隅でトントンと床を跳ねて転がるボールは、ベースボールで使う球だった。

「な、なんだ……!?」
「ここにいて!」

 目を白黒させる彼の上に視線を走らせ怪我のない様子を確認してから、俺は窓の傍まで走った。割れたガラスに触れないギリギリまで外へと身を乗り出す。
 正面、右、左。目を凝らした先には、人影は見当たらない。
 正確には、植えられている木々が邪魔で犯人の姿を見つける事が出来ない。まだそう遠くへは行っていない筈だ。思わず舌打ちを鳴らす。

「くそっ!」
「おいアル! どこに行く気だ!」
「君たちはそこにいて! 窓の傍には近づかないで!」

 そう言い残して生徒会室を飛び出して、階段も段差を無視して手摺りを飛び越えて急いで向かった先には、既に誰もいなかった。周囲を見渡して、見上げる生徒会室の窓は、割れたガラスの向こうで白いカーテンがひらひらと風に揺れている。
 誰が、一体、何の為に。
 狙われてる? アーサーが?
 ポケットの中に手を入れて、入れっぱなしにしていた封筒を取り出した。
 果たし状──
 指定された時間に、ちょうどここへ来たのは俺ひとりだ。その所為で、犯人の神経を逆撫でした?
 さほど真に受けていなかったそれに覚えた少しの恐怖と、怒りとも焦りとも分からない感情のままぐしゃりと握り潰した。



「――アーサーは?」
「一応保健室。セーシェルは付き添い」

 生徒会室に戻ったら中にいたのはフランシスだけで、割れたガラスの後始末をしていた。

「そっちは? 誰かいた?」

 訊かれた問いに首を振って答える。

「ううん、俺が行った時には誰もいなかったよ」
「ったく……ただでさえ忙しい時期に余計な仕事は増やさないで欲しいね」

 細かいガラス片がぶつかる音を聞きながら、俺はポケットの中から一枚の封筒を取り出した。「あのさ、」言いながら近づいて、よく見えるようにする。

「……実は、昨日これがアーサーの靴箱に入ってたんだ」
「ん? 果たし状? 珍しくもないじゃない」

 俺の手から受け取った封筒を開いて中を確認すると、フランシスはひょいと肩を竦めた。突き返されたそれを受け取って小さく頷く。
 確かにそうだ。俺も最初はそう思っていた。

「指定された場所には俺が行ったんだ。けど誰も来なくてさ……」

 アーサーには内緒で、そう念を押してから話を続ける。

「フランシスは、この一連の事件、誰が犯人だと思う」
「まあ、まだ全部が同一犯と決まった訳じゃないけど……」

 フランシスは少し考え込む素振りを見せた後、思い当たる節はあると言うように、俺の目を見ながらゆっくり口を開いた。

「……あいつさ、食券がなくなった時、部屋に居たはずなんだよね。なのに俺とセーシェルが戻ったらいつの間にかなくなってたって言って聞かないの。大袈裟にしたくないみたいだし、案外おまえと一緒にいたかったんじゃないかって」

 言葉を切ったフランシスが、割れた窓ガラスと床に散った破片を見て。

「思ってたんだけどねえ……」

 肩を竦めたと同時に、扉が開いた。

「何を思ってたんだ?」

 入って来たのは、こめかみの白いガーゼが痛々しいアーサーと隣に付き添うセーシェルだ。

「アーサー! 怪我は大丈夫なのかい?」
「ああ、少し切っただけだ」

 手にも絆創膏が貼られていて、頭を払おうとしてガラス片で一緒に切ったらしい。大事に至らなかったことに、とりあえずはほっと胸を撫で下ろす。

「おまえこそ、切れてるじゃねえか」
「え?」

 アーサーが手で触れようとした頬を指で擦って目の前に翳すと、確かに少し血が滲んでいたようで乾いたカサブタが取れた。

「バカ! バイ菌が入るだろうが!」
「平気だって、もう血も出てないし」
「ったく……つうかどこ行ってたんだよ」
「急げば投げた奴を捕まえられると思ったんだ」
「誰かいたか?」
「ううん、残念ながら」
「そうか……」

 普段ならもっと烈火の如く怒ってもいいぐらいなのに、少し考え込む素振りをしたアーサーは、スタスタと歩いて生徒会長机までたどり着くと引き出しの中から絆創膏を取りだした。

「ちょっとアーサー! 危ないから近付かないでくれよ!」
「平気だ。いいからほら、そこ座れ」

 その譲らない様子に肩を竦めてソファに腰を下ろす。

「セーシェルは大丈夫だったかい?」
「はい、なんともねっす。それにしても誰が投げたんでしょーね。アルフレッドさんがいなかったらきっと当たってましたよ」

 想像したのかセーシェルがうう、と唸って自分の腕を擦った。
 俺だって、そんなこと考えたくもない。

「犯人、誰だと思う? 食券を盗んだ犯人と同一人物かな」
「……用心するに越した事はないだろうが、考えすぎだろ。おまえがそんな顔すんなって」

 ぺたんと俺の頬に絆創膏を貼ったアーサーが、部屋の中を一瞥してから、今日はもう仕事にならないなと溜息を吐いた。
 ずっと見ていると、ちらと俺を振り向いたアーサーが、ゆらゆらと瞳を揺らして唇を引き結んだ。なに。俺、何か変な顔してたかな。
 ──それとも、俺に気付かれたらマズい疚しい事でもあるのか……。

「……あー、アル。さっきは、なんつーかその……」
「アーサー、本当に犯人に心当たりはないのかい?」
「おっ、俺に振るなって……知る訳ないだろ」
「警察には言わないんだよね?」
「飛んで来たボールで窓ガラスが割れたぐらいで警察沙汰にするかよ。とりあえず野球部をあたる」

 じっと視線を逸らさず見ていた翡翠が、同じように俺を見る。
 もしかして、アーサー。君が仕組んだなんて事ないよね。なんて訊けないし、彼がそんな事をしただなんて思いたくないけれど。俺に何か隠している事ぐらいは分かる。

「家まで送るよ。帰る支度して」
「お、おう」

 すいと逸らされた翡翠から彼の真意が窺えない。向けられた背中はいつものように真っ直ぐ伸びていたけど、どこか所在なさ気にも見えた。
 アーサー、君は本当に俺の幼馴染なのかい?
 時々疑わしくて仕方なくなるよ。
 昔は昔はって、今よりまだ素直だった頃の事まで引き合いに出してものを言うならさ。知っていてもいいんじゃないかな。
 俺が、君のこと何でも知っていたいと思ってるって。
 理由? そんなの俺が知りたいぐらいさ!


* * *


 カタンと音が鳴る度にひとつ心臓が跳ねる。
 照明が煌々と照らす俺以外に誰もいない部屋。最後に開けた引き出しの中、奥の方に隠すみたいにしまわれていたのは写真立てだった。伏せられたそれをクルリと返せば中には女性のグラビア写真。思わず呆れ交じりの嘆息が漏れてから、ふと、妙な厚みに気が付く。
 もしか、して。
 抓みを回すだけの単純な仕掛けを動かして、中から数枚出て来た同じサイズの光沢ある紙たちは、俺が探し求めていたものじゃなかったけれど。

(いや、そもそも何も求めてなんかないんだ。何もないならそれが一番イイさ)

 げんなりした気持ちをなんとか奮い立たせる。
 写真立ての中、グラビア写真の裏から出て来たのは、俺とアーサーが小さい頃の写真だった。
 胸元には赤いリボン、真っ白いワンピースみたいな服を着た俺と、緊張してカチカチに固まっているアーサー。
 なんで、こんな風に隠すみたいに。それもグラビア写真の裏なんかに。こんなもの。
 いくら彼の初恋が女の子だと思ってた俺だからって……ムカムカと沸き立つ思考が嫌な方へと行きかけて、今日まで共に育った幼馴染を変質者だとは思いたくないと緩く首を振る。
 グラビア写真と見比べて、どちらを飾られたところで両方とも気に入らないと思いながら渋々仕舞い直した。
 階段を上がってくる音が聞こえて、写真立てを元通り引き出しの奥へと押し込む。

「アル? 風呂空いたぞ」
「今行くよ」

 ひょこ、と湯上がりで火照った顔を覗かせたアーサーが首を傾げて俺を見た。肩にかけたタオルが、彼の動きに合わせて一緒に揺れる。

「どうかしたのか?」
「ううん、昔っからちっとも変わらない部屋だと思ってさ」
「なんだ、それ」
「なんでもないんだぞ!」

 ぐるりと見回す必要最低限の物しかない部屋。子供の頃に比べて行き来の頻度はずいぶん減って、一番最近この部屋に来たのは彼が風邪を引いた時だ。他の写真立てはと目を凝らしても、どこにも飾られていないようだった。今の俺の一番格好良く映ってる写真を、引き伸ばして壁に貼ってやろうかなんて気持ちが沸いてくる。
 ガシガシとタオルで髪を拭きながら傍に来た、少しだけ低い位置にいるアーサーを見下ろした。
 勝手に家捜ししていた事は当然内緒だから、そんな提案は出来ないんだけど。

「ん? なんだ?」
「……怪我は大丈夫なのかい?」
「ああ、元々大した事もなかったしな」

 ほら、と見せられた額の端は少し赤くなっていたけれど血は出ていないようで。冷める前に行って来いと言われてアーサーの部屋を後にする。
 向かった脱衣所は、音を立てて稼働する換気扇の努力も及ばず、まだ強い水の気配が残っていた。
 服を脱ぎながら、念の為と自分に言い含めて未使用のタオルが山を作っているカゴの中や、洗剤のボトルが並べられた棚の中を漁る。

(――……ここにもない、か)

 俺が探しているのは、盗難に遭ったという食券だ。
 アーサーを疑っている……のか、は、俺自信なんとも言えない気持ちがある。
 けど、どうしてもフランシスの言葉が気にかかっていた。
『案外おまえと一緒にいたかったんじゃないかって』
 もし、そんな理由なら。こんな遠回しで危険な事をしなくたって、そう言ってくれたらいいんだ。
 アーサーが犯人だとは思いたくない。でも、例えば犯人を庇ってるだとか。心当たりのある相手に俺にも言えないような弱みを握られているだとか。あるいは……。
 グルグルと渦を巻く思考に、少しずつ苛立ちがこみ上げる。
 そんな奴がいるなら、俺が絶対なんとかするのに。
 結局、脱衣所にも浴室にもついでにトイレにも何の手がかりもなくて。アーサーの部屋に戻った俺を、彼はずいぶん遅かったなと言いながら何の後ろめたさもない顔で迎えた。



「──……アーサー、寝た?」

 返事はない。むくりと身体を起こして、膝を着いてベッドへにじり寄ると彼の顔を覗き込んだ。
 シングルベッドの上は、もう狭くて男二人じゃ眠れない。
 アーサーはよく、大人になっても一緒にいられるのか――なんて心配になるみたいだけど、俺はそんな事、一度も考えた事なんかない。
 俺が君といたいと思って、君が俺といたいと思っていれば、ずっと一緒にいられるに決まってるじゃないか。お互いがそう思っていてどこに離れる理由があるって言うんだ。
 例えば結婚して、子供が産まれて、それでも。
 アーサーの頬を突いて、寝てる事を確認してから探索の続きをしようと思っていたのに。気づけば目を奪われていて、昔とちっとも変わっていない彼の寝顔を暫く眺めてから、俺は大人しく布団に舞い戻った。

 ――その夜は、ずいぶん昔の夢を見た。
 小学校に入学してアーサーと同じクラスになった時、なんでアーサーの隣の席に座れないのって先生を困らせたり、誕生日が来て「みんなよりお姉さんお兄さんになる」って言われてた時に二年生になってアーサーと離れ離れになるんだと思って泣いたり。
 そんな昔の夢を見ながら、ふと、アーサーは俺の事をどう思ってるのか気になった。
 彼に好かれている自信、特別仲のいい位置にいる自信はあるけど、それだけじゃない、アーサー自身が俺に向ける気持ちを、聞いてみたいと思った。
『アーサー、俺のことどれくらい好き?』
 幼い頃に訊いた質問、記憶の糸を手繰り寄せながら、ふわふわ、くるくると思い出が巡る夢の中を漂い続けた。

 

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