君がいる明日 - main
Doubt - 学園祭編 - 2


 今はもう昔の話だけど、アーサーは俺の事が好きだった。
 こんな事を言ったら自意識過剰や思い出の美化なんて言われてしまいそうだけど、あれは確実にそうだったと言い切れる。
 俺にだけ向けるキラキラした笑顔、目が合えばアワアワと逸らされて、触れたらカチコチに固まった。それが面白くてワザと後ろからのし掛かるみたいに抱きついて、あの頃の俺はアーサーにくっ付いてばかりいたような気がする。
 他の人には偉そうにするアーサーが俺の前では猫を被ってしおらしいのが何故だか誇らしくて、喧嘩して二人で泣きそうになっても必ずアーサーが折れてくれるのが当たり前で。

 けれど、そんな日々は長くは続かなかった。
 終わりが来たのは小学校に上がる時。これからは昼も一緒だねなんて笑い合って、初めてお互いの、同じ色のランドセルを見せ合った日。
 アーサーのまん丸に見開かれた緑の目だけは、他の何を忘れても、多分きっと、ずっと忘れないだろう。

 あの日を境に、それ以前の俺を天使、それ以降の俺をガキだと形容するアーサーが。
 俺としては非常に、とっても、全く以て、あまりにも、未だかつてなく、面白くなさすぎる。




「やあ、アーサー」

 玄関から彼が出て来て開口一番。
 軽く右手を挙げてそう言った俺を見て、まだ着替え途中だったのかネクタイを首に引っ掛けただけの彼が、丸々と目を見開いた。

「今日、約束してたか?」

 ぽかんと空いた口から間の抜けた声が漏れる。

「もう忘れたのかい? 協力するって言ったじゃないか。今日から俺が君のボディーガードしてあげるよ。一番嫌がらせの的にやりやすいのは君だろうからね!」

 ばちんと決まったウィンク。

「どういう意味だよ! ったく」

 白目を剥いたアーサーが、少し待ってろと言いおいて、一旦家の中へと戻って行った。
 空は蒼、抜けるような晴天の下。
 肺いっぱいまで吸い込んだ空気を吐き出して。
 頭の中を巡る、待ち受ける幾多の困難を浮かべては解決して行く想像に、俺は胸を高鳴らせた。



「そういえばマシュー、明日退院だってさ。早ければ明後日にも学校に行けるって連絡があったぞ」

 マシューは同じ歳の従兄弟で、前は遠くに暮らしていて長期休暇の度に遊びに行ったものだけど、今はこっちに越してきて同じ学校に通っている。
 連絡があったのは昨夜の話だ。
 並んで歩くアーサーは驚いた様子もなく、前を向いたまま頷いた。

「ああ、知ってる。俺にも連絡が来た。大事に至らなくてよかった」

 なんだい、とっておきのニュースだったのに。
 双子みたいにそっくりで気の合う従兄弟は、何故かあまり目立たなくて、生徒会の臨時メンバーで、何でかアーサーに懐いてる。
 アーサーには俺から伝えておくって言ったじゃないか。心の中でそう言うと、思い浮かべた従兄弟の顔は呆れた笑いに変わった。
 いつの間にか黙り込んでいた俺の顔を、アーサーが横から覗き込んでくる。

「どうかしたのか?」
「なんでもないぞ!」

 反射的に浮かべた笑みで返せば、アーサーはまだ少し納得がいかない顔で身を引いて、そうかと再び前を向いた。

「学園祭の参加種目、お前は何にするつもりなんだ?」
「射的にしようと思ってるよ」
「いいのか? テレビゲームじゃねえぞ」
「失礼だな君は!」
「ああ、そういや祭りの射的も得意だっけな、おまえ」

 そうさ、君が欲しがった物をいったい何個取ってあげたと思ってるんだ。

「君こそ、生徒会は騎馬戦が慣例だっけ? ……大丈夫なのかい」
「舐めんなよ。ぜってー勝つ」

 悪辣にも見える得意気な笑みを浮かべる彼は、自分の勝利を疑ってなんかないんだろう。
 騎馬戦は四人一組でグループを作ってエントリーする競技で、生徒会が主体で行う慣例行事だ。騎馬役の三人が正面を向いた立ち位置で三角形を作るように手を握り合い、騎手役のひとりがその手を鐙に騎乗して頭に巻いた長いハチマキを奪い合う。
 勝ち残った得点はグループ内で分配されるから、総合点を考えれば同じクラス内で、競技に勝つ事だけを考えれば強い者同士で組めばいい。
 ちなみに、例によって運動部は参加出来ない。

「今年はやめた方がいいんじゃない?」
「なんでだよ」
「メンバーが足りないだろう。君とフランシスと、マシュー? あとひとりは?」
「フランシスに調達させてる」
「…俺の従兄弟にあまり無理はさせないでくれよ」
「分かってるっつの。一応フランシスには二人ぐらい当てを作っておくよう言ってある」
「……変な嫌がらせだって受けてるじゃないか。何か仕掛けてくるかもしれないぞ」
「ふん、返り討ちにしてやる」
「アーサー、俺は……」

 君を心配して言ってるのに。生徒会なんてただでさえ的になりやすいんだ。もう一度止めようとした所で学校の正門前に到着する。アーサーが腕時計を確認した。

「まだこんな時間か……、俺は花壇の様子を見てくるから。先に行ってろよ」
「ちょっと、まだ話は……」

 さっさと一人で行って仕舞おうとする背中を追いかけようとして、ふと視界の端を掠めた光景に足を止める。

「……いや、うん。先に行ってるよ。また教室で!」

 早口に言い残して、今度は俺が背中を向ける番。進行方向を切り替えて、急いで昇降口を目指した。
 徐々に大きくなる人影。近づくにつれて足音を殺して、俺の……正確には多分アーサーの靴箱の前にいるエミリーの肩を、ぽんと叩いた。

「やあ、また手紙かい?」
「わあっ!」

 ぴょんと飛び上がった小柄な身体が、慌てた様子で振り返る。

「ちっ、違うぞっ!」
「ふぅん?」

 俺がわざとらしい視線を送る靴箱の中には、どう見ても封筒が入っていた。

「これはさっき誰かが入れて行ったんだ」

 エミリーが必死に弁明する。

「どんな人だった?」
「後ろ姿しか見てないから分からないけど、ズボンだったから男子の制服……あっ」
「え、男?」

 エミリーの視線が靴箱の中から俺の手の中に移る。
 腕を伸ばしてひょいと取った封筒の裏を返すと、其処にはなるほど確かにラブレターとはほど遠い荒い筆跡で。

「「果たし状……?」」

 差出人も宛名もなく、一言そう書かれていた。
 雑に糊付けされた封を破くと、横から覗いていたエミリーが小さく声を上げる。

「勝手に開けちゃっていいのかい?」
「ああ。こういうのはボディーガードを通してくれないと困るんだぞ」

 中には白い紙が一枚入っていて、日時と場所が示されていた。
 矯めつ眇めつ見ても、名前もクラスも送り主の特定に至る情報は書かれていない。俺はその紙を封筒の中へ戻すと、エミリーに向かってにっこりと笑みを作った。

「アーサーには内緒だよ」



 授業を終えて昼休み。最近の俺たちの日課。

「おい、アル」

 小さく口籠もりながら、俺の席までアーサーがやって来た。手には白い包みを抱えて。

「飯、行くぞ」
「うん」

 怒ったような顔は恥ずかしいからだろう。毎日繰り返しても物慣れない様子に笑みが漏れた。
 連れ立って目指すは校舎の最上階、一番端にある薄暗い階段には誰もいなくて、まるで用をなさない緩く張られた通行禁止ロープを越えて壊れた扉の向こう側。
 晴れた日にはうんと遠くまで見渡せる眺めがいい屋上には、先客がいた。
 ぱち、と瞬いて見てもその光景は変わらない。

「アル! アーサー! こっちこっち」

 大きく手を振っているのはエミリーだ。その隣にはアリスと、もうひとり、黒髪を短く切りそろえた大人しそうな女生徒がいる。
 思わずアーサーを見ると、恨みがましい目で見返された。どうやら彼が呼んだ訳じゃないらしい。
 今更来た道を戻る訳にもいかなくて、手招きされるままに彼女たちの傍まで行った。

「やあ、どうしてここに?」
「アルが教えてくれたんじゃないか。屋上は穴場で、最近いつもアーサーとご飯食べてるって」

 そうだっけ。そうだったかもしれない。

「すみません、私は止めたんですが……」
「一応ここは立ち入り禁止だから、他の奴には内緒な」

 アリスの申し訳なさそうな声に応えるのはアーサーだ。
 仕方ないなと示す風に肩を竦めて、俺を責めるように軽く肘で突く。
 ここは学校の屋上で、俺とアーサーの秘密基地という訳じゃあない。
 だからと言って、俺が責められる謂われはない……とか、なんだいアーサー俺と二人っきりで食べたかったの。なんて、からかうような事も言えなかった。
 アーサーがここに、他人の目を避けて俺を連れて来た理由は、もっと切実かつ、彼のプライドに関わる部分にある。

「ほら! 二人とも早く早く!」

 促されるままシートの上に座ると、目が合った黒髪の女の子が軽く頭を下げて会釈をした。

「紹介するよ、彼女は桜! あたし達と同じクラスで、新聞部なんだ。二人に取材がしたいって言うから連れて来たんだぞ」
「桜と申します」
「アルフレッドだぞ、よろしく」
「俺はアーサーだ」
「それで、取材って?」
「は、はい。あの、学園祭の賞品が盗まれた事件の犯人を追っていると聞いて……」

 そこまで聞いたアーサーが頭痛を堪えるように額に手を当てる。
 ノートとペンを取り出した桜はおろおろと俺とアーサーを見比べた。

「一応、関係者以外には伏せておくようにと言った筈なんだが……エミリー?」
「まあまあアーサー、新聞なんてすごいじゃないか!」
「おまえなぁ」
「それに仲間はひとりでも多い方がいいんだぞ。で、何が訊きたいんだい?」

 名前やクラス、特技なんかの簡単なプロフィールから事件について、俺に答えられる範囲で答えて行く。事件について分からない事は、何だかんだと溜息を吐きながらもアーサーが助け船を出してくれた。
 盗まれたのは放課後の生徒会室。最後に見たのはアーサーで、なくなった事にいち早く気がついたのもアーサー。
 犯人の目的、動機、まだ詳しい事は何も分からなくて。これまでに起きた問題の話になった時、ポケットの中に入れっぱなしの果たし状を思い出したけど、俺は黙っていた。
 アーサーに言ったら、売られた喧嘩は買いに行くかもしれない。って言うか、行くに決まってる。

「とにかく俺がいれば大丈夫さ! 犯人なんかすぐに見つけてみせるぞ。君たちも何か分かったら俺に教えてくれよ」
「ハッ」

 得意げに答えていた俺の声に、呆れ混じりに鼻で笑うアーサーの声が重なる。

「犯人が見付かればヒーローだもんなぁ、大きな騒ぎにはしたくないから、冤罪だけはやめろよ」
「何言ってるんだい。そんな事するはずないだろ?」

 刺々しい声に、ふんと機嫌が悪そうに逸らされる視線。訳が分からず眉間が寄ったけど、ここで諍いを起こしてもしかたない。
 心配そうにおろおろと交互に俺とアーサーを見るアリスに、心配ないよと目配せを送る。
 もしかして俺ばかりがインタビューに答えていて拗ねているのかななんて思った時だ。

「もうー! インタビューはいいからお昼にしようよ!」

 声を上げたエミリーが、手ぶらの俺と、さりげなく背中に白い大きな包みを隠すアーサーとを見比べる。

「あれ? もしかしてそれ、アーサーが作って来たお弁当かい? アルの分も?」

 横目で窺う視線の先で、アーサーがぴしりと固まった。きっと俺だけが気付いただろう些細な空気の変化。けれど助け船を出したくたって、ヒーローにもどうにもならない事がある。
 ――例えば、アーサーの料理の腕だとか。

 彼の家の冷蔵庫が食材で溢れかえった一件以来、なんとなく流れというか、俺が言い出したというか、アーサーが二人分の昼食を作って持って来るようになった。
 最初は、夕食で食べるだけじゃ食材が痛む前に食べきれないから。だんだん冷蔵庫の中が減って行くと、今度はオカズが足りないからって買い出しに行って。増えた食材を消費しきる前に、また足りない食材を買い足して……少しずつ馴染んでいた習慣。相変わらず料理の腕が上がる様子は一行にない彼と、屋上でこっそりと昼食という名の食材の墓場をつつき合うのは、日課になっていた。

「アタシたちも作って来たんだ! じゃーんっ!」

 俺とアーサーの微妙な空気には気づかず、エミリーが小さな弁当箱をレジャーシートの中央に置いて蓋を開けた。
 中にぎっしり詰まっていたのは、色とりどりの……冷凍食品だった。

「ちょっとエミリー! 作って来ようって言ったのはあなたじゃない! なんなのよこれは!」
「寝坊したんだよーっ! あ、ほらっ、次は桜の番だぞっ」
「はい、あの、あまり自信ありませんが……」

 騒ぐ二人も視界に入らない様子のアーサーは、視線を落としたまま小さく震えている。
 急用が出来たって二人で抜けたら不自然かな。
 前に昼食を持ち寄る話をした時は全力で嫌がっていたアーサーだ。今は、どうしたいって思ってるんだろう。

「アーサ……」
「いいからいいからっ! アリスも早くっ!」
「あ、ちょっと……っ!」

 短い攻防の末にエミリーが開けた、ウサギや妖精が描かれたファンシーな弁当箱。中身は、中身は……うん、ノーコメントなんだぞ。
 アーサーも覗き込んで目を丸くしている。

「えっ、アリス……なんだかいつもよりすご……」
「エミリーのばかっ!」

 さあここで問題だ!
 今、俺アルフレッドことヒーローの目の前には、四人の人間がいる。
 ひとりは遠慮も何もあったものじゃない同性の幼馴染で、ひとりは割と親しい下級生の女の子、もうひとりは今日知り合ったばかりの下級生の女の子で、最後のひとりは同じく下級生の女の子だけど目に涙を浮かべている。
 そうして弁当箱も四つ。
 ひとつは冷凍食品がぎっしり詰まったお弁当、隣に並んでいるのは、小さなおにぎりや綺麗な色をした卵焼き、色合いも栄養もありそうなお弁当。更にもうひとつが……かなり独創的なお弁当。
 そしてまだ蓋が閉まっているのは、百人中百人がバットだと断言する中身が詰まっていると確信を持って言える、男二人分の昼食が詰まった大きな弁当箱だ。
 俺は迷わずアーサーの弁当箱に手を伸ばして、蓋を開けた。




 一年生の教室は俺たちよりも遠い。慌ただしく屋上を後にした三人が去った後、残ったのは俺と、笑顔を消してむっつりと押し黙るアーサーだった。

「アーサー、機嫌直してくれよ」
「うるせえ」
「悪かったよ、でも残さず全部食べただろう?」
「そういう問題じゃねえ……――前に、弁当持参で飯にしようって言ってたよな。その時も、こうやってバカにするつもりだったのか」

 疑心に満ちた瞳、小さな声。
 違うって、言いたいのに言えなくて。
 その件に関しては考えが浅はかだったと返す返すも思う。あの提案をしたのは、アーサーに夢見がちな理想を重ねているらしかったエミリーの誤解が解けたらいいと思っての事だった。
 いつも通りバッドな食物兵器を作って来て、これくらいが美味いんだなんて馬鹿な事を言って。アーサーの事を完璧で素敵な紳士だと勘違いしてたエミリーの目を、覚まさせて、あげようと。どんなものが出たって俺なら食べられるし、なんなら美味しいと言ってあげてもいい。そうすればアーサーだって喜ぶだろうし、誤解も解けて正に一石二鳥というやつじゃないか……なんて、アーサーにはとても正直に打ち明けられたものじゃない。

「アーサー……」
「俺達もそろそろ行くぞ」
「……うん」




 その日の放課後、指定された時間に向かった校舎裏には、誰も来る事はなかった。



 

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