君がいる明日 - main
Doubt - 学園祭編 - 1


 子供ってのは単純なんだ。
 例えばそう、人に言われた事を何も疑わず素直に信じたり。
 些細な事で楽しくなったり嬉しくなったり、悲しくなったりだとか。
 自分に好意的な人によく懐いたり。自分の事を好きな人を、何でかやけに気になってしまったりだとか。



 俺とアーサーは物心つくかつかないかの頃からの幼馴染だ。
 家は近いけど、俺は幼稚園でアーサーは保育園に通っていたから、遊ぶのはだいたい休日だったように思う。あとは公園、とか。
 どちらかの家で遊ぶ時は、決まってアーサーが俺の家に来た。「外は車が危ないから、アルはひとりで出ちゃダメだ」なんて言ってさ。
 擦り切れて褪せても未だ残る記憶の断片。


 まあその話はさて置き、だ。
 俺は今、ちょっと聞き捨てならない事を耳にして足早に生徒会室へ向かってる。
 彼に直接、真相を確かめる為に。

「ちょっとアーサー!」

 扉を開けて開口一番。目的の人物は、紙の山を前にいつもの席に鎮座していた。
 視界の真正面、偉そうな机の奥に向かって、口の中に溜めていた言葉を吐き出す。

「学園祭の優秀クラスへの賞品が君のキスってどういう事だい!?」
「ごふっ!」

 アーサーが飲んでいた紅茶を噴き出して噎せた。汚い。俺にはサンドイッチのパン屑が零れるだけで文句を言うクセに。

「お、おまえなぁ……デカい声で言うなよ」

 ハンカチで口許を拭うアーサーの半眼と目が合う。
 なんだい。何で俺が呆れた目で見られなくちゃならないんだ。呆れてるのは俺の方だぞ!

「そのデカい声で言われたくない事をしようとしてるのは誰だい」
「しょうがねぇだろ。賞品になる筈だった学食のタダ券が盗まれちまったんだから」
「だからって、君のキスが学食のタダ券に相当すると思ってるのかい?」
「人の話は最後まで聞け! ったく、今日の会議でだな……」

 曰く、来たる学園祭に向けてクラスの代表者や執行委員で行われる会議。そこで賞品として用意していた食券が盗難に遭った事を告げ、もし犯人が見つからなかったら賞品はなし――とアーサーが言った所、盛大なブーイングが巻き起こったらしい。まあ当然だろう。
 更に話はそこで終わらなくて、フランシスが冗談なのか本気なのか自分のキスと熱い抱擁を賞品にと挙げたら矛先がセーシェルに移り、嫌がるセーシェルを見かねたアーサーが生徒会長だからと有無を言わさず自分のキスで押し通した、らしい。

「あれでアイツも一応女だからな」
「皆は納得したのかい?」
「そもそも反論を許可した覚えがねえ。ま、要はその食券を取り戻せば済む話だからな、たとえ犯人が捕まらなくても俺のキスなんて欲しがる奴はいないだろうし、結果として賞品はなしと同じだ」

 したり顔で人の悪い笑みを浮かべるアーサーに、気の所為かもしれないけど頭痛を覚えて額を押さえる。
 なんで君はそう、よく分からない所で自信満々になれるんだ。
 おまえだって人の事は言えないだろバカなんて声が聞こえて来そうだけど、そんな幻聴は無視に決まってる。

「君ねぇ。そうやって簡単に自分の身体を切り売りするような事、最低だぞ」

 そうだ、最低だ。
 学園のヒーローとして、とても見過ごせるものじゃない。大体、なんでアーサーが賞品の代わりを務めなきゃいけないんだ。最初に言い出したフランシスでいいじゃないか。
 俺の言葉にぐっと黙り込んでいたアーサーは、短い沈黙の後、引き結んでいた唇をゆるゆると開いた。

「……別に、そんなつもりじゃ……」
「ならどんなつもりさ。まさか、好きでやるとでも言うつもりかい?」
「なっ……!」

 だとしたら、彼の幼馴染としてとても放っては置けない由々しき事態だ。アーサーはいつの間に道を踏み外してしまったって言うんだ。俺の知らない間に。
 もしもの想像をしただけで腹が立った。そんな人を幼馴染に持った覚えはない。

「な訳ねえだろバカ! んな事言うなら、犯人捕まえるの手伝えよな!」
「とっくにそのつもりだよ!」

 机を叩いていきり立つアーサーよりも大きな声で返してやれば、部屋がシンと静まり返った。
 短い睨み合いは彼に目を逸らされた所で終了して、さっき噴き出した紅茶を拭く手を再開しながら零れるのは小さな声。

「……いつまでもドアの前に突っ立ってんなよ」

 ぶっきらぼうな彼の、分かりにくい協力要請。ちらと窺う緑の瞳と目が合えば、自然と肩から力が抜けるのを感じた。





「で、そもそも何で盗まれたりしたのさ。管理はどうなってるの」
「鍵が掛かけられるから、油断して生徒会室に置きっぱなしにしてたらいつの間にか」
「犯人に心当たりは?」
「……ないな……。特注で用意した物だから盗んでも使えねぇし。だからどっかで見かけても使うなよ」
「使わないよ!」

 学園祭の賞品と分かるデザイン。ひとクラス全員に行き渡る枚数用意されていたそれには念入りにナンバリングまでされているらしく、確かに盗んだ所で使えそうにない。
 犯人は今、それを手にして何を考えてるんだろう。

「学祭の賞品が食券だった事はまだ知れ渡ってねぇから、最初からそれ目的で侵入したとは考え難い」
「他に被害は?」
「食券が無くなった以外は確認されなかった」
「警察は?」
「まあ、そこまで大袈裟にするのものな……」
「ふむ……」

 生徒会室に鍵が掛かると言っても、職員室に行けば他の特別室の鍵と一緒に管理されてるし、元々特別な作りって訳でもないからちょっとした道具があれば開けられそうだ。何度か見て触れた事のある鍵の形状を思い浮かべる。
 けど、そうまでして犯人が手に入れたかった物が、使えない学食の食券?
 そんなまさか。
 犯人の気持ちになってみようとして、結局分からなくて止めた。

「目的は何だろう」
「さあな。事前に食券がある事を知っていたか…」
「あるいは、別の目的で侵入したのを、何らかの理由で食券だけ持ち出す事にしたか…」
「だな」

 頷くアーサーの眉間には皺が刻まれていて、難しい顔をしている。俯き加減の前髪。そこから視線を下げて辿り着いた唇は引き結ばれていて、不意に薄く開かれたと思うと白いカップが近付けられた。紅茶に濡れる柔らかな曲線。賞品が、この唇からのキス?
 どこに。

「――ッていうか君は、何でそんな大事件を俺に言わないんだい!」

 キッと見据える太い眉が更に中央へ寄せられて、手にしていたカップを机へ戻す。カチャンと響いたカップとソーサーがぶつかる音。

「役員以外には伏せてあるんだよ! っつうかおまえこそ誰から聞いたんだ」
「エミリーだよ、心配してたぞ」
「うっ」

 心配…というよりは、やる気満々だったけど。
 エミリーは学園祭のクラス代表を務めているらしく、会議で聞いたんだとさっき偶々廊下で擦れ違った時に教えてくれた。
 もしエミリーから聞かなかったら、当日まで知らないままだったかもしれない。賞品はやる気に作用するから、一般生徒は「いいもの」とだけ聞かされて閉会式での授与の時まで明らかにされないんだ。
 罰の悪そうな、言いたい事を我慢してるようなアーサーの顔。落ち着けアルフレッド、結果よければ全てよしじゃないか。むくむくと膨らみそうになる不満に大人という名の針を刺して萎ませる。

「ところで、フランシスとセーシェルは?」
「聞き込み調査っつー名目のサボリだ」

 大袈裟に溜め息を吐いたアーサーは、一度だけ俺と目を合わせてから机の上の書類に向き直った。

「まあ単なる嫌がらせだろ。気にしてても仕方ねぇ。案外ひょっこり出て来るかもしれないしな」
「適当だなあ」
「しょうがねえだろ、他にもやる事が山積みなんだ。犯人を捕まえるったってまだ何の手がかりもねえし……何か分かったら連絡するから、今日はもう帰っていいぞ」

 アーサーがパラパラと捲る書類、机の上に積まれた紙の山に、何が書いてあるのか俺には分からない。しばらくはこんな調子で忙しくなるんだろう。

 この学校は偏差値の高さと生徒の主体性に任せた自由な校風が売りだけど、あまり生徒に任せ過ぎるのもどうかと思う。だから生徒会がこんなに忙しくて、やりたがる奴がいないんだ。
 アーサーが生徒会長になったのは、立候補者がいない中、フランシスとその悪友に推薦されて教師にも太鼓判を押されたからだ。アーサーは言った、「俺の意志を無視してあれよあれよという間に決まったが、それ自体はまあ、それだけ信頼を寄せられて権限も持てるから悪い気はしない。ただ、道連れに指名した副会長には後悔している」と。もちろん俺も言ってやった。「君は馬鹿かい、何でもっと君が信用して頼れる奴を指名しないんだ」忙しさに頭垂れた彼がある時申し訳なさそうに用を頼んでいたのは、俺によく似た従兄弟のマシューだった。

「おい、アル? 早く帰れって、暗くなっちまうぞ」
「待ってるよ。もし嫌がらせなら狙いは君に決まってるからね」
「どういう意味だよ!」
「犯人を捕まえるのに協力するって言ったろ? ヒーローが付いててあげるって言ってるんじゃないか」
「……そうかよ」

 いきり立つ彼に胸を張って言ってやれば、アーサーは存外大人しくなった。何でか、不謹慎だけどワクワクしてくる。
 こんな滅多にないシチュエーション、ヒーローにぴったりじゃないか。か弱いヒロインと呼ぶにはアーサーはいまいちピンと来ないけど、普段強がってばかりの幼馴染を手助けして犯人を捕まえるっていうのは、悪くない。

「アーサー。何か手伝える事、あるかい?」
「ん……じゃあ、紅茶を淹れて来てくれ」
「オーケー、珈琲だね」
「紅茶だっつってんだろ! ばかあ!」

 雑用みたいな仕事を寄越すアーサーに、仕方ないから笑顔で快諾してあげて。背中に野次を受けながら間仕切りの奥の簡易キッチンに向かった。
 カップを二つ用意して、手を伸ばすのは考えるまでもなくインスタント珈琲。
 うん。こんなのも、全然、悪くない。

「あっ、ほんとに珈琲淹れやがったな」
「偶にはいいじゃないか。飲むだろ?」
「仕方ねえから飲んでやる」

 アーサーの席まで近付いて、カップを片方差し出せば渋々といったポーズで受け取られる。移ろう視線だけで器用にも不器用な無声の礼を告げる彼に笑った所で、扉が開いた。

「お、なにアルフレッドもいるの」
「遅ぇぞ」

 フランシスの声の妙なトーンにそっちを見ると、口角を吊り上げた笑みと目が合った。

「ふーん、へえー」

 顎に手を当てたニヤニヤと面白がるような笑み。当然面白くなくて、なんだい、そう言おうと思った言葉はアーサーの声に遮られた。

「おい、報告しろ」
「は、はいっ」

 不機嫌な声に答えたのは、フランシスの後ろからぴょこんと出て来たセーシェルだ。そういえば、聞き込み調査に行ってたんだっけ。

「っと、怪しい目撃情報はなかったっす! 聞けたのは、会長が横暴とか会長の人でなしとか会長の眉毛とか会長の人使いが荒いとか」
「はいはい。あとは、運動部のレギュラーメンバーが学祭のエントリー種目を制限された事に対する恨み言とかな」
「え、」

 セーシェルを制して肩を竦めたフランシスに瞬く。

 学園祭、又の名をクラス対抗の点取り合戦。バスケットや水泳、料理に裁縫、腕相撲。果てはしりとり、女装コンテストまで種目の要請さえ通れば何でも有りのデスマッチだ。
 体育系とそれ以外を一種目ずつ、1年生なら無条件で三種目まで自由に掛け持ち出来るけど、運動部に所属するレギュラーメンバーは体育系にエントリー出来ない制限がある。お陰で俺も去年は自分で希望を出したハンバーガー食い競争にエントリー出来なくて悔しい思いをした。

「活躍の場を奪われた上に審判をやらされるわで、不満に思ってる奴もいるみたいよ」
「俺が決めた訳じゃねえ」

 アーサーがむっつりと顔を顰める。

「アルフレッドさんはどうなんすか?」
「俺? 俺は不満なんてないぞ。下級生にもチャンスが回るのはいい事だし、それで俺達のクラスは1年の時に優勝したからね」

 その時に賞品で得た学食の新メニューをリクエスト出来る権利で生まれたスペシャルハンバーガーセットは、今でも俺の一番お気に入りのメニューだ。

「とにかく、犯人は俺が捕まえてあげるから、君達は安心するといいよ」

 俺の高らかな宣言に、小さく漏れ聞こえるような笑い声が重なった気がした。

 

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