君がいる明日 - off

無償の愛≠無限の愛(サンプル/後日談)




 その約束を、取り付けた当初はそりゃあもう何かとネタにして面白がっていたのに。
 日に日に乗り気じゃなくなって暗く打ち沈んで行く彼を見て、楽しみにしてるのは俺だけなのか、なんて思ったりもしたけれど。待ちに待った当日、親しい国々を呼んで密やかに行った結婚式で。
 壇上のステンドグラスから取り込まれた光か、あるいはシャンデリアから降り注ぐ明かりか、とにかくキラキラと白む光の中。
「──……」
 目を見張るほど綺麗に、周囲の音すら忘れるくらい。用意していた言葉も鏡の前で練習した笑顔も、彼が真っ赤になって惚れ直すような俺は何一つ出て来てくれないぐらい。あれからどれほど時間が経っても、鮮やかに記憶の中に残るくらい……。彼は薄らと目に涙さえ浮かべて、至極幸福そうに微笑った。

 ──たとえこの先、君がどれほど不安に思おうと、時には俺が不安にさせてしまう事があったとしても。
 君を初めて見た時からこの胸にある気持ちを、時間と共に育てた愛を。
 何があろうと忘れず君を想い続ける事を、誓います。

 あの時にそう、思ったんだ──


 コンコン、と控え目に響くノックが鼓膜を叩いた。広がる波紋のように緩やかな刺激が意識を浮上させる。
 どうやらいつの間にか眠ってしまっていたらしい。目蓋を持ち上げれば対面するのは、枕にしては薄っぺらすぎる紙切れと、その先で束をなす手付かずの書類。目が覚めたのは仕事を放棄したままのデスクだというのに、夢の所為だろう、どこか心地良い余韻が残ってる。
 随分と、懐かしい夢を見た。
 昨日、彼と喧嘩したからだろうか。「アルのバカ!」言われた言葉に同じものを返し、寝室に籠城されて頭を冷やそうと仕事に手をつけて。朝になる前に隣に潜り込んでやろうと思っていたのに、そのまま寝てしまっていたらしい。きっと彼の事だから、俺が来るのを待ってただろうに。喧嘩の原因なんて途中から忘れてしまって、今も思い出せない。
 過去の自分から呈される苦言。そう思って苦笑していると、続いて小さな、本当に小さな声で名前を呼ばれた。そういえばさっきも、扉をノックする音が聞こえたような。
「アル……?」
 まだ半覚醒だった頭は、それにも返事が出来なくて。
 突っ伏していた顔をのろのろと持ち上げたのは、扉の前から人の気配が失せたのとほぼ同時だった。頭を掻きながらテキサスを探す。机の隅に折り畳まれて置かれていたそれを手に取って、手櫛で髪を撫で付けながら見た時計は、まだ昼の時刻を指していた。
 早く終わった仕事から真っ直ぐ帰って来たか、それとも早めに切り上げて帰って来たのか。
 窓の外に広がるのは、いつもと変わらないイギリスの曇り空。近付いて映した自分の輪郭の不鮮明な姿を頼りに、軽く髪と服装を整えて。
 もう目を瞑ったって扉まで辿り着けるぐらい馴染んだ俺専用の仕事部屋を後に、リビングへと向かった。

 ここは英国南部の閑静な保養地に古くからある彼の別荘に、俺の意向を取り入れて改築した建物だ。
 わざわざこんな色気のない言い方をしなくても、結婚式を終えた二人が住む新居と言い換えていい。ロンドンからおよそ電車で一時間。二階の寝室のベッドはキングサイズで、その両隣には互いの仕事部屋を設えた。門から玄関へ続くアプローチには、いつか買った星形の飛び石。キッチンは無駄に……と言うと怒られるけど、日夜戦場と化す其処はこだわりだけは一流のカスタムキッチン。
 結婚式のあの日、俺が密かに立てた誓いは、残念ながら全てが理想通りに守られていないのが現実だ。
 俺達は相変わらず喧嘩して、その度に仲直りをしている。
 例えば、庭にいるらしい妖精の姿は相変わらず俺には見えないし声も聞こえないのに、毎日彼が構うものだから……分かるだろ? 夜毎甘い言葉を囁き合った蜜月は最初だけで、彼は俺がどんなに飲みに行かないでくれって言っても、特に週末はよく飲みに行った。その度、酔っ払って電話して来たり、裸同然の格好になっていたと後から噂が耳に入って来たり、フランスからのSOSだろうと俺が迎えに行ける時はまだいい。連絡がつかず心配になって捜していたら道端に転がって寝こけているのを見た時は、その場で犯してやろうかと思った。それでも頻度は格段に減って来たし、最近ではホロ酔い程度に抑えて帰って来る事も多い。
 俺も、ゲームに夢中になって彼を蔑ろに扱う事は減った。筈だ。
 カッとなっても冷静に、なるべく素直にいようと心掛けている。つもりだ。
 一緒に食事を作ってみたり、庭の世話に協力したり、彼も偶にならゲームに付き合ってくれたり──そんな生活も、遂にあと三日で終わりを迎える。身を隠すという口実から始まった新婚生活のタイム・リミット。
 出張でもなく一時帰国でもなく俺が本当にアメリカへ帰る日は、直ぐそこまで近付いていた。

「……だ、……き……」
 半開きの扉から、何やらブツブツと声が聞こえる室内の様子を窺う。
 背を向けた彼が、ソファの上でテディベアと向かい合うように座っていた。数あるテディベアの中でも、彼の手製でも新顔の市販品でもない、俺が贈ったベアだ。既製品だけど。此方に向かって丸められた背中の主に代わり、青い色のガラス玉が首を傾げて俺を見ている。息を殺して、耳を澄ました。
「好きだ……だ、だい……き。あ、愛してる──」
 足音を忍ばせて近付く俺の気配に気付かず、肘置きに凭れさせて半ばふんぞり返ったようなベアに向かって秘めやかに愛を囁くアーサー。
 頬が引き攣るような乾いた笑みを堪えながら、彼の肩を叩いた。
「ハイ、ダーリン。浮気かい?」
「のわぁ!」
 色気のない悲鳴を上げて振り返った彼の身体が半分くらいソファからずり落ちて、顔がベアの首に巻かれたスカーフみたいに真っ赤だったから。
 無機物相手に抱きかけてた嫉妬紛いの溜飲は、あっさりと寛大な心に溶けて消えた。
「な、なんだよお前っ! いたのかよ!」
 憤慨した様子の彼が瞳に水分を溜めて拳を振り上げる。
「うん、寝てたんだ。で、君は何してたんだい?」
「ッ……お前が……昨日、俺があんま好きって言わないっつうから……す、少しなら言ってやってもいいかと思って、れ……練習をだな……」
 昨日、昨日。喧嘩の発端──?
「そんな理由だっけ?」
 だとしたら、過去の俺に夢で叱られても仕方ない。つい声に出して言ったら思い切り睨まれた。
「てめえ……」
 ギリギリと奥歯を噛み鳴らす彼に両手を上げて見せる。彼はむっつりと押し黙り、更に「そのあと」と続けた。
「……俺が、お前の好きには気持ちが籠もってないっつったら、なら手本を見せろとか言いやがるから……」
 ──ああ。そうだ、思い出した。俺が「君の口からもっと好きって言って欲しい」って言ったら、斜め上に受け取った彼と売り言葉に買い言葉で喧嘩になって。あんな夢まで見てしまったんだ。
 アーサーは俺の目を見ないまま、ベアを抱き締めてもごもごと言い募る。
「……気持ちが籠もってないなんて、思ってないからな。その……言い過ぎた」
「知ってるよ。俺もごめん、無理して言わせたい訳じゃないのに」
「っ……む、無理とかじゃ……」
 うん、それも知ってるぞ。口籠もる彼の頭を笑って掻き回すと、不意に、部屋の隅に置かれた幾つもの箱が目に入った。俺がこの家に持ち込んだ荷物だ。帰る時に、一緒に送り返す物。
 彼と暮らす内に買い揃えた物は置いて行くつもりだけど、此処でこんな風に暮らせる日は、きっともう来ないだろう。長期休暇のバカンス候補が精々だ。
 動きを止めた俺の視線に、彼にも同じ事を思わせてしまったのか。くんと引かれたシャツに見下ろせば、交わる視線から伝わる感情がじわりと胸に染みた。
 ──昨日、喧嘩になる前は。とても迂遠な言い回しをしながら、残り僅かな日数をどう過ごそうかって話してたんだ。
「……ベアに言うより、俺に言ってくれよ」
 テディベアを相手に練習するくらいなら、いっそ俺に練習すればいい。ある日突然君の口からスラスラ出て来るようになったら、そっちの方がイヤだ。言えばアーサーは笑った。
「俺にばっか言わせる気かよ」
「俺も言うから」
 手を取れば柔く握り返される指先。そのまま持ち上げて、人差し指にキスをして、視線だけを上げた先。
「俺の愛に心が籠もってないなんて、嘘でも言えないように君が確かめて」
 小さく紡がれるバカの一言よりも雄弁に、翡翠の瞳は同じ想いを映していた。




戻る
 
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -