君がいる明日 - off

君と奏でる愛情論 サンプル


 ずっと、ずっと彼のことが好きだった。
 初めて出逢った時から、それこそ他の誰にも、彼が関わらなければ興味が沸かないくらい。
 一日中彼を、アーサーのことを考えていても飽きないぐらいに。
 緑の瞳に見つめられると心地良い安堵に包まれて、名前を呼ばれると否応なく胸が高鳴る。俺より淡い金の髪は、光に透けるとキラキラ光って見えて。特徴的な眉は、触らせてって頼むと顔だけはむっとしながら、けれど気恥ずかしそうに俺の好きにさせてくれるのが堪らない。昔は大きく見えた彼にも、今では身長だってかなり追いついて。研究に打ち込んでいる時の真面目な顔は……昔は寂しかったりもしたけれど、ようやく隣に並べるようになってきた。今はまだ教わる側だけど、いずれは本当に肩を並べて、アーサーとずっと一緒にいたい。
 そう思うのは、よく言えば一途で、有り体に言えば俺がアーサー以外に知らないという事なのかもしれない。
 今だってこうして、彼じゃなければ自分のものでもない見知らぬ他人の裸を見ながら、彼のことばかり考えてる。
 好きになったのも、片時も離れず傍にいたいと願ったのも、自分が一番特別じゃなきゃイヤだと思ったのも、夜のオカズにするのも、告白したのも、オーケーされて舞い上がったのも。
 今、こうして初めての夜に向けて悩んでいるのも。
 全部彼だけで、彼が初めてなんだ。
「うー……ん……」
 俺は凝視していたモニターからとうとう視線を剥がした。机に頬を伏せれば、ひやりとしたデスクの感触。
 何度マウスをクリックしても、真面目なサイトから怪しいサイトまで目を凝らしても。実際に試してみなければ何とも言えない知識が増えるばかりで、いまいち自信に繋がってくれない。
 溜め息を吐きながらマウスを手離す。
 試しにと左手を軽く握って筒状の輪を作り、右手の人差し指を上から突っ込んでみた。根本まで入れた所で輪を狭めたら抜けなくなって、何度か抜き差しをしながら筒の狭さを調節する。
 これくらい、かな。何となく調子を掴めて来た所で左手を固定して右手の人差し指をグイグイと動かしていたら、BGMにしていたシャワーの流水音が止まった。
 残念、今夜はここでタイムオーバーだ。
 横目を流した扉の向こう、シャワールームからは、続けて防水扉が開くカチリと響く音がして。バサバサと聞こえる布の音に耳を澄ませた。
 夜という時間帯は、窓一つない地下の居住区にいてさえ静かな部屋を更に静かに感じさせる。手をそうっとマウスへ手を伸ばし、カチカチとクリック音を響かせてウェブサイトのウィンドウを閉じた。勿論履歴の削除も忘れずに、だ。
 腕を回して凝り固まった筋肉を解し、背中を逸らせて椅子に凭れる。今度はカチャリ、とさっきよりはっきり扉の開閉音が聞こえた。
「アルフレッド? なんだ、まだやってたのか?」
「今日はこの辺にしておくよ」
 聞こえた声に視線をやれば、湯気の沸く扉の向こうから出て来たのは丈の長いバスローブを纏った湯上がり姿。
 濡れた髪をタオルで拭く仕草からそっと視線を剥がして、きゅうと痛む胸の内に気付かない振りをした。いつからか覚え始めたこの感覚に、まだ慣れない身体は呆れるのを通り越していっそ感心する。
 石鹸のいい匂いを漂わせながらすぐ傍までやって来たアーサー。少し横にずれて、電源を落とす画面を見せた。
「何か分からない場所はあったか?」
「うん。実際に経験してみないと、文字の羅列と図解だけじゃなんともね」
「そうだな……。自分の目で見て確かめるのが一番だ」
 勉強は進んだかと訊くアーサーに、首肯で返した相槌は決して嘘じゃない。勉強は勉強でも、アーサーに教えて貰っていた研究の続きじゃないけど。
 真っ暗になった画面は、完全な証拠隠滅に至ったワケじゃない。彼がその気になれば、履歴の抹消なんて何の意味もないんだ。もし調べられたら、俺が何を考えているかなんて一発で分かるだろう。
 けど、たとえバレたとしても、後ろめたい事なんて何もない。俺が隠していたいと思うのは、単純に彼の前で格好付けたいからであって、むしろ知って欲しいような気さえする。
 彼に知られて、求められてるんだって分からせて、その時、アーサーがどんな顔をするのか見てみたい。
 ちらりと窺ったアーサーは、タオルで髪を拭いていて俺の事を見てなかった。少し頭を下げた彼の顔は、とても近い距離にある。風呂上がりで火照った色に染まる触ると柔らかそうな頬。ついと顔を寄せて頬へキスをすると、体勢を変えた椅子がギシリと軋んだ音を立てた。
「んっ」
 驚きの色を溶いた声の後、すぐに返される同じ頬への自然な口吻け。少しくらい慌ててくれてもいいのに。そうすれば、絶対かわいいのに。不意打ちの失敗を悔しく思う。
「なんだ、寂しかったのか?」
 小さく笑う年上のこの人は、いつだってなかなか余裕を崩してくれない。付き合ってはいるけど、辛うじて唇同士を触れ合わせた事がある程度の清いお付き合いだ。
 しかも、先にするのはいつも俺から。
 一時は純粋に兄として慕った事もある、家族のような存在。大好きな人で、恩人で、仲間で、恋人で。それが俺たちの関係だ。
 偶に、アーサーは本当に俺と同じ気持ちでいてくれてるのか不安になる時がある。まさか、小さい頃と同じように、俺の我が儘に付き合ってやってるぐらいの気持ちでいたとしたら――
「なぁに怖い顔してムクれてんだよ」
 唇が頬に触れてから動きを止めたままでいる俺の額を、手の甲でこつ、と叩いて屈託なく笑うアーサー。リラックスしている時、俺の前でしか見せないその表情に、きゅっと唇を引き結ぶ。
 ああもう、好きだ。
 不覚にも高鳴る胸が、同じくらいの悔しさを訴える。
 俺の事なら何だって知っている気になってるこの人に、知らない俺を見せて、翻弄してやりたい。
 触れて、暴いて、まだ俺の知らない彼の全てを見たい。
 それは衝動的な欲求だった。引っ張り過ぎて千切れた糸が、プツンと音を立てたみたいな。
 勢い勇んで立ち上がったら、膝の裏で押し退けられた椅子が派手な音を立てて。
 驚いたように目を瞬かせたアーサーが、俺から一歩下がった。
「アーサー、ちょっと。真っ直ぐ立って」
「お、おう」
 ぴんと背筋を伸ばした彼の、綺麗な姿勢と向かい合わせに立って俺も胸を張る。
「…………」
「……アルフレッド?」
 不思議そうなアーサーの頭にぱふんと乗せた手の平を、自分の方へ向けて水平に動かした。ズルはしないぞ。本当の事を知りたいから、慎重に。
 視線だけで上向いて、小さく口を開けながら無防備に俺の手の動きを目で追うアーサー。その綺麗な緑と、目視で測る視線の高さなら違わないと思うのに。
「はは、おまえも随分大きくなったなぁ」
「アーサー」
「ん?」
 名前を呼んだ声が、震えてなかったらいい。
 首を傾げて俺を見るアーサーと、瞬きも忘れて視線を合わせる。
「俺が君の背を越えたら……、君を抱きたい」
「――なっ! お、おまえなぁ……!」
 たじろぐアーサーの腕を咄嗟に掴んだ。視線だけを俺から逃がして、けれどその場を動こうとしないアーサーに。
 湧き上がったのは、きっと男なら誰もが持ってる狩りの本能みたいなものだ。
「君は今まで一度も考えたことなかった? 俺は、ずっと考えてた。アーサーを抱きたいって」
 言ってしまった、とうとう。
 ここまで来て引き下がれるかという強い思いが、俺を何だって出来るような気にさせる。
「好きだよアーサー……ダメ?」
 この訊き方は、ちょっと卑怯だったかもしれない。アーサーは軽く唇を噛んで、そう言いたげな顔をした。
 けど――
「……背を、越したらでいいんだな? なら――」
まってる
 そう、距離を寄せて。わざわざ俺の耳元で囁いてくれた彼の方が。
「……ッ!?」
 パッと離れて改めて見た顔に、ひどく艶っぽい色を浮かべていた彼の方が、よっぽどズルいと思うんだ。
 彼の吐息を直に感じた耳が熱い。顔も。
 アーサーは俺と目が合うと、彼の方が気恥ずかしそうに視線を逸らした。
「……別にそんな事しなくたって、俺は……」
「え?」
 今、なんて言った?
「あー……ほら、今日はもう寝るぞ」
 ふいと身を翻してさっさとベッドに入ってしまった彼の、丸くなった背中を見て。暫く立ち尽くした俺が、早くも自分の台詞を後悔したのは言うまでもない。
 アーサー、もしかして君も、ちゃんと俺とのことを考えてくれてたの?
 訊けない代わりに次の日から牛乳を飲みまくった俺は、初めて逢った時から飽きもせずに俺の成長記録をつけてるアーサーが頬を引き攣らせる速さでその日を迎えた。



「――ダメだ。おまえ、先に行ってこい」
 躊躇いがちに視線を逸らして、けれどきっぱりとアーサーは言った。掠れた声に、鼓膜から首筋を抜けて行く痺れが背筋を震わせる。
 一緒にシャワーを浴びようと誘って断られたのは、これが初めてだった。
 それをショックに感じなかったのは、きっとアーサーの顔がとても赤かったから。
 タオルと下着だけを持ってシャワールームに入って、バスローブを忘れた事に気付いたのは後からだった。普段なら、俺よりも早く気付くアーサーが用意しててくれるのに。
 今更アーサーを呼んで持ってきて貰う事も、下着姿で出て行く事もはばかられて。結局脱いだ服をまた着て戻ると、そんな俺を見たアーサーは特に何も言わず、いつもより言葉少なにシャワールームへ向かった。
 手の平に、じんわりと汗が滲む。
 風呂上がりで火照った身体と緊張でさっきからバクバク煩い心臓じゃ、この熱が火照りからなのか別のところから沸いてくるのか判断つかない。
 落ち着こうと深呼吸すると、石鹸の匂いがした。同じ物を使ってるアーサーからは、最初は俺と同じ匂いがするけど、時間が経ったり、汗をかいたりすると少し違う匂いがする。動植物の世話をしたり、料理をすると別の匂いと混じってしまうそれ。世界で一人しかもっていないアーサー自身の匂いを、小さい頃は抱き付いて顔を埋めて、大きくなってからは髪に鼻先を寄せて嗅ぐのが好きだった。
 既にアーサーの手で整えられた綺麗なベッドメイク、その白いシーツの端を摘んで無意味に直す。
 ここで、これから……。
 唾を飲み込むと不自然に喉が鳴った。ポケットを探って取り出した小さなパッケージを、枕の下に忍ばせる。
 普段アーサーがシャワーを浴びてる間、俺は何をしてたんだっけ。ああそうだ、勉強。最後の復習をしようか、いやそんなのダメだ。もし見つかったらあまりにもスマートじゃなさすぎる。ベッドに座って待っていればいいか、なんて考えて、腰を降ろしたらもう動けなくなった。軽く握った拳を膝の上に乗せて、視線が向くのはシャワールームの扉ばかり。それを格好悪いと思った所で、他にどうする事も出来ない。
 アーサー、アーサー。
 シャワーの音が、いつもより大きく聞こえた。
 部屋の明かりは、オレンジ色の仄かな間接照明を残して他は全部消してある。アーサーに消しておけと言われたからだ。恥ずかしいのかな、気持ちは分からなくもないけど。もう何度も見てるのに、思わずそう言いたくなるのは、本当は明るい場所で彼の身体を隅々まで見たいから。我慢したのは、彼の意思を尊重したかったからだ。
 背比べしようと毎日のように強請った俺に不承不承付き合ってくれながらも、日に日に緊張して行く彼の赤い顔を見ていたら、きっと誰だって我慢すると思う。まだ身体を繋げる行為がある事さえ知らなかった頃から、ずっと彼が欲しいと思ってた俺が言うんだから絶対だ。
 出来るなら優しくリードして、怖がらせないであげたい。
 シャワールームの扉が開く時は、普段よりもうんと小さな音がした。
 緊張した面持ちで出て来たアーサーは、俺と目が合うと何故だか驚いたように目を見開いて。下を向きながら、早足でやって来た。ひらひらと揺れるバスローブの裾が、手を伸ばせば届く距離まで近付く。
 ――その下、なに、穿いてるのかな。
「……なんて顔してんだ」
「どんな顔……?」
 アーサーは答えない。よっぽどひどい顔をしてるんだろうか。そうかもしれない。
「……期待すんなよ」
 少し上擦った小さな声で彼が言う。返事の代わりに手を取れば、強張った身体に気付いて口端からふっと笑みが漏れた。自分より余裕がない相手を見ると、余裕が出てくるのかもしれない。そう思いながら心臓がドキドキ煩い俺の顔だって、アーサーに負けず劣らず緊張してるだろうけど。
「あと、途中で萎えたら無理すんじゃねーぞ」
 そんな事、する訳ないのに。
 緊張しすぎると、いざって時に使い物にならない事もあるらしいけど、俺の場合その心配はなさそうだった。
「アーサー」
 名前を呼んで、彼の手を引く。カラカラに乾いた喉を、アーサーで潤したいなんて思った俺は相当重症かもしれない。
 ベッドの上にに膝で乗り上げて、ぽすんと身を沈めた彼が、眉間に皺を寄せてむっつりと俺を見上げる。きゅうと両端を下げた唇が震えていて、思わず手を伸ばした。恥ずかしいんだ、きっと。もし部屋が明るかったら、リンゴみたいに真っ赤に染まった顔が見れたのかな。想像だけで胸が切なくなって、眉間に力が入った。
「アーサー……」
 顔の横に手をついて、ゆっくり覆い被さる。片手で頬を包んだらアーサーの手が俺の手の甲に重ねられて、至近距離で見つめ合うと身体が固まった。
 どうしよう、心臓がすごい勢いでバクバクして、次にどのタイミングで何をすればいいのか、分からなくなった。
 何度も繰り返したイメージトレーニングでは、押し倒す流れでキスをしていたような気がするけど……そんな事を考えられたのは一瞬で、潤んだ瞳を瞼の裏に隠した彼に誘われるまま、吸い寄せられるようにそっとキスをした。
「んっ、……ふ……っ」
 薄く開かれた唇にぴたりと重ね合わせ、隙間から舌を潜り込ませて彼の舌を探す。いつもは積極的に動いては翻弄されてきた柔らかい熱が、緊張してるみたいに奥に引っ込んで大人しいのが可愛くて、おかしくて、身体が堪らなく熱を上げて行く。
「ンっ……、あっ……アル……んぅ」
 吸って、舐めて、舌を絡めて、ザラザラとした表面を擦り付ければ応えてくれる彼の唇を貪るように求めた。
 首の後ろへ廻された指から戯れに撫でられる度、お返しの意を込め軽く歯を立てて。いつの間にか夢中になって、気付けばすっかり体重をかけてしまっていた。下半身だけは遠ざけておきたくて腰を浮かせたら、気付かれたのか脚を絡められて。軽く首を引き寄せられ、薄く開かれた緑の光彩が挑発するみたいに俺を見る。――挑発、なんて、俺の思い違いかもしれない。けど、アーサーが俺を見てる。この状況はもう、それだけで俺の理性を焼くには充分だった。
 アーサーは、余裕がない俺を見たら子供だって思うかな、そんな不安は、こんな状況で余裕なんか持ってたら男じゃないって理屈で捻じ伏せる。
 イメージトレーニングで描いてた理想の自分との決別は、実にあっけないものだった。
 余裕がないなんて、最初から分かってたじゃないか。
 こんなにもなくなるものだとは思わなかったけど。
「っ……アーサー!」
 首に絡む腕を、悪いと思いながら引き剥がした。俺の襟足を掻いていたアーサーの指先が、名残惜しげに最後まで触れていた場所が熱い。
 足元の方まで移動する間も興奮に息が上がって、顔を見られたくなくて俯いたら少し肌蹴たバスローブが目に入った。白いスリットから覗く太腿、その付け根に下着が見当たらない、アーサーの肌を隠しているのは、この布一枚だ。
 身じろづとシーツに衣擦れの音を立てる姿態、陽焼けの跡ひとつないその肌を、全身舐めしゃぶりたい。口の中に溜まる唾液がやけに気になって、飲み込んだら耳の奥で音がした。
 腰の辺りで緩んだ紐に手をかけた所で小さく名前を呼ばれて、それだけでまた少し、下腹部の熱が上がった気がする。
「アーサー……アーサー、……いい?」
 顔を上げて視線を合わせ、薄明かりの中で光る緑に乞う。潤んだ瞳、同じように肩で息をする彼に見上げられて、頭がクラクラした。いつもは俺を安心させてくれる大好きなその色に、今は煽られて仕方ない。
 アーサーはただ俺の名前を呼んだだけで止める意図はなかったのか、少し焦ったように見えた。続く言葉を惑う口許に、愛しさが込み上げる。
 シーツの上に投げ出された手を取り、何度も甲へと口吻けて。同じ数だけ名前を呼んだ。
 アーサー、アーサー。
 機械の箱から得ただけの、実践の伴わない知識が性感帯だと教示する指の股に舌を這わせる。人差し指と中指の間に肉厚な舌を捻じ込んで、指の付け根の部分を舐めた。アーサーの手がひくんと跳ねて、視線を感じる。こういう時、どうすればいいんだっけ。「感じるの?」なんて意地悪く言えばいい? それとも、止められるまで舐めればいいの? もう、他の場所も触っていいかな。ダメじゃないよね。分からない、アーサー。ねえ教えてよ。
 俺と目が合ったアーサーは、ぐっと怯んで唇を震わせた。呼吸の度に上下する肩、僅かに伏せられた顔が前髪で翠眼を隠してしまう。アーサーの手を捕らえる指に力を込めた。押し当てたままの唇で、もう一度口吻けて水音を鳴らす。勿論ワザとだ。
 逸らさない視線の先、震える唇が何度か躊躇してから開かれて。
「いいから。おまえの好きにしていいから……こいよ」
 もう一度目が合った時には、アーサーの手を離してた。
 指先が震えないように気をつけて、最後の砦を越えるようにバスローブを開く。
 もう後戻りなんて出来ないし、させるつもりも、ない。




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