君がいる明日 - off

新刊B



「あれ、君……」
 その声を聞いて、腹の辺りがひやりとした。鼻をつくバニラの甘ったるい匂い。握られた手の温度。
 ──人は誰でも自分にそっくりな奴が三人はいるらしい、なんて。
 今の今まで、誰も信じやしないただの笑い話しだと思っていた。



 アメリカが大学に通い出したらしい、という噂話が耳に入ってきたのは最近だ。あいつはまだ若いし、大方興味本位とか、楽しそうだとかそんな理由だろう。本来の仕事が滞っているような話は聞かないし、世界会議には毎回顔を出しているから大して気に留めてもいなかった。
 ただ、まあ腐っても元弟だ。可愛かった昔の面影はとうに失せて年々クソ生意気さにばかり拍車がかかり年長者の話なんか聞きもしないメタボ予備軍だが、機会があるなら知ってみたいと思うだろう。国民に紛れて学生している、アメリカの別の顔ってやつを。
 そんな機会という名の悪しき幕開けを持ち込んで来たのは、腐った縁で好きでもないのに隣に居続けている隣国だった。
「でさ、その子が言う男の特長ってのがアメリカっぽいんだよねぇ」
 アメリカで行われた世界会議の前々日、フランスに「面白い話がある」と呼び出されて馴染みのバーで飲んでいた。明日も暇だろなんてのたまってくれたが、誰の所為で予定に空白が出来たと思ってるんだ。てめーの所為だろうが。それでも容易く頷いてやるのはどこか悔しく、予定があると嘘を吐いた。
 グラスを傾けて語るのは、世界会議期間中に知り合ったアメリカ人の女子大生から聞いたという、学内で目立っている男の話だった。
「金髪碧眼で博識なベビーフェイス、運動神経も羽振りも人当たりもよく、いつもキャンパスでハンバーガー片手に練り歩き…女を食い散らかしてる? って、別人じゃねえの?」
 女遊びの為に大学に通ったのか? まさか。心の中で即答する。
 フランスが聞いたという、アメリカに似た特徴を持つ男の話しは、俄に信じがたかった。
「振られた女の腹癒せとか、男の嫉妬が流した噂だろ?」
「だーかーら、それを確かめに行くんでしょうが」
 にやりと笑って二人分の偽装学生証を机に投げたフランスは、俺が断る訳ないと思ったんだろう。正解だよクソ。
 手に取ったそれは、いつ撮った写真を使ったのか不機嫌そうにカメラを睨んでいる顔が使われていて、忌々しく舌打ちをした。もっとまともなやつがあるだろ。
「決まりだな、明日でいいだろ?」
 フランスのしたり顔を視界から追い出して携帯電話を取り出すと、明日の予定をキャンセルする振りをした。



 翌朝、スーツ以外の服を持って来ていなかった俺はフランスの部屋へ着替えに行った。渡されたのはシャツとジーンズという大学生によく見るカジュアルな服だったが、そっち方面に疎い俺でも分かるような洒落たものだった。恐らくこいつの家のブランドだろう。
「……派手じゃねえ? 学生だろ」
「せっかく若者の中に混ざるんだし、楽しまなきゃ損でしょ。文句があるならお前だけスーツで行けば? 浮きまくりだろうけど」
 そう言ってむかつく顔で笑うフランスの顔にはヒゲがない。スーツで行って悪目立ちした挙げ句アメリカに見つかったら元も子もないから渋々借りた。
「ぶはっ! 完全ティーンじゃん! あ〜これは登録年齢ミスったかなー」
「るっせえ! 殴るぞ!」
「もう殴ってる! いたっ! 顔はやめて! 蹴らないで! エッフェル塔もやめて!」
 気が済んでからフンと鼻息荒く離れると、顎を押さえたフランスがよろよろと起き上がる。俺も大概だがこいつもタフだな。青い目がじろじろと俺の足下から頭までを見た。
「まあ悪くないんじゃねえの? あ、たんま。お兄さんの服着てそんな寝起きのボサボサ頭でいないで」
「喧嘩売ってるのか?」
「いいからいいから、任せなさいって」
 三十分後、鏡の中にはむっつりとしかめられた自分の顔の、けれどいつもとは違うサラサラヘアーの男が映っていた。
「眉毛も剃れば?」
「断る!」
 触るなと威嚇しながら、頼りない首回りを少し引き上げた。
 泊まっていたホテルを出て、アメリカが通っているという学校まで向かう。
 ボタンを一番上まで留めるなと言われた所為で、風が吹く度にスースーした。



「さて、アメリカを探しますか。俺あっち行くから」
 無駄に広い土地を使った広大なキャンパス。虱潰しに探していては埒があかない。とは言えフランスのように知り合いがいる訳じゃないからやっぱり虱潰しに探すしかなくて。
 ──ここにアメリカが通ってるのか。
 きょろきょろと辺りを見回しながら歩いてると、誰かにぶつかった。それだけならまだ良かったが、びくともしない相手の身体に跳ね飛んで転んだ。手に持っていた学生証も飛んでいく。ガシャンと落ちた氷の音は、甘ったるい匂いからしてシェイクだろう。ちくしょう図体ばっかりでかいメタボ量産国め!
 目の前まで差し出された手を咄嗟に掴んでしまったのが悔しさに拍車をかける。
「ちっ、いってーなくそったれ……」
「あれ、君……」
「ああ? 前見て歩……──」
 じろりと睨み上げた先にいたのは──アメリカだった。
 なん──だと……。
 やばい、こんな格好して、盛大に柄悪く対応しちまったし、バカにされるに決まってる。手を借りて立ち上がった俺を、アメリカがじろじろと不審げな眼差しで見た。
「こんなところで、そんな格好して…なにしてるんだい?」
「っ、はあ? てめーこそ、なに初対面で慣れ慣れしい口利いてんだ!」
 案の定呆れ返ったアメリカの声を聞いて、咄嗟に出たのは別人を装う言葉だった。吐いた台詞は戻らない。
「え。イギ」
「おまえ誰だよ!」
 このまま、アメリカの前で見せないような何か……何か……。
 走り出した三枚舌を、思考回路が必死に追いかける。
「──っつーかいつまで掴んでんだ!」
 思い切り手を振り払い、目の前でぽかんとしているアメリカの臑を蹴っ飛ばした。
「あうち!」
 すかさず距離を取って、普段アメリカに見せないような顔を作る。
 臑を押さえたアメリカがぴょこんと跳ねた。
「やっぱり人違いなんだぞ!」
「そうかよ」
 ──よしよし、なんとか誤魔化せたみたいだ。
 悪いなアメリカ、明日の会議はアイスを多めにやるから許せ。
 触らぬ超大国に祟りなしと背を向けると、アメリカの声が俺を呼び止めた。
「待って」
 当然無視して逃げる事は出来た筈だが、その内容に耳を疑っているうちにタイミングを逃してしまう。
「よかったら連絡先教えてよ」
「──え。おまえ、まさかマゾ……」
 なんで蹴っ飛ばして引っぱたいた奴に興味持つんだよ。それとも報復目的なのか? 恐る恐る投げた質問には即座に否定が返った。
「違うぞ! 知り合いに似てるんだ。こんな偶然ってそうそうないだろ? 面白いじゃないか」
 アメリカが満面の笑顔でからりと笑う。
 ああ、なんだ。そうかそうか。安心した。
 誰が教えるか。
「ケータイ持ってねえ」
「そう、なら気が向いたら連絡して」
 言いながら手帳を取り出したアメリカがさらさらと書き殴って破った紙を押しつける。電話番号と、アルフレッドという名前が書かれていた。
 ここであまり拒むのも怪しいだろう。ありあり浮かべた嫌な顔で仕方なく受け取って、今度こそ背を向けてそそくさと逃げた。角を曲がったところですかさず走る。全速力で走ったのなんて、いつぶりだっての。
 そのまま一目散に大学を後にしようとしたところで、フランスの姿を見つけた。こいつがアメリカに見つかるのもまずい。芋蔓式に俺までバレる。
「あ、坊ちゃんどこ行っ……」
「おい早く帰るぞ!!!!!!」
 腕を掴んで、脇目も振らずに走った。
 途中で転んだフランスを引きずって来たような気もしたが、無事にホテルへ帰り着いたので些細な事とする。


 次の日、会議で顔を合わせたアメリカが何か言う前に、開口一番あいつのネクタイにけちをつけた。言い合いに発展して、いつもの通り物別れ。よしよし、これでアメリカが無駄に絡んでくる事はないだろう。もっとも、アメリカの口から昨日の話題が出る事はなかったから、案外その場のノリで忘れているのかもしれない。
 その日の会議が終わり、日本とガーデニングや盆栽の話をしていると、背後からぬっと近づく気配。俺の後ろを見て物言いたげにする日本に、渋々振り返る。
「庭いじりが趣味なんて、君はおじいちゃんかい。学校にでも通って、正しいコミュニケーションの仕方ってやつを学んだらどう? だから君は友達がいないんだ」
 なんつー言い草だ。かわいくねえ。昨日は俺に似た(っつーか俺だが)男に連絡先を押しつけてたくせに!
 腹が立った俺はアメリカを呼び出す事にした。
 勿論イギリスとしてじゃない。
「正しいコミュニケーションってやつを見せて貰おうじゃねえか! くっくくく……べははははは!」
 渡された番号に、ホテルの電話からこそこそと連絡を取った。嬉しそうな声に多少出鼻を挫かれた感は否めなかったが、その程度で収まるほど大英帝国の怒りは甘くない。
 日程は、この会議が終わった翌日を指定した。本当はその日のうちに帰る予定だったが、一日帰国を延ばしてでも、またとないチャンスを棒に振るわけにいかなかった。




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