君がいる明日 - off

不均衡な境界線 前篇


(裏にある「アダルトな関係」の続きとしてお読み頂けます)




「──……はあ……」
 今日は大事な日だというのに、今朝見た夢の所為だろうか、どうにも身が入らない。
 顔を上げて見返す鏡の中の男は、下ろし立てのスーツに身を包み、なんとも冴えない顔をしていた。
 ここのところ、よく脳裏にちらつく光景がある。
 それは決まってベッドの上で、糊の利いたシーツを乱す痩せた身体、涙交じりに甘く鳴いた小さな声。ふとよぎる一夜の記憶。
 少し前に、知り合いのバーで出会った彼の事だ。
 柔らかく丸みを帯びた頬、しなやかに伸びた肢体はまるでティーンのようだった。
 否応なく視界に映り込むのは、口元に小さく笑みを浮かべた自分の姿。全く、これじゃあまるで恋する若人じゃないか。鏡に向かって苦笑する。
 こんな風に、行きずりの相手を思い出すのは珍しかった。
 割り切った関係、だからこそ楽しめる。
 初めは到底受け容れられなかった自分の性癖を認めた時から少しずつ、そうやって来た。
 それなのに何故――いや、偶にはこんな風に、代わり映えしない日常を変えるスパイス程度のイレギュラーはあって然るべきかもしれない。歳を重ねる度に、そうした偶発的な事故からは遠ざかる傾向にあった。
 あれきり店へは行っていない。彼は、行っているんだろうか。もしまた出会う事があったら、その時は……そこまで考えて軽く頭を振る。
 いい加減、現実に戻って来たらどうだいアルフレッド。
 襟に指を通して首回りを整え、ネクタイのノットの形を直す。身を包むスーツを姿見に映して、髪を撫でつけた。
 今日は大事な仕事がある。
 春に新生活がスタートするのは、何も学生や新社会人だけじゃない。
 どうせすぐに目が回るほど忙しくなるんだ。だからそれまではもう少しこの、日常の中に浮かぶ蜃気楼のように淡い幻想を楽しんでいようと、そう思っていた。



 さて、ひとつ問題だ。
 運命的なシチュエーションとは、何を意味するか。
 答えは種々ある筈だ。人の好みの数だけあると言えるだろう。それはもう、机の上の端から端まで各々書いたシナリオを並べてもまだ溢れるぐらい。ハリウッドも即映画化する大事件や、爆音と共に飛び出すヒーロー。もしくは誰もが夢見るロマンティックな、あるいは、まるで嵐の前の静けさのように。
 例えばそう。「やあ、また会えて嬉しいよ」なんて言葉を、カクテルグラスの中で転がすように甘く囁いて。綺麗な瞳を見詰めながら、「君は?」尋ねる問いにどんな言葉が返って来たって、難なく返せる自信はあった。それだけの場数は踏んで来たつもりだ。
 一夜の恋も、真昼間の秘め事も。
 そう、こんな場所でさえなければ。
 俺にとって最も神聖な場所。人に言えない秘密も忘れて、胸を張ってヒーローになれる。そんな。
 今日から始まる、夢と希望に満ち溢れた新生活――だった。
「……ジョーンズ先生?」
 不意に名を呼ばれ、動揺を指先の震えひとつで押さえ込んで笑み返す。
「ああ、すまない。なんでもないよ」
 教室の一番前の席で眉を潜めて心配そうに見上げているのは、エリザベータ・ヘーデルヴァーリ。俺の生徒だ。
 他にも、見るからに真面目そうな生徒の数名から、不可解なものを見る目を向けられている。それもそうだろう、自己紹介の途中で言葉に詰まって固まる教師なんて、悪印象もいいところだ。咳払いひとつで少しはリセット出来ただろうか。
「改めて。この度本校に赴任したアルフレッド・F・ジョーンズ、今日から君たちの副担任だ。担当科目は化学。みんなと楽しい学園生活を送れたらと思っている。分からない事、困った事があったら何でも聞いてくれ」
 ぐるりと見渡す教室。男女の違いを除いて同じ制服に身を包んだ俺の教え子たち。
 その中の、ひとり。綺麗なペリドットの瞳。
 君、二十三だって言ってなかったっけ。なんて、あんな場所で本当の年齢を告げなければいけない義務なんて誰にもありはしないけど。
 ああでも、まるで少年のようだと思った自分の勘を信じていればよかった。俺が普段日常的に相手にしていた生徒たちと、まるきり同じ子供じゃないか。
 窓際、一番後ろの席に座って、机に肘を乗せて頬杖をつく姿。何度瞬いても、つい今朝方も脳裏に浮かんだ翠と色の変わらない瞳が、まるで俺の存在を見なかった事にするかのように窓の外へと逸らされた。
 ああそうだね。俺もこんなところで再び出逢いたくはなかったよ。
 ここは俺が赴任を躊躇するほど生真面目で有名な、おおよそ不良なんて言葉とは無縁の名門校。そんなエリート揃いの学園に主席で入学して、現在は生徒会長を努める優等生。アーサー・カークランド。
 それがあの一夜、行きずりの恋を戯れて、朝になったら消えていた彼の名前だった。
「緊張なさっているんですか? らしくないですね」
 そう言って隣で笑うのは、このクラスの担任、本田先生だ。らしくない、の言葉通り、以前にも同じ学校で教鞭を振るっていた事がある。
 ホームルームが終わって直ぐに向かったのは、窓際の一番後ろ、教壇から一番遠い席。
「カークランド」
「……はい」
 向けられる翠の眼差しを、あの日、涙に濡れたそれと重ねてはいけない。薄暗い店内でも褪せない輝きで俺を見ていた、イブニング・ダイヤモンド。
 だいたい、他人のそら似という事だってあるじゃないか。あるいは、兄弟とか。
 けれど、もし、本人だったとしたら。
 放って置く訳にはいかないだろう。教師として。
 未成年と知っておきながら、あんな場所に出入りするのを見過ごす訳にはいかない。
 だから、確認は、必要事項だ。
「すまないが、放課後……君さえ良ければ校内を案内してくれないか。まだ来たばかりで慣れなくてね。生徒会長の君が一緒なら心強い。時間がなければ、後日でも」
「──分かりました」
 小さく頷く仕草、抑揚のない声は、あの日、俺を誘った艶やかなそれとは異なるけれど。
 記憶の枝葉を揺らす残響と、静かに一致した。




「――で、ここが化学の準備室です」
「ありがとう。……少し中を見てもいいかな」
「……どうぞ」
 今朝も職員室からの道すがら場所だけは聞いていたけど、中に入るのはこれが初めてだった。
 思っていたほど狭くはないが、締め切られたカーテンと時間帯もあってか室内は少し薄暗い。すぐにパチンと音がして、彼が点けた照明灯が辺りを鮮明に浮かび上がらせた。
 左右の壁には、天井まで届く大きな棚。真正面にはカーテンの閉められた窓があり、その手前には小綺麗に片付いた机と、窓を背にした座り心地良さそうな椅子のセット。反面、部屋の中央を陣取る二つ並べて置かれた長机の上には、化学の教材や実験器具、前任の教師が置いて行ったんだろうよく分からない物まで所狭しと並べられていた。
 そんな室内を見て歩き、最後に辿り着いた机をぐるりと回り込んで回転椅子を引く。滑らかに動く車輪に満足して座ると、身体を預けた背凭れがしなやかに曲がって小さく鳴いた。
 彼はと見れば、俺から視線を逸らし、黙って出入り口に立ったまま。
「――君は……」
 続く言葉を用意していた訳ではなくて、零れた台詞の先に迷う。怪訝な顔を向けた彼は眉を潜めてどこか不機嫌そうだった。警戒されているのかもしれない。
「兄弟はいるのかい?」
「……兄が三人と、歳の離れた弟が一人」
「そう」
「先生は?」
「俺にもいるよ、双子の兄弟が一人。外見はそっくりだってよく言われるけど、中身は正反対なんだ。今は離れて暮らしてる」
「俺も家族とは離れて暮らしてて、この辺りに来る事はまずないですね」
「そうかい、なら……――いや」
 今日はありがとう、もう遅いから帰りなさい。続く筈だった言葉は遮られ、半分も告げられなかった。
「別に俺、誰にも言ったりしないんで。それじゃ」
 扉に手をかけながら、ぼそりと呟き落とされた声。口止めする為に呼び出したと思われたんだろうか。
 出て行こうとする背筋は凜と伸びていて、あの夜、制服ではなくスーツに身を包んだ同じ背中を向けられた時の事を思い出す。あの時は振られたのかと諦めた彼を、今はまだ行かせる訳にいかない。
「あの店には二度と行かないように」
 咄嗟に出たのは、言わなければいけないと思っていた必要最低限の言葉。
「……その店で俺を抱いておきながら、今更教師面で説教か?」
 じろりと振り向くペリドットに責められる。扉にかけられた手はまだ動かなくて、閉め切られた部屋の外から、廊下を歩く生徒たちの声が聞こえていた。
「っ……とにかく、ダメだ。君みたいな子供にあの場所は早すぎる。行きたいなら大人になってからにしなさい」
 そもそも未成年はあの時間帯、店に入れない筈だ。チェック体制はどうなってるんだ。
「――なら、先生が相手してくれるんですか?」
 挑発的に片方上がる口角が、ふっと吐息のような嘲りを含んだ笑みを吐いた。
「……は?」
 廊下から聞こえていた声は徐々に遠ざかり、その分よく通るようになる声。
「代わりに相手してくれんのか、って聞いてんだよ」
 ゆっくり瞬いて雰囲気を一変させた彼が、吊り上げた口端の合間から伸ばした舌先で唇をなぞった。踏み出す一歩の靴音がやけに響く。細い指先が制服のボタンにかかり、難なくひとつ外したところで、鈍っていた脳が慌てて働き始めた。
「しないに決まってるだろう。何を考えているんだ」
「もう一度シたのに?」
「しない。あの夜の事は……すまなかった」
「…………」
 不服を露わにした感情が全身から如実に現れている。
 選んだ台詞が失敗なら、今更他にどうするのが正解だって言うんだ。
「君はもっと、自分を大事にしなさい。今日はありがとう、助かったよ。さあ、遅くなる前に帰るんだ」
 教師の顔を作って笑みを浮かべると、彼は張り合いがないとでも言いたげに憮然と眉間を寄せた。
「……じゃあ俺、行きますんで」
 再び向けられる背を、今度は止める理由も権利もない。
 ひとりになった部屋の中、急激に込み上げる疲労感に背凭れへ身体を預けて天井を仰ぐ。
「――……はあ……」
 順風満帆だったツケを一気に払わされているような深く重い溜息は、肺一杯の空気を一息に押し出す力強さは持っていても、先の見えない暗雲を吹き飛ばしてはくれなかった。


     §


 彼はゲイなんだろうか、それともバイだろうか。
 一時的な興味か、それとも昔から思い悩んでいたんだろうか。
 なんで、こんな店にいたんだ。
 ぐるりと見渡す店内は、何度何回推論を繰り返したところで、子供が来るような場所ではない。
 高校生の彼がどこで知ったのか、俺と会ってからも店に訪れて、何度も誰かに抱かれたりしたんだろうか。
 好きにしていいと、言われた言葉が。
 乱暴にして欲しいと、乞われた態度が蘇る度に、焦りと苛立ちが沸いた。
 ひどい事をされたのか、まだ十代のあの子が。
 日に焼けず色の白い肌は体質だろうか。成熟しきっていない身体が組み伏せられる姿が脳裏をよぎる。もし何かあった時、あの腕で大の男を相手に抗えるのか――
「――恨むぞフランシス…………」
 グラスを磨く手を止めた男がバーカウンターの向こうで眉を潜める。
「おいおいおい、いきなりなんだよ?」
 肩まである金髪を後ろで束ねて顎に無精髭……彼曰くオシャレ髭を蓄えたこの男、フランシス・ボヌフォワはここのマスターだった。
「そもそもこんな店があるのがいけない」
「はあ!? ちょっとちょっと聞き捨てならないんですけど? むしろ感謝して欲しいくらいだぜ。誰のお陰で健康的に発散出来てると思ってるの。ん? 男しか相手に出来ないアルフレッドくん?」
「やめてくれ……自己嫌悪中なんだ……」
「え、なになに。マジで凹んでんの? どうしたよ」
「それは……、……」
 フランシスとは古い付き合いで、俺がまだ自分の性癖を認められなかった頃に、あっさりと「おまえ、男が好きだろ」なんてのたまってくれた相手でもある。拳で否定して、地獄に落としてやろうかと思うぐらい最悪だった印象を未だに引き摺っているが、悪い奴ではない。
「一夜限りの子に責任取って付き合ってとでも言われたか? 職場にバレた? それとも、知らずにガキでも相手にしたか?」
 憂鬱な気分を吹き飛ばそうと残っていたグラスの中身を煽ると、フランシスがバーカウンターの向こうから身を乗り出して来た。
「気になるじゃないの。何があったのか教えろよ」
「何かあったと言うか、これからあるかもしれないと言うか……」
 まあ飲めと継ぎ足されるアルコール。グラスを手に取り、言葉を切って半分程を一息に煽るとアルコールが喉を焼いた。
 このまま酔い潰れるまで酒を飲んで、目が覚めた時には全て夢になってしまえばいい。
 カラン、と響いた扉の開閉音に、周囲の空気が微かに変わる。
 みんな今夜の相手を探しているんだろう。
 この店は、昼間も時々カフェレストランとして開けている事があるけれど、本業は夜も更けてから。愛の伝道師を謳う店主が出逢いの場として経営を始めた、同性愛者御用達のバーだった。
 俺と彼が初めて出逢ったのもこの店だ。
 だから、彼、アーサー・カークランドが来る事もなんら不思議はない……訳がないだろう。
 椅子を蹴飛ばす勢いで席を立った俺を、フランシスが呼び止めたような気もするけれど知るものか。
「やあ、君。また会ったね」
 進行方向に立ち塞がれば、ぱちりと瞬いたペリドットが顔を上げた。まだ春先だと言うのに随分と薄手の格好は、まるで隙を見せて男を誘っているようで。
「……あ。せん、せ」
「はははは、覚えていてくれて嬉しいよ」
 この場で呼ばれるには不味い呼称に手のひらで口を覆う。
「向こうで俺の相手をしてくれるかな」
 辛うじて疑問の体裁を取ってはいるが、有無を言わせるつもりはない。彼もそれを分かっているのか、大人しく付いては来るものの、眼で見て分かるほど不満げに視線を逸らされた。
「鍵をくれないか、奥の部屋を借りるよ」
「おいおい、俺の店で面倒事を起こすなよ?」
 受け取った鍵を手に彼の肩へ腕を廻し、俺より一回り小柄な身体を周囲から隠すように引き寄せる。
「ああ任せてくれ」
 寧ろこの場合、未然に防いでいるヒーローと言ってもいい。
「……君も、いいね」
 諦めたように彼の口から漏れる溜息が、肩に廻している腕を掠めた。
 奥の部屋は、ダブルサイズのベッドが一つとその横に置かれたチェストが一つの簡易なつくりだ。あくまで上階のホテルに比べれば、と言う意味で、店主の趣味だろう、壁に絵が飾ってあったりと殺風景とは遠い部屋の用途は俺に聞くなかれ。
「いい加減離せよ。おまえの所為で悪目立ちしたじゃねーか」
「もうここには来るなと言った筈だ」
「了承した覚えはないな」
「カークランド」
「こんな場所で人のファミリーネームを呼ぶのもどうかと思うぜ? せんせ」
「――それもそうだね。じゃあ、アーサー。送って行くから家に帰りなさい」
「相手してくれるんじゃなかったのか?」
「これ以上ふざけると怒るぞ」
 アーサーは肩を竦めて背を向けた。
「ひとりで帰れる。他の奴は引っかけにくい雰囲気になっちまったし。今日のところ大人しく帰りますよ」
 アーサーと連れだって部屋を出ると、その場にいる全員の意識がこちらに向いたのを感じた。これでは確かに悪目立ちもいいところだ。今夜は相手を探しに来た訳じゃないから構わないが。
 ここにいる誰もが面倒事は避けたいと思っている。
 そうじゃなければ、もっと明るい場所で出逢いを求めたいと思う筈だ。
「……やっぱり送るよ」
「どうやって? 酒入れてんだから車はないだろ? 俺とせん……アンタが並んで歩いてた方がよっぽど怪しいと思いますけど」
「そう……だね。ちょっと待ってて」
 言いながら上着の内側を探って胸のポケットに差したままのペンを取り出した。紙は手帳を一枚千切り、電話番号とメールアドレスを書き記す。
「もし何かあったら連絡しなさい。いいね」
 連絡先を書いたメモを渡すと、存外素直に受け取ったアーサーがポケットの中にねじ込んだ。
 出口へ向かうアーサーに付き添い、扉を出る背中を見送る。後を追いかけようとした足を地面に縫い止めて、完全に姿が見えなくなってから元いた席に戻った。
 カウンターの中で作業の手を止めていたフランシスが、すぐに俺の正面までやって来る。
「随分早かったな」
「言っておくけど何もしてないぞ」
「……もしかして、何かあったってアイツ絡みか?」
「フランシス……」
 小声の問いかけに、絞り出すような声で返す。
「彼を今日限りで出禁にしてくれ。今すぐにだ」
「へ、なになに。もしかしてハマっちまって他の奴には抱かせたくないとか?」
「ああそうだよ」
 この際理由はなんでもいい。
 詳しい事情を話すには彼の年齢に触れる事になる。あまり大事にはしたくなかった。
 面白がる声に返した少し大きな声での即答に、フランシスが笑みを深める。
「へええぇ」
「……なに」
「いやね、おまえもとうとうと思うと、お兄さんは嬉しくて」
「そうかい……俺は疲れたよ」
「ま、頑張れよ。ほらこれは俺の奢りだ」
 渡されたのは祝い酒に相応しい俺でも知ってるお高めの酒と、小皿に盛られた作り置きのつまみだった。
 作り置きと言ってもフランシスの料理の腕はかなりのもので、これにもきっと洒落た料理名が付いているんだろう。
 これで機嫌は取ったとでも言いたげに、フランシスが不躾な距離まで顔を寄せて声を潜める。
「……で、もうヤったのか?」
 ごほっと、思い切り噎せて口に入れたばかりのつまみを吹き出した。
「ちょっと! お兄さんの顔になんて事するの!」
「――……言えばさっきの件、協力してくれるかい。彼を今後店に入れない、もし見かけた時は必ず俺に連絡する。理由は聞かない」
「はいはいはい、了解了解」
「…………抱いたよ。少し前にね」
「へえ! それでそれで? 今は?」
「……大事にしすぎて手を出せないって、あるだろ……そうしたら欲求不満にさせてしまったみたいでね、困ったものさ……だから兎に角、頼むよ」
 最後に「そんなところ」と言葉を濁して一気に酒を煽る。機嫌良く笑み崩れているフランシスは俺の言葉を疑っていないようだった。
「かーっ! おまえも言うようになったなあ」
「……言って置くけど手を出さないでくれよ」
「もし出したら?」
 面白がっているフランシスに目が据わるのが分かる。
「ありとあらゆる不幸が君を襲うだろうね。この店も続けて行けなくなる。……節操のない君の汚物も、二度と今生では使い物にならなくなる覚悟をしておいてくれ」
「怖っ!」
 身震いするフランシスは無視をして、外からこの店に降りてくる階段がある方へと視線を送った。
「――…………」
「なあ、ひとりで帰して良かったのか?」
 今丁度、同じ事を思っていた。
 まだ春先だ。あんな薄着で、こんな夜更けに。
「…………やっぱり送って行くよ」
 そう言って足早に店を後にしたものの、まだ眠りに就くには早い夜の人混みは、彼の姿を俺に見付けさせてはくれなかった。




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