君がいる明日 - off

欲望の果てに




 もうこれ以上、同じ事を繰り返すのはたくさんだった。

 どんな手だろうと、たとえ彼の傷つく姿を見る事になろうとも。
 躊躇わずやれること全てをやって、今日でこのシナリオを終わらせる。
 そうしなければ、何の為にここまで来たのか分からない。

 俺じゃない。彼が言ったんだ。
 徹底的に潰す気で行かなければ、手に入らないと――

 指先に力を込めると、アメリカは銃を持ち直した。





 時は一七八一年、ヨークタウン。
 見通しの悪い視界は雨で煙り、辺りは薄暗かった。
 その中で、一際目を引く赤を纏った人影。濡れた金の髪が重たげに垂れている。
 撃てる訳がないと言って地面に膝を、手を着いたイギリスの前に、アメリカは立っていた。
 アメリカの背後には大勢の国民が皆一様に銃を持ち、照準をイギリスに合わせている。
 彼は、ひとりだった。
 雨に濡れて色濃くなった軍服が、地面を流れる泥で汚れて行く。
「なんでだよ、ちくしょう……っ」
 いつも背筋を伸ばして、時に笑って、時には泣いて。そうしていつだって強くて綺麗だった彼、イギリスの姿が、どんどん小さく地面に伏していく。
 これ以上見ていられない、そう思った。
 もっと強くいてくれよ、理不尽にもそう感じた。
 イギリスに向かって一歩、二歩、ぬかるんだ泥を踏んで近付く。
「っ……アメリカ……!」
 顔を上げた彼がアメリカに向かって手を伸ばし、希望を捨て切る事の出来ない指で服を掴むように仕向けたのは、他でもない――俺自身だ。
「全部、嘘だよな? 今ならまだやり直せる、俺も本国に掛け合って……だから……」
 彼から得た信頼は、並大抵のものではなかった。
 未だ光を灯した眼差し、震える指先を握り込んだ拳、真っ直ぐに届く名を呼ぶ声。
 雨の音が、どこか遠くなる。
「──イギリス……ちょっと向こうで、二人きりで話そうか」
「アメリカ……?」
「そこで君が俺の言う事を聞いてくれたら、考えてあげる」
 はっきりと分かる驚愕の色を浮かべて見開かれる緑は、どの記憶とも重ならなかった。
 雨に濡れ、涙に濡れて、泥に汚れて、味方はひとりもいない。
 なんてかわいそうなイギリス。
 アメリカの脳裏をゆっくりと流れる過去の映像が、少しずつ消えては今に塗り変わって霞んでいく。
 空から降る雨より綺麗に透き通っていて、温かいだろう涙が、乾くことなく零れ落ちていた。
 彼という存在から離れた途端に涙の粒は雨と混ざって見分けがつかなくなり、大地に染みればすぐさま泥と同化してしまう。さっきまではとても綺麗だったもの。地面を流れて、今はもう見えない。
 じわじわと胸を浸食する黒い何かは、例えるなら今目の前で彼の涙を飲んで押し流す泥に似ていた。
 黒く塗り潰されたその下には、本当は何があったんだろう。
 それを見出す可能性を、俺はまたひとつ潰してイギリスの腕を取った。



 大丈夫だからと言えば訝しむ事なく敬礼をして去って行く仲間たちが、アメリカを怪しむ事はない。
 彼らの背を見送って、イギリスの腕を強く引く。
 お誂え向きに近くに建っていたのは小さく佇む木の小屋で、全てはシナリオ通り。
 簡易なベッドと、毛布が一枚ある筈のそこへ、止まない雨の中イギリスを引きずるように連れ込んで。
 手始めに、服を裂いた。
「あ……っ」
 泥と雨にまみれた軍服、戦いの象徴は手で引けば胸元から容易く生地を左右に開いてその下の素肌を晒す。
「っなん……アメリカ……?」
 困惑する声。イギリスは残った服の切れ端をかき集めて、胸の前で賢明に肌を隠そうとしていた。
 自分が何をされようとしているのか分かっているのか、それとも。
 彼の瞳は、いつまで目の前の男を弟だなんて思っていられるんだろう。
「……逃げなくていいの?」
「どういう、事だ……?」
「イギリスは俺と離れたくないんだよね。俺もだよ」
 よた、と一歩後ろに引いたイギリスの足が、アメリカとの距離を離す。
 こちらを見る目に、非難の色が滲んでいる気がした。
 そんなもの、認める訳にはいかない。早急に排除する必要がある。
「……本当は君といたいんだ、信じてくれるだろう?」
 選んだ台詞は、彼を安心させるには至らなかったらしい。
 さっき破いた服の切れ端、幾分長さのあるその端と端とを掴んで手の間に布地をたわませると、イギリスは怯えたように更に一歩引いた。
 狭い小屋の中、雨音が鼓膜を叩く。
 二歩、三歩、追い詰められて行く彼の後ろはベッドで、
逃げ場はない。
「アメリカ……お前、どうしたんだ? 何を……」
 名前を呼ぶ声の、トーンが少しずつ変わって行く。
 困惑、恐怖、焦り、拾い上げられる感情の色を全て読み取るように目を凝らした。
 心臓が、痛い程に脈を打つ。
「イギリス…………悪く思わないでくれよ」
「っあ!?」
 ベッドの上を這って逃げようとした彼の背中へ馬乗りになる。今が契機だ、そう思った。布を持った手を伸ばして、目許を覆うように宛がい、強く押し付ける。
「アメリカっ!」
 叫んだ声は悲鳴に近かった。
「動かないで」
 彼の身体から剥いだ、彼を守るための衣服で、視界を塞ぐ。そのまま思い切り引けば後ろに反る身体。喉の奥から、苦しげな声が漏れた。
 頭の後ろで結んだその布を、両手を拘束されている訳でもないイギリスは外そうとしない。
 大した事などないと思っているのか、それとも、まだ信じているのか。こんな事は一過性の蛮行で、すぐに弟が戻って来ると、そう思っているのか。
 取り出したナイフで、残った衣類を裂いて行く。
 アメリカ以外の奴が相手なら、誰だろうとこんな事は許さなかっただろう。言えば協力さえしてくれたかもしれない。それでもアメリカは、執拗に自分の手でイギリスを追い詰める事を選んだ。
 靴も脱がせて壁に向かって放り投げ、引き抜いた靴下の下、足の親指に口吻ける。イギリスは、ベッドの上で身体を小さくして、ただ震えていた。
「──そのまま腰を上げて、こっちに向けて」
 傷だらけの肌には、ナイフの刃先が掠めたのか真新しい深紅の線も走っている。
「っ……こんな、事をして……一体何になるんだ。っか、考え直せアメリカ、今ならまだ」
 目隠しをされたままのイギリスは、振り向かないで答えた。
 アメリカがどこか可笑しい事に、気付いていない訳がないだろう。
 アメリカが追い詰めているのか、それとも追い詰められているのか、答えは多分両方で、自分の逃げ道をも塞いで行く。
「俺の言う事、なんでも聞いてくれるんだろう?」





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