君がいる明日 - main
全裸男とお人好し(11〜13話)


「ったく、なんで脂身が多い肉ばっか選ぶんだよ」
「えー、いいじゃないか。ギットリしてる方が美味しいんだぞ!」
「んな事ばっか云ってるとメタボっちまうぞ」


そんな会話を交わしたのは、ほんの20分前。


「……君の料理の腕にかかれば、脂身なんて関係無いじゃないか…」
「う、うるせえ!これくらい焼いた方が美味いんだよ!」
「この黒コゲ肉を前にしてそんな台詞が云えるなんて、いっそ尊敬するよ」

目の前の机に並ぶのは、肉とコゲを量りにかけたら若干コゲが勝ってしまいそうな焼き肉と、炊き立てのホカホカ白いご飯…と銘打たれた、レンジで2分半チンするだけで炊き立てご飯が食べられる画期的なレトルト食品だ。

「だいたい君さあ。この肉、ただ焼いただけじゃないか。俺は見てたんだぞ!」
「味付けは自分で勝手にすりゃ良いだろ!ほら其処に調味料あるだろが」

俺達が向かい合って座る机の上には塩、胡椒、醤油、ソースが揃い、冷蔵庫にはマヨネーズだって入っている。云えば男は深い溜め息を漏らした。

(んだよ…。つーか何だかんだ云って喰ってんじゃねーか)

一口食べる毎に文句は止まないが、同じように手も止まらない。思えば自分が作った料理をこんな風に食べてくれる人は、初めてじゃないだろうか。
ガラにも無く、嬉しい…だなんて。

そんな事を思いながら、いよいよ頭がクラクラして来た。
早く休まないと。そろそろ限界かも知れない。

だからだろうか、伸ばされた腕に気が付かなかったのは。

「……やっぱり君、顔赤いよ。熱があるんじゃ…」

何時の間にか俯き加減だった額に添えられた指先が前髪を掻き上げて、上を向かされる。大きな掌でピタリと狭い面積を包まれた。

そんな事をだぞ、男の俺が同じ男に突然されてみろ。驚くなって方が無理じゃないだろうか。

「ほわあ!」

つまりそう、だからこれは不可抗力だ。
驚いた俺が後ろに飛び退いて、ついでにわたわたと振り乱した手がたまたま触れた机の上のペットボトルを、誰が持ち込んで其処へ置いたのかなんて火を見るより明らかな普段は俺の部屋に無いコーラの入った其れを、条件反射の如くぶっ掛けてしまった事も、仕方無い事だ。
俺は悪くないぞ。
ん?手に持っていたフォークが無い。と思った次の瞬間、カラカラと音を立てて机上で踊るフォークを認め、ギギギと上げた視線の先で男の頬に三つ並んだ凹んだ傷痕を見付けた。
…俺は悪くない……悪く、ない…筈だ…

「あー………わり、…手が滑った」

目の前で頭からコーラの雫を滴らせて俯く男に謝罪する。

だから、許せ。





「…ッ、悪かったって云ってるだろッ!?」

俺は今、全裸…否、正確には腰タオルの男に壁際まで追い詰められている。
其れは何故か。

「君の所為で、俺は今日も着るものが無いんだぞ」

浴室から出て来た男、又の名を俺が頭からコーラをぶっ掛けてしまった男が、大変立腹しているからだ。
わざとじゃないと何度云っても聴きやしない。
黒くてベタつく液体に犯されてしまった衣服は、只今洗濯中だ。

「だからって何で俺まで脱がなきゃなんねーんだよ!」
「俺だけなんて不公平じゃないか!」

伸びて来る男の腕をサッとかわす。
冗談じゃない。

「エアコン付けっ放しで寝ていいし、ベッドも貸すって云ってるだろ!」
「そういう問題じゃないよ!」
「ギャァア!前!前隠せ!」

男の横をすり抜けてバタバタと逃げ回る。振り返れば当然のように男が追って来ていて、全裸に腰タオルを纏った格好で走るものだから、ハラリと零れ落ち生まれたままの姿となっていた。
俺の指摘にも、男は止まる様子どころか恥らう気配さえ見せない。
机の周りをグルグルと廻る。
マズイな、これ以上騒いだら階下の住人が苦情を云いに来るかも知れない。
そうしたら「助けてくれ!全裸の男に襲われてるんだ!」と救いを求めようか。
否、そんな事をしたら引っ越さなきゃいけなくなるだろ常識的に考えて。

(つーか、その前に…)

ぜぇぜぇと息が上がり、思考力が低下する。
駄目だ、駄目。本当に駄目だ。しぬ、しぬ。マジで。なんでって、だから俺は今…

「捕まえたぞ!大人しく……」

いつの間にか直ぐ後ろまで迫っていた男に首根っこを掴まれ、ガクンと体勢が崩れた。

(む、剥かれる…!)

伸ばした腕は虚しく宙を掻き、世界が引っくり返る。
ついでに脳味噌まで揺さ振られで、俺の身体は後ろに重心を倒すと共にとうとう動く事を放棄した。
男の驚いた顔を視覚で感知したのを最後に薄れ行く意識の中、それでも俺の脳裏を占めて止まない全裸男と云う存在、その逆さに映った姿がドアップで迫る。

「…でけぇ……」


この声が聴こえていない事を、俺は切に願う。





「…ん……ぁ…」

熱に浮かされた意識がふわふわと浮上する。
微かに身じろいだ拍子に何かが額から落ちて、軽い衣擦れの音を立てた。
じわじわと額が熱を持つ。失ってしまって初めて、どうやら落ちてしまった其れが冷たくて気持ちの良い物だったのだと知る。
急激に体温が上昇して行くような感覚に襲われた。

(あつい…)

身体中から熱を放っていて、その熱が衣服の中に籠もっているようで気持ち悪い。

『気 付  の い?』

「…?」

誰かが何か云っている…ような気がする。
意識が覚醒しきっておらず、目蓋を持ち上げる気にはなれなかった。

(…あつ、い……)

一度気が付いてしまえば其ればかりに脳が犯され、解決の手段として自らの胸元へと手を伸ばす。
酷く重い両手は伝達信号に曖昧に応えるばかりで、もたくさと衣服を指の腹で掻いた。

『…熱 のか …?』

また誰かが何か云っている。今度は薄らとだが、なんて云っているのか判った。
恐らく熱いのかと問うた声に、微かな頷きを返す。
やれやれとでも云うような溜め息と共に、ボタンが上から二つほど外された。
けれどダメだ、まだ全然、熱い。

「…ぁ…っぃ……」

口を開けばはぁはぁと呼吸が乱れて、声よりも呼気の方が断然大きい。
それでも相手には聞き取って貰えたらしく、俺の代わりに誰かが更に衣服を剥いで行く。
時折皮膚に当たるのは、無骨な男の指だった。
でもまだ、まだ熱い。

「……した、も……」

『え?』

「…ズボン……」

必死に声を絞り出したと云うのに、聞こえていないのだろうか、今度は反応が無い。
脚も気持ち悪いのだ。こっちも同じように脱がせて欲しいのに。
仕方無しに自分で手を伸ばして、何とか引き下ろそうとする。
指は届くものの、引き下ろすには及ばない。
熱くて熱くて、身体が自由に動くのなら暴れ出してしまいたいぐらいだった。


「…ぅ、…あ…つい……苦し……」

『………、君が云っ  だか ね──』

徐に指を払われ、荒々しい手付きに下衣も剥ぎ取られて外気に晒された素肌に漸く呼吸が楽になり、ほぅと息を吐く。

不意に負荷を掛けられたベッドがギシリと沈むスプリング音を耳にしたかと思うと、次いで直ぐ傍から水の音。
パシャ、と沈んでチャポチャポと掻き回し、ジャーッと上から零れ落ちる音がする。

「……?」

涼しくなったと思ったのは最初だけで、次第にまた熱くなって来た身体に、ひた、と冷たい何かが触れた。

「ひぁ…っ」
『ご、ごめ…ッ!』

驚いた身体が勝手に跳ねて喉が引き吊るような声を上げると、少し大きな謝罪の声。

『汗…  て から…』

最初こそ目が覚めそうな刺激だった其れも、慣れて来ると心地の良いものになって、再びとろとろと意識が沈んだ。
こしこしと首を撫でて、濡れた布地が胸元まで下がる。両方の腕を丁寧に這ったそれは、脇腹を撫でた所で終わってしまった。
脚にはしてくれないのだろうか。
そう思ったけれども、口を衝いて出たのは「水…」という言葉だった。
ああそうだ、水、水が欲しい。

『ちょ と待っ ───』

意識してしまうと、いよいよ喉が渇いて来た。
だと云うのに、ずっと傍らにあった温もりは突然いなくなってしまって、少し寂しい、なんて。

『起 られ かい…?』

そうこうしている内に温もりは戻って来たが、もう耳を傾ける余裕も無く、ただ呼吸を喘がせる。
嗚呼、きっと俺の死因は脱水症状に違いない。

「…は、はぁ……うっ…水……」

『───…君が…   んだ…』

ふに、と柔らかくて濡れた何かが押し当てられたのは唐突だった。
塞がれた自身の唇、蠢く何かに抉じ開けられると、勢い良く水が流し込まれて。

「っ…うッ、ゴホッ……ケホ、」

噎せれば慌てて離れて行く重み。口許を拭われ、今度は恐る恐る、再び唇に何かが重ねられた。
もう、それが自分に水をくれるのであろう事は分かっている。俺は自ら薄く唇を開けて舌を伸ばして水を求めた。
俺に水をくれているそれがビク、と揺れる。逃がすまいと腕を回して捕まえたいのに腕が上がらなくて、仕方無しに指先に引っ掛かった布地をきゅっと掴んで捕まえた。
おっかなびっくり、と云うように少量ずつしか流れて来ないぬるい水を、必死に吸って嚥下する。
途中でまた噎せたら、ぬるい水しか寄越さない柔らか吸水機はまたまた俺から離れて行こうとしたけれど、俺は力の入らない指先で必死に手繰り寄せて絶対離してやらなかった。


幾度か繰り返す頃には熱さも喉の渇きも和らいで、漸く人心地つく。
ギシ、と軋んだ音を立てて身体が沈んだかと思ったら、背後から何かに包まれた。
身体にぴたりと吸い付くような熱。さっきまでは熱いのが堪らなく不快だったのに、この温度は嫌いじゃなくて。
寧ろ好ましいとさえ思え、俺は重たい身体を何とか身じろがせてより密着できる位置を探した。
この温もりを知っている。

(…あ……そうだ、)

昨日の夜まで同じように後ろにあって、今朝になったら消えてしまっていたものだ。

「朝……」

『ん?』

「…朝…、いなかった……」

云ってから内心首を傾げる。この台詞はなんだったか。ああそうだ、あの男に云ってやろうと思っていて、結局云えなかった言葉だ。
その時ふと、この全身を覆う心地良さ以外の温度を見付けて。

「……?」

『───…っ、…君が悪 んだ…』

それが硬くて太い棒のような熱の塊だと、ぐいぐいと押し付けられる事に因って悟る。
でもこの熱も、

(…嫌いじゃない……)

また別の濡れた熱を下着越しの尻と脚の間に感じたのを最後に、熱くて硬いのは無くなってしまったけれど。

「…ッ…く…、……ア、サー…」

太腿を伝うぬるりとした粘着質な液体さえ、首筋に掛かる低く掠れた吐息を伴うのなら悪くないと思えた。

(……あ、…今…名前……?)

呼ばれたような気がして。
次第に意識が遠退き始める俺には、確かめる術が無かったけれど。


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