大人も子供も大わらわ! 後編


「ただいま、アル。良い子にしてたか?」
「……! アーサー!」

 扉を開けると、どすんどすんと身体だけは大きな子供がアーサー目掛けて駆けて来て。

「アーサーアーサーっ!」

 そのままの勢いでぶつかって来たアルフレッドと扉に挟まれながら、背中に腕を回して抱き締めた。

「……あーさー……」

 見上げれば、少し高い位置から覗き込んで来る双眸に滲んだ涙。
 普段は眠っている時間を一人で過ごすのは、心細かったかも知れない。
 アーサーは指先でそっと目尻を拭ってやると、頭を抱き寄せて額を合わせた。
 あたたかい温もりが伝わる。

「アル……ごめんな? ……そうだ、土産があるんだ」

 身体が大きくなっても変わらず甘えたな愛し子に擽ったい気持ちで頬を緩ませつつ、アーサーはポケットの中をまさぐって先程菊から譲り受けたチョコレートの包みを取り出した。
 ピク、と反応を示したアルフレッドの瞳が哀の色を消して期待を宿す。

「待ってろよ、今開けてやるから」

 視線に急かされながらチョコレートの包みを解いて。
 涙の所為も相俟ってキラキラと輝いて見える双眸。
 その様子につい甘やかしてやりたくなってしまったアーサーは、中から出て来た黒い塊を唇で銜えた。
 チョコレートの仄かな香りが鼻腔を掠める。

「……ん、」

 見下ろされると其の身長差がちょっぴり悔しい相貌へとチョコレートを銜えた唇を突き出せば、嬉々と降って来るのはアルフレッドの満面の笑みで。

「ん〜っ!」
「ふぐっ!」

 小さな塊を唇ごとパクリと捉えられて思わず変な声を出してしまったが、ご機嫌なアルフレッドに差し出すべく舌先で押してやる。
 微かに触れた肉厚な舌は、チョコレートだけを掬い取って自らの口腔内へと導いた。
 早速噛み砕いたらしい鈍い衝撃が唇越しに伝わって来るのを感じつつ、顔を離そうとしたその時。

「!?」
「ッ……ンン!?」

 突如としてアルフレッドに後頭部を捕らえられ、押し出したばかりのチョコレートがアーサーの口腔へと戻って来る。

(………ま、まず……っ!)

 途端に口の中に広がるのは、薬品の匂いと舌の痺れ。そして、そんな言葉にして説明の足りる事象なんて足元にも及ばないくらいの、強烈な不味さ。

(〜〜〜っ、菊ーッ!)

 アルフレッドの突然の行動は理解出来た。
 が、しかしこれがアルフレッドの身体を小さくする薬である以上、負ける訳にはいかない。
 口腔内に侵入して来た、最早チョコレートの味など掻き消えてしまっている塊を舌で押し返す。

「……!」

 アーサーの目と鼻の先、アルフレッドの無垢な瞳が信じられないものを見るかのように見開かれた。
 まるで信じていた者に裏切られたような、言いようのない悲しさを帯びて空色の瞳が曇る。
 身を切るような罪悪感を振り切り、アーサーは実は少し自信のある舌技を駆使して薬品臭い唾液も纏めてアルフレッドの口腔内へと送り込んだ。
 角度を変えて唇を押し当て、抉じ開けた咥内へ舌を侵入させる。

「……ふ…ぅ……っ……」

 イヤイヤと左右に振られる首を、今度はアーサーから押さえ込んだ所でアルフレッドの目尻に再び涙が滲み、ポロリと一筋頬を伝った。

(……ッ……アル……)

 頭部に添えていたアーサーの指先から力が抜ける。

(──無理だ……俺には、出来ねえ……)

 二人の間で奏でられていた水音が止まると同時、攻防を繰り広げていた舌戦が止んだ事で既に形を失っているチョコレートがアーサーの口腔内に再び舞い戻り、ドロリと解けて唾液と混ざった。

(……つか、無理だろ。物理的に……)

 上向かされた姿勢で力任せに固定された頭。唇を合わせた状態で上から覆い被さられては、重力に従って落ちるしかないチョコレートは一方的にアーサーの口腔内へ注がれるばかりで。
 チョコレートと薬品と二人分の唾液により口腔内が満たされて行く。

 せめて、せめて口の中のこれを捨てさせて欲しい。

「んっ! んっ! ンンッ! んーーっ!」

 押して、引いて、撫でさすって。
 ビクともしないアルフレッドの身体を何とか引き離しに掛かる。
 この口の中の液体を、自分が飲んでしまう訳にはいかない。
 けれど幾ら藻掻いてみせても、変化といえば唇の端から溶けたチョコレートが溢れるくらいで。
 アルフレッドの震える腕に捕らわれたまま動けない。

「んッ……、……んくっ……!?」

 身を捩って暴れていたら、ドロリとした生温い其れが次々と唇から零れた。
 顎を伝う感覚に肌が粟立って肩が跳ねて。
 その弾みに口の中の液体を嚥下してしまう。

(……しまっ……!)

 途端、全身に痺れるような痛みが走り、アーサーは反射的に身を硬くして目を閉じた。

「〜〜〜っ!」
「……アーサー!?」

 アルフレッドの驚いた声と共にガクリと膝が折れて体勢が下がる。
 床に膝を着き、そして恐る恐る目を空けた先に居たのは。

「……アーサー…? ……あーさー……」

 じわじわと目尻に涙を浮かべ始める、見上げる程に大きな大きなアルフレッドだった。

「……まじ…かよぉ……」

 呆然と呟いて、自身の顎を伝う薬品臭い液体を拭った手は……驚く程に、小さい。




「……ある、アイスうまいか?」

 こっくりと頷くアルフレッドの様子に、アーサーはほっと一息吐いた。
 目の前で突然小さくなったアーサーを、アルフレッドはなかなかアーサー本人だとは認めてくれなくて大変だったのだ。

 匂いを嗅がれたり、舐め回されたり、齧られたり。

 アーサーは改めて己の身体を見回した。
 小さな身体、短い手足、高い声。
 低い背丈に合う自分の服が無い事など探すまでもなく、今アーサーは身体が縮んだ時に着ていたワイシャツ一枚を纏っている。
 何重にも捲った袖は紳士たる者として不格好では有るが、アルの服を拝借するのはプライドが許さない。
 何故自分はアルに白くてヒラヒラの服ばかり用意していたのか、今更悔やんだ所で遅いけれど。

「はーっ……」

 大きな溜め息と共にソファによじ登り、どっと疲れた身体を沈める。
 確か菊は『一時的に』と言っていたから、そのうち元に戻る筈だ。……戻ってくれ。
 こんな情け無い姿を人に見せる訳にはいかないと思い、アーサーは誰にも連絡出来ずにいた。
 不意に、頭上に黒い影が掛かる。

「……ん? ある? どうした、アイスぜんぶ食べたの、か……ほわあっ!」

 ごろり、アーサーはソファの上を横に転がって端まで移動した。

「おっ、おっ、おまえ……!」

 ふるふると指し示す人差し指の先にいるアルフレッドは、小首を傾げて不思議顔。

「今おれの上に座ろうとしただろっ!」

 きょとん。クエスチョンマークを浮かべた表情は揺らがない。

 危なかった、本当に。
 アルフレッドがにっこり笑って振り返り、迫り来る尻からゴゴゴと視覚効果音が聴こえたのは生まれて初めての経験だった。
 捲れ上がったシャツの裾を引っ張って直していると、再び頭上を覆う黒い影。顔を上げると迫る尻。

「ほわたあッ!」

 アーサーは思わずアルフレッドの背中に飛び付いた。
 尻に敷かれて圧死するくらいなら、背中とソファの背凭れに挟まれて死んだ方が――。
 いやいや何を人生諦めてるんだアーサー・カークランド。まだ死ぬ訳にはいかないだろう。
 アーサーは背中をよじ登ってアルフレッドの肩に齧り付いた。

「ちくしょう! ぜったい離さねーからな!」

 じゃれてると思われているのか、すりすりと頬を寄せていたアルフレッドの動きがアーサーの言葉を受けてピタリと止まる。
 隙を見せたアルフレッドに、アーサーはロッククライミングの要領で前へと回り、今度は胸元にしがみ付いた。
 足は廻らないから、手だけでアルフレッドの着ているシャツを掴む。

「ぜったいぜったい、離してなんかやらねぇぞ! おれは……っへあ?」

 不意に、きゅ、と腕を回されて抱き締められた。
 恐々見上げれば、アルフレッドの喜色満面な笑みと視線がかち合って。

「ある……?」

「……アーサー……」

 アルフレッドはゆるゆると表情を蕩かせ、自らがソファに座るとアーサーの身体を抱き締め直した。
 どうやら圧死は免れたらしい。
 アーサーは掴んでいたシャツを離すと、アルフレッドの腕の中で身体を反転させて膝の上に座った。
 すると何故か不満げに腕の力が強まったけれど、いつもアーサー自身がアルフレッドにしているように、腹に廻されている手へと触れたら締め付ける力が少し弱まって。

「アーサー……」

「くすぐってぇよ、こら、ある……」

 背を丸めてグリグリと頬を押し付けて来る大きな子供の髪を、少し後ろを振り仰いで撫でる。
 離す気配の無いアルフレッドに観念して、アーサーは身体を預ける事にした。




 ───30分後。


(……トイレ……)

 アルフレッドの膝の上で、アーサーはそわそわと身体を揺らして。

「なあ、ある……ちょっと離してくれないか?」

 膝から降りようとしながら問い掛けると、アルフレッドは慌てて腕の力を強めふるふると首を左右に振った。

「そ、そうか……」




 ───1時間後。


「ある……。下ろしてくれ、な? たのむって」

 ふるふるふる。

 アルフレッドの相貌が責めるようにアーサーを見下ろす。
 腕の力はより強まった。
『戻って来たら今日はずっと一緒だ』
 何時もと様子の違うアルフレッドに、アーサーは自身が朝に告げた台詞を思い出す。

 確かに言った。
 言ったけれども。




 ───更に1時間後。


「ある……ッ! ほんと、まじでヤバいって……!」

 うるうる、ふるふる、いやいや。

 いつもなら絆される視覚効果音も、今回ばかりは絆される訳にはいかない。
 紳士として、男として、何より大人としての矜持がかかっている。
 幾度目かの攻防の末、今アルフレッドの双眸には諦めが色濃く浮かんでいる。
 けれどもアルフレッドにとって「ちょっと後ろ髪引かれる」程度の力は、大人の自分がやっとの事で引き離せるレベルで。
 案の定一向に抜け出せない腕の中で、アーサーは必死に藻掻いた。

「くそっ……! この……ッ! ちっ…くしょ……!」

 次第にアルフレッドの双眸にはじわじわと涙が浮かんで来る。
 違うんだアルフレッド、決してお前を嫌って離れたがっている訳じゃなくて。
 アーサーも泣きたかった。
 この際背に腹は替えられまいと恥を忍んで誰かに助けを乞おうにも、頼みの携帯電話は先程ずり落ちてしまった着衣のポケットの中。

「……あー、さ……ッ、……」

 アルフレッドは泣いた。
 純粋無垢な空色の瞳からハラハラと透明な雫を零して。

 アーサーも泣いた。
 とうとう大人の矜持は崩れ去ってしまった、跡形もなく。濡れた感触に後を押されるように涙が次々と溢れて止まらない。
 まるでこの世の絶望を独り背負ったように、アーサーは涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにして男泣きをした。

 二人は、時間が経って薬の効果が切れるまでの間、暫く泣き続けた――。




  ◇◇◇




「……てな事もあったよね?」

「忘れろ!」

 アーサーが全力投球したクッションは、簡単にキャッチされて足元へと落とされた。
 今日は折角の休日。
 フラリと出て行ったかと思えば突然戻って来て、急に何を言い出すのか。
 ギッと睨み付ければ、成長してから掛け始めた眼鏡の奥、幼い頃と変わらない空色の瞳が微かに細められて。
 瞬時に悟った不穏な空気に、アーサーは僅かに身を引いた。

「……な、なんだよ……」
「……これ、何だと思う?」

 ごそごそと取り出された小さな包みは、今し方思い出させられたばかりの――。

「ま、まさか……!」
「だって狡いじゃないか。あの時の俺はまだ、あの経験がどれほど貴重だったか理解出来てなかったんだから」

 一体あの経験の何が良くて、何処が貴重なのか。

「い、いやだ!」

 グルルルル……。

 慌ててその場から逃げ出そうとアーサーが背を向ければ、後ろから聴こえて来るのは狙った獲物を威嚇するような唸り声。

「喉を鳴らすな!」

 何処で身に付けて来たのか、獅子の子に相応しい威圧感を纏う獰猛な気配に身の危険を感じてアルフレッドを振り返る。
 背中を見せたら、ヤられる。

「……ほ、他の事っ……他の事ならしてやるから! なっ?」
「じゃあ、この姿で俺を満足させてくれたら放尿プレイだけ≠ヘ勘弁してあげる」

 にこり。
 あの頃と変わらない相貌に、あの頃とは違う笑みを向けられる。

「待て! そんな怪しい条件飲めるか! つか何処でそんな言葉覚えて来た! 髭か!?」

 だとしたらあのクソ髭フランシス、最早半殺しでは済まされない。

「う〜ん。ギルの部屋とか……、あとは菊のドージンシ?」

(ギルベルト!?……ルートヴィッヒか!)

 こと恋愛や性に関して未だに中学生のような振る舞いを見せるギルベルトに、マニアックな本を所持する男気があるとは思えない。
 だとしたら、ルームメイトである弟、ルートヴィッヒの持ち物である可能性が高いだろう。
 以前、研修を共にした時、突然暴れ出した虎を捕らえた時のルートヴィッヒの縄捌きは実に見事だった。
 あれは明らかにプロの犯行だ。
 否、今はそんな事どうだっていい。

「菊はそんなモン読まねえ!」

 言うが早いか、一瞬の内に間合いを詰められて腕を掴まれた。

「……君の菊贔屓はいつ聴いても実に腹立たしいよ。……思い知らせてあげる、君の総てを知り尽くしてるのが……君を満足させられるのが、誰かって事をね」

 掲げられた黒い塊が、アルフレッドの前歯に銜えられて。

「まっ待て! ん、んん〜!! っ……ンーーーッ!!」


 ゴクン……。


 ───後の事は、二人のみぞ知る。




第一回フリリク
【泣き虫ライオンの逆バージョンで米×子英】




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