遊園地で大健闘! 後編
まだそう遠くには行ってない筈……そう信じて俺はフードコーナーの周辺を駆け回り、擦れ違う人に尋ねては又走り出した。
(待ってろッつったのに、なんで……)
まさか、誰かに連れて行かれた……?
それとも、俺の態度が――。
俺の態度が小さい姿に接する時と違うから、傷付けてしまったのだろうか。
アルフレッドだって、まだアルと変わらない子供なのに。
(……ッ……俺は……!)
もしもこのまま――そんな考えを頭を振って払い退け、何度もアルフレッドの名前を呼ぶ。
汗だくになって邪魔な上着を脱ぐ頃、漸くその姿を見つける事が出来た。
俺はほっと安堵して其の場に立ち止まり、肩で息をしながら愛しい姿に目を細める。
「ア……」
呼び掛けようと自然に伸びた手を、途中で止めた。
アルフレッドが何かをじっと見ていたから、その視線の先が気になったのだ。
(何見てんだ……?)
此方からでは横顔しか確認できないアルフレッドの視線の先を目で追うと、泣きじゃくる小さな女の子と、その母親らしき女性が上を見上げていた。
正確には、木に引っ掛かった風船を見ている。
先程の男の子とのデジャヴを感じるが、アルフレッドも今は風船を手にしていない。
視線をアルフレッドに戻すと、その青い瞳は女の子につられて泣き出しそうになっていた。
(あ……、泣く……?)
しかし俺がギクリと肩を強ばらせて走り寄るよりも先に、振り返った女の子とアルフレッドの視線が合う。
――子供同士何か通じるものがあったのだろうか。二人の間に会話は無かったが、アルフレッドと目が合った女の子はぴたりと泣き止んで、アルフレッドはそれに応えるように女の子と母親の方へと歩き出した。
(……アルフレッド……?)
そして其のまま木の下まで行くと、結構……いやかなり、オリンピックのスカウトマンなんかがこの場にいたら、連れて行かれちまうんじゃないかってぐらい強靭なジャンプ力を見せて、アルフレッドは木の枝に引っ掛かっていた風船を取ってしまった。
手にした風船を、あの男の子にしたように今度は女の子に渡す。
(……研究所じゃ俺にベッタリで、頻繁に会う菊相手でもまだあんま懐いてねぇアルが……)
親として喜ぶべき場面である筈なのに、笑い合うアルフレッドと女の子の姿に俺の左胸が何故かキリリと痛む。
固まったまま動けずにいる俺に最初に気が付いたのは、女の子の母親らしき女性だった。
不審者だったかも知れない。俺が慌てて軽く会釈をしてから視線を上げると、アルフレッドが猛然と此方に向かって走って来ていた。
と思ったら抱き付かれた。更に次の瞬間には視界一杯に青空が広がった。
「ッッ……いっ、てえ……」
俺はアスファルトを背に後頭部を押さえて身悶える。
アルフレッドはそんな俺に構わずぎゅうぎゅうと首に回す腕の力を強めながら、俺の肩口に顔を埋めてぐりぐりと目許を押し付けた。
その肩は微かに震えている。
(……──あ……)
──寂しかった、のか。
研究所内では常に俺と一緒か、そうでなくても部屋で留守番が日常だった。
こんな人の多い場所に連れて来て、一人きりにして、不安にならない筈がないのだ。
「アルフレッド……ごめんな、一人にしちまって。さっきの見てたぞ、……偉かったな」
訳も判らず痛んだ左胸は、いつの間にか平気になっていた。
俺はアルフレッドの後頭部を撫でてやり、小さなアルにしたように頬を寄せた。
地面に転がる俺達の傍まで、風船を手にした女の子と、女の子に手を引かれた女性がやって来た。
引き剥がそうとしても嫌々と首を振って離れないアルフレッドと一緒に、俺は取り敢えずと上半身を起こして地面に座り込む。
安否を気遣う母親に平気ですと片手を上げて見せながら、もう一方の手ではアルフレッドの背中をぽんぽんと叩いた。
「ん……?」
母親の影に隠れてもじもじとしていた女の子が、前に進み出て来る。
そして俺にすがりついてベソベソと泣くアルフレッドに向かってこう言ったのだ。
“お兄ちゃん、すごくカッコよかったよ。ありがとう”
それを聴いた瞬間、俺の中で色々なものが吹っ切れた。
そのまま母子は二人手を繋いで歩いて行った。
俺はアルフレッドに頭を上げるよう促して、緩む頬を堪えず笑みを浮かべる。
「……アルフレッド、お前……カッコ良いってさ」
顔を上げてもまだ涙の残る顔で鼻を啜るアルフレッドの目許を袖口で擦る。不覚にも可愛いとときめいてしまったが……こいつは格好良いんだ。
大事なのは中身だ。
俺はアルフレッドの手を取って立ち上がる。強く繋いだ手は、不思議ともう恥ずかしくなかった。
見上げれば小首を傾げて笑み返してくれるアルフレッドに、俺はにっと口角を吊り上げてこう言った。
「アルフレッド、遊ぼうぜ」
まだまだ今日は、終わっちゃいない。
開き直ってしまえば、大きなアルフレッドと遊ぶ遊園地は楽しかった。
身長制限がなくなったから何にでも乗れるし、小さなアルとは歩幅を合わせてのんびりと回っていたのが、アルフレッド相手では寧ろ俺の方が引きずられる勢いで次々にアトラクションの数をこなして行った。
ヨレヨレの上着は小脇に抱えて、反対の手でアルフレッドと手を繋いで。
腕を捲って、地面に寝転んだ所為でお互いちょっと薄汚れながら。
けど、なんだこれ、すっげー楽しい。
陽も傾いて空が茜色に染まる頃には、俺はくたくたになっていた。
(普段、引き籠もって……るから、な……)
アルフレッドはと隣を見れば、丁度欠伸をしていて。
「なんだアルフレッド、眠いのか? はは、何時もは昼寝してるもんな。……よし、次の乗り物で最後にして帰るか」
俺がそう言うと、アルフレッドが何処か拗ねたような表情で唇を尖らせる。
嗚呼、そうだった。
「……疲れちまってさ、早く帰ってゆっくりしたいんだ。……また来こような」
帰りたいのは俺だと伝えると、渋々ながらもこっくり頷いてくれる。その顔は、はっきり言って無茶苦茶眠そうで。瞬きの間隔がやけに長い。
何故か、最近のアルフレッドは子供扱いされる事を嫌う。褒められるのも甘やかされるのも好きなくせに其処がまた可愛いんだが……もしかして、自我が芽生え始めて来たのかも知れない。
「よーし、それじゃ最後、何にする? お前が決めて良いぞ」
俺もあそことか、さっきの所とか、アルフレッドが無茶苦茶怖がってブルブル震えながらしがみついて来たホラーハウスとか、色々と希望はあったが此処は子供に譲るのが大人の役目だ。
……けど、アルフレッドが決めかねていたらあそこにしよう。
そう思っていたのだが、アルフレッドは最初から決めていたかのようにすっと指を差した。
「……観覧車か。いいな」
観覧車からテーマパーク内を一望して終えるのは良い想い出になるだろう。まだ乗って居なかったし、丁度良い。
俺は後半すっかり存在を忘れていたルートヴィッヒから借りたガイドブックを取り出して、観覧車に向かいアルフレッドと二人歩き出した。
「だぁぁ! はしゃぐなばか!!」
別に高所恐怖症ではないが、こんな、宙にぶら下げられた狭い球体の中に入るなんて初めての体験だ。
狭い観覧車内で落ち着かないアルフレッドに檄を飛ばして、アルフレッドが譲らないから狭い座面に二人で腰掛けた。
隣り合った肩が触れ合う……どころか、腕を回されてぎゅうぎゅうに抱き潰されている。
それでも、折角乗ったからにはと懸命に窓の外の景色を見ていると、不意にアルフレッドに名前を呼ばれた。
「アーサー」
びくり、思わず肩が跳ねる。低い声で呼ばれるのは慣れていないから、あまりその姿の時に呼ばないで欲しい。
「な、なんだ? アルフレッ……」
視界一杯に、夕刻にも関わらず突然映り込んだ晴れた空の青が俺の思考回路を停止して言葉を奪う。
いや違う。突然唇を塞がれたから言葉を紡げなくなってしまったのだ。
(な、な……!?)
いつもは痺れるまで好き勝手に貪られて蹂躙される俺の唇が、厚みのあるアルフレッドの唇とぴたりと重なり合っている。
俺は気が動転して、呼吸すら忘れてただ固まっていた。
「……っぷは……! ア、アルフレッド…なに……」
「すき」
アルフレッドの青が、夕映えに少しその色を変えつつ真っ直ぐ俺へと向けられている。
俺は此処で漸く気付いた。
(……っ!! 昨日のテレビ! 確か消す間際、カップルにお勧めどうこうとかなんとか、観覧車の映像が……!)
テレビはよく見ていないが、昨日ルートヴィッヒに渡されたガイドブックのどれかでも特集が組まれていたのを思い出す。
(一番頂上でキスして愛を誓い合うと二人の愛は永遠だとかベタな事が……)
ちらりと窓の外を見やれば、頂上から少し下り始めている所だった。
つまりさっきは、丁度――。
「っ……ば…か、やろ……」
俺の言葉に、アルフレッドが不満そうな顔をする。
その双眸はじっと俺を見ていて、息苦しいくらいだ。
嗚呼……待っているのか、俺の言葉を。
二人が誓い合わなければ永遠は成されないのだから。
(くそっ! 意味も分かってねぇクセに……!)
俺は諦めて大きく深呼吸をした。
「………お、お…俺だって、……好き…だ」
たっぷり間を置いた後のたどたどしい言葉に、アルフレッドの相好が綻ぶ。
きっと今、俺の顔は赤いだろう。
だがそれは、夕焼けの所為に他ならない――。
「ったくもー、こっちに帰って来たばっかのお兄さんを足代わりにするなんて酷くなーい? ……ん? 坊ちゃん顔が赤ゲファア!」
「夕日の所為だっつってンだろーがァァア!!」
俺はついさっき電話で呼び出したフランシスの背中に蹴りをくれて運転席側のドアへ追いやると、アルフレッドと二人で後部座席へ乗り込んだ。
フランシスが「聴いてない」とか「初耳だから」なんてちゃちな言い訳を重ねる背中を、今度は運転席の座席越しに蹴り付ける。
「うるせぇよ、ガタガタ抜かすな髭。公共の乗り物使って突然姿が小さくなったら困るだろうが。テメェは脳味噌までワインで出来てんじゃねぇだろうな」
俺が至極当然な理由を述べてやったと言うのに、今度は「お兄さん泣いちゃいそう!」なんて騒ぎ立てるから、次は後ろから首を絞めてやろう……と思ったら、アルフレッドに腕を引かれたので俺は大人しくシートに戻る。
「ん? どうしたアルフレッド、眠いのか? ほら、俺の肩に凭れて良いから寝ろよ。着いたらちゃんと起こしてやるから」
既にこっくりと船を漕ぎ始めているアルフレッドの頭を自分の肩に凭れさせて髪を梳き撫でてやりながら、バックミラー越しに此方を盗み見ている髭の座席を足でガンガンに蹴り付ける。
べっ、別に照れ隠しでやってる訳じゃないんだからな!
アルフレッドはよほど眠かったのか、俺の手をぎゅっと握り締めながら直ぐに寝息を立て始めた。
「寝顔は可愛いねぇ」
確かにアルもアルフレッドも可愛らしさは天使級だが、この髭は全然分かっちゃいない。
「バーカ、こいつはカッコ良いんだよ」
俺はフランシスの言葉をきっぱり否定して、そう答えた。
目を白黒させているフランシスに、教えてやるつもりはない。
誰も知らないこいつの顔を俺だけが知っている……なんだか少し、得意気な気分だった。
◇◇◇
「アーサー?」
下らない雑談を交わしていた相手から返事が返って来なくなった事に気が付いてフランシスが確認すると、アルフレッドはアーサーの肩に頭を凭れさせ、アーサーはそのアルフレッドの頭に凭れて二人寄り添い合うように眠っていた。
よくよく見ればアーサーの目の下にはくっきりと隈がある。
「……やれやれ」
菊から昨日突然アーサーが遊園地に行くと言い出したとは訊いていたが、大方準備の段階からはしゃいで居たのだろう。
フランシスは肩を竦めてミラーの位置を戻す。
いい顔をするようになった、とフランシスは思う。
誰がって?勿論アーサーがだ。
当初、アルフレッドは一時的に預かって貰うだけの予定だった。
その間に専門のチームを編成する手筈で。
一時とは言えども子供を預かる暇があって、かつ責任感もそれなりにある適任者が自分の知る中でアーサーしか居なかったのだ。
最初に一時きりだと伝えなかったのは、からかいたかった思い半分、情が湧いて手放せなくなってしまえば世話係が決まって万々歳……いやでもあの元ヤンに限ってそれは有り得ないよな。なんて笑っていたのに。
「まさか本当にそうなるとはなぁ……」
しかもこの二人の関係……ただの兄弟では終わらない、と直感がそう告げる。
フランシスは携帯電話を取り出してコールすると、肩と耳で挟んで手をハンドルに戻した。
「あ、菊ー? ……ちょーっとデジカメ持って寮の入り口まで来てくれない? ……いやね、はは……でっかい子供がさー二人で仲良くおねんね中なのよねー」
この幸せそうな寝顔を本人達に見せてやろう。
そう遠くない、未来にでも。
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