遊園地で大健闘! 前編


「アーサー!」

 テレビを見ていたアルが、突然嬉々として俺の名を呼んだ。
 食後の洗い物をしていた俺は手を止めて振り返る。両手をぱたぱたと振って此方に青い双眸の先を向けるアルに誘われるように、俺は完全に作業を中断するとエプロンで手を拭きながらアルの傍まで歩み寄った。
 アルが興味を示すテレビ画面の映像を見て俺も納得する。

「へぇ、遊園地か……」

 テレビからは、家族連れや友人グループが楽しく遊んでいる映像が流れていて、紹介する乗り物が絶叫系に移ると楽しげな声が室内にまで満ちた。

「……行きてぇのか? ……んー……けど今はなぁ……」

 俺も行った事が無いので密かに憧れてはいた。が、しかし今は……せめてアレ≠ェ収まる迄は下手な外出は避けたい所だ。
 眉を下げてアルを見遣れば、俺の気配に行けない事を悟ったのか目がうるうるとしてしまっている。無意識にか、ちょっと開いた口がまた堪らなく可愛い。

「ほ、ほらアル! 風呂! 風呂入ろうなー!」

 俺が手を差し出すと、アルは只の一度も俺から目を逸らす事がないまま、それでも俺の手を取ってくれた。
 昔は地元をたった一人で制して頂点に君臨していたこの俺が、まさか子供の泣き顔に弱いなんて誰が思うだろうか。
 俺の手を握り締めながら名残惜しげに見ているテレビの電源を、断腸の思いで切ってアルの手を引く。

 大好きな風呂に入っても、風呂上がりにアルが一番好きなアイスを食べさせても、アルは笑ってくれていたが、どこかしょんぼりと悲しげだった。

 絆されるな、アーサー・カークランド。

 心を鬼にするんだ。

 つかアレ≠フ原因が判明する迄はホント、人混みに行く訳には――。




「晴れて良かったな、アル」

 ――翌日、遊園地にはアルと手を繋ぐ俺の姿があった。

 どうせ俺はアルに甘ぇよ。




 俺は昨日、アルが寝静まってから菊の所に相談に行った。
 なんせ遊園地なんざ初めてだ。
 ……菊の目は元々感情が読み取り難いんだが、その時ばかりは呆れているのが鈍い俺にも分かった。

「ち、違う、これは親の義務……なん、だ……」

 徐々に尻すぼみになる俺に、同じく呆れながらも助け舟を出してくれたのは、たまたま菊と一緒にいたルートヴィッヒだった。

「少し待っていろ」

 そう言い置いて一旦自室に戻ったルートヴィッヒが手にしていたのは、俺が行こうとしている遊園地に関する何冊ものガイドブックだった。
 その場で少し見た限りでも、ページの間から付箋紙が食み出し捲っていて彼の几帳面さが窺える。

「サンキュ、お礼に今度スコー……っまだ最後まで言ってねぇだろ馬鹿!!」

 こうして菊とルートヴィッヒと別れた俺は、自室に戻ってからもアルを起こさないようにコソコソと翌日の準備に勤しんだのだった。
 明日、アルが喜ぶ姿を想像しながら――。


 ――以上が昨日の出来事だ。


 大量のガイドブックは持ち歩くには荷物になる。
 俺は中から『子供と遊ぶネズミーランド』と書かれた一冊だけを持って此処、巨大テーマパークにアルと二人で来て居た。
 ルートヴィッヒは兄であるギルベルトにせがまれて来た事があると言っていたが……子供向けガイドブックって……おい。否、考えるのは止そう。あいつの事が不憫になっちまう。

 俺はアルと楽しむ事だけに集中する。
 園内は子供が遊ぶ場所とは思えないほど広くて、何処に何があるのかサッパリだった。
 ルートヴィッヒにマニュアル本を借りて来たのは正解だったかも知れない。

 アルの身長じゃ乗れない物も幾つかあったが、入り口で配られていた耳付きの風船を手にアルは始終ご機嫌だった。
 耳と言っても人間の耳ではなく、動物を模した丸い耳だ。
 差し詰め、テーマパーク名から取った鼠の耳なのだろう。

「楽しいか? アル」

 訊くと満面の笑みが返される。
 アルにつられて、俺の顔までゆるゆると相好が崩れて行くのが自分でも分かった。

(連れて来て良かった……)

 至福の一時に浸っていた俺の耳に、不意に子供の泣き声が届く。
 声のする方を見ると、アルより少し小さい男の子の手から離れてしまったらしい風船が、青空に向かって昇って行く所だった。

「あー……ありゃもう駄目だな」

 空を見上げて風船を見送った俺とアルは、視線を合わせて互いに微妙な顔をする。
 泣き止まない男の子は、母親に窘められると一層泣き声が酷くなった。

「……アル?」

 アルがつられて泣いてしまう前にその場を後にしようとした俺だが、肝心のアルがその場に留まったまま動こうとしない。
 俺がアルに視線を戻して問い掛けると、アルは自分が手に持つ風船と泣いてる男の子とを見比べ、最後に俺を見上げた。

「……もしかして、その風船渡したいのか?」

 俺の問いにアルはこっくりと頷く。
 アルの物を誰かに渡すなんざ釈然としないが、それがアルの意志なら俺が止める事じゃない。

「……よし、行って来い」

 俺は褒めるようにアルの柔らかな金糸を撫で回した後、ぽんと背を叩いて押し出した。
 そのまま離れて見守る筈が、矢張りアルの傍を離れるのは心配で、結局アルの後ろを歩きながら俺も母子の傍まで歩み寄る。

 アルが風船を持つ手を男の子に向かって差し出す。風船を手放すのは矢張り惜しいのか、その目はちょっと潤んでいた。
 最初は戸惑っていた男の子だが、アルが更に風船を差し出すと、その手から受け取って「ありがとう」と赤く腫らした目で笑みを浮かべる。
 母親らしい女性からも礼を言われたので、まだ「アーサー」しか言えないアルに代わって俺が対応した。
 アルは喜ばれたのが嬉しいのか、にこにこと主に俺ばかり見上げて笑みを浮かべる。
 その姿は、まるで「偉い?」なんて訊いているようで――。

 俺は母子と別れてから人気の無い方へとアルの手を引いて歩くと、勢い良くしゃがみ込んでアルを抱き締めた。おまけに頬擦りもしながら頭を撫でる。

「アルは優しいなぁ……流石俺のアルだ、いい子いい子……」

 褒められて御満悦の様子なアルは、擽ったそうに笑いながら頬を擦り返してくれた、と、不意にアルの様子に異変が起こった。
 ぴく、と肩を跳ねると、そのまま動かなくなる。慌てて顔を覗き込んで、気が付いた。

「……アル? ……はっ、まさか……!」

 俺は恐れていた緊急事態を察すると、アルの身体を抱えて全力疾走する。
 向かう先はトイレだ。
 他から見えない場所なら何処でも良いのだが、脳裏に描いたMAPが一番近い場所はトイレだと示している。

 アレ≠フ兆しだ。
 早く……早くしねぇと――!

 幸いにも男性用のトイレは誰も居なかったので、俺はアルと共に狭い個室へ駆け込んだ。
 アルを便座の蓋の上に乗せて慎重に辺りを窺ってから戸を締め……鍵も掛けて振り返ると、其処にはアル……否、アルフレッドの姿がった。
 自分に何が起きたのか分からないのか、変わらずにこにこと俺を見ている。
 俺はガックリと項垂れた。

 アレ≠ニは――
 最近姿の入れ替わりが不安定で、今のように昼間でも突然姿が成長してしまうのだ。
 良い顔をしなかった菊の懸念が当たってしまい、俺はがっくりと項垂れる。
 アルフレッドはと言えば、恐らく俺と目線の高さが近くなった事が嬉しいんだろう、腕を伸ばして来てぎゅうぎゅうと首に巻き付けて来た。

「ア、アルフレッ……苦゙し……」

 頑張れ、俺……今日はまだ、始まったばかりだ。




 万一に備えて持参していたアルフレッド用の服に着替えさせて、俺達はトイレの個室を後にした。
 まだ陽は高く、帰るには勿体無い。

(けど、な……)

 俺の手をぎゅっと握って進む方角を俺に委ね、辺りをキョロキョロと見渡しながら危なっかしく歩く、俺より背も体格も良いアルフレッドを盗み見る。
 大の男二人が手を繋いで遊園地だなんて、俺は周りの視線が気になって仕方なかった。

「アルフレッド……ちょっと休憩しようぜ」

 近くにあったフードコーナーへアルフレッドの手を引いて向かう。
 其処には、真ん中にパラソルを突き刺した白いテーブルを椅子で囲むようにして用意された席が沢山設けられていた。
 俺達はアルフレッドが目聡く見つけたアイスワゴン車の前に並んで、二人でアイスを注文する。
 アルフレッドは真っ赤なアイスと真っ青なアイスと、これだけは分かる茶色のチョコレートアイスのトリプルをコーンで。俺は無難にバニラ味をキッズサイズでカップだ。
 目立たない端の席を陣取って腰を降ろす。

 さて、これからどうするか………。

 俺は頭を抱えたかった。と言うか、抱えた。

「……、…あーっ! アル! ばっ……!!」

 これからの予定を考える事に没頭していた俺がふと顔を上げると、大人しく上から食べれば良いものを、横から顔を突っ込んで三種の味のアイスを順に食べているアルフレッドの姿が。俺は軽い頭痛を覚える。
 俺の声に顔を上げて笑みを浮かべる鼻から上はいつも通りなのだが、口許が三色のアイスでベタベタだ。
 これでは紳士の風上にも置けない。

「ったく、しょうがねぇなー……」

 ハンカチを取り出して拭くが全然思うように取れない。

「ベタベタじゃねぇか……アルフレッド、ちょっとハンカチ濡らして来るから待ってろよ? 俺の分のアイスも喰ってて良いから!」

 俺は殆ど手付かずのアイスをアルフレッドの前に押しやってから席を立った。
 そうして近場のトイレを探して駆け込んで、ものの5分と経たずに戻って来た、筈だ……なのに。

「……アル……? アルフレッド!?」

 そりゃ、確かに少し気が重いとか思ったりもした、けどなるべく急いで戻って来たつもりだ。
 否、最初からアルフレッドも連れて行けば良かったんだ――。

「っ……アルフレッド!!」

 席に戻ると、小さなアイスのカップとコーンを包んでいた紙を丸めたゴミだけを残して、アルフレッドが居なくなってしまっていた。





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