お風呂事情は大騒動! 前編


 アルは風呂が好きだ。
 つい最近まで野生児だったからな、あんまり服を着るのが好きじゃないみたいだから其れを着なくて良いのと。やっぱ身体洗ってサッパリすんのは気持ち良いのと、俺がいつもより多くアルを気に掛けて片時も手離さないからだと思う。

 だってアルは、俺の事が大好きだからな!




 入浴ってモンは、意外と危険が潜んでいるのだという事を、俺はアルと暮らすようになって初めて知った。

 先ずは浴槽。まだアルの身体には深過ぎて俺がしっかり抱いててやらねぇと溺れちまう。
 その事を菊に言ったら、ベビーバスなる物の説明を受けたが……あ、あれは幾らなんでもアルには小さ過ぎるし!アルだってデカい風呂の方が良いに決まってる!
 俺が「なっ、アル!?」と胸に抱いた子供に訊ねると、アルはほっぺが蕩けて落ちちまうんじゃないかってぐらい満面の笑みで小さな両手をぱたぱたと振り上げた。
 ほら見ろ菊!これはな、アルが嬉しい時にする反応だぞ!?
 勝ち誇ったようにそう告げると、菊は"キモノ"という彼が普段着として愛用している服の袂で顔を覆って、暫く何かを堪えるようにプルプルしていたが、最後は「御馳走様です」と言い置いて俺の部屋を後にした。
 何だよ菊、お前スコーン1個も喰ってねぇじゃねーか……。
 ところでツンデレ≠チて一体なんだ?

 他にも頭洗ってやる時は目に入らねぇように細心の注意を払わなくちゃなんねーし、身体を洗ってやる時は泡が美味そうに見えるらしく、偶に口に入れたりするから良く見といてやらねぇと。
 口の中に泡を入れちまうと、ピーピー泣いて宥めるのが大変なんだ。口直しの甘い飴でもありゃ良いんだけどな……なんせ風呂場だからよ。だから仕方無く……だな、まあ……その。や、な、なんでもねぇ!

 兎に角、だ。
 俺はこれらの話を研究所内で会う奴等に片っ端から言って聞かせている。
 だってそうだろ?
 これが俺に与えられた仕事なんだ。毎日毎日、アルと仲良く楽しく遊んでるだけだと思われるのは癪じゃねえか。
 だから俺は、アルがいかに俺の存在を必要としているか、アルがどれほど可愛いか、俺のアルが天使たる所以を……ん?途中から話が逸れたか?まあいい。

 俺がそうやってアルの話をすると、大概の奴は暖かい笑みで頷いてくれるのだが、中には……そう、「へーそーなん」なんて気の無い返事を寄越す奴もいる。
 まあアイツんとこにもアルと同じ年頃のガキが居るからな。けどアルの方がぜってー可愛い!アイツ……アントーニョとそんな言い争いをしている時だった。
 突如としてアントーニョの狭くて小汚い部屋にアルの愛くるしい泣き声が響く。
 俺が光よりも早く振り返ると、其処にはアントーニョの義理の弟であるロヴィーノに泣かされているアルの姿があった。その蒼い双眸は助けを求めるように俺だけに注がれている。

 この俺とした事が……ガキ相手と思って油断したぜ。

 ぜってー泣かす……。俺が舌なめずりをして席を立つと同時、アントーニョが俺を後ろから羽交い締めにして来た。必死の形相で「子供の喧嘩に親が手ぇ出したらアカン!」と言い募る。
 確かにな……、アントーニョのくせに一理有る。だから俺は代わりにアントーニョをギタギタにしてやった。
 アルを抱えてアントーニョの屍を越える刹那、視界の端に映る泣き顔のロヴィーノに何処か覚えた違和感を気にせず部屋を出たが、その原因は直ぐに判明した。

「ん? アル……それどうしたんだ?」

 アルの小さな掌に握られていた茶色くて細い房を手に取ると、何処かで見覚えのあると思った其れはロヴィーノのクルン……髪の毛のようだった。

「はは、やったじゃねぇか、アル。いいか? やられたら10倍返しが基本だぞ?」

 そして逆らう奴には容赦しないのがカークランド流だ。
 部屋に戻ってからは、アルが初めて喧嘩に勝った記念日として俺は盛大に手料理を振る舞い、甘やかして褒め称えた。
 嗚呼……けど、ロヴィーノはアルと歳も近いし貴重な友人だからな……後日、焼き立てのスコーンでも持って行くか。やっぱり子供への土産は美味い菓子が一番喜ぶよな!




 話を戻すが、そんな俺とアルの風呂事情は平和なばかりではない。実は少し困った事もある。

「ン……こら、やめろって……アル、良い子だから……っ」

 アルが時たま俺の、む……胸を吸ったりするからだ。
 育ての母親ライオンが恋しいのかと思うと俺も強くは出れない。否……そもそも俺がアルに強く出れた事などないんだが。
 しかも最初のうちは別に減るもんじゃねぇしと気にせずにいたのが、回を重ねる毎に何かムズムズして来て……正直、今では気持ち良いとさえ感じてしまう自分に愕然とする。

 この件に関しては、フランシスに相談を持ち掛けた事がある。

「なあ……フランシス、俺……さ。髪を伸ばしたりしたらライオンのタテガミみてぇにならねえかな」

 きっと俺にはアルの親代わりとしての自覚が足りないに違いない。
 一切の経緯を省いて開口一番そう言った俺に、フランシスは「や、お前が髪伸ばした所で金色毛虫≠ェ関の山だろ」と、のたまいやがった。
 俺が喉の奥より更に下の地獄の底から響かせるような声で忌々しい髭の名を呼ぶと、焦った声色で「そっそれにな坊ちゃん!雌ライオンにはタテガミ無いんだぜ!」なんて言って来た。
 嗚呼そうだったな。
 最初っからそう言えば良いものを……しかし残念ながら俺の怒りのボルテージはとっくに臨界点を突破している。
 これが受話器越しでなけりゃフルボッコにしてやる所だが、ムカつく髭は生憎と今は海の向こう。
 仕方無いから俺は電話を切った後に「死ね」と打ったメールを44通送り付けてやった。
 隣にアルが寝ていなくて起こしちまう心配が無かったら、呪いを込めて語呂よく427通のメールを送っていただろう。「427(死にな)」だ。言い忘れていたが俺は黒魔術も得意としている。
 たく、余計な手間掛けさせやがって。

 否……髭の事なんかどうでも良い。

 今迄に挙げた俺とアルとの風呂事情が、何だかんだ言いつつやっぱり平和なのは、ひとえにアルが幼い子供だからだ。


 ――だから……。



「はぁっ、ハッ……やべぇ、もうこんな時間かよ!」

 俺は今、自室に向かう通路を全速力で駆けている。
 部下のギルベルトに呼ばれてほんの少し……そう、ほんの少し留守にする筈だったのに、予想外に時間を取られてしまったのだ。
 これは不味い……非常に不味い。

「……っアル……!」

 バタン!俺は普段は重視するマナーも無視して扉を勢い良く開けると、ずんずんと大股で寝室を目指した。

「っ……アル! ……フレッド……」

 飛び込んだ室内、内側から閉めた扉にがっくりと凭れながら、俺は力無く項垂れる。
 俺が最後の瞬間まで信じて脳裏に描いていた天使は、今やすっかり成長して俺よりも体格の良くなった男の姿でベッドで寛いでいた。――しかも。

「うわっ、重いっての!」

 この、姿だけならばアルを大人に成長させた金髪碧眼の筋肉男、しかしながら中身はまだまだアルと同じ、てんで子供なのだ。
 俺の姿を認めると、ベッドから跳ね起きて勢い良く飛び掛かって来る。正面から抱き留めた侭では身動きの取りようが無いので、アルフレッドの腕中で身体を反転させて背中で支えるように引き摺りながらベッドを目指す。
 よろめきながらもアルフレッドをベッドに座らせ、自分もその隣へ腰を降ろす。すると直ぐにアルフレッドが横から手を伸ばして俺の身体を抱き込んで来た。
 俺はバランスを崩して成す術も無く背中からベッドに倒れる。

「!? 冷てっ……!」

 柔らかく俺を受け止めてくれる筈のベッドが、俺の背中に冷えた刺激を与える。僅かに背を浮かせて手を入れられるぐらいの隙間を空けると、俺は恐る恐る右手を突っ込んだ。

「うっ……お、お前……また勝手にアイス喰っただろ!」

 よくよく見れば口許もキラキラと光っていて、辺りにバニラの香りが漂っている。
 アルは俺の口からしか食べ物を受け付けなくて、アルフレッドも基本的には同じなのだが、何故かアイスだけは寧ろ俺が居なくても勝手に冷凍庫から取って食べてしまう。
 枕元の箱ティッシュを手繰り寄せて何枚か取り出した其れで口許を拭うが、肌に付いてしまうと只ベタベタするだけのアイスは、顎から首に掛けてを豪快に汚していた。
 ティッシュ程度ではどうにもならない。

「あーあーったく、首んとこまでベタベタじゃねぇか……これじゃあ風呂…、……っ!」

 思わず風呂に入らないとと言い掛けて、俺はギクリと身体を強ばらせて言葉を切った。
 そろりとアルフレッドを窺えば、俺の言葉は解るようで大好きな風呂に入れるのだと知りキラキラと目を輝かせている。

「だっ、駄目だ……。今日は大人しく寝るんだからな。風呂は明日だ、明日……」

 俺はアイスで汚れたシーツを取り替えるべく、首に巻き付く腕を外して身体を起こした。そのままアルフレッドの腕を引いて立たせると、手早くシーツを剥いで慣れた手付きで替えて行く。
 アルフレッドと暮らすようになってから頻繁に替える機会の増えたシーツは、ベッドの下の引き出しに常時ストックされている。

「よし、こんなもんだろ。……アル、もう良い…ぞ、って……うっ、な、泣くなよ……」

 作業を終え、やけに静かだなと思ったアルフレッドを振り返ると、両の瞳から大粒の涙を零していた。
 風呂に入れない事をぐずらないなと思ったが、もしかしてアイスを勝手に食べた事やベッドに零した事をこいつなりに反省していたのかも知れない。

(こいつ、おっきくてもちっさくても風呂大好きだからな……)

 好きなものを我慢して……こんなに泣きながら、反省していたのか。気付いてしまえば、アルフレッドの健気さに俺の胸がきゅっと絞られるように痛んだ。
 思えばアイスの件に関して、俺は全くと言って良いほど叱っていない。このままではまた菊に「甘やかし過ぎですよ」と苦言を呈されてしまう。
 此処は心を鬼にしなければ。
 ――鬼に……。

「っ馬鹿やろ……泣けば俺が何でも言う事聞くと思ってんじゃねぇだろうなっ」

 鬼に……出来る筈がない。無理だ。
 俺はアルフレッドが喩え大人でも子供でも、姿形関係無くこいつの涙に弱いのだから――。





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