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君の為に出来る事

君の為に出来る事8


 今にも雨が降り出しそうな曇り空は、時間帯も相俟ってか薄暗い。
 休日の早朝は辺りがシンと静まり返っていた。見慣れてきたと思っていた街並みが、また少し違った世界を醸し出す。
 そんな人気のない細い道の真ん中で。

「──……なあ。お前さん、もしかして……」

 俺が行く道の先からのんびりと歩いて来ていた男との擦れ違い際、ジロジロ見られたかと思うと突然肩を掴まれた。
 足を止めた俺は不機嫌も露わに細めた視線で、その不躾な指をちらと見て。

「……なに?」

 ウェーブの掛かった金髪を後ろで結わえて顎髭を蓄えたその男を、軽く睨む。
 自分から関わりを持つ事を望んだ訳でもない、こんな見知らぬ他人にまで愛想良くする義理はない。
 それに、今は凄く気持ちが急いている。
 まだ此処は、後ろにアーサーの家が見えるのだから。

「おっと、失礼。……ああ俺、こういう者なんで」

 俺の視線に気付いたのか肩を掴んだ手を離してヒラヒラと振る男からは、しかし反省の態度は見られない。
 けれど俺が向ける警戒心にはやれやれと言いたげな様子で肩を竦めて、上着の内側から1枚の名刺を取り出した。

「………」

 人差し指と中指に挟んで差し出された其れを乱暴に引っ手繰る。
 小さな紙面には、『森の神父さん』とポップ書体でカラフルに描かれた胡散臭い丸文字と、他には白クマのイラスト、この男のものと思われる名前と住所が記載されていた。

(フランシス・ボヌフォワ……? うわ、近所じゃないか)

 俺の引き攣った顔を気に留めるつもりは無いらしく、本題とでも言うように少し真面目……に見えたのは一瞬だけで、男は片目を伏せて悪戯っぽい笑みを浮かべると、とても胡散臭い台詞を吐いた。

「神の啓示ってヤツでさ。……名前、聞かせて貰ってもいいかな」

 てっきり夜の仕事の店名か源氏名的な何かかと思ったら、本当に文字通り神に仕える身らしい。自称だけど。
 こんな胡散臭い奴に誰が教えるか。
 しかし一刻も早く解放して欲しい。俺は渋々口を開いた。

「…………アルフレッド」

「……へぇ……」

 恐らく偽名として一番相応しいんじゃないかと思う名を告げると、男は考えの読めない意味深な笑みで唇を薄く開いて、更に質問を重ねる。

「ファミリーネームは?」

「っ……カークランドだよ! もう良いだろう!?」

 いい加減、こんな得体の知れない男に付き合っている時間が惜しい。
 一瞬逡巡した俺は一番始めに浮かんだファミリーネームで声を荒げると、肩を怒らせながら大股でその場を後にした。


 だから俺は、その男がずっと何か考えるような素振りで俺の背を見届けていた事には気付かない。


 いつの間にか、しとしとと雨が降り始めていた。



  * * *



 休日の朝から支度をして家を出たのは、昨夜部屋を飛び出してしまったアーサーと顔を合わせ難いからってのもあったけど。
 もう一つ、昨夜の一件で思い出した事があるからだ。
 今日は、これから其れを確認しに行く。

『アルフレッド』

 俺をこう呼んだ人が、もう一人……いた。





「おー、ウィリアムズ! 久し振りあるなー。元気にしてたか?」

「お久し振りです、王先生」

 此処は俺が通っていた小学校。
 キィ、と回転椅子を此方へ向かせて俺を見るのは、俺の担任だった王耀先生だ。

「今日はどうしたあるか?」

 突然訊ねて来た俺に嫌な顔一つしないで、先生が人好きのする笑みを浮かべる。

 学校の先生は大変だ。
 平日は当然、休日だってクラブだ何だと学校に来ないといけないんだから。
 それを大変だと思っても、有難いと思ったのはこれが初めてだった。
 俺が会う目的でやって来た王先生は、今日は学校に用があったらしい。

「……先生、僕を見た時に、最初……誰かと勘違いされてましたよね」

「ああ、あの時は悪かたある」

「その話を詳しく聞かせて欲しいんです」

 俺の言葉に先生は瞬きを繰り返して俺を見る。
 どう見ても困惑している様子だ。
 それもそうだろう。

 他の小学校から転勤してきた王先生は、初めて俺を見た時、目を見開いて別の誰かの名前を呼んだ。
 けれど俺が否定してからは、お互いこの話題に触れる事もなかった。
 先生はそれからも偶に何か言いたげな目で俺を見ていて。当時は余程その相手に似てるんだろうなと思ったものだけど……。
「あいやー、気にさせちまってたあるか? そんな、ウィリアムズが気にする事じゃねーあるよ」

 こんな何年も経ってから今更俺の方からこうして聞きに来るなんて、そりゃあ驚くと思う。
 でも、此処で引く訳にはいかない。
 俺には知りたい事が……知らなきゃいけない事がある。
 本家に行って聞いた方が確実かも知れない。けど「自分はここの家の子供ではないかも知れない」なんて話、誰が出来るだろうか。だから――。

「っ……お願いします! 俺を"アルフレッド"って呼ぶ人が現れて、気にするつもりなんて無いのに、どうしても頭から離れなくて……。だから俺は……俺は……!!」

 俺は……俺は……、何がしたいんだろう。
 こんな、取り乱して。必死になって。
 馬鹿みたいにあの眉毛の、アーサーの事ばかり気にして。
 ぐしゃ、と前髪を掻き上げながら頭を振る俺が、先生の目にどう映ったのか。

「……ウィリアムズ……。しょうがねえ、可愛い教え子の頼みある。……我の家に来るよろし」

 周囲を見渡す先生の目に、俺も平静を取り戻して小さく頷き返す。
 椅子から立ち上がった先生は、昔は俺の方が小さかったのに、今では俺の方が随分大きくなっていて。
 嫌でも時間の流れを感じさせる。
 本当に……俺は一体、今更何をしようと云うのか。何がしたいのか。
 何かを知った所で、今まで過ごした時間は決して戻らないのに――。






「ちょっと待ってるある。……確かここに……」

 車で連れられた先生の家は、学校の直ぐ傍だった。
 逸る気持ちを抑えて通された室内は、クラスの集合写真なんかが壁に貼られていて先生の子供好きを窺わせる。
 先生の声が聞こえる奥の部屋は寝室のようで、入って良いものかと躊躇われたけど、がさがさと戸棚を漁る背中が気になって結局後に続いた。

「あったある! ……ウィリアムズ」

 目的の物を見付けたらしい先生が、得意気な表情に影を落として俺を呼ぶ。
 何かを秘めるみたいに小さく二つ折りにされた茶封筒、その中に、一体何が入っていると云うのか。

「……何を見ても後悔しねーあるか?」

「ここまで来て、躊躇う事なんて有り得ません」

 俺が確固たる信念でそう頷くと、先生は躊躇いがちに俺と茶封筒を見交わした。

「──お前がアルフレッドじゃねえって分かった後も、どうしても気になってな……我が赴任して来る前、入学当初のマシュー・ウィリアムズの写真を他の先生から貰ったある」

 それが、この茶封筒なんだろうか。
 先生は俺の手にそれを渡すと、自分は再び背を向けて、背表紙から恐らくアルバムと思われる分厚い本が並ぶ本の前に屈んで何やら漁り始めた。
 俺は折り畳まれていた封筒を開いて、中に入っていた写真を取り出す。

「――で、こっちが前の学校で我のクラスだった、アルフレッドの写真ある」

 机の上に置かれたアルバムの中の1枚を先生が指差す。
 俺は自分が手にしていた写真の中、前髪の分け目からクルンと飛び出す細長い阿呆毛と毛先に緩いウェーブがかかった柔らかそうな金髪、白熊のぬいぐるみを抱いて消極的にはにかむ陰の薄い子供から視線を剥がした。
 入学当初だというこの写真……つまり俺が記憶を失う前のマシューの写真は、成長した今の俺と似てると言われれば似てるし、違うと言われれば違う気もする。
 けれど、次に先生が指し示す写真の中で「ヒーロー」と子供らしい下手糞な字で書かれたマントを背に元気に笑う子供は。

「っ……あ……」

 アーサーの家で見た照れた笑みとはまた違う、天真爛漫の四文字が良く似合う姿。
 何故かその眉の部分には海苔がくっ付いていて、けれど其れが何を……誰を模しているのかなんて明らかじゃないか。

 俺は、子供の頃からずっとヒーローに憧れていた。
 アニメなんてそう多くは観れない環境だったのに、我ながら何故だろうとは思っていたけれど。
 もしかして、俺がずっと憧れていたヒーローは……。

「……っ!」
「ウィリアムズ!?」

 突然感じた立ち眩みを催す程の頭痛に頭を押さえた俺の手から、写真が落ちる。

"マシュー"と"アルフレッド"、2人の写真を並べると良く分かる。

 俺は眼下で対照的に笑う2人の姿を見比べた。

 マシューが"俺に似てる"なら、アルフレッドは"俺"だ。

 なんで……どうして。


「……大丈夫です……」


 頭痛は一瞬で、俺は押さえた頭部から手を離すと心配そうに覗き込む先生に無理矢理浮かべた笑みを向けた。

 一体、何がどうなっていて、何が真実なのか――。





 その後、どうやって家路を辿ったのかは覚えていない。


 だから……。



「アルフレッド!!」



 突然あの人の声が聴こえて来ても直ぐに反応出来なくて。
 突き飛ばされた事に気付いたのは地面に尻を着いた後で。
 自分がこの時車に轢かれかけていた事を知ったのは、もっと後になってからで。

 嗚呼、雨が、こんなに降っていたのか。

 顔を上げた自分の前髪から次々と伝う雫が邪魔をして、固いコンクリートに伏した彼の髪がいつものように跳ねていないから。


 彼がアーサーである事に気付くのが、少し遅れた。

 



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