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君の為に出来る事

君の為に出来る事6


 昔を思い出そうとしても、俺の記憶はある日を境にブツリと途切れる。

 父さんと母さんが少し目を離した隙に迷子になった俺は、発見された時は倒れていて、目を醒ましたら記憶を失っていたらしい。

 そして記憶を失くす以前の俺と退院して屋敷に帰った……否、感覚としては初めて見る屋敷に住み始めた俺は、どうやら少し、違ったらしい。

 皆、以前はもっと穏やかだった、柔らかく笑う子だった筈なのにと"俺"を否定して、目の前に次々と"俺"と彼等とを隔てる見えない壁を作る。
 その壁は、努力と留意さえあれば決して越えられないものではなかったから。
 俺は認められたかったのか、褒められたかったのか、他にも無自覚だった要素があったのかは定かでないけど、兎に角いつも得体の知れない焦燥感に駆られていたのは確かだった。

 成長して、母さんが俺の名前をすぐ忘れる事にも慣れたある日。
 俺に与えられる壁のようだと感じた彼等と相容れないものが、彼等が俺に求める理想像なのだと気付いた時。

 只ひたすらに彼等の笑顔を見たかった気持ちが、苦痛を伴うものに変わってしまった。

 これではいけない、俺は彼等の期待を一心に背負った"マシュー・ウィリアムズ"だ。
 将来進むべき道も決まっていて、俺もそれに異論はない。


(……筈だったのに……)


 窮屈さから逃れるのを「社会勉強」と偽り、「気持ちを整理する為だ」「期間限定の自由なら楽しんでも良いだろう」なんて自分にすら言い訳をして。
 そう……ただ言い訳をして、俺は彼処から逃げ出したかったんだと、そろそろ認めても良い頃だろう。気付いてしまったんだと。

 ──彼に、俺を「アルフレッド」と呼ぶ変な眉毛に絡まれるようになってから。気が付いてしまったんだと。
 しかも相手は隣の家だ。逃れようがないじゃないか。
 変な眉毛が移ってしまったらどうしてくれよう。
 ……いや、確かに最初は綺麗なグリーンの瞳と彼の童顔な容姿に次いであの眉が目を引いたけど、見慣れれば結構……って俺は何を考えてるんだ。

 もやもやと鬱屈した思考が途中から可笑しな方向へ脱線して。
 内心で毒づくアーサーへの悪態に自分でフォローを入れてる事に気付いて、更に突っ込みを入れる。
 思案に耽っていた頭が現実に戻ってくると、視界に映る景色が既に家の傍まで帰り着いている事を俺に報せた。
 そして視線の先、俺の家の前にいる人物の存在を伝える。

 その人は他人の家の前でひたすらにキョロキョロと辺りを窺っていて、明らかな不審者だった。
 しかし遠巻きに見る限り、細いし小さいし大した脅威でもないだろう。
 俺は追い払ってやろうと歩幅を広げた。
 次第に視界が相手の輪郭を正確に捉え始めるのに合わせ、相手が……アーサー・カークランドその人が俺に気付いて此方を向く。

(な……何やってるんだい、あの人は)

「……っあ……」

 俺を見て安堵したように肩の力を抜いてほうと溜め息を漏らすのが、見ていて分かり易すぎる程に伝わって来た。
 俺に気付いたアーサーは、最初こそソワソワとしていたが、待ちきれないと言うように小走りで寄って来る。

(大人しく家の前で待っていられないのかい君は……)

 互いに立ち止まったのは丁度アーサーの家の前で、点けっ放しの明かりが暗い夜道にアーサーの姿を照らし出した。
 心許ない僅かな明かりに照らされて、元から頼りない体躯が一層儚く俺の目に映る。

「何してるんだい、人んちの前で……こんな時間に」

 車を断って歩いた所為で、俺が飛び乗った電車は確か終電間際だった筈だ。

「わ、悪い……お前、昨日も帰って来てなかったみてぇだし……それで俺、心配で……は、はは……う、うざいよな! お前ももう子供じゃねぇのによ!」

「君ねぇ……」

 そんな理由で、こんな遅くまで外に出て待っていたのか。
 俺が呆れ顔で腰に手を当て、態とらしく溜め息を漏らすと、アーサーはあたふたと身振り手振りを加えながら言葉を続けた。

「お、お前と話したいと思ったんだけどよ、お前……帰って来ねぇから……俺の所為で帰って来れねぇんなら謝る。だから急に俺の前から居なくなったりしないでくれ……、っ……お前がアルフレッドじゃなくたって、しっ心配ぐらいしていいだろ!?」

「あのさ、学校には行ってるんだから、家に居なくたって確認しに来れば良かったじゃないか」

「だ……だってお前、学校で俺に関わると虐められるって……」

 嗚呼……あれね。……否、待て。自分は其処まで言ってなかった筈だ。
 何度思い返してみても、俺は"アルフレッド"と呼ぶのを止めて欲しいと、……まあ他にも沢山言ったけど。

「君ねえ、」

「……アーサーだ、……マシュー」

 一呼吸於いて、アーサーが俺の言葉を遮って初めて俺の前で自らの名を明かし、俺の名を呼ぶ。
 その一心に俺を見る相貌は悲壮さを湛えていて、彼が脳内で壮大な妄想を繰り広げ、覚悟と言う名の自己完結でその言葉を紡いでいるのがありありと伝わってきた。
 余りに分かり易すぎて、逆に彼が未だに"アルフレッド"に囚われているのだと嫌でも見せ付けて来る。
 必死に俺を"アルフレッドじゃないんだ"と自分自身に言い聞かせるような、今にも泣き出しそうな下手糞な笑みを浮かべていた。

 ――気に入らない。

 ……まずい、腹の中で何かがグルグルと渦巻くようなこの暴力的な感情は――。

「……っ、俺はアルフレッドじゃないって言っただろ? ッ……君に優しくもない、君の可愛い弟でも無ければ良い子でもない! そんな俺に……君が望む"アルフレッド"になれって、そう言うのかい……っ!?」

 違う。彼は俺をマシューと呼んだのだから、適当に合わせて於けば良いのに……俺は何を言っているんだ。
 少しの嫌味を含ませるつもりだった言葉は、きっと此処へ来るまでの道すがら色々と物思いに耽っていた所為だろう。
 途中から遣り切れない感情がぐちゃぐちゃに混ざって、昂ぶる気持ちを抑えられなかった。
 また、心無い事を言ってしまった……そう思い、落としていた視線を苦渋の表情で上げた先にあるアーサーの顔は、逆に虚を衝かれたのかキョトンと瞬いていて。俺まで拍子抜けした。

「……は? んな訳ねぇだろ。お前なんか、天使みたいに可愛かったアルと比べたら縦にも横にもデカくなりやがって、全然違ぇよ。……けど、アルフレッドだ。俺には、それだけでいい」

 アーサーが、真っ直ぐに俺の目を見る。

「――あ、やっ! ま、待て!! まあお前は別人だって言うけどなっ!? いや! 別人だけどよ! もし、もしもだかんな? ……お前がアルフレッドだとしたら、…そうだな……『大きくなったな、元気で良かった』って、抱き締めてやりてぇ」

 くるくると変わる彼の表情の中でも、特に俺が一番気に入っているあの蕩けた微笑みをアーサーが"俺"に向ける。
 真っ直ぐに。
"アルフレッド"ではなく"俺"を視る。

 心臓が、自分と切り離されてしまった独立した存在のように、慣れない鼓動を繰り返した。
 ……と、不意にアーサーが上体を傾げて俺の胸に凭れて来て。
 まさか抱き締めるつもりなのか?

「!? ちょ、ちょっと……!」

 俺はアルフレッドだなんてまだ認めていない。否、まだも何も自分はアルフレッドではない。
 けれど、何故かこの手は俺の意思に反して押し返す事も出来ずにいる。

「…………?」

 しかし一向に背に廻される事のない腕に、俺は軽くアーサーの肩を押してその身を起こし、顔を覗き込んだ。

「……」

 ――寝てる。
 よくよく見れば目の下に隈が出来ていて、まさか昨夜も遅くまで待っていたのだろうかと俺に思わせた。
 これは、彼の目が醒めたら聞き出して、場合によっては説教をする必要性があるかも知れない。

「……鍵も開けっ放しだし。全く……君を兄と慕っていたらしいアルフレッドの気が知れないね」

 俺なら兄弟なんかではなく、こんな時も……ん?なんだ?
 俺は自分の疑問が行き着く先にある答えを考えるのを止め、腕の中の身体を抱えて歩き出す。手を掛ければ案の定鍵が開けっ放しになっていた扉から、煌々と明かりの灯るアーサーの家へ足を踏み入れた。

 



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