君の為に出来る事3
噂だけでよくそんなに知らない相手の事を語れるものだと俺が苛々し始めた頃、明るい着信音が響き渡った。
どうやらロヴィーノの隣の人物の携帯電話からだったようで、彼はロヴィーノに「今いい所なんだから邪魔するな」と小突かれながら指先で軽い操作音を奏でている。
「ヴェ!? 兄ちゃーん、ルートからメールが来たよー。長引いたけどHR終わったってー。あと、今日のアーサーが気持ち悪かったって書いてあるよー。なんかねぇ、溶けてたんだってさー」
ロヴィーノのそっくりさんのそんな声は、ロヴィーノしか喋っていない教室内によく通った。と、同時に教室の後ろのドアが勢い良く開け放たれる。
「アルフレッド! 一緒に帰ろうぜ!」
(……何てタイミングで来てくれるんだい、君は……!)
俺が恐々背後を振り向くと、其処には朝はきっちりと着込んでいた衣服を乱して息を切らせたアーサーが立っていた。
その翡翠の双眸は一心に俺を見据えて居て、顔には喜色満面の笑みが浮かんでいる。
ちら、とロヴィーノを見ると、彼は顔面蒼白にして口を開閉させながら俺とアーサーを見比べていた。唇から「アルフレッド…?」と紡がれるのが辛うじて聞き取れる。教室内はさっき迄とは比べ物にならないほど騒然としていた。
扉の向こう、アーサーの後ろでは通行人までもが"アルフレッド"に反応したのか立ち止まってアーサーを見ている。
「……はぁ……」
俺は溜め息混じりに席を立つと、ずんずんと大股で歩み寄りアーサーの腕を掴んだ。
そして足早かつアーサーを引き摺るようにして学校を後にした。
今から明日の登校が思いやられる気分だった。
* * *
「引っ越しの荷物、まだあるだろ? 手伝ってやるよ」
帰る道すがら、俺が纏う空気を読む気が無いのかアーサーがそう言ったので家に連れて来た。
本当はこんな変な人を家に上げたくなかったけど、色々と言ってやらなきゃいけない事がある。
「なあアル、学校はどうだった? 虐められたりしなかったか?」
――だと云うのに、俺がタイミングを見計らうより先にアーサーが突拍子も無い質問を何度も何度も投げ掛けて来るので、一向に本題へ移れない。
なんだい君は。久々に会った親戚か何かかい?
手だけは、お互い荷物の整理に勤しんでいた。勝手知ったる何とやらでアーサーが俺の家の中を忙しなく行き来する。
俺は手を止め、意を決して彼へと向き直った。
「どうって事ないよ。それより君、学校で有名人なんだね。しかも黒魔術とか変なオカルト方向でさ。……熱があっても骨が折れても学校を休んだ事が無いって、本当かい?」
──"アルフレッドの為"に、とは続けられずに問うと、アーサーも作業の手を止めて俺を見た。彼の特徴的な太い眉が、表情の変化に合わせてその形を変える。
「なっ! オカルトって……! え? ああ…そうだな。親に出された一人暮らしする条件が『学校を休まない』事と『成績は常に学年10番以内をキープ』でさ」
白い歯を覗かせて笑うアーサーは、どこか誇らしげに見えた。
「――そう……なんだ。……けど、だからって風邪を引いた時や骨折した時くらい……」
「はは、最初のうちは何を理由に連れ戻されるか分かんねーから必死だったんだ。今は骨が折れりゃ休むけどよ、幸いこうして元気だからな。……恥ずかしながら昔は荒れてたから、今じゃ俺の真面目ぶりに親も喜んでるぜ」
アーサーは何でも無い事のように言う。けど、結局"アルフレッドの為"には変わり無いじゃないか。
……こんなの、おかしい。
自分の表情が徐々に顰めらて行く事に、俺は気付かない。
「……君には自由があるのに、何故わざわざ縛られようとするんだい?」
「……? 別に縛られてなんかねぇよ。これは俺の意志だ。アル? どうし――」
「俺は"アルフレッド"じゃない!」
「っ……な、なんだよ。急に……」
「俺の事をアルフレッドって呼ぶの、止めてくれないかい? 今日は其れを言う為に家に入れてあげたんだ。虐められるとしたらそれが原因だね」
アーサーの目が、驚いたように見開かれている。それでも俺は、止める事が出来なくて。
「君、自分がなんて言われてるか知ってるのかい?『気持ち悪い』って、そう言われてるんだぞ。嗚呼、こんな話も聴いたよ、……アルフレッドが行方不明になったのは、君が魔術で消した所為だって本当かい?」
一度開いた口は、結局思い付くままの全て言い切るまで止まってはくれなかった。
嗚呼……彼が、彼が泣いてしまいそう、だ。
アーサーは、もう何も言い返さずにただ泣きそうなのを堪えながら俺を見ていた。
彼の細い手が、自身の服を握り締めて微かに震えている。
こんな時、どうすれば良いのか──。
普段なら、笑みを絶やさぬようにと心掛けている"僕"ならこんな事を言ったりしないから。素で誰かに接する事なんて無かったから……、どうすれば伝えられるか解らない。
君を傷付けたい訳じゃなかったんだと。
「……魔術なんて、ある筈ないんだ。……君の所為じゃないだろ? ……どんな理由があるか知らないけど、アルフレッドなんて……そんな奴、出て来ないなら忘れなよ。そんな薄情者に振り回されてる君が可哀そ――」
俺は何をするつもりだったんだろう。
伸ばし掛けた手が乾いた音を立てて払い落とされる。
「ッ……アルは! アルはまだ小学生だったんだぞ!? 怖がりで、甘えたで……俺の後ばっか付いて歩いてる……優しい、良い子だったんだ!! 無事なら、元気なら必ず此処に戻って来る!」
アーサーの目尻に涙が浮かぶ。瞬きすれば零れてしまいそうな程、その眸は濡れていて。
「けど、アルは……っアルが居ない! もしかして今も辛い目に遭ってるかも知れねぇんだぞ……ッ!! お前はアルフレッドじゃないんだろ!? なら……アルを悪く言うな……っ!!」
大きく肩で息をしながら言い切ると、とうとう堪え切れなくなったのかアーサーの双眸からは大粒の涙が止め処なく溢れ、雫が頬を流れた。
そして、其のまま背を向けて走り去ってしまう。
腕で乱雑に目許を拭う後ろ姿を、俺はただ無言で見送った。
――アルフレッドの事を悪く言うと呪われる……だって?
どこがさ。
冗談じゃない。
俺は彼の為を想って言ったんだ。
なのに、なんで俺が悪者みたいに……。
虐められるのは俺じゃない。
おかしな噂を立てられている君の方が、俺よりもアルフレッドよりも、もっと自分の心配をすべきなんだ。
俺は何も悪い事はしてないし、寧ろ迷惑を被っている被害者だ。
それなのに、この嘗てない程の罪悪感と胸の痛みは、一体なんだろう。
「ホントなんなんだい、あの人は……。……なんなんだよ、アルフレッドって……」
俺の力無い言葉に返る声はない。
今度は俺が、泣きそうだ。
◇◇◇ ◇◇◇
アーサーは、隣にある自分の家へ戻ると一目散に2階の自室を目指した。
途中足を縺れさせながら、つい昨日鍵を掛けろと言われたばかりなのに、また玄関の鍵を掛け忘れた事に気付いたが、今はそんな事、どうだって良い。
自分の部屋に駆け込めば余計堪えられなくなった涙が、一層眸の奥から溢れて来る。
黙っていても後から後から頬を伝うけれど、目を瞑ると顎から雫が滴り落ちるくらいに零れた。
倒れるようにベッドに身を預けて、歯を食い縛りながら枕に顔を押し付ける。震える両手で枕の端を力一杯握り締めた。
「アルフレッ……ッ! ふっ、……ッ……ううっ……ッああ、あああぁぁああ……ッッ!!」
本当にもうアルフレッドは何処にもいなくて、代わりに彼が……アルフレッドに良く似た誰かが、「お前の所為だ」と自分を責めに来たような、そんな錯覚に襲われる。
否、きっとそうなのだ。
今更何をした所で、自分がアルフレッドの為にしてやれる事など何も無い。
償いも謝罪も許されない。
何より今、この瞬間、アルフレッドが辛い目に遭っているかも知れないと云うのに、アルフレッドの未来をこの自分が奪ってしまったかも知れないと云うのに、ただただ泣く事しか出来ない自分が、アーサーには一番辛かった。
「ごめん……ごめんな、アル……っ」
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