かくれおに
その日は、何かがいつもと少しずつ違っていました。
「アルフレッド君、こんにちは」
私が話し掛けると、その子はすぐにアーサーさんの陰に隠れてしまいました。
もじもじと此方を窺っている様子がとても可愛らしいです。
「こーら、アル。ちゃんと挨拶しなきゃダメだろ?」
アーサーさんに背中を押されて漸く出て来てくれたその子が「キク、こんにちはなんだぞ」と云うと、アーサーさんが良く出来ましたと云うようにアルフレッド君の頭をくしゃくしゃと撫でて。二人は本当の兄弟のようでした。
そんな二人が一緒にいるのは大変微笑ましいのですが……。
「……アルフレッド君をこんな所に連れて来てよかったんですか……?」
「あー……こいつの両親、今日は夜までいないんだ。俺は家で二人で居ても良かったんだけど……」
私が訊くと、アーサーさんが困った風に頬を掻いて。
「おれもアーサーと隠れんぼしたいんだぞ!」
話を聴いていたアルフレッド君が私達の間に入って両手を挙げて主張するのを、アーサーさんは困った顔に嬉しそうな笑みを交えて繋いだ手を握り直していました。
目が合ったので、私も曖昧に笑み返す。
要は私もアーサーさんも、仲間内で一番幼いこの子にとても弱いのです。
此処は街の外れにあって、大人達も危ないと云っていた場所。
だから私は、皆さんと一緒の時は良いのですが本当は少し怖くて。
その日、いつもより更に薄暗く感じていた周囲の鬱蒼とした木々にすっかり怖じ気づいてしまって。
だから鬼になった時、私は怖くて怖くて探し回る事なんて出来なくて、同じ場所をずっと行ったり来たりする事しか出来ませんでした。
風が、少し冷たくなってきた……そう思った時。
「くしゅんっ!」
不意に小さなクシャミが聞こえて来て。
誰か近くに居るのだと安心した私は、その声の主が誰かも考えずに思わず歩み寄ってしまったんです。
私のこの行いが、悲劇の幕開けになるとも知らずに。
次の瞬間、物陰から飛び出して来たのはアーサーさんでした。
たった今自分が飛び出して来た背後を庇うように立ちはだかって、アーサーさんは、彼にしては珍しい茶目っ気を含んだ悪戯な笑みを浮かべてこう云いました。
「あー! 見つかっちまったー!」
アーサーさんとアルフレッド君に鬼が回らない理由は、一つに幼いアルフレッド君を連れているアーサーさんを、私を含めた皆さんが意識して一番に見付けるのを避けていた事。
でも本当はそんな理由なんて只の建前で、元からアーサーさんは隠れ鬼がとても上手かったんです。アルフレッド君が居ない時だって、アーサーさんは見付けようとしても簡単には見付かりません。
ですから、そんなアーサーさんの報に付近で隠れていた皆も出て来て。騒ぎの渦中の間に、私の鬼の番はアーサーさん一人を見付けて終わりとなりました。
隠れ鬼は、最近の私達の間でちょっとしたブームのようなもので。
学校でも、家でも、出来そうな場所なら一通り皆で遊びました。
その中でもこの場所でやる隠れ鬼が一番特別。
とても怖くて、けれどその恐怖や期待から来る極度の緊張感が子供心にとても刺激的で。
普段は絶対に一番に見付かる事のないアーサーさんが見付かってしまったので、皆もここぞとばかりに囃し立てました。
此処での隠れ鬼の鬼は、私達の中である意味、一種の罰ゲームのような好んでやりたくないものの筆頭でした。
ですから、私もほんの少し……アーサーさんがこの場で鬼をした事が無いのを羨んでいて。
負けず嫌いのアーサーさんは誰に云われる迄もなく俄然やる気で。
なので、この場にアーサーさんがアルフレッド君の傍を離れる事を止める人はいませんでした。
「アーサー……」
今にも泣き出してしまいそうなアルフレッド君を、少し離れた場所でアーサーさんが宥めて。
そうして、私達にとって最後の隠れ鬼がスタートしたのです。
夏の……とても蒸し暑い日でした。
「……あ、菊。アルの事、頼んでいいか?」
廃墟と化した洋館の外。辺りを鬱蒼とした木々に囲まれ、手入れの成されていない植物達が生い茂る丁度正門からは裏側の、誰がどちらへ逃げたか判らなくて隠れる場所の少ないこの場所が、隠れ鬼のスタート地点。
「分かりました。……では行きましょう、アルフレッド君。」
「うん……」
洋館の壁に腕を着いてそこへ目を伏せた瞼を押し当て、アーサーさんが大きな声で数を数え始める。
そんなアーサーさんに背を向け、泣き出しそうなアルフレッド君の手を引いて歩き出した時……私は漸く、自分は間違った事をしてしまったかも知れないと思い始めました。
「キク」
小さな手に袖を引かれ、罪悪に蝕まれていた私の思考がハッと我に返る。
「あ……どうしましたか?」
「そんな悲しそうな顔してると、おれもアーサーも悲しいんだぞっ」
気丈に振る舞う笑みが、痛々しくて……温かい。
子供は敏感と云うのは、恐らく本当なのでしょう。
「もし、おれたちが見つからなくなっても、アーサーがぜったい探してくれるから大丈夫なんだ」
「ありがとう、アルフレッド君」
「うん! ……それでね、あのね、キク」
「? どうしましたか?」
「おれ……、やっぱりアーサーにすぐ見つけて欲しいから、アーサーの近くにかくれるよ」
恥ずかしそうに笑うアルフレッド君は、アーサーさんの背後から小さく顔だけ覗かせたあの時の可愛らしさで。
やっぱり二人は、一緒に居なくてはと改めて思いました。
「分かりました、きっとアーサーさんも喜ばれますよ。……では、気を付けて下さいね」
私がそう云って緩む頬を隠さず微笑むと、アルフレッド君はとても嬉しそうに笑みを浮かべて踵を返して。
今ならまだ、アーサーさんの声も聴こえている。
これでは次の鬼がアルフレッド君になってしまうけれど、私が鬼に立候補しよう。さっきは殆ど鬼の役目を果たせなかったのだから。
もしも誰かに反対されたら、その時は今日はお開きにしましょうと、はっきり云おう。
この時私は、アルフレッド君の心配なんて……少しもしていませんでした。
「菊! 見付けた!」
息を切らせたアーサーさんが、安堵した表情で私を見る。
私は隠れる側でもやっぱり怖くて、遅いですよ、なんて文句を云おうとして……ですが次の言葉を聴いた瞬間、それまでの緊張感よりも余程激しい動悸が私の胸を震わせました。
「──……なあ、アルフレッドは?」
「え……?」
きょろきょろと私の背後を窺っていたアーサーさんが、私の顔を見て青ざめる。
きっと、今、私も同じような顔をしているに違いありません――。
「……一緒じゃ……ないのですか?」
「どういう事だ……?」
「アルフレッド君は……アーサーさんに早く見付けて欲しいからと云って……あの後直ぐに私とは別れて……それで……」
「なん……だって? っアルフレッド!!」
弾かれるように来た道を駆け戻って行くアーサーさんの後を、私は直ぐに追う事は出来ませんでした。
「そん、な……」
「みんな! アルが……! アルフレッドがいないんだ!」
遠くから、アーサーさんの悲痛な叫びが聴こえて来る。
皆で捜してもアルフレッド君の姿は何処にも見当たらなくて。
廃墟から一番近いアーサーさんの家まで皆で走って行って、アーサーさんの家族の方が警察に連絡して。
大勢の人が捜して……夜になっても、アルフレッド君が見付かる事はありませんでした。
アーサーさんが、泣きじゃくりながらアルフレッド君の御両親に謝罪しているのを……、私は……皆も、放心したように遠巻きにただ眺める事しか出来ずにいて。
皆……本当は謝りたかったけれど、謝ってしまうと自分の罪と責任を認めてしまう気がして……、怖かったのかも知れません。
けれど、私には……。
「最後にアルフレッド君を見たのは誰ですか?」
メモ帳とペンを手にした警察の方が、声だけは子供向けに柔らかく、けれど真剣な目つきで私達を見回す。
「っあ……わた…私です……」
「じゃあその時の状況を詳しく聴かせてくれるかな? どんな些細な事でも良いから」
「あ……はい、あの……」
警察の方の目が、背中に刺さる皆の目が何も語らなくても、私が私を責める。
私が、私が……私の――……。
『そんな辛気臭い顔をする事を、アルフレッドが望んでいると思うのかい?』
『そんな悲しそうな顔してると、おれもアーサーも悲しいんだぞっ』
突然聴こえて来た声に、それまで鮮明だった映像が突如として歪んで。
「……──ッッ!! ……はぁ……っ、は……夢……」
布団の上で飛び起きた汗だくの身体を、再び敷布に横たえる。
大きく息を吐くと少し落ち着いて、私は目を閉じてつい最近の事を思い返しました。
『菊っ! アルが……アルフレッドが帰って来たんだ!! また俺の家の隣に住んでる! ……けどあいつ、何か事情があるらしくて"マシュー・ウィリアムズ"とか名乗っててさ……なあ、何か判らないか? 俺、あいつの力になりたいんだ』
『分かりました。では取り敢えず近隣の学校に転入生が居ない調べてみますね』
『菊……っ、……あいつ、自分の事アルフレッドじゃねぇって……俺、っ嫌われて……!』
そう聴いて、飛んで行った自分もきっと、周囲がアーサーさんに向かって云うような"アルフレッド病"に、違いなありません。
(……アーサーさんを嫌うだなんて、最初はあの子である筈が無いと思いましたが――)
『ッ……お……れは……、……記憶喪失なんだ──』
(今は、そうであってくれればどんなに良いかと)
あの夢を見た後はいつも眠れないけれど、何だか今日はもう一度眠れそうで。
(……あの時、あの幼い頃、何も出来なかった……何もしようとすらしなかった私に出来る事は……今更あるでしょうか)
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あとがき
なんと言いますか、全力で自責して全力で謝って、けど一応アルの両親には許されて、今ではアルフレッドを探す事に全力を懸けてるアーサーより、誰にも謝れなかった=誰からも許されなかった菊の方が、感じている罪悪感は強かったり。
「謝る」って、勿論悪い事をしたら相手に云わなきゃならない事だけど、でもその中には「自己満足」的な要素も少なからずあると思うんですよね。もちろん臨機応変、その場その時によりけりですが。
アーサーに対して謝ったりしたら、アーサーが「そんな事ない、お前の所為じゃなくて俺の所為だ」とか云うのは目に見えているから云えなくて。
そんな消化不良な思いが、どんなに「忘れよう…」って思っても忘れられなくて、寧ろ忘れようとした事自体がまた自分を責める材料になって。
そんな複雑な葛藤を書きたいなと。そう思って書いた過去編でした。
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