君の為に出来る事1
「アーサー……おれがいなくなっても、かならず見つけてくれるかい?」
アーサーは勿論だと、繋いだ手をぎゅと握って安心させるように力強く頷いた。
不安で曇るアルフレッドの表情が微かに和らぐ。
「うんっ、約束だよ!」
こんな可愛い事を言われては後ろ髪引かれてしまうが、今は隠れ鬼の最中で、次の鬼はアーサーの番だった。
そうだ、ただそれだけなのだ。
心配する事なんて何も無い。
ずっと繋いでいた手を離すと、アルフレッドがまた表情を曇らせて見上げて来る。
小さな小指を差し出して来るので、同じように差し出して結んでから離した。
子供ながらの約束の儀式だ。
ふっ、と思わず緩む頬がアーサーに笑みを作らせる。
自分より年下のアルフレッドに腰を屈めて視線を合わせると、雨上がりの晴れた蒼い空を思わせる瞳に視線を合わせて柔らかな金糸の頭に手を乗せた。
「怖くなったら、俺を呼べばいい」
「…うん。なら──」
アーサーは其処で目を醒ました。
カーテンの隙間から入り込む光が眩しい。
もうこんな時間か、アーサーは枕元の携帯電話を開いて時刻を確認すると、ベッドの上に上体を起こした。
――わかっていた、あれは夢だと。
何度も何度も繰り返し見た、昔の夢だ。
もう10年も前の。
当時、隣の家に住んでいて、弟のように想っていたアルフレッドとの最後の記憶。
「くそっ、アルフレッド……」
思わずぐしゃぐしゃと前髪を掻き乱す。
あの時、力強く笑み返してくれたあの子は、なんと言っていたんだったか。
忘れたくない、忘れてはいけないのに、時の流れは少しずつアーサーの大切な記憶を奪っていった。
* * *
今思えば、よくあんな古びた廃墟で隠れ鬼などしたものだ。
アーサーは階下に降りて歯を磨きながら、今朝見た夢の所為でまだ醒めやらぬ思考を遠い過去へと馳せた。
よくある『お化け屋敷』なんて子供達の間で噂になっていた、広い敷地の鬱蒼とした庭を陣取る洋風の大きな空き家。
小高い場所に建っていて、背後にそびえる森が余計に不気味さを引き立てていた。
学校からも親からも、再三「近付くな」とは言われていたものの、街の外れにあって親達の目は届き難く、壊れた門は簡単に子供達を受け入れてくれた。
しかし簡単に受け入れてくれはしたが、帰してはくれなかった。
その不気味な洋館が、大切なアルフレッドを消してしまったのだから。
(俺が……俺があの時、アルの傍を離れなけりゃ……)
ピタと手を止めたままぼんやりしていると、不意に外が騒然としている事に気付いて窓の外を見る。
隣の家の前に大きなトラックが止まっていて、どうやらトラックの中から家具などを運び出しているようだ。
アーサーは一瞬で覚醒する。
「なっ……引っ越し!? 俺は聴いてねぇぞ!!」
口の中に溜まった泡を吐き捨て、歯ブラシも放り出してアーサーは玄関へと走った。
1秒でも早く、自分の許可なく隣の家へ越して来た不届き者へ怒鳴り込んで速やかに追い出してやりたかったが、アーサーには1日も欠かせない日課があった。
アルフレッドが居なくなって、警察も役に立たないと分かってから自分なりにアルフレッドを探そうとしている内に見つけた、今の自分のたった一つの拠り所。
アーサーは黒魔術書の捜索術系人肉網羅章第365頁に記されていた内容を思い起こす。
(家を出る際は、扉に向かって掌を翳し、呪文を唱える。そうすればいつか、待ち人が、この扉の向こうに――)
「ほあた!!」
ガチャ
アーサーが唱えた呪文に、扉が開かれる音が重なる。
アーサーは驚いて目を丸くした。この儀式を始めてから今まで、扉が勝手に開いた事など一度もない。
「………。この呼び鈴、壊れているみたいですよ。あと、不用心だから鍵は掛けた方が……」
しかし扉は魔術で開いた訳ではなく、外側から人の手で開けられたようで。
無遠慮に扉を開けて姿を現した男は、玄関先で掌を突き出したポーズのまま固まるアーサーに一瞬面食らったようだが、直ぐに落ち着いた声音で扉を開けた理由を述べる。
そして次の瞬間、男はぷっと小さく噴き出した。
「……口のとこ、歯磨き粉が付いてるんだぞ」
指摘を受けたアーサーは、慌てて口元を掌で隠しながら改めて男を見上げる。
心臓がバクバクと煩い。
自分より背は高いが、眼鏡だが。金髪で、前髪の分け目から一房クルンと阿呆毛が飛び出していて、青い目で、あんなに可愛らしかったのに随分と男前に成長してしまったが……見間違える筈がない。
「ア……、…ア……」
驚いた表情の侭どもって言葉を紡げずに居るアーサーに構う事なく、からかう様な表情を元の余所行きの表情に戻して男が続ける。
「ああそれと……君、隣に越して来る人間をあの手この手で追い出して来たらしいけど、あそこは土地の権利ごとウィリアムズ家が買い取ったんだ。妙な真似はしないでくれよ? それじゃ、僕はこれで」
「ア……ル、…あっ! 待っ……!」
漸く絞り出した言葉は、無情にも閉められてしまった扉により相手には届かない。
アーサーは歓喜で震えて金縛りのように動かない身体を叱責して走り出した。
「アルフレッド!!」
左右違う靴を履いて出てしまった事にも気付かずアーサーが叫ぶと、引っ越し業者に指示を出していた男が……アルフレッドが怪訝な顔で振り返る。
アーサーは興奮で頬を紅潮させながらアルフレッドへ歩み寄った。
「覚えてねぇのか? はは、無理もねーか……お前、まだ小さかったしな……。今迄どこで何して――」
触れようと伸ばした腕が、しかし途中でやんわりと振り払われて止まる。
「どなたと勘違いされて居るのか分かりませんが、僕は"マシュー・ウィリアムズ"です」
「え……っ?」
小首を傾げて浮かべる柔らかな笑みは昔のアルフレッドを彷彿とさせたが、決定的に違う。
(目が笑ってない……、…アル……?)
「アルフレッ……」
「ですから、僕は――」
「いや、お前はアルだ! なあアルフレッド、本当に俺の事……」
――忘れちまったのか?
再び伸ばした手を、今度は乾いた音を立てて払い落とされた。
気付けば引っ越し業者の人間は皆、運び入れの作業で家の中にいるようで、辺りにはアーサーとアルフレッドの二人しかいなかった。
マシューと名乗るアルフレッドの纏う空気がガラリと変わる。
「君の言うアルって子は、こんな男だったのかい?」
その顔は呆れているようにも軽蔑されているようにも、何処か苦しそうにも見えた。
払い落とされた手がジンジンと痺れている。
アルフレッドは人に手を上げるような子ではなかった。
しかしアーサーは、確信めいたものさえ感じているのだ。
「っあ……」 冷めた一瞥を残して去って行く背中を呼び止める事は出来ないけれど。でも、あれは……あれは確かに。
(アルフレッド……一体どうしたんだよ……? あの日から今日まで……何があったんだ?)
その日の夜、アーサーはなかなか寝付けずにいた。
あれから何度も考えてみたが、矢張り彼はアルフレッドだ。
何か事情があるに違いない。
長年続けてきた数々の魔術が成就したのだ。
そう思ってしまえば、沸き起こるのは喜びばかりだった。
(嬉しい……嬉しい。アル……生きてた。また逢えた。良かった……本当に良かった……)
両親の転勤が決まった時、一人でも此処に残ると無理を言って良かった。
アルフレッドが居ない家にいるのは辛いと、何年か前に隣の家から引っ越してしまった彼の両親とは会えたのだろうか。
この場所だけが、隣り合った自分達の家だけが、残されたアルフレッドとの最後の繋がりだった。
けどそれももう。
(逢えた……アルに逢えた。アルフレッドが帰ってきたんだ)
昔と比べると今は随分と逞しく育っていて、嬉しいような……少し寂しいような。
(今の俺は、お前に何をしてやれる……?)
徐々に襲い来る睡魔に、アーサーは瞼を伏せた。
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