君がいる明日 - main
君の為に出来る事

君の為に出来る事12


「おい、お前。俺と一緒に来て貰うぜ」

「え……、あのっ、その……僕は……」

 ついつい強制的な物言いになったし、うっかり睨んだのも悪いと思わなくはない。
 しかしそんな怯えた様子で蒼い顔をされると、罪悪感よりも苛立ちが先立ってしまう。
 思わず眉間に力を込めたアーサーに、椅子に座るマシューは意味の成さない身振り手振りを止めて手を膝の上へ降ろし、ぎゅっと握り拳を作った。
 震える唇がそっと開かれる。

「……僕の……」

 そしてまた閉ざされた唇に焦れて再びアーサーが口を開こうとした瞬間、フランシスが発した呆れたような言葉に驚いて思考が一瞬止まった。

「おいおい、堂々とうちの子の誘拐宣言しないでくんない?」
「なっ、うちの子……だと? お前まさか、」
「ねぇちょっと待って、ちょっと待って? お兄さんそんな歳に見えないよね!?」
「っなら変な言い方すんな! つか誘拐とか人聞きの悪い事言ってんじゃねぇ!」
「いやお前、入院着着て倒れてるとか自分がどんなに不審者か分かってる!?」
「うるせえ黙れ! 髭毟るぞ!」

 反射的に身を乗り出して怒鳴ったら、身体のあちこちが痛んだ。顔を顰めながら静かに身体を戻して八つ当たりに恨みがましく睨む。「ああもう何なのこの坊ちゃん!」などとフランシスが悲痛な叫びを上げたが、アーサーは無視をした。

「はぁ……取り敢えずお互いさ、自己紹介と行こうじゃないの」

 フランシスの提案に、視界の端に映るマシューを一瞥してからアーサーは無言で頷いて。
 少し離れた位置にある机の上から洒落たカードケースを手に取る指先を目で追った。

(あ、俺の財布と携帯……)

 菊が家から持って来てくれた其れらを同じ机の上に見付ける。
 ちゃんと持って病院を出てたんだな、そんな事を思っていると、1枚の名刺を手渡された。意識を紙面の印字に向ける。

「森の神父さんだぁ?」

 アーサーはフランシスに差し出された名刺を胡散臭げに見遣った後、ペイと放り投げた。
 放り投げたと云っても小さな紙面は力無く宙をヒラヒラと舞い、最後は床に落ちる。
 その様子を焦ったように見守っていたのは1人だけで、慌てて拾い上げようと手を伸ばしたのもマシュー1人だけだった。
 小さな紙面は今、彼の手の中にすくい上げられている。
 巫山戯るな、睨みに意図を込めた。

「此処は孤児院を兼ねた教会でね。まあ、今は俺とこの子の2人しか居ないんだけど」

 自分の名刺を無碍に扱われた本人、フランシスはさして気にする風も無く、自身の説明に肩を竦める。
 その様子は相変わらず何処か飄々としているものの、其処に揶揄は無く。
 先の「自己紹介」が至って真面目な提案と分かりアーサーも余計な口は噤んだ。

「俺はフランシス・ボヌフォワ。神父としてはまだ未熟だけど、一応此処の責任者だ。こっちはうちで育ったマシュー。……宜しく?」

「………」

 宜しくしてやるつもりは無いから其の言葉は言ってやらないが。

「……アーサー・カークランドだ」

 フランシスに手を差し出され、かなり嫌々と握り返した手を軽く振られた。

「へぇ、カークランド?」

 面白がるようにファミリーネームを復唱され、ベッドの上に身体を起こす自分より高い位置にある髭を睨み付ける。引っこ抜きたい衝動に駆られるが此処は我慢だ。

「……んだよ、文句でもあるのか」

「いーや? ふ〜ん、へぇぇ……」

 交わした握手を解きながら、ファミリーネームが何に引っ掛かるのかフランシスが顎に手を当てながらジロジロニヤニヤと見るのにアーサーは眉を潜める。
 先程の真面目な雰囲気は何処へ行ったのか。ぐ、と拳を握った所で、マシューが仲裁に割って入った。

「あ……あの、お二人とも、落ち着いて下さい……」

 乱入者へと視線を移す。
 そして思い出した、と同時になんて影の薄い奴なんだと思う。
 自分の目的は彼である筈なのに、気付けば髭の男とばかり話している現状にアーサーは苛立ちを覚えた。

「……おい、お代わり」

 これまでの会話の流れを全部無視して顎髭に押し付けるようにずいと器を突き付ければ、フランシスは「お前ね…」と呆れつつも空の器を受け取り、そしてマシューを呼んだ。

「ったく……マシュー、頼めるか?」
「あっ……は、はい!」

 目の前で行われる遣り取りに内心で舌を打とう…

「……チッ」

 として実際に口から漏れた。
 フランシスをこの場から追い出す為の策が、あっさりと崩されてしまった。
 アーサーの舌打ちにビクリと肩を震わせるマシューの背を見送る。
 作戦が失敗して更に苛々と暗澹たる表情で睨んで居ると、不意にフランシスが声のトーンを落として真剣に話し掛けて来た。

「……で? お前なんなの? マシューの知り合いか何か?」

 その目は今度こそ、今日見た少ない中で一番真剣な眼差しをしていて。
 どうやらアーサーがマシューと話したいと思っていたように、フランシスも個人的に話があったらしい。
 先に外堀から埋めるかと、自然と伸びた背筋でアーサーも真剣な眼差しを返す。
 脳裏に浮かぶはアルフレッドの泣き顔、そして笑顔。

(取り戻す為なら、俺は……)

「──あいつが本物のマシュー・ウィリアムズだとしたら、俺の大切なヤツが……あいつの身代わりみたいになってんだ。俺は……アルを自由にしてやりたい。その為なら俺は何だってしてやる」

「……なんで今更?」

「アルは、つい最近まで記憶喪失だったんだ。昔の記憶が無くて、自分がウィリアムズ家の人間だと思って過ごして来た……。けど、思い出しちまったんだ……! アルは、苦しんでる」

 言いながら、自分の方が苦しくなって来てアーサーは胸を押さえた。
 駄目だ、喩え思い出したのが自分の所為で、苦しんでいるのが他でもないこの自分の所為だったとしても。
 今は悔いている時間じゃない。

「――なる程ね……。つかそいつ、お前の何なの?」

 意外にもフランシスは真剣だった。
 顎に手を当てて何事かを考え込む素振りは、アーサーの言葉からフランシス自身が欲しい情報を組み立てているようだ。
 否そんな事はどうだっていい。
 フランシスの問いを頭の中で繰り返す。
 大切で、愛しくて、何にも代え難い存在。
 自分の心を占めて止まない存在。

「家族……弟、みたいなもんだ」

 愛おしむように紡いだ後、アーサーは真剣味を湛えた深い海の蒼を睨み上げた。
 この男の事は睨んでばかりいるが、これは違う。
 これは強い決意の現れ、目の前の男への宣戦布告。
 鳩尾の辺りに力を込めた。
 負けない、譲らない、後に引かない、そんな思いを込めて。

「俺はどんな事をしてもあいつを自由にしてやるって決めたんだ。どんな事をしてもだ! 邪魔するってんなら……」

 言葉の途中、のんびりとした足音が響く。
 シチューを器に盛り付けたマシューが戻って来た。
 フランシスへちらと視線を遣ると、既に彼はアーサーに背を向けてマシューと一言二言交わしながら器を受け取っていて。
 話し合いは中断か、そう思いながらも器を受け取る。
 空腹で頼んだ訳では無かったが、良い匂いにはび食欲がそそられる。フォークに伸ばした手が、次にフランシスから放たれた言葉でビクリと揺れた。

「好みのタイプだろ? 金髪で身長こんぐらいでさ、……一発やらせて貰えば?」

「……は?」
「フランシスさん!? 何を……」

 突如聴こえた声とその内容に、アーサーは取り落として床に転がるスプーンより自分の間抜け面より何より、言葉を発した人物の頭を疑った。
 しかしその眼差しは、恐らくは話の内容の当事者の一人である筈のアーサーには見向きもせず、マシューだけを捉えていて。

「……そんで自分の家に戻って、嫌だと思ったなら改めて家を出れば良い」

「フランシスさん……!」

「ちょっ……待てよ! 俺は男だ! つか大体何でンな事……」

 アーサーは声を張り上げた。
 発見時には泥だらけだったろう服は今は身に着けていない。この薄い胸板を見て何を言っているのか。

「んー? 何でもするんじゃなかったのか?」

 横目を流され緩く口角を上げて笑む姿に、お前の覚悟は其の程度かと問われているような気にさせられる。ギリ、と奥歯を噛み締めた。
 嗚呼そうさ。何だってしてみせる。
 しかしマシューさえ断ればこの馬鹿げた取り引きは成立しない。
 マシューに向けて万感の思いを込め、ギッと音がしそうな程に強い視線を送った。

「……僕は……! ……僕は……」

 憤った様子で言い淀むマシューは、途中でフランシスへ向けていた視線を床に落とした。
 シチューの器を持って来た時のまま、立った姿勢で俯くマシューの様相は、アーサーの位置からは良く見えて。

(……何だ……?)

 何がそんなにマシューの、アフレッドと似た顔を悲痛に歪ませるのか。
 アーサーが手を伸ばし掛けたその時、

 ──プルルルル……

 味気ない電子音が室内に鳴り響く。
 3人で一斉に音がする方へと視線を向けた。

「あ、俺の……」

 見覚えのある其れに思わず声を発すると、一番近くにいたフランシスが「ほら」と手に取って投げて寄越す。

(……非通知? 誰だ?)

 中を開けると非通知着信だった。

「あー……俺ちょっと、」
「ん。あーっと……これ着てけ」

 ベッドから降りると、片手で俺を制して辺りを漁っていたフランシスがシャツを投げて寄越した。
 鳴り続ける電話をベッドに置いて頭からシャツを被る。
 次いで渡されたハーフパンツに脚を通しながら俯いた侭のマシューに視線を移せば、ばたばたと慌ただしいアーサーにつられてか、アルフレッドと良く似た顔がゆっくりと上げられた。
 力無い藤紫の双眸に、やっぱりその顔には笑っていて欲しいと小さく微笑みを向けながら、アーサーは2人を残して部屋を後にした。



 部屋を出て移動の途中、視界の端々に映る内装は、壁に子供の描いた絵が貼ってあったり、大きな机の周りをサイズの異なる沢山の椅子が取り囲んでいたりと、なるほど孤児院というのも頷けた。
 もう話し声が届かないかという所で携帯電話を開くと、丁度留守電に切り替わってしまった所で。
 留守電メッセージが録音された後に画面が待ち受けへと切り替わる。

「……うっ……」

 着信8件、履歴を見ると菊の名前がズラリと並んでいた。

(そりゃ、車に轢かれた入院患者が脱走したら心配するよな……)

 それでも、不謹慎ながら嬉しさに口元が緩むのを隠せない。
 友達って良いな、そんな思いで画面を再び上までスクロールすると、躊躇いつつも受信した留守録の再生ボタンを押す。

『やあアーサー』

(……アル!?)

 咄嗟に両手で受話口を耳に押し当てて神経を研ぎ澄ました。


「…………」


 メッセージの再生を終えた携帯をゆっくりとたたみ、来た道を戻る。

(バカか……俺がお前の声聴いて、嘘か本当か分からない訳ねぇだろ)

 元居た部屋に戻ると、2人の様子も確かめず、声も掛けずにマシューの肩に手を置いた。

 待ってろアルフレッド、俺が―――。

「やるなら早くしようぜ。その後は、俺に付き合って貰うけどな」

 



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