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君の為に出来る事

君の為に出来る事11


 ふらふらと病院を離れた後、タクシーを拾って家まで帰って来た。
 そうして直ぐにベッドへ潜り込み、訳も分からず込み上げる嗚咽を噛み殺しながら眠りに就いて。
 翌朝の目覚めが、最高に最低な気分だったのは言うまでも無いだろう。



 今日は日曜日。昨日の騒動が嘘のように静かな朝を、俺はベッドの上でぼんやりと過ごしていた。

 家に帰る途中、懐かしいあの洋館の敷地前を通過した事を思い出す。
 遠い日々の記憶は、徐々に思い出されて来た。
 俺が最後に"アルフレッド"だった日の事、本当の父さんと母さんの事。
 思い出したばかりの記憶はまだ、どれもが朧気のような、それでいて鮮明のような、酷く曖昧さを帯びていた。
 ただ一つ言える事は、彼の存在だけはいつの場面だってとても鮮やかだと言う事。

 忘れていた記憶の中、一番最後に見たアーサーの顔を思い出す。
 あの日は隠れ鬼をしていて、鬼になったアーサーの代わりに一緒に居てくれようとした菊の傍を離れ、アーサーの元へ行こうとしたんだ。アーサーに、早く見付けて欲しくて──。
 しかし記憶は直ぐに途切れてしまう。
 何度か思い出そうと記憶を漁って───止めた。
 思い出した所で、仕方が無いじゃないか。

(俺は、この運命を背負って生きると決めたんだ)

 泣いて喚いて泣き疲れて眠って、そうしたら少しだけれどすっきりした。
 クリアな頭で考えるのは、どうしたってアーサーの事で。

(また俺は、彼を傷付けた……)

 思わず漏れる溜め息は、誰も聞いてないとは言え我ながら実に情けなく響いた。
 彼の泣き顔を思い出せば自然と眉間に皺が寄って、胸が苦しくなる。

 次に彼と逢ったら、今度こそ優しくしたい。

「アーサー」って、呼べばきっと彼は喜んでくれる。あの人は、そういう人だ。

 そうして自分は、彼の前でだけ以前の、自分本来の"アルフレッド"に戻れるのだ。

 そんな生活も……彼が傍に居てくれるのなら悪くない。

 あの頃の俺は、ただ護られるだけの存在だった。
 けれど今は、望めば大きな力を手にする事が出来る。それに見合った努力はして来たつもりだ。
 その力を彼の為だけに使う事は出来ないけれど。それでも。

(今の俺が彼の為に出来る何かが、きっとある)

 ぐっと腹筋に気合を込めて上体を起こす。
 そのままベッドを抜け出して、今日の予定を立てながら身支度を整えて。

 現金な事に、頭の中では既に彼との仲直りは出来ていた。

 だって思い出したんだ。
 悪い事をしたと思った時は「ごめんなさい」、これも彼が教えてくれた事。

 自分の部屋を出て階段を降りる途中、不意に聴こえて来た電話の音に足を早める。
 電子音に急かされるように出ると、育ての親の父さんだった。

(今はまだ、出来れば話したくなかったな……)

 そんな心境から僅かに強張る声を、平常に保てるよう意識する。

「父さん? どうしたんだい?」

 しかし何故か父さんからも何処か重々しい雰囲気が伝わって来て、俺は嫌な予感を覚えた。

「──え……母さんが?」

 これから行こうと予定したのは、アーサーのお見舞いだ。
 今度こそ、彼とゆっくり話したかった。
 しかし、けれど。

「……分かった、直ぐに行くよ」

 何故か先程よりも強くなった嫌な予感を、頭を左右に振って払う。
 鞄に適当な荷物を突っ込んで、俺は家を後にした。









「え……っと」

 家に着くと、俺を迎えたのは罰が悪そうな父さんと、いつものように優しげに……そして楽しそうに微笑う母さんと、見知らぬ女の子だった。

 え……あれ?母さんの容態は?

 もしかしなくても俺は謀られたらしい。
 無事な姿に安堵で肩を落とすも、何故か嫌な予感は一向に収まってくれなくて、脳裏で警鐘を鳴らしていた。

 そんな俺に女の子が手を差し出す。
 長い茶色の髪を揺らした、勝気そうな可愛い女の子だ。

「……君は?」

「初めまして、エリザベータ・ヘーデルヴァーリよ。あなたの婚約者の」

「…………は?」

 俺は素っ頓狂な声を上げて直ぐに父さんと母さんを見る。
 父さんは相変わらず申し訳無さそうな顔をしていたけれど、母さんの次の言葉が先程の自己紹介が聞き間違いなんかじゃ無い事を俺に教えてくれた。

「早く可愛い孫の顔が見たいわ」

 そして衝撃で二の句が告げない俺を残して、父さん達は「後は若い者同士で」等と言って奥の部屋へと引っ込んでしまう。

「え……ちょっと待って。君……貴女は、この話をどう思ってるんですか?」

「勿論、大歓迎だわ」

 花のヘアピンを髪に差した彼女がにっこりと笑みを浮かべた。

「そ、そう……なんだ……」

 ヘーデルヴァーリ……ヘーデルヴァーリ、確か聴いた事がある名だ。
 母さんは兎も角、父さんは少し細かい所があるから、その父さんの眼鏡に適うなら良家の御息女様なんだろうけど……何だろう、この、少しでも油断すると呑まれそうな雰囲気は。

(俺が以前の"マシュー・ウィリアムズ"なら、父さんと母さんの期待に応えたかも知れないけど……)

 俺は少し申し訳無い風を装って目の前の彼女を見据えた。

「……悪いけど、」


「"アーサー・カークランド"」


 突然発せられた名前に、ぴく、とこめかみの辺りが微かに反応する。
 ――大丈夫、気付かれては居ない筈だ。
 その名前は、こんな得体の知れない人間に知られていい名前じゃない。

「……誰だい? それ」

「昨日、あなたを庇って事故に遭った人よ」

 俺は動揺を表に出さずに居られているだろうか。
 何なんだ、一体。
 黙っていると、恐らく睨んでしまっているであろう俺に対抗するように堂々たる態度で真正面から見据え、エリザベータが腕を組んだ。

「……あなたの事、少し調べさせて貰ったの。ねえ……彼の事、おば様に言ったらどうなるかしら」

 ――その瞬間、俺の中で割りと殆どの事がどうでも良くなった。
 そして一つの確固たる結論を導き出す。

 こいつは……敵だ。

「……まさか昨日の事故は君が?」
「さあ、どうかしら」
「…………目的は」
「お金よ」

 どんな些細な変化も見逃すまいと神経を研ぎ澄ませて投げた問いに対して、返って来たのは単純明快、実に判り易くてシンプルな答えだった。
 もしアーサーの事がウィリアムズ家に知れたら。
 自分が過保護に育てられて来た自覚はある。もしも父さんや母さんに、アーサーに関してある事ない事吹き込まれたら──。


 ──嗚呼、今の俺が君の為に出来る事を見付けたよ。

「……良いよ」
「それじゃ……」
「結婚しようか」

 ――アルフレッドの呪縛を、解く事だ。

「え?」

 ほっと安堵したように綻んだ表情が、今度は驚きに固まる。そんな様子を、もう可愛いだなんて思えなかった。
 俺がこんなにあっさり承諾するとは思わなかったのか、途端に慌てふためく様子を冷ややかに眺める。

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」

 喚く声に背を向けて歩き出した。
 向こうの提案は呑んだのだから、父さんや母さんに婚約受諾の報告でもして好きに話を進めれば良い。

 上手く俺の弱点を突いたつもりだろうけど、実に馬鹿だね。
 それが両刃の剣だという事は知らないのか。
 今の俺は、何でも出来る気がする。
 今度は俺が、彼の為に――。



 エリザベータをは追っては来なかった。
 人気の無くなった所で俺は荷物の中から携帯電話を取り出しす。
 菊から貰った連絡先のメモを片手に番号を押して、用を終えたメモの代わりに、新たに紙とペンを取り出して。

 何回かコール音が鳴った後、目的の相手が出た。何故だか少し焦っている声を遮る。

「やあ菊、俺だよ。分かる?」

『アルフレッド君ですか!? 今どこに……っ』

「ちょっとアーサーの連絡先を教えて欲しいんだけど」

『わ、分かりました。………です、今そのアーサーさんが……!』

「アーサーの事は君に任せるよ。……頼んだからね。それじゃ、――元気で」

『まっ、待って下さい! アルフレッド君!?』

(……ごめんね、菊)

 菊の言葉を碌に聴かずに通話を切る。
 最優先事項はアーサーの安全を確保する事だ。今は入院中だし、菊に任せて於けば大丈夫だろう。
 その間に、俺が――。

 いつもと少し様子が違ったのが気にならないと言えば嘘になるけど、そんな事を言ったら自分だって大概可笑しい。
 携帯電話を持つ手に無意識に力を込め、今度は教えて貰ったばかりのアーサーの番号を一つ一つ順に押した。

 声を聴いたら、決心が揺らいでしまわないだろうか。
 否、喩え心が揺れた所で、俺の仮面は筋金入りの年代物だ。本気を出せばボロなんか出る筈がない。
 そう、自分に言い聞かせる。
 何回か続いたコール音が途切れた。

「──やあアーサー、具合は……いや。それより今日、お見合いをしたんだ」

 幼い頃、出逢った時からずっと彼を好きだったこの気持ちに、今なら名前を付ける事が出来る。
 今思えば、昨日あんな別れ方で終わって良かったのかも知れない。


「とても気が合ってね、結婚する事に決めたよ。俺はこれからマシューとして生きる。学校も辞める。俺が、そうしたいんだ。だから君とはもう――逢えない」



 アーサー、アーサー。
 ずっと俺に尽くしてくれた人。どうかこれからは、自分の為に。

 



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