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君の為に出来る事

君の為に出来る事10


「ここは変わらねぇな……」

 アルフレッドが行方不明になったあの日から張り巡らされた立ち入り禁止のロープを慣れた手付きで掻い潜って、アーサーは廃墟となった洋館の敷地内へと足を踏み入れた。

 いつもはサクサクと響く枯れ葉を踏み締める足音も、今日は昨日の雨に濡れて足場が悪い。
 病院のサンダルを適当に履いて来た事を、アーサーは少し後悔した。

 もう何度も来たこの場所。
 何年も経っているのだから、成長した自分と同じように此処も変わっている筈なのに、否、変わっているのは分かるけれど。
 此処に来て蘇るのは、いつだってあの日の出来事だった。

(……アルフレッド……)

 マシューを捜し出すと決めた所で、何一つ当てなどない。
 自分1人で何が出来るだろうか、そう思って脳裏に浮かんだのは、あの日アルフレッドを消したこの場所だった。

 視線を巡らせれば嫌でも目に入る不気味にそびえ立つ洋館は、きっと持ち主が使用していた頃は大層立派な物だったのだろうと思わせる。
 何か手懸かりになるかと以前調べた情報によると、この洋館も森も同じ人物が所有しているらしい。
 高台に建てられたこの敷地一体を外界から閉ざすように周りを鬱蒼と囲う木々は、林と呼ぶには広すぎる、ちょっとした森のようになっている。この木々さえ無ければ、街の景色を見下ろせただろうに。

 何度も訪れ、同じ数だけ失意に沈んだこの場所で、今再び何が出来るだろうか。

 過去と現在を虚ろう思考をぼんやりと働かせながら暫く歩き、建物の真後ろへ回り込む。
 時刻はようやく鶏でも鳴き始めるかという早朝。
 薄暗い景観に、まるでこの場所だけが俗世から切り離された別世界のようだった。

 脚を踝まで泥だらけにしながら、アーサーは胸に引っ掛かりを覚える何かに急き立てられていた。

 辿り着いた洋館の背面。掌をぺたりと壁へ触れさせる。
 風雨に晒され続けて細い蔓の伝う壁は、酷く触り心地が悪かった。
 瞼を伏せて、あの日を思い出す。

(俺はこの壁に手を着いて、10まで数えて……)

 心の中で10秒カウントし、壁から手を離してゆっくりと歩き始めた。
 壁に沿って歩いて、洋館の広壁の終わりの角を曲がると、直ぐ其処が菊とアルフレッドが最後に別れた場所だ。
 その間、僅か10メートルもない短い距離。そしてその距離をアルフレッドは歩いていた筈で。
 しかし自分が10数え終わる頃には、アルフレッドは消えてしまっていた。

 無事に見付かって欲しい、否、自らの手で捜し出してみせる。そして再びアルフレッドの笑顔を見れる為なら何だってしてみせる。
 そう思って生きて来た、けれど。

(無事なだけじゃ、納得いかねぇ……っ)

 アルフレッドの涙が思い出される。
 アーサーは眉間にキツく力を込めて唇を引き結んだ。
 不甲斐ない、悔しい、沸き起こる様々な感情を堪えていた所為で、意識が散漫としていたのかも知れない。
 不意にぬかるんだ地面に足を取られてバランスを崩した。

「……ッ!?」

 そのまま鬱蒼とした森の方へと倒れ込む。
 茂みに突っ込んだ身体がガサガサと音を立て、けれど足が地を離れてからの勢いは止まらなかった。
 頭の中で警鐘が響いて血の気が下がる。
 ――まずい、そう思った時には、乱雑に生えた茂みが覆い隠していて気付けなかった傾斜を滑り落ちていて。

「……ッ、アル……っぐ……」

 一瞬の衝撃と痛みの後、意識が白んだ。



 ――ああ、そう言えばあの日も……雨が降った直ぐ後だったっけ。






  ◇◇◇






『ハァ、ハァ……ッ』


 僕は小さい頃、取り返しのつかない事をしてしまった。


『……いやだ……もうやだよ……っ』


 僕自身の人生を変えて、他の、人ひとりの人生を狂わせてしまう事を。

 忘れられない記憶の中で、小さな僕が走って逃げている。


『……ハッ、はぁ……っあう!』


 何度も転んで泥だらけになりながら、同じ数だけ起き上がって。また走る。
 ここではない何処かへ逃げてしまいたくて。
 ただただ、知らない森の中をひたすら走っていた。


『はぁ、はぁ……いやだ、……だれか……っ』


 逃げたかった。
 窮屈な家から。僕を覚えてくれないお母さんから。お母さんが一番で仕事が二番、僕なんか何番目なんだろうって思うお父さんから。
 後ろから僕を追い掛けてくる声が聴こえて、思わず心臓が止まりそうになった時。


『……あ……』


 倒れている子供を見付けた。

 見上げれば、緩い登り坂の上が丘のようになっていて。木々の間から建物の屋根が見えた。
 そう高くない其の場所から、転がり落ちてしまったのだと気が付く。


『……っ!』


 再び聴こえて来た声に、恐怖で身を竦ませた僕は……。



 ──どうせ、直ぐにバレてしまうと思ったんだ。
 なのに……。


『はぁ、は……ッ…、……う、うそ……』


 僕と同じくらいの歳で、髪は金色。
 それしか分からないその子に自分のドロドロになった上着を掛けて、傍にいつも持ち歩いていた白クマのぬいぐるみを置いて。
 そうしてその場を離れて樹の影に隠れた僕を置いて、僕を捜しに追い掛けて来た人達は、その子供を連れて行ってしまった。


 ――だから……。


「………」


 あの日と同じように雨上がりでぐちゃぐちゃな地面の上、あの時と同じ場所。
 同じように倒れていた金色の髪のこの人を、放って置けなかったんだ。

 忘れたくても忘れられないあの日の記憶を、鮮やかに思い出していた──。



  * * *



 震える瞼が持ち上がり、そっと開かれた瞳は綺麗な翠だった。
 僕を見て、唇を微かに動かす。

「……アル……?」
「いえ、僕は……」

 知らない誰かの名前を呼んだその人は、僕が名乗る前に違うと分かったのか、今度は辺りをゆるゆると見渡し始めた。
 壁も天井も床も、全部が木で造られた部屋の中には、今は僕とこの人しかいない。
 名乗るタイミングを失ってしまって、ベッドの傍まで運んだ椅子に座る姿勢を正して気を取り直す。

 目が覚めて、突然知らない所にいたら不安だよね。
 大丈夫だって安心させてあげないと。
 だって此処は、こんな僕の事も置いてくれる――。

「おーいマシュー、そいつ気が付いたの?」
「あっ、フランシスさ……」

 目が覚めた時に何か温かいものをって、シチューを作っていたフランシスさんが、ほかほかと湯気の立つ器を片手にやって来た。
 ひょいと顔を覗かせて、ベッドの上に横たわる人が目を覚ましている事を確認すると僕達がいる方へ歩いてくる。
 フランシスさんの料理は凄く美味しいんだ!僕がそう説明しようとする前に、ベッドに横たわっていた翠の眸の人が勢い良く上体を起こした。
 身長が同じくらいだと思ったフランシスさんの服は大きかったみたいで、肩の位置が少しずれてるな、なんて思っていると。

「マシューだって!?」
「……えっ……」

 急に名前を呼ばれて、僕は驚いて次の言葉が出て来なくて、ただその人を見詰め返した。

「おまえ、マシュー・ウィリアムズか!? 本物の!!」

「っ……るし……ッ」

 突然伸びて来た腕に思い切り胸倉を掴まれて苦しいと思っていたら、後ろからやってきたフランシスさんの指先が柔らかく触れて彼の手を制した。
 拘束が外れて、けほ、と小さく咳き込む。

「おい、ちょっと待ちな」

 フランシスさんの表情は丁度僕の後ろにいるから分からないけど、翠の眸の人は邪魔をされた事を怒っているのか、とても怖い顔をしていた。
 その目が、僕を通り越して後ろのフランシスさんを睨む。

「……まずは……ほれ、飯でも喰って落ち着けって。な?」

 フランシスさんが良い匂いのするシチューの器を翠の眸の人の前に持って行くと、ぎゅっと寄っていた眉間の皺が少しだけ和らいで。

 ぐぅぅう〜

 彼のお腹が鳴った。

「………っ」

 目許を少し赤くした翠の眸の人は無言で器を受け取ると、次にフランシスさんが差し出したスプーンを乱暴に奪い取った。
 その眼は、じっと僕を見ている。


 この人は、僕を知ってるの……?


 もう随分前に失くしてしまったファミリーネーム。心臓が、煩いくらいに鼓動していた。
 隠していた罪を暴かれて、責められている感覚。

 正に其の通りな事に、泣くつもりなんかないのに目の奥がじわりと熱くなる。

 ダメだ、マシュー。泣くなんて……きっと僕にだけは許されない。







  ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇





「……ふっ、うう……ひっく……」

 どれくらい、其処でそうしていただろうか。
 突然茂みがガサガサっと動いた事に驚いて、漸く涙が止まった。

「ん? 子供……? こんな所で何やってんだ?」

「ひっ……!」

 柔らかそうな金の髪をふわふわと肩まで伸ばしたその人は、僕を見ると驚いた様子で近寄って来た。
 脚が竦んで動けない。

「……あっ……ああ……」

「おいおい、んなに怖がんなって。傷付くだろー? ……どうした、迷子か?」

 おどけたように肩を竦めたその人は、すっと僕の目の前にしゃがんで目の高さを同じくすると、白くて綺麗な指先で僕の頭を撫でてくれた。

「……あ……」

「御両親はどうした? ん?」

「……ッ……!!」

 両親、その言葉に反応して僕はビクリと肩を跳ねさせ、自分の於かれた状況を思い出してカタカタと全身を震わせた。
 目の前のその人が、僕の顔を心配そうに覗き込む。

「っあ……、僕……っ、僕は……ッ……お父さんもお母さんも、みんな僕のことなんかどうでもいいんだ……ッきらいなんだ……っ!」

 さっきからずっと、色々考えて考えて、たくさん考えて。行き着く答えは其処だった。
 知らない子供が連れて行かれて、最初はすぐに戻って来ると思っていたのに、こうして今も誰も来ない。
 父も母も気付かなかったのだ。
 そう思うとまたボロボロと溢れて来る涙を、そっと優しい指に掬われた。

「……捨てられたのか……?」

 何を訊かれているのか分からないまま、僕は夢中で頷いた。
 本当に言葉の意味なんか理解してなくて、もしかしたらただ、その優しい指に助けを求めていたのかも知れない。

「──そうか……、よし!」

 突然立ち上がったその人に驚いて、肩がビクリと震えた。
 そんな僕に、今度はお構い無しの様子でその人の腕が伸びてくる。
 吃驚したお陰で涙は止まってくれたみたいだった。

「……っあ……ふ、服が汚れます……!」

「いいって、いいって。子供はんなこと気にしないの」

 腕を突っ張って制するけど、自分の手が泥だらけで汚い事を思い出して慌てて引っ込めて。
 そうこうしてる内に、ひょいと抱き上げられてしまった。
 優しい笑顔、海のように深い青い眸が僕を映す。

「俺がいい所に連れて行ってやるよ」

 僕の事を子供扱いしたその人は、けれど大人には見えない、綺麗なお兄さんだった。

「俺はフランシス・ボヌフォワ、今日からお前の家族だよ」

 



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